紙の本
フランスの哲学者ジル・ドゥルーズによる同一性に焦点をあてて研究した一冊です!
2020/05/22 11:40
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズによって1968年に発表された哲学の研究書です。同書において、ドゥルーズは同一性の問題に焦点を当て、例えば、「ソクラテスは人間である」という言明において、ソクラテスという個別的、具体的な歴史的人物を指すものであるために排他的に用いられるものと、人間という諸々の差異を持った存在を共通して指し示すものがあることを示してくれます。そして、同一性について、デイヴィッド・ヒュームは個々人の経験から一般的に正しいことを導き出せるか、またそれはどのように正しいと言えるかを問題としたと述べ、ドゥルーズは、このような同一性の問題に対して、多種多様であるはずの存在がどのようにして同一の存在と見なせるのかを検討しながら、同一性で処理できない差異性とその反復の過程を明らかにしていきます。なかなか難解な内容ですが、読み応え十分で、読後にはドゥルーズの考え方が何となくイメージできるようになります。
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http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/sousou/sou20.htm
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[ 内容 ]
<上>
「いつの日か、世紀はドゥルーズのものとなるだろう」とフーコーをいわしめたドゥルーズの主著にして代表作。
ニーチェ、ベルクソン、スピノザらとともに、差異を同一性から解き放ち、反復を“理念”の力=累乗の特異性として発見する時、新たな生と思考がはじまる。
かぎりない力をひめた怪物的な書物。
<下>
自ら「哲学すること」を試みた最初の書物と語る、ドゥルーズ哲学のすべての起点となった名著。
下巻では“理念”、そして強度、潜在性などの核心的主題があきらかにされるとともに、差異の極限における「すべては等しい」「すべては還帰する」の声が鳴り響く。
それまでの思考/哲学を根底から転換させる未来の哲学がここにはじまる。
[ 目次 ]
<上>
序論 反復と差異(反復と一般性―行動の視点からする第一の区別;一般性の二つのレヴェル―類似と等しさ ほか)
第1章 それ自身における差異(差異と暗い背景;差異を表象=再現前化するということは必要なのだろうか―表象=再現前化の四つのアスペクト(四重の根) ほか)
第2章 それ自身へ向かう反復(反復、それは、何かが変えられること;時間の第一の総合―生ける現在 ほか)
第3章 思考のイマージュ(哲学における前提の問題;第一の公準―普遍的本性タル“思考”の原理 ほか)
<下>
第4章 差異の理念的総合(問題的な審廷としての理念;未規定なもの、規定可能なもの、および規定作用―差異;微分 ほか)
第5章 感覚されうるものの非対称的総合(差異と雑多なもの;差異と強度;差異の取り消し ほか)
結論 差異と反復(表象=再現前化批判;有限か無限かという二者択一は無益であること;同一性、類似、対立、そして類比―それら(四つの錯覚)はどのようにして差異を裏切るのか ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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分巻の本には感想を書かないことにしていたのだけれど、忘れないうちにということで、書いておくことにする。
門外漢が哲学書を読むということは、本のすべてを丸呑みにすることを目的にすることが出来ない。本書は特にそうだけれど、哲学書というのは連綿と築かれた思想の新たなパッチワークであり、すべてを理解するには強靭な記憶力と膨大な事前知識あるいは資料を必要とする。「読書」という関わり方としては、とても割に合わない。
門外漢の読み方とは、気に入ったところをピックアップしたり、論理の流れ、プロセスを一過性のものとして愉しんだり、そういうところにあるのだと思う。そもそも結論として納得できるような「〈差異〉〈反復〉=〈○○〉〈✕✕〉である」などという答えは存在しない。(ひとつの答えでなく定理であれば、本書の中に多数存在する。〈差異〉〈反復〉=〈開始〉〈再開〉など)少し長いけれど、以下、引用する。
「たとえばドストエフスキーあるいはシェストフにおけるように、答えを呼び起こさずにかえって黙らせるためには、問いというものが、十分な執拗さ〔存続〕をもって立てられさえすればそれでよい。このような場合にこそ、問いは、おのれのまさしく存在論的な射程を発見できるのである。存在論的な射程とは、否定的なものの否−存在には還元されることのない問いの(非)−存在のことである。根源的な答えや解、究極的な答えや解というものは存在しない。〈問い−問題〉のみが、あらゆる仮面の背後にあるひとつの仮面のおかげで、またあらゆる場所の背後にあるひとつの置き換えのおかげで、根源的であり究極的であるのだ。」(P290)
つまり私のような者は〈問いの置き換え=論理のプロセス〉を愉しめばいいのだ。それが自分の思想のひとつとして無意識に浸透することもあるだろう。この考えについて引用。
「したがって、「学ぶ」ということは、つねに無意識を通り、つねに無意識のなかを過ぎゆき、自然と精神のあいだに、ひとつの深い共犯関係の紐帯を打ち立てるのである。」(P436)
そういうことも期待しつつ、愉しめば良い。そういう意味で、とても満足できる読書だった。
非常に気に入った文章をひとつ。
「だからこそ宿命は、決定論とはきわめて両立し難く、自由とはとてもよく両立するのである。」
夢のような言葉だ。けれども、その「だからこそ」が難しい。
「宿命は、表象=再現前化された時間の順序に即して継起する諸現在のあいだの決定論的な諸関係によって、徐々に構成されていく、というわけではない。宿命は、それら継起的な諸現在のあいだの、局所化されえない諸連結を、もろもろの遠隔作用を、繰り返しと共鳴と反響の諸システムを、客観的な諸偶然を、数々の信号としるしを、そして空間的な状況と時間的な継起に対して超越的なもろもろの役割を巻き込んでいるのである。継起し、ひとつの宿命を表現する諸現在について、ひとは、水準の違いを別にするならば、すなわちこの場合、一方では多かれ少なかれ弛緩し、他方では、多かれ少なかれ縮約されているという事実を別にすれば、つねに同じことを��同じ歴史を営むものだと言うだろう。だからこそ宿命は――」
下巻も期待。