直木賞受賞作、とにかくおもしろい
2020/06/10 21:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
第32回(1954年下半期)の直木賞を受賞している作品、読んでみると受賞するのが当たり前に思える。とにかく面白い、主人公はお人好しでいろんな人に騙され続ける。主人公がいい人と思い込んでいる役所の徴収係の人にもおそらくは騙されている、でも本人は気づかない。少しでも悪知恵の働く人だったら、この人のことを騙さずにはいられなくなるのだろう。「桜島」の耳のない女、「幻化」でのあんまり気安く話かけると毒づく漁村の女など、この人の書く脇役はいつも光っている、この作品もそうだった。とにかく怪しい人が登場しすぎる
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主人公はみんな貧乏で気が弱く、お話は哀しくやるせなく、でもなんだかマヌケというかとんまというか、ヘンだ。
おとぎ話みたい。
今まで全っ然、いっこも読んだことなかった梅崎。梅崎春生はとてもいい、地味で。
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今まで読んだことの無い作風だったので、漫才にたとえれば「ぞうさんのポット」のような笑いが含まれた短編集でした。とても好ましいです。
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戦後文学…なのか?
昭和29年に発表された。困った人がたくさん出てくる、ちょっと面白い作品らしい。
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梅崎さんの名前は見たことがあったけど、読んだのは初めて。
この『ボロ家の春秋』は短篇集で7つの短篇が収められている。
梅崎さんの小説には「戦争もの」と「隣人もの」があって、こちらは後者。
梅崎さんは、戦争ものにおいては、
【 苛烈な環境状況にあっても生活はある 】
というような書き方をし(読んでいないので解説に拠る)、隣人ものの方では、
【 平和な何の変哲もない日常にも苛烈な状況はある 】
という書き方をしている。
だから「戦争もの」も「隣人もの」も本質として梅崎さんの中では別ものではないのだと思う。
人間は生きているうちはどんな状況であれ生活をしなくてはいけない。
そんな梅崎さんが書く日常小説は悲惨さをコミカルに乗せた灰色にくすんだユーモアがあり、深みがあって、おもしろい。
登場人物の名前ひとつとっても梅崎さんのエスプリが効いている。
その名前をつける理由(わけ)がある。
猿沢と蟹江というふたりの男性を描いたものはその名前から連想される通りさるかに合戦を彷彿とさせる。
《 僕は生まれつき相当のオセッカイ屋で、他人との関係にもこれなくしては入れなかった。でも大ざっぱに言えば、人間と人間を結び合うものは、愛などというしゃらくさいものでなく、もっぱらこのオセッカイとか出しゃばりの精神ではないでしょうか。大づかみに僕はそう了承しています。オセッカイこそ人間が生きていることの保証であるという具合にです。》(「ボロ家の春秋」より)
《 好意か親切か余計なオセッカイか、それは発する者が決めるんじゃなく、受取る方で決めるものだからです。》(「凡人凡語」より)
梅崎さんが発表した当時はこれが現代小説だったわけだが、当時の隣人はそれから50年以上経った今でもちっとも違和感がない。
人間のあり方、人間と人間の結びつき、社会とのあり方、そういうものは変わらない。
根っこはそういう風に深いのに、梅崎節は滑稽さをマントにして重々しく見せない。
『蜆』なんてかなりブラックで怖いのに気分が重くなるようなことはない。
『ボロ家の春秋」もかなりシビアに切羽詰まった状況であるのにちょっと笑ってしまう。
とにもかくにも、おもしろい本。万人におススメできる本。
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日常生活が限りなくハイテク化/SF化しつつある、今となっては、こういう「日常」の方がずーっと遠く感じられます。
ところで、イチジクの木は水分が多くて、薪に不向きだそうですが、本当かなあ。
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梅崎先生の描く人間と人の世は、じんわりと湿り気がありつつ、おかしみと諦念が横たわっていて、かつシンプルな本質をくっきりと浮かび上がらせていると感じている。そういった醍醐味がここに収められた小編たちには凝集している。
解説でも触れていたが、書かれた当時の時世に強く準拠しながらも、いま読んで古さを感じないのは、人の本質をよくよく捉えているからに他ならないと思う。つくづく、梅崎先生の書くものが好きだとあらためて思わされた。