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聖徳太子は本当に徳高き人であったのかというのを,代々”徳”の付く天皇の死と対比しながら読み解いて行く。すると,徳という諡が与えられるのは,みな不遇な死を遂げた天皇ばかりであることに気付く。徳という諡を付けて,怨霊を鎮魂しようとしたのである。
次に,天智天皇の死について,天武天皇のクーデターにより天智は暗殺されたと,文献での記述の不可解さや墓の場所,当時の朝鮮とのかかわりなどを元に,現代の認識と逆説的に解き明かしていく。
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怨霊、言霊、穢れから日本史を見据える《赤松正雄の読書録ブログ》
日本史をおさらいするうえで比類なき面白本をようやく見つけた。歴史の書というよりも歴史推理小説といった方がいいかもしれない。かねてからの「歴史通」や、今はやりの「歴女」には、何を今更と言われよう。このシリーズが世に出てもう10有余年も経っているのだから。しかし、恥ずかしながらその存在を私は知らなかった。井沢元彦『逆説の日本史』1~12である。未読の方は、まず文庫の第一巻を購入されることをおすすめしたい。
日本史を追う井沢さんのキーワードは、怨霊、言霊、穢れの三つ。彼はことごとくをこれで抑えていく。見事なまでに。彼にかかれば歴史学者は形無し。木っ端微塵にやっつけている。宗教の本来的な役割を知らずに、文献至上主義に陥ってることの弊害を事細かにまた繰り返し飽きもせずに説く。読んでる端から忘れがちな私のようなものには、まことにこれは助かる。しかし、この手法ではさぞかし正統な歴史学者や同業他者から嫌われよう。であるがゆえに、あまり世の中に評価されていないように思われるのは、著者ならずとも口惜しい。
近眼の人が寝ぼけ眼に顔を洗ってメガネをかけた時のように、ぼんやりしていた歴史絵巻が忽然と姿を現すのは嬉しい限り。というのは少々ほめすぎかも。だが、古代から中世にかけての日本人たちにとっての、様々なる神社仏閣の存在や「和歌」の持つ意味が判明するのは大きな収穫であった。軍事について現代日本人がとかく敬遠しがちなのは、何も戦後に始まったことではなく、古代からの歴史に根ざした伝統であることを知ったことも大きい。
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聖徳太子の称号の謎
・聖徳太子編―「徳」の諡号と怨霊信仰のメカニズム
・天智天皇編―暗殺説を裏付ける朝鮮半島への軍事介入
・天武天皇と持統女帝編―天皇家の血統と『日本書紀』の”作為”
・平城京と奈良の大仏編―聖武天皇の後継者問題と大仏建立
主張がブレるところもあるが、この章がいちばん井沢元彦の真骨頂を読めるのではないだろうか。
時代が下るにつれ、単純に事実を追う記述が多くなっていくが、ここではまだ怨霊についての記述で厚みがある。
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2011年の1冊目。
正月ダラダラしていたため、なかなか進まず…。
まだ2巻だけど、1巻同様、歴史に詳しいともっと面白いだろうなと思う。定説を知らないので、否定できない。
でも、出てくる歴史や場所を調べたり、巡ってみたくなる。
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正直言って、その分量が多く、一度読んだだけでは理解しきれていないし、すでに忘れてしまっている部分もある。もちろん、歴代の天皇の順番や年表なども、ほとんど頭に入っていない。
それでも、「すごい」と感じる。その理由は、「日本の歴史が、学問というしがらみを抜けて、水を得た魚のように、自由に泳ぎ回っている時間の景色」にある。
内容としては、飛鳥時代の聖徳太子から、奈良時代の天智天皇、天武天皇が中心。
厩戸皇子がなぜ「聖徳」太子という称号を受けたのか?
聖徳太子は戦う皇子だった。
ノイローゼの聖徳太子。
天智天皇の暗殺。
武闘派天武天皇の謀反。
奈良の大仏は仏教信仰の賜ではない。
などなど、ワクワクしっぱなしである。
悔やまれるのは、自分にもう少し、歴史の基本知識があれば、もっとおもしろかっただろうに、と思うこと。
いずれ、もう一度読むことになるだろう。
それにしても、怨霊・言霊という切り口はおもしろい。
本書を読んでいて、頭の中に情景として無意識に浮かんだのは、「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」であったのも、またおもしろかった。
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・崇峻天皇暗殺事件を疑われた聖徳太子は天皇位を継げる状態ではなくなってしまった
・崇峻天皇は殯なしで即日葬られた。聖徳太子の叔父であり、史上唯一臣下の手によって暗殺された天皇
・藤ノ木古墳の被葬者の足下に壊された金冠が入っている
・合奏するためには、近親者で身分も近く、同じ境遇(非業の死)を遂げた人物が的確。それは穴穂部皇子ではないか。
・顕徳天皇は後に後鳥羽となった。顕徳は一見良さそうだが実は悪い名前だと当時の人々が考えていた。「贈”徳の字”方式鎮魂法」には終止符が打たれた
・中国では「徳」は皇帝となるための絶対条件だが、日本は「血統」。日本では「徳」という概念を怨霊鎮魂に使った。日本では怨霊の鎮魂さえうまくいけば世の中は丸く治まる
・「天智」とは殷の紂王が最後まで身につけていた宝石の名前。紂王を討ったのは周の武王。天智と天武の関係と対応。
・日唐同盟を阻止するために天武は天智を討った。そこで功績を上げたのは栗隈王。「天智は山科に狩りに行って、行方不明になった」の山科は栗隈の地に近い犯行現場。
・天武の父は外国人だったのではないか。持統天皇は断絶の危機を回避した。日本において祖母から孫への譲位はただ一度(持統→文武帝)のみ。天孫降臨の神話はそれを表している。オシホミミは草壁皇子ではないか。
・藤原鎌足は「六韜」を愛読していた。「六韜」はマキャベリズムの本。
・奈良の大仏は創建当時は世界最大の金剛仏だった。長屋王の怨霊の霊力に屈し、建立後わずか30年あまりで、あっさり都を捨てて長岡、平安京に遷した。
・古い時代には東大寺の高さは15丈であり、出雲大社は16丈であった。という記述がある。大仏が大国主に1丈だけ遠慮したという見方
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えーと、とりあえず史料至上主義の権威ある学者の説はそんなに信用できない、と。井沢さんの説、大好きです。これからたくさん読みに走ります。歴史の謎は推理小説的に面白いわ~♪
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この人の本を読んで思うのは、歴史学者って本当にデタラメなんだなということ。もちろん、著者の説が全て正しいとまでは思っていない。しかし、例えば日本書紀は、その編纂者や時期などから内容はそのまま信じる訳にはいかないのは著者の言うとおりだと思う。にもかかわらず、学者の間ではそうではないらしい。原発問題でも分かったことだが、専門化でもダメな人はたくさんいる。専門化の言うことだから間違いない、とは言えないのは歴史学でも同じなのでしょう。
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神話の国出雲に生まれ育った僕は、古代史が大好きです。
でも学校で習ったしょうもない古代史は大嫌いです。ロマンの介在しない歴史は、ただの暗記物。脳のメモリーの無駄遣い。
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聖徳太子から聖武天皇の時代に至るまで、史実から読み取る歴史と日本人の感覚から推測する歴史を対比しながら当時を考察する。歴代の天皇に送られた諡号が意味すること、特に無念の死を遂げたと思われる推察が興味深い。また、天皇家に入り込もうとした藤原家の策略も興味深い。
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飛鳥~奈良時代の聖徳太子、天智天皇、天武・持統天皇、東大寺・奈良大仏についての当時の考え方を元にした優れた推察。当時の人間的な歴史の流れが物凄く府の落ちる形で解説されてる。週刊連載だったせいか分かりやすくしようとし過ぎたせいかちょっとしつこい文章になってしまってるのが少し残念。
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この2巻は、逆説の日本史1巻と同様、かなり違和感がある。井沢氏の、怨霊信仰や、言霊という古代から日本人に深く信じられてきた、宗教的視点をもとに、証拠主義に固執する古い体質の専門家を批判するのは痛快だ。実際、3巻以降、大きな歴史の流れが、資料によって明らかになる時代は、氏の手法によって、歴史が、生き生きと蘇ってくる。一方、学者批判に酔いすぎて、井沢氏も同じ轍を踏んでいるように感じる。聖徳太子のことや、天智天皇と天武天皇の謎等を、新しい視点で分析するのは面白いが、氏の仮説には、この時代の流れを読むための納得感が全くないのである。
日本書紀から知る6、7世紀の歴史の通説の一番の疑問は、なぜ、数世紀に渡って力を持った蘇我氏が、乙巳の変で一瞬にして滅亡し、影響力をなくしたのか。蘇我氏や他の豪族達の日本国創世期への貢献が、正史にほとんど書かれていないのはなぜなのかということ。小学校で初めて歴史を習って以来、無理やり流れる古代史に違和感を覚えて以来、この答えを探すのは、ライフワークでもある。歴史家の証拠主義批判もいいが、その違和感をぬぐい去る、井沢氏なりの筋の通った逆説の日本史を期待したが、それがないのである。
この巻の一番の失敗は、日本書紀の編纂を命じたのは天武天皇であり、内容は全て天武側の大本営発表だという通説を、疑いなく前提として全ての謎に関する論議を行なっていることだ。通説を批判しておきながら、通説を前提に話を進めるから、結論がよくわらなくなる。正しい歴史は確かめようがないが、少なくとも、正史日本書記がどういう意図で書かれかのような、その後の議論に大きく影響する大前提については、もう少し慎重になるべきだったと思う。それによって、同じ証拠で仮説を論じるときの結論が180度変わってしまうからである。
例えば、天智と天武が兄弟ではないこと、壬申の乱の意義、天武の死からその後の持統天皇までの一連の記述に関して、天武に不利なことが書かれてあると、天武の大本営発表なのに不思議だとしながらも、誰かが書き加えた可能性もある・・・と、無理やりこじつけて深堀しない。一方で、天智や中臣鎌足にあいまいなことがあると、天武が、正統な天智系を歴史から抹殺しようとしたからだと決めつけ、やはり対案を比較しない。
天武崩御後、草壁皇子への皇位継承に固執して即位した持統天皇が、天武系を抹殺して文武へとつなぐわけだが、それに全面協力しているのは、藤原不比等である。彼は、天智とともに蘇我氏を滅ぼしたとされる中臣鎌足の子であり、日本書紀の編纂に深く関与していたと氏も認めている。普通に考えれば、それ以降力を持つ藤原不比等こそ、中臣鎌足に始まる藤原と、同士天智の正統性の根拠に、日本書記を利用したと考える方がよっぽど自然に思える。乙巳の変から大化の改新を経て、この国を作ったのは私達だと主張するため、むしろ天智側の大本営発表が日本書紀ではないのか。そう考えると、数々のあいまいな記述は、むしろ天智側が言えない事実や、都合の悪い話を隠匿するためと考えられる。
彼らが、歴史から抹殺したかったのは、おそらく蘇我���であり、藤原以外の全ての日本国創設の貢献者達である。特に蘇我氏は、日本創立の貢献どころか、律令制に反抗した、守旧派の悪徳一族というレッテルを貼られ、大化の改新で、後の天智となる中大兄皇子と、藤原の開祖中臣鎌足を歴史のヒーローにするのに一役買っている。そういう前提も考慮して、2巻のテーマである、聖徳太子の謎、乙巳の変、大化の改新、よくわらない白村江の戦い、壬申の乱でいとも簡単に天智を滅ぼした謎、長屋王の祟り等を、もう一度、検証してみてほしい。同じ証拠で、全く別の歴史が見えてくるはずである。
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この巻に関しては面白い部分が多々ありつつも、KiKi にとってはかなり不満な内容でした。 それは目次を見た段階でもある程度予想はついていたことだったんですけどね。 因みにこの巻の目次はざっと以下のような感じです。
第1章:聖徳太子編 - 「徳」の諡号と怨霊信仰のメカニズム
第2章:天智天皇編 - 暗殺説を裏付ける朝鮮半島への軍事介入
第3章:天武天皇と持統女帝編 - 天皇家の血統と「日本書紀」の作為
第4章:平城京と奈良の大仏編 - 聖武天皇の後継者問題と大仏建立
あれ? あれれ??? どうして「大化の改新」の章がないんだ??? あの権勢をふるった「蘇我氏」があれよあれよという間に歴史から姿を消していったあの一大事(乙巳の変)が抜けているというだけで、KiKi にとっては何となく中途半端感が漂っちゃったんですよね~。 特にそれまでの時代は天皇という存在が脈々と続いていたとは言えども、天皇を中心とした中央集権国家というよりは、飛鳥豪族を中心とした政治が行われていた(と学んできていた)だけに・・・・・。
そしてね、なおさら感じるのは怨霊になることができるのは「天孫」たる「皇室の人間だけ」だったという前提条件があるのかもしれないけれど、(そんなことないよね?? だって彼の「怨霊説」の中には菅原道真がしょっちゅう出てきているぐらいだから)井沢氏の説の骨格を成しているといっても過言ではない「怨霊」、しかもかなり「パワフルな怨霊」になりそうな存在として、蘇我氏を忘れちゃいけないように思うんだけど・・・・・。 まあ、飛鳥寺が存続しているうえにあそこに鎮座している飛鳥大仏は日本最古という有り難~い誉れで伝わる仏像ということなので、あれが蘇我氏の「怨霊封じ」の象徴なのかもしれませんが・・・・・・。
「徳」という諡に秘められた考察にしろ、天智 vs. 天武の争い及び壬申の乱に関する考察にしろ、大仏開眼に秘められていたかもしれない聖武・光明夫妻の本当の狙い等々の話にしろ、一つ一つはそれなりに(と言うか、かなり)面白いと感じられたのですが、その話を語る上でそこかしこに挟まる学会批判が長い、長い、長い・・・・・・。 しかもいつも同じ文言なのでくどい、くどい、くどい・・・・・・。 これを「ここまでしなければ学会につぶされてしまうと感じている井沢氏の恐怖心」の為せる業と見るべきなのか、「彼固有のけんか腰(論調が議論調というより喧嘩調 ^^;)」と見るべきなのか?? 古代黎明編であれだけ言い切っていた「和の精神」とやらはどこへいっちゃったんでしょうか??という感じです。
それにね、そういう話が出てくると「またか・・・・」と思って流し読みモードに入ってしまうので「閑話休題」となった時に肝心なテーマに乗りきれずに読み飛ばしちゃっているところがあるんでしょうか? 時にその学会批判とそれにまつわる余計な話に振り回されているうちに、何が論じられていた文章だったのか、焦点がぼけてしまって、挙句、結論が変わってしまっているような印象を受けた箇所もなきにしもあらず・・・・・���ったんですよね~。
で、普通の本だったら「元い・・・」と読み返してみようと思うところが、ことこの本に関してはあのくどくて長い、それでなくても何度も同じような文章で繰り返されている学会批判を読み返すことにもつながると思うと、その意欲までなくなってしまうという負のスパイラルへ・・・・・。 結果、KiKi の印象としては「何となくご都合主義??」「論旨が一貫しているようで、意外と矛盾アリ??」となってしまい、「まあ、お説、承っておきましょう・・・・」でお茶を濁してしまう(苦笑)、そんな感じになってしまうんですよね~。
目の付け所は面白いと思うし、彼の設定した仮説に沿ってかなりの線までは考え抜かれ、調査もしているような印象を受けつつも、文章にする際にはそれを感情的に書き散らしているが故に、却って論旨がぼやけてしまう・・・・そんな印象なんですよね~。 もうちょっと整理して、あっちへいったりこっちへいったりせず、仮に別のところで述べたことがあるような話でも要点だけをちゃんと述べ直したうえで、きっちりと結論まで持って行ってくれたらいいのに・・・・・と感じること多々アリなのです。
最後に・・・・・
個人的には「まつりごと」という言葉を「祭政一致」という感覚で理解・納得していたんだけど、それが井沢氏が唱えるような説にもつながる(怨霊を祀る)というあたりがかなり面白かったです。 そして「さわらぬ神に祟りなし」のくだりも・・・・。 さて、次は第3巻。 平安建都と万葉集だそうです。
(全文はブログにて)
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その論証はまさに推理小説。
ほんとのところはどうなのかわからないために、より面白い。
にしても聖徳太子ノイローゼ説は、どうなんだろうねえ。
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ご本人とその政治的主張は非常にクセがあり(マイルドに言って)、好き嫌いが別れそうですが、彼の通史は本当に面白い。「怨霊信仰+コトダマ+ケガレ忌避+和の精神」という日本人の宗教観をベースに古代史から現代までを新たな視点で考察しています。粗い・甘い箇所もあるけど掛け値なしに面白く、目から鱗。考えさせられます。