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S&Mシリーズの最後もバーチャルの中の話だったっけ…うろ覚え。10年以上経って、その設定がさらに洗練されて展開していたように思う。
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Wシリーズの5冊目。
今度は、ウォーカロンばかりが暮らしているという情報から、アフリカの南端の村を訪れるハギリら3人。
いつもはあまり何も起こらないシンプルな話の中で思わせぶりな考察が語られるのだけど、本作では『行ったが最後、誰も戻ってこない』と言われる謎めいた場所が舞台で、いつもとちょっと作りが違う。
そうした場所に囚われた局面の割にはハギリに緊張感もなく、敵の攻撃も長閑で、イマイチ緊迫感には欠けるのはこの本らしい?
一方、生命というものの概念について、『人の命はかけがえのないもの、この世で最も貴重なものだという信念が、本当なのか、どうしてそんなことがいえるのか、という危うい境界にまで到達した世界』で、『自分の存在を意識できる能力、その複雑性が、すなわち生きているという意味だ』と語りながら、行きつ戻りつ繰り返される考察が深淵。
『生きているものだけが、自分が生きているのかと問うのだ』、なかなか面白い。
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相変わらずハイペースでの出版で、他のシリーズと違って前の記憶が結構残ってるから話を繋げやすい
そして内容も面白い
一気に引き込まれるね
全シリーズ通してのこの時間はどのあたりになるんだろう。
100年シリーズと同じ?後?
次作も期待
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「では、彼がやられたところを、マグナダは見ていたのですか?」
「わからないけれど、その可能性が高い」
「水晶玉を使ったのですか?」
「使わないよりは、多少科学的な方法だ」
「怒っているね?」
「はい」
「言いたいことがあったら、聞くけれど」
「言いたいことは事前に申し上げました。問題は、言っても先生にはきいてもらえない、ということです」
「うん。いや、充分に理解はしているんだけれど、しかし、なんというか、好奇心が勝ったというか…」
「誘惑に負けたということですね?」
「ここは、まだなにか重要なことを隠しているように思う。そうでなくても、ここと緊密な関係を持つことは、将来的に有益だと思える。なんか、そういう感じがする」
「感じがする」
「しょうがない。論理的ではないが、研究者としての勘みたいなものだよ」
「みたいなものではなく、単なる勘ではないでしょうか?」
「そうだね。悪いことを考えるのは、みんな人間だからね」
『理念を打ち立てるほど、言葉だけの理屈を信じていない。ただ、問題を地道に解決し、障害を取り除くことで、少しずつ生きやすくなれば良いと、というのが基本にある。正解値が得られないならば、近似値で良い。誤差が小さくなる方向へ進めば、それは進歩なのだ。』
「私はデボラは生きていると思う ー 自分の存在を意識できる能力、その複雑性が、すなわち生きているという意味だ、と私は解釈しているから」
『成長するとともに、この人間社会の不合理に圧倒されることになるはずだ。人間も地球も無駄なもので汚れている。社会も間違いだらけなのだ。
そして、最も我慢ならないのは、自分の肉体が、そんな汚れた地球の一部であること、自分の躰の中に不合理で意味不明な、洗練されていない自然が残っていることだ。
彼らがボディを捨てた理由は、それだろう。』
『いつか、人間もボディを捨てる時代が来るだろう。
これは、確信できる。
そのあとには、脳もいらなくなる。脳だって肉体だからだ。
人間は、いつか人間と決別することになるだろう。』
『そうか…。
生きているものだけが、自分が生きているかと問うのだ。』
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今までのWシリーズとは少し切り離された感のある内容だった。
もちろん、登場人物は相変わらずのハギリ博士とウグイたちなのだけれど。
女王の百年密室の読後だからか、妙につながりを疑ってしまう部分もあって、色々考えを巡らせるのがとても楽しかった。
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Wシリーズも既に5冊目。あっという間ですね。
今回ハギリが訪れるのは、アフリカのとある村。ウォーカロン調査に趣いた場所で見たその光景に、ハギリたちはこの現代で「生きている」ことを考える。
この本での最大はテルグの町そのもの。これには衝撃というか、感動した。真賀田四季の頭脳は何所まで先に進んでいるのだろう。彼女の生まれた時代を思うと、そのとんでもなさに圧倒される。
前巻でもだんだんと見えてきていたが、最初はウォーカロン顔負けだったウグイも、どんどん人間味が出て来ている。森さん作品ならではの女性キャラクタの雰囲気が出て来た気がするのは私だけだろうか。感覚がまだ現代に近い所為か、彼女の持つ不安や嫌悪に安心した。
ウォーカロンも「人間はこう考える」「自分たちに欠けているものを人間は持っている、それを見つけたい」と葛藤するという。ならばウォーカロンという存在は「生きているのか?」
なぜ生きているのか? 私たちはそもそも生きているのか? 生きていることが尊いと思う現代でも難しい問いに、生きていることがそれこそ当たり前になっている世の中になると、そんなことすらあまり考えないのかもしれない。当然のように延命し、できる限り長く生きる。そんな世界で出した生きていることの答えは、きっと他にもあるだろう。
このシリーズは真賀田博士が問いかけていたこと、話していたことをいちいち思い出させる。それだけでもう、世界構築がなされている。
この時代ではなく今現在生きている身としては、人間が人間をと決別する未来を望めない。そんな私はデボラと友人にはなれないかもしれない。それでも、デボラの定義する友情を、愛おしく思えた。
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水槽の中の脳。
近いうちにこうなる、とは決して言えないけれど、限りなくリアルに沿った未来図なのではないかと思ってしまう。あり得ない、と切り捨てることができる技術ではもはやないのではないか。知識がないからなんとも言えないけど。
シンの目的が結局よく分からなかったな。どうしてハギリ博士たちを閉じ込めたんだろう。誰が人間で、誰がウォーカロンだったのか。シン(老婆)は人間、キリナバも?
ウォーカロンが人間に近づいていくこと、ほぼ人間と同化してしまうことによって、結局世界はどうなるのか。どうにもならないのか。ヴァーチャルの世界だけですべてが事足りる用になる未来がくるのだろうか。そうすれば今度はそこが「現実」になって、またさらにそこから見る「仮想空間」が生まれたりしないのだろうか。まとりょーしか。
ラスト、ハギリ博士とデボラのやりとりがめっちゃ好きです。
抜粋。
「持って回った言い方だね。えっと、ローリィが自分は生きていないと言った理由?」
「はい」
「面白い。教えて」
「理由は、彼が生きているからです」
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今回のテーマは、生きているとは?
人は考える葦である、と昔の偉い人が言ったとか言わないとか。
人は自由である。
人は思考する。
人は意志を持つ。
人は感情を持つ。
人は複雑である。
脳が、身体が、生かすのか。
夢と、現実は、違うのか。
テルグ……いい村だ。
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Wシリーズの第5巻:Are We Under the Biofeedback?~ウォーカロンだけの村があると聞いてハギリ博士が訪ねたのはアフリカの南端。警察も立ち入らない場所は富の谷と呼ばれている。案内人は遅れてやって来て行き倒れ、仲介の占い師が紹介したローリィはキャタピラ式のバイクを調達してきた。村長のシンという百歳の老人だけが人間で他のウォーカロンは肉体を持たず、バーチャル空間で生活していて、夢の中で卵というプログラムを作って利益を得ているというのだ。勿論、頭脳だけ身体から切り離すのは違法だが、利益を上げているので治外法権が認められているらしい。バーチャル空間に入ったハギリとウグイにシンはアネバネが喜ぶかも知れないと呼びに行き、アネバネも入ってきたが、シンは姿を消し、3人は出られない。教師だったというウォーカロンが協力者になって図書館で調べるがログアウトの方法は見つからず、ハギリが図書館でデボラを調べると、気に掛けているデボラは気が付いて、隔絶されている地下にデジタルラジオを持ち込み、太陽を採り入れているファーバーを媒体として介入し、村はデボラの支配下に入り、3人は救出された。占い師マグナダを脅すと、シンとキリナバに誘導されて仕事を引き受けたのだと白状した。シンは端数を集めることで富を得ていたのだが、3人を監禁して日本への亡命を画策していたのだ。解放されたことで計画が挫折したシンは研究所でハギリを襲撃するが、撃退される。デボラが協力してくれる謂われは「友情」だった~肉体という不自由なモノから解放される道もある…と
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Wシリーズの続きを読んでみたが、これがまた面白かった。
最近のスマホばかり見ている人が多くなっているのを見るに、
やっぱり体を離れて電子的な世界に行ったほうが
幸せなんじゃなかろうか、と思ったりもするけど、
この本では、そういった世界が書かれていて、
SFの面白さの一面を知ることができたと思う。
あと、本題の「私たちは生きているのか?」についても、
「自分は生きていない」という登場人物について、
「どうして生きていないというのか」という理由が
最後に出てくるけど、その理由がストンと納得できるもので、
とても良かった。
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『自分の存在を意識できる能力、その複雑性が、すなわち生きているという意味』
Wシリーズ第5弾。珍しく直球なタイトルと思ったらしっかりと英題の方で沈めてある。under the Biofeedback、つまり、意識的に制御されているか否か。生きているものだけが、生きているかと問う。寿命の概念がなくなった世界における倫理的な規範、そこに人間とウォーカロンの不合理性に対する認識の相違が表出している。
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【あらすじ】
富の谷。「行ったが最後、誰も戻ってこない」と言われ、警察も立ち入らない閉ざされた場所。そこにフランスの博覧会から脱走したウォーカロンたちが潜んでいるという情報を得たハギリは、ウグイ、アネバネと共にアフリカ南端にあるその地を訪問した。富の谷にある巨大な岩を穿って造られた地下都市で、ハギリらは新しい生のあり方を体験する。知性が提示する実存の物語。
【感想】
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なんて深い・・・。
「人間とは?」「生とは?」
深く根源を問う小説。
ミステリなんだけど、永遠の命題を投げかけられた。
今回とくに、森博嗣作品のこのシリーズで毎回ハラハラさせられる「バトル」的シーンが、
仮想空間で行われる。
体は別の場所にあり、意識だけが存在する「村」、
そこが舞台。
それがまた、
「生きているのか?」という根源に深い石を投げかける要因にもなる。
生きているって、なんだろう・・・。
生きていると、ポケットの中にいつの間にかゴミが入っていたりする。
けれど、理想の仮想空間では、そういったものは徹底的に排除される。
どちらを生きることが理想なのか?
このシリーズ、どう終わりを迎えるんだろう・・・。
森博嗣の終生の作になるかもしれない。
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安定感のあるシリーズ。この近未来の世界観にうまく入り込めると気持ちが良い。当初はひんやりした感じだったがシリーズを追うごとにちょっと熱くなるところもでてきたかな。キャラクタへの愛着か。
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前作に比べると戦闘シーンなど、盛り上がりには欠ける。
でも”富の谷”で行われていたことにはSFらしい驚きをもって読めた。
それにしても、ハギリとデボラのやりとりは面白い。少しの会話のやりとりで、面白いと思わせるところ、森作品の魅力だ〜