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投稿者:O - この投稿者のレビュー一覧を見る
大学進学を機に上京した組です。
私の周辺はこの分析に見事に当てはまる。
上京組でもジモティと結婚した人は強いし、スクールカーストで不本意な立ち位置だった人は意識高い系になっている例が多い。
例外はあると思うが、私は納得できることしきりで 久しぶりに一気読みした一冊である。
あまり納得できない。
2017/11/19 15:00
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投稿者:じゅんべぇ - この投稿者のレビュー一覧を見る
土地を所有しているかどうかで意識高い系かどうかわかれる。。。という分析があまり納得できません。
だとしたら、本当の意識高い系に私は出会っていないのだと思いますが。
スクールカーストとの関係性は面白いと思います。
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【「リア充」になりきれないのはなぜ?】SEALDs、ノマド、ハロウィン、愛国女子……なぜ彼らは面倒臭いのか。SNSに巣食い、大義にすがる心脆き人々の生態に迫る。
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仮説としは興味深いし、「列伝」として事例の提示もあるので、それなりの説得力もあるのだが、これが特異な事例なのか否かの検証が必要に思う。このままでは「研究」にはなっていない。「意識高い系」の大規模調査を行う事が可能なら社会学的には面白いのだが。とは別に、政治学的に考えて「抽象的な高次の大義」への警戒は必要に思う。
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耳が痛い指摘も「おわりに」まで読んで優しさを感じた。
読み始めたなら最後まで読んだ方が良いと思う。
ただの批判本じゃなかった。
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コラムとおわりを読んでかなりウケた。リア充については土地というキーワードをもとに展開しているところが面白かった。求めていたものとは違ったが、新しい視点は得られた。
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「意識高い系」と「意識が高い」は違うと常々思っていたが、本書はその答えの一つを提示している。
要するに意識高い系は欲望(主に承認欲求)を隠しているのだ。
しかもその隠し方が雑で透けて見えるから不快なのだろう。
抽象的な大義を掲げ、本心を偽装し、中身のない言動を繰り返す人間はそこかしこで見かける。
なぜそんなことをするのか理解不能だったのだが、あれらも意識高い系と考えればしっくりくる。
本書では地元でいい思いをし土着した人々をリア充と定義している。
真のリア充は観測不能であるというのは面白いと思った。
自分たちが充実しているのは自明なので、やたらめったら自分たちの行動をSNSにアップしない。
真の強者は、強者であることをわざわざ言ったりしない。
だから意識高い系の行動は、リア充風の振る舞いをしているだけに過ぎず、幻想の真似という何の意味もないものになってしまっている。
結局は泥臭い努力でしか強者に成ることはできないという結論は頷かされた。
著者の私怨が入ってるとはいえ、人間の弱さ・浅ましさが認識できて面白かった。
研究とはいってもアンケートを取ったわけではないので(聞いても素直に答えないだろうが)、著者の経験や観測による推測が大部分になるのは注意。
あと、作風だからしょうがないのだが、文体が硬いので最初とっつきづらかった。
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★面白いが学術風分析が少しやり過ぎ★自分の身を振り返れるからこそ「意識高い系」の分析が秀逸なのだろう。本当のリア充はアピールしないから、外からは見つけられないというのは面白い指摘。ありあまる承認欲求から地元の外に出たが、スタートラインのずっと後ろからしか走り出せない。そんな地方出身者の苦悩も納得する。学生時代の満たされなさにすべての原因を持ってくるのはちょっと行き過ぎな気もするが、そういう人は確かに多いのかもしれない。
「意識の高い人」と「意識高い系」の違いは、実際に努力して行動するかという提言もいい。小4の選挙サイトで問題となった青木大和も、北海道への移住とかシェアハウス運営とか聞こえのよいことではなくて、地に足の着いた取り組みをすればいいのに。
前半は過度に分析的、定義づけに取り組んでいるので読みにくい部分もある。後半の具体例から読んだ方が入りやすいかも。
「リア充」について一点。盛んに自分の生活をアピールする地方のマイルドヤンキーと、世田谷に土地を持っているような著者のいう本当のリア充とでは、やはり別物なのか。ホテルでシャンパンといったようなキラキラ感があってこそ、意識高い系が参照するリア充になれるのか。マイルドヤンキーはリア充であっても、また別の種類なのか。
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著者が写真の印象より大分カタギな人であることはわかりました。努力礼賛型の昭和な考え方の人で世のおじさん方にも愛されそう。
ただ「リア充は観測不能」という強調がすぎてリア充の定義が曖昧なまま話が進み、結局どんな人々を指すのかわからなかった。
「意識高い人」とリア充とは包含関係?別も物?意識高い系はどちらにも憧れ得るとのことだが。
個人的には「桐島、部活やめるってよ」に出てくるような、最早非リアをバカにすらせずただただ異次元の生物として静観できるのがリア充だと思っている。
(後書きで著者の身近にいた例としてA氏が出てくるものの、彼はただのDQNでリア充ではないと思う。この場で言及してアニメージュの恨みを晴らしたかっただけでは。。)
また同じく後書きのH社長の話を読むに、日本人全体が意識高い系化してるようにも思う。
あと(まぁ誰も受けてくれないだろうけど)意識高い系の具体例が色々出ていたので折角なら当人の意見を聞いたり可能なら対談やインタビューもしてみてほしかった。
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わかりやすい言葉で書かれていておもしろかった!確かに意識高い人はすごいなあと憧れるけど、意識高い系にはなりたくないなと思います。リア充と意識高い系の違いもわかりやすかったしスクールカーストも影響してるんだな〜と納得でした。つい知ったかぶりとかしてしまうけど、素直にわからないことはわからないと言えて人を見下さない人間でありたいなと思いました。
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コメンテーターとして、最近テレビで見るようになった著者。
読んでいくうちに、著者のコンプレックスも語られ、親近感がわきました。
地方都市でで、学力優秀で、大学入学と同時に、地元を離れ都会に出ていく学生に読んでほしい。
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「意識高い系」の人々を分析して丸裸にしてディスり倒そうという意図で書き始めたと思われるが、途中から筆者本人が「あっ、コレ自分の事じゃないか…」と気付いてしまい、それを半分認めつつも自分はここが違う!とダラダラ主張し始めて終わる、というオチ。研究と銘打って様々な分析や考察が行われているが、筆者の青春時代のスクールカースト上位の者に対する嫉妬や怨念が色濃く滲み出たエッセイ風の作品とも言える。色んな意味でツッコミどころ満載な問題作。
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古谷さんの、「極論」「左翼も右翼も」が面白かったので続けて読んでいる。
……
今までの論理的な文章とは違い、古谷さん学生時代に何があった?鍋パーティーに何があったの?して外見に自身がないといいながらなぜ帯に高い系な写真を?感情スパーク文章
評論と言うより古谷ファンクラブ会報って感じ
極論ではないけど豪論
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文字通り、「意識高い系」や「リア充」について定義する本。
著者のルサンチマンが爆発してる感じ。
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強烈な承認欲求をブログやSNSなどでまき散らす「意識高い系」の人びとが、いったいどのようにして生まれたのかということを考察している本です。
日本社会が非流動的になったために、地元との結びつきが文化的な資本として大きな意味をもつようになったことを背景に、「リア充」に成り上がることを夢見る人びとが「意識高い系」になっていくことを論じています。
文体のはっちゃけぶりも含めて、たのしんで読んだのですが、スクール・カースト内での位置がその後の彼らの性格を決定づけているというのは、話としてはおもしろいものの、眉唾に感じてしまいました。また著者は、「泥臭さ」を厭うべきではないという点で「意識高い系」の人びとからみずからを区別しようとしているのですが、本書のようなスタンスで書かれた本の結論としては、どこか拍子抜けのようにも感じられます。