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大河ドラマにもなりました。
短いですが、読みやすかったです。
後半に出てくる一会桑の絡みが私はすきだ・・・(笑)。
司馬さんの表現のよさには舌を巻くばかりです!!
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なりたくもない将軍にされられそうになり、なんとしてでもそれを回避したい慶喜様が楽しい作品(笑)
これを読んで慶喜さま&春嶽公が好きになありました。
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長くはないが、充実した1冊。読み終わって、慶喜サンについて、たくさんの「もしも・・・」が浮かんできた。14代だったら、幕府方の有能な家臣だったら、倒幕側の何処かにいたら・・・幕末から現代に至る歴史は変わっていたのかしら?
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15代将軍、徳川慶喜を描いた作品。時勢の流れをよく読み過ぎることが出来たゆえの、彼の悲しさを描く。大政奉還以外の、彼の歴史を知ることが出来て、面白い。
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彼が十五代じゃなかったら、日本の歴史は多少なりとも変わってたんかなーと思わせられる話でした。彼が頭のいいひとなのかはわかりませんが、先見に長けていたことは確かなんだろうと。歴史小説はあくまでフィクションと言われますが、司馬遼太郎ほど、フィクションに真実みを持たせる作家はいないと思う。
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竜馬の後に。将軍職についていたのが2年にも満たなかったなんてこれを読むまで知りませんでした。。。。激動の人生だなぁ。。
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15代将軍徳川慶喜という人物は、日本の歴史の中で重要な人物にも関わらず明治維新の時代に活躍したさまざまな人物の陰に隠れている人。
水戸家の出であることで、簡単に将軍の座につくこともできず、安政の大獄では幽閉されたり奇異な人生を送っている。
300年も続いた徳川家を大政奉還という形で葬ることを自らやってのけたが、実は慶喜がもともと考えていた徳川幕府の終焉の方法のひとつであるところが面白い。
しかも時代の流れに巧く乗って将軍自ら諸藩の藩士を集めて論破したあげく断行した。そのシーンがお気に入り。
二心殿、豚一様ともいわれていたところに、徳川時代の終焉の匂いを感じる。
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攘夷の先駆けである水戸斉昭の子であるところが面白い。また彼が将軍になるまでの抗争が幕府衰退の様子を表している気がする。戊辰戦争勃発当時、会津の志士達からしたら将軍の敵前逃亡は受け入れられなかったかもしれない。けれど慶喜には慶喜の哲学があった。なぜ政権を奉還したのに朝敵にされなければいけないのか、悲しすぎる運命を背負った最後の将軍。大政奉還という英断を讃えた竜馬が生きていれば、朝敵になどさせなかったかもしれない。
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そろそろ秋ということで、久々に小説でも読もうという気になって、本屋さんで手に取りました。
この本を読んでみて、改めてこの人(徳川慶喜)が明治維新の最大の功労者であるなと感じました。薩摩藩からあれだけの挑発を受けながら絶対恭順を貫いた姿勢はスゴい。並の人であれば、膨大な犠牲を払って大内戦に発展したかもしれません。そうなれば、列強による分割統治の可能性も否定できなかったと思うのです。
読んで行くにつれて、石田三成とものすごく似た人なのかもしれないと思うようになりました。頭脳明晰で、議論により相手を論破してしまう点、物事が分かりすぎるため考えや行動が変わりやすく見えてしまいそれがもとで周りの人(味方からも)嫌われてしまう点、後世の歴史を強烈に意識し、意識しつつ行動した点なんかがそう感じさせます。違っているのは、三成は戦って破れ処刑されましたが、慶喜は戦わずに77歳の長寿を全うしたことです。明治維新の革命家の中で誰よりも長生きしています。
今の日本を創った人の一人かもしれません。
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新選組や松平容保といった忠臣のせいでとかく悪く言われがちな徳川慶喜だけど、上に立つ者は大変なんよ、ほんと。
彼には彼の考えがあってんて。
静岡で維新後過ごしたこともあって静岡では『ケイキさん』と呼ばれてたそうな。
静岡藩初代藩主ってことで幕末の人物の中では徳川慶喜が好き。新選組は嫌い。
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徳川幕府15代将軍徳川慶喜の話
珍しく短く、一冊で終わっている。大政奉還を行い、武家政治を終わらせた将軍で意外と多趣味人間という印象しか持っていなかった。
この小説の中では、慶喜はあくまでも「政治家」として描かれていて、時流を読み、それに併せて自らの立ち位置を決めている。それ故に、ときに柔軟すぎ、ときに自らの考えを覆い隠し、周囲の人間にとってはつかみどころのない人間であり、それだけでなく、(結果的に)平気で他人を陥れる面もあり、孤独でありつつもその原因を自分では理解しきれていない様子などは面白い。ただ、読んでいて不思議だったのは、この人物の「政治家」として守るべき信念・信条は一体なんだったのだろうか、ということ。「日本の方向性」だったのか、「徳川幕府体制の維持」だったのか、「徳川家の存続」だったのか、はたまた、「歴史に刻まれるであろう自らの姿」でしかなかったのか。
能力がありながらも、時流に乗り切れない(むしろ見放された)、かつ自ら望んでその地位に就いた訳ではない人間の悲劇といえるかもしれない。どこまでも器用貧乏な人物であるという印象を拭いきれなかった。しかし、おそらく晩年は重責からも解放され、その趣味の多さ故に、それなりに楽しい日々を送っていたのかもしれない(勝手な想像)。
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江戸時代の最後の将軍、徳川慶喜の本。1997年。1867年(慶応3年)、二条城にて政権を返上する大政奉還を行った。この案は、後藤象二郎から伝わり、さらにその大元をたどれば、土佐の坂本竜馬に行き着く。多芸多才で知られる慶喜であるが、この大政奉還を成し遂げるときの心情は、ただならぬものであったに違いない。200年以上もの期間、徳川家が江戸の時代を守り続けているのであり、その歴史に将軍自らが終止符を打つのは、尋常な人間では難しく、慶喜にしかできなかったのではないか。「竜馬が行く」とならび、幕末の一時期を描くものとして是非とも記憶に残しておきたい書のひとつである。
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他の人がいいコメントを入れていたので抜粋。
慶喜や尊皇攘夷の志士たち・公卿たちに対する司馬遼太郎の無理解と名誉毀損と歴史改竄のために、本書でも、表面的には、およそ慶喜や幕末や明治の真相が分からなくされてしまっておりますが、他の司馬遼太郎作品同様、『佐幕ファシスト作家による偏向した文章』という前提で読めば、問題は一気に解決されると思われます。
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自分の中で「竜馬が行く」と双璧を成す珠玉の一冊。
司馬遼太郎の歴史観の中に、明治維新は坂本龍馬と徳川慶喜の二人だけがやり遂げた偉業、というものがある。「竜馬が行く」の中の坂本龍馬は、大政奉還という大仕事を、この将軍との二人の作品だと考え、そして会った事もない貴族の男の英断に涙した。
そんな「竜馬が行く」の、いわば龍馬視点の「徳川慶喜」と、この「最後の将軍」視点の「徳川慶喜」。本当はこんな人間だったんですよ!なんて、本の中から筆者のしたり顔が浮かぶ。言わずもがな、「竜馬が行く」を先に読むべき。
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全てに器用すぎたというのが評であるが、彼からは“武士”を感じない。
松平容保公の歌には彼への恨みが感じられた。
容保公の実直さこそ武士のあるべき姿と思えるので、2代将軍の息子であった保科公から将軍家を支えてきた会津藩を見捨てたことには憤りすら覚える。