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紙の本
面白い作品
2019/03/01 11:12
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
誰もが知っている眠狂四郎が登場するシリーズ。原作を読んでみて驚いたのは、意外と性描写が多いこと。吉川英治の『宮本武蔵』もそうだが、意外と主人公が性欲に勝てない場面があるのが面白い。
電子書籍
古いけど名作
2023/08/24 16:45
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
かなり昔の本らしく父か祖父の本を整理して見つけました。読んで思ったのは、昭和三十年代の小説らしく、ゴルゴ13とか、コミックのルパン三世に似た雰囲気があるな、ということです。テレビや映画化された理由わかりました
紙の本
虚無と無頼。
2002/07/31 14:15
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投稿者:凛珠 - この投稿者のレビュー一覧を見る
初めて『眠狂四郎無頼控』を読んだ時、作品内容に意外とユーモア性あり、孤独な眠狂四郎にも金八や文字若などといった陽気な仲間がいることに驚かされた。だが、柴田錬三郎がこの作品を書くのに影響を受けた中里介山の『大菩薩峠』を考えれば、大いに頷けることである。20ページそこそこの話に毎回細かな仕掛けが施され、丁寧に仕上げられている。
紙の本
痛快!
2002/04/24 15:04
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投稿者:キシ - この投稿者のレビュー一覧を見る
柴田錬三郎が書く時代劇は、一言で言えば面白いというしかないくらい面白い。主人公の眠狂四郎が円月殺法で容赦なく斬る描写は、スカッとするくらいかっこいい。テレビで眠狂四郎は知っていたが、実際本で読んでみると、さらにおもしろくかっこいいです。悪を斬る時代物は結構ありますが、少し違った悪を斬る作品で、あっという間に読み終えてしまいました。
電子書籍
おもしろい
2023/06/27 21:00
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投稿者:朋美 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近TVで市川雷蔵版の映画をやっていて初めて鑑賞
し、ついでに原作を読んでみようと思い立ちました。
約70年前の作品!分からない単語も沢山出てくるの
ですが、電子書籍なのでタップすれば直ぐに意味も
分かり楽しく読めました。眠狂四郎、ハーフのイケメ
ンでカッコ良く、敵をバンバン倒します。きっと当時
かなり人気があったんでしょうねー。
オジさん向けなのでエロがかなり多い印象。雑誌の売
り上げもあるから仕方ないのかなあ(笑)
レ◯プから始まる恋、いやいやいやありえんでしょ!
ってな感じなのにモテまくるのはオジさんの妄想なのか。
美保代さんは男性が描く理想の女性像なんだろうねーと
思いつつ、楽しく読めました。
紙の本
円月殺法は時代を斬った。(仮)
2009/03/11 00:22
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投稿者:SlowBird - この投稿者のレビュー一覧を見る
蘊蓄から入ると、昭和31年に「週刊新潮」が創刊されたとき、少し前に直木賞受賞していてふらふらしていた柴練が、匿名の文芸時評である時代小説に「この程度のものなら月20編でも書いてみせる」と書いた。ちょうど編集長が、既に「柳生武芸帳」を連載していた五味康祐に誰かいないかと聞いたところやはり柴練を挙げたといういきさつでこの「眠狂四郎」の連載をやらされる羽目になる。この柳生との2作が人気となって「週刊新潮」を支える柱になったそうな。
五味の柳生が新しかった以上に、この「眠狂四郎」は新しい。冒頭突如登場する無頼風の侍がいきなり老中水野忠邦邸に侵入して斬り合いを演じ、円月殺法なる剣を披露する。この狂四郎は、剣の修行の末に、いわゆる剣豪のような精神的高みには到達せぬまま、しかし不敗の殺人剣を手に入れたのだという。それが江戸城を舞台にした陰謀合戦の道具として使われている。武士らしくもなければ、求道者らしくも、高潔でもない。熱血漢でも、人情家、篤実家でもなく、出生の秘密を抱えて陰鬱である。そういう面では勧善懲悪的ドラマの主人公というよりは、むしろ伝奇小説の悪役のような造型だ。悪徳商人と敵対しながらも、一脈通ずる同志のような共感も持つ。その反面、磊落で調子がいい。これがが「戦後は終わった」と言われた当時のなにかしらにフィットした。「この程度のもの」どころではなかったのだ。
旧来の封建的な風土、体制をものともしない豪胆な態度にか、絡み付くしがらみを邪剣の力も持て余し気味に振り払う痛快さにか、おせっかいにあちこち首を突っ込んでは女を泣かせる酷薄ともつかない無責任さにか、新しさを感じたのかと思う。文体のスピードも猛烈で、背景も明かされないままにバッタバッタと斬り進むのは、謎解きは後にとっておくためか、狂四郎の立ち回りの早さに作者すらついて行けないのかも判じ難いほど。
明治来の書き講談や、その後の時代小説の氾濫の中で育ってきたのだろう作者には、伝奇的なものも(角田喜久雄?)人情ものも(山本周五郎?)剣豪ものも(吉川英治?)、体に染み付いたように馴染んでお手のもの、さらに戦後の時代感覚を足し合わせればこのような出来映えになるのかもしれない。武士の一分やらお家の大事やらを突き抜けて、己れも含めてそれらの枠の境界線上に生きる人々の個の世界、ゆらゆらとうごめく情念の妖しさ加減が熱気をもって迎えられる時代は、これからも繰り返し訪れるだろう。