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2016/03/12-04/22
3.11東北大震災をモチーフに、非合法の遺失物の引き上げを通して、大人の夢・大人の愛・大人の生き様が語られている。
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「悼む人」で衝撃を受けた天童氏が、3.11の後をどのように描くのか、非常に期待していました。期待どおりの素晴らしい切りとり方です。3.11東北人にとって一生背負うことになる出来事。このように評価していただき、一人として、感謝します。
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5年たってしまった。
南三陸の海では3年たっても大型船の入れない港の海中は網やロープ、洗濯機、ガードレールなどがあった。
立ち入り禁止区域となっている福島の海はそれこそ手が入れられるはずもなく、そのままでしょう。
その禁断の海に潜って遺品を回収するという違法ダイバーの物語。震災の傷もやっと物語として世の中に出てくるようになったのですね。
それでもいまだにあのときの光景を思い出すと涙がこみ上げてきます。
福島の仮設住宅の玄関にあった小さな女の子の靴とお母さんの靴を見たときの衝撃(どんな思いをして目に見えない恐怖から逃れてきたのか)、線量の高い田畑が荒地となった風景、瓦礫として処分しなければならない雛飾り・・・
現地視察だといって何度か仙台空港周辺を案内しなければならなかった夜は必ずうなされて汗まみれになって起きたことを思い出します。
そして、最近東京出張で見た煌々と照らし出された夜でも明るい町。あの事件はなかったことになってでもいるようで、なんだかやりきれない気分になりました。
「これから」何ができるのか、今一度考えてみる。心に染み入る本でした。
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自分が言えることじゃないけど、やっぱりあの海の底に引き込まれてはいけないんだなぁ、と前向きな気持ちになれた
と、言葉にするのは簡単なんだけどね…
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生命の危険があるというのに、ある思いがあって夜に潜る。
持ち主がわかるようなものを引き上げて、運が良ければ関係者が手にすることができる。
気持ちはわかる。でも、物を手にしても帰ってこない者は帰ってこない。ならば、いっそ目にしないほうが「いつか帰ってくる」と思えるのではないか。
確認したいような、確認したくないようなもどかしさ。
物はいつかなくなる。それならば、記憶や思い出、経験など形にできないものを大切にしていきたい。
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天童荒太氏の物語の世界、
このゆったりとした読後感はなんだろうか?大震災の大変なう世界を描きながら、多くの人々の苦しみの中の前向きな生き方、優しさ、
悪人のいない世界だからだろうか?
大震災の後、神様はなぜ助けてくれないのか?神様がいるのになぜこんなひどい災害が起きるのか?神様はいないのではないか?被害に遭った人は何か悪いことをしたのか?
こんな質問を受けたことを想いだした、神様は本当にいるのだろうか?
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震災後の、すべてが沈んだ海に密かに潜るダイバーの話。
遺品を持ち帰るのが仕事。
金目のものは一切持ち帰らないのがルール。
危険度や倫理観などで、実際には不可能なのかもしれないけど
こんなのを望んでる人もいるかもしれない
その人たちのために
と主人公たちにとても好感を持って読んだが
どうしても性欲のくだりは
そうなんだろう、そうあっていい、とわかっていながらも
嫌悪感。
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福島の海に潜る一人の男。
被災者の苦悩がよく描かれている。
リアリティーがあり一気に読み進めてしまえる作品。
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ちょっと盛り上がりに欠けたでしょうか・・・
が、被災された方々の希望とか悲しみとか、あらためて考えさせられました。。。
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驚くほどの期待外れ。
海中の遺品を探すために海へ潜るという設定にもまったく興味を惹かれず、なぜかからんでくる男女の展開にもまったく面白みを感じなかった。この物語に性のエピソードを入れたのは生命力と死との比較がしたかったのか?よく理解できない。天童さんが震災に感じた想いは真摯なものだとは思うけれど、こういった作品になってしまったのは残念でならない。
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津波で、たくさんの家や人が海に流された。
海底にそれらが残されているという想像をしたことがなかったことを、まず情けなく思う。
直後から海中の捜索がなされていたのはもちろん知っているが、それは頭で知っていただけで、海中の様子を想像したこともなければ、ダイバーの心情も想像したことがなかった。
全くダメだ。全く他人事だ。そんなつもりはなかったのに、弁解の余地はない。
何もわかっていない。
「いとこが津波で流され、遺体が見つかっていない」と言っていた仙台の知り合いはその3年後に亡くなってしまった。震災とその死は、多分関連はないと思うものの、亡くなったご家族に連絡もしていない。でも、その電話が最後になってしまったこと、散々、口ではお見舞いしていたのに、すごく浮かれた写真付きの年賀状を次の年に送ったことが、ずっと悔やまれている。
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今年は東北の震災から5年経ち、先月に熊本地震が起こったので、色々と考えさせられながら読了。震災で失ったものを見つけるために被災された方の思いを背負い、潜り、誰もやらないから、自分がやらないとという責務を感じ、亡くなった方を悼む思いを感じながら、探す姿が焼き付けられる。主人公の妻や、指輪が見つかった被災者の言葉が胸に突き刺さる。死亡認定のこと、指輪が見つかり、家族は永遠に戻ってこないという気持ちの整理をつけないと前進できないのが辛い気持ちになる。いつか光が差し込む日が来るのを願わずにいられないと思う。
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瀬奈舟作は、東日本大震災で被災し、放射能汚染が危惧される海に潜り、家族の遺留品を探している。
原発の建屋の近くの海は、他の海岸と違って、何も近づけない為、そこに引き込まれた家や車等は、誰も全く捜索出来ない。
それでも、遺留品の欲しい家族が見つけだしたのが、舟作だった。
舟作は兄と両親を震災で失っている。
たまたま、腰痛で兄に仕事を替わってもらった日に震災が起き、自分は助かった。
そんなことが起こってしまった時、人は自分が生きていることに対しての申し訳なさを感じてしまうと思う。
だからこそ、今の自分に出来ることとして、危険な海域で、警察に見つかる危険を冒したダイビングに挑戦している。
妻の満恵と一緒に余震の際に子供たちを守る行動が、素晴らしかった。
この家族のささやかな幸せが続いて欲しいと願わずにはいられない。
震災で生かされた人達は、自分だけが助かってしまったという、心に痛手を負っていて、これから前向きに生きていくことへの大変さを強く感じた。
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珠井という人物が依頼してきた仕事。それはあの3.11の震災で、海底に沈んだ「思い出」を探り当ててくる作業だ。それも立ち入り禁止区域から。指輪などの貴重品は持って帰らない。ただ、「思い出」だけを持って帰るのだ。静かな海の底で繰り返される作業。「誰かの死」を認めるためにするのではない。その人の存在を感じるためにする作業なのだ。「夫の死を認めないために遺品の指輪を見付けないで」と願う女性。多くの人がまだ、あの日を受け入れる事ができていないまま、今日を過ごしているのだろう。
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自らも被災しながら、生き残ってしまったという思いに苦悩する人々
それはとてもよかったんですが、この作品における女って、肉と打算でできてるなにかですね