紙の本
老いを見つめて
2021/07/29 22:19
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
オースターのややニヒルなあの顔立ちとこのタイトルから、厳めしい精神の冬を思い浮かべてしまうが、むしろここで向き合っているのは肉体の冬、老いや黄昏である。若き日を振り返りつつ、若さに固執するのではなく、また老いを嘆き悲しむのでもなく、自らの人生と向かい合う。
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まずジャケットが素晴らしい。
小説家にとっては作品が自伝でもあって、あえて自伝を書く必要というのは覚え書き以外にはないのではないかな、と思いながら、読んだ。
人生の冬に差し掛かり、自分のこれまでを振り返っているわけだが、自分を「君」と二人称にすることで、自分の半生に対して、ある距離感を保って描いたのは成功だと思う。
部分的には、これもまたウィタセクスアリスかーそれは別に興味ないんだよなーと思うところも。
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オースターの64年の人生における体の経験を語るエッセイ。
どこまでが本当の体験談で、どこまでが創作なのかはわからないけれど、人生の晩年を振り返ったときには体のそれぞれに物語があるのだろう。
最後の1ページに集約する想いが心に残る。
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64年分の羅列された身体の描写や、64年間食べ続けたものの羅列を読んでいると突然、生きていく人の存在そのものに愛しさが募りなみだがでてくる。
そして時に、二言三言会話を交わすだけの通りすがりの人間(例えば車の修理工場の人など)との描写。人の形をした天使に出会う事もある、生きているとそんな事もある。
柴田先生の朗読を聴けた事は一生忘れないだろう。次に出版される内面の報告書も、楽しみだ。
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冬のニュー・ヨーク。ワシントン・スクエアは雪におおわれ、ベンチにも人の姿はない。コート姿の人の影が寂しく道を急ぐ様子。モノクロームで撮られた静謐な写真を使った書影が、いかにもポール・オースターらしい情感を湛えている。これは小説ではない。同じ作者による既刊の『孤独の発明』や『空腹の技法』に連なる、自分を素材にした一種の自伝的エッセイである。
この後すぐに出ることになる『内面からの報告書』を、訳者は「ある精神の物語」と呼んでいる。対になっているこちらは「ある身体の物語」。たしかに、顔面を引き裂いた釘による怪我から、淋病や毛じらみといったセックスに係わる疾病まで、六十何年かの間、作家に降りかかってきた身体的な災難を片端から書き並べて見せるところなど、まさに「ある身体の物語」だろう。
ただ、人間の身体と精神は別々のものではない。時には、ひとつながりのものであって、精神が難局に耐えられなくなった時に、それは身体を襲うことになる。オースターは、母親の突然の死に直面した時、一滴の涙を流すこともなく火葬から遺物の処理をこなし、一息ついた後、突然のパニック発作に襲われ、死を意識する。
「これこそ君の人生の物語である。道が二叉に分かれたところへ来るたびに、体が故障する。君の体は心が知らないことを知っているのであり、故障の仕方をどう選ぶにせよ(単核症、胃炎、パニック発作)、君の恐怖と内的葛藤の痛みをつねに体が引き受けてきたのであり、心が立ち向かえない――立ち向かおうとしない――殴打を体が受けてきたのだ。」
オースターの小説は、ミステリの体裁をとりながら、カフカやベケットの不条理劇を思い浮かばせるニューヨーク三部作から、最近の『闇の中の男』まで、内省的でありつつも底にユーモアを湛え、読んで面白いだけではない、考えさせられる何かを隠し持っている。初期から読んできた読者なら、ユダヤ人差別に対する激しい怒りの表出も、最愛の妻に対する臆面のない称賛もすでにおなじみのものばかり。
それまでに住んできた所番地をすべてさらして、当時の暮らしの有様や思いを語る口調は、「君」という人称を使っていることもあって、どことなく懐古的。もうすぐ六十四歳になろうとする作家は、自分の生涯を総浚いする気になっているのだろう。年寄りの昔話ほど、聞いていてつまらないものはないわけだが、さすがにポール・オースター。事実を語っても小説以上に面白い話を選び抜いている。
ほんの少ししか離れていない位置に座っていた友人が雷に打たれて死ぬ話は、すでに他の作品で読んで知っていたが、近所の悪がきに庭に繋いでいた愛犬のリードを解かれ、車に轢かれて死んだ話は初めてだ。子どもと犬が飛び出てきて、どちらかを選ぶしかなかったと語った相手の言葉に「違う、あの人は間違ってる、犬じゃなくて子供にぶつかるべきだったんだ、あいつをぶっ殺すべきだったんだ」と思ったところなど、いかにもオースターらしい。弱い者、虐げられている者に対する姿勢は少年時から変わらない。
家族を乗せて運転していたカローラで事故を起こした時の話も短編小説のようだ。友人の父親の飄逸な遺言「いいか、チャーリー」「小便のチャンスは絶対逃がすな」から始まり、運転の上手さを誇っていた作家に対し、珍しく妻が異変を予感するところからサスペンスを高めていき、ついには交差点で左折時に対向車の速度を見誤って激突に至る事故の顛末を当人でなくてはかけないリアルさで綴っている。
偶然交差点に居合わせたインド人医師の冷静な対処もあって、幸いなことに同乗していた愛犬も含め、家族は全員助かるが、新車のカローラは無残な有様に。後日、廃車置場を訪れ、どうしてこれで自分たちは助かったのか、と首をかしげる作家にドレッドヘアーの管理者が語る「天使があなたたちを見ていてくれたんだよ。あんたたちは昨日死ぬことになっていたんだけど、天使がひょいと手を伸ばしてこの世に引き戻してくれたんだよ」という言葉がいい。
逆に、何もかもうまくいかなかった時の話。当時住んでいた家のせいにするのもどうかと思うが、何とその家の前の住人が残した持ち物の中に、ナチス関連の書物やら何やらに混じって、エーコの『プラハの墓地』にも出てくる『シオンの議定書』を発見する。ユダヤ人のオースターにとってこれ以上ない最悪の書物と一つ屋根の下に暮らしていたわけだ。本当の話なのか、と思わせるような『トゥルー・ストーリーズ』の作者ならではの面白さ。
一方的に読んできただけだが、古くから知っている友人の過去の打ち明け話に付き合っているような心持ちになってくる、どことなく心温まる本である。それにしても、オースターがここまで女好きであったとは。若い頃の話など、女狂いの域に達している。それにしては、前妻であるリディア・デイヴィスのことはあまり詳しく書いていない。現在の妻に対する遠慮もあるのだろう。とにかく、この美しい首を持つシリに対するべた惚れぶりには、読んでいて「ああそうですか」と何度も言いたくなった。
これが作家の性(さが)というものなのだろうか。今まで暮らした家や、少年時に食べた食べ物に至るまでの羅列ときたら、露悪的と言いたくなるほど。年齢のせいなのか抑制が効かなくなったようだ。これで身体の物語なら、精神の物語である『内面からの報告書』は、どうなるのだろうか。愉しみなようでもあるし、怖いようでもある。刊行を心待ちにしながら、この稿を終わることにしよう。
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『全体の文脈の中ではすべて見慣れていても、部分を取り出してしまえばまったくの匿名性に埋もれてしまう。人はみな自分にとって見知らぬ異人なのであり、自分が誰なのかわかっている気がするのは、他人の目の中で生きているからにすぎない』
こうしてまとまった文章は、どれもどこかで読んだようでもありながら、今まさに作家の口から語られたばかりの話のようでもある。それは、並べられた記憶のピースが一見何の脈絡もなく、まるで死を前にした人が見るという人生の走馬灯を眺めるような印象を与えるように流れていくからだ。
記憶はいつも突然よみがえる。匂いや色、温度や湿度。五感をくすぐる刺激によっていとも簡単に。だのに思い出そうとすると記憶はいつも霞が掛かったようにぼんやりと輪郭を曖昧にする。楽しかった思い出は特に遠い。そんな凡人の記憶力と比べることも無意味だが、ポール・オースターのメモリーは、そんな曖昧さの欠片も感じさせない程きめ細かい。それが作家の性(さが)なのか、そんな記憶のコレクションが彼を作家に導いたのか。事実は小説よりも希なりと言うけれど、確かにポール・オースターの「トゥルー・ストーリーズ」は、いつも驚きに満ちている。しかし、これは小説の裏話を聞かせるために書かれた文章ではない。記憶を巡る考察と受け止める方がよい。
一つ一つの段落は、語られる時間も前後し、長さもまちまちだが、その一定でないテンポが記憶を手繰り寄せるもどかしさと響き合う。どの話も結論めいたものがある訳でもなく、と言って何も示唆していない訳でもない。記憶に残らないものは存在しないものと同じだと言ったのはエーコだったか。ポール・オースターのしていることは、いつでも記憶の中で再び人々に生を取り戻す行為だとも言えると思う。
凡人とは比べようもないと言ったけれど、ポール・オースターの記憶もまた身体の痛みや刺激と結びついているようであることが、本書を読み進めると理解される。なるほど、あとがきで柴田さんが言う通り。やはり本書は身体に刻まれた記憶を巡る考察、あるいはそのことが読者に及ぼす作用を狙った仕掛けだ。作家自身の感情もまた大きな波のように身体に繰り返し現れる症状と伴に記憶されていることが描かれ、その痛みと伴に感情が甦るかのよう。にもかかわらず、書かれた文章からは、痛みがそれ程伝わっては来ない。伝わるのはただ衝撃を受け止めた身体が起こす反射的な作用、神経の脳への伝達が遮断されて起きる貧血に似た脳の痺れ。もちろんそれは、書かれた出来事を想像して感じるのではなく、似たような記憶を手繰り寄せることで自分自身に再現される身体の反応だ。他人の記憶を辿りながら、自分自身の記憶と身体の結び付きを強く意識させられる。そして、作家自身が被った痛みについては、幽体離脱したものが自分自身を見るようして語られ、無表情のまま押しやられる。それが非凡な作家の天性の語り口なのか創作の技法なのか見極める術もないけれど、他人の記憶までもを呼び起こすポール・オースターの文書には、深い感動がある。
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Paul Auster's biographic novel. Memories of physical experiences, and life in N.Y. and Paris. (マサト)
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ポールオースター、現代アメリカ文学を代表するうちの一人である作者(私は割と最近『リバイアサン』からのお付き合い)が晩年を迎えて、己が半生を綴った文字通りの『日誌』。
序盤はやや単調に感じてしまったが、後半、共感とともに引き込まれていた。
ひとりの人間と彼を取り巻く複雑な環境からは人生における喪失や哀しみ、決して平坦ではなく、喜びよりは苦悩に彩られている様が強く窺えた。
ただ読後、不思議なことにネガティヴな感情よりむしろ仄かに希望を抱かせる作品であった。
まさに『パンドラの甕』の趣き。
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ポール・オースター。この方はこういう人生を生きているんだと知る。長い長い64歳の回顧録。大きな出来事も、小さな出来事も平等に掬いあげて書かれている。人生って、ビッグイベントだけじゃないものね。それにしてもなんというあたたかみのある文章。自分の人生をこんなふうに慈しむことができたら、書き記せたら、それは相当なしあわせではないか。オースターもそれを感じている。だから最後は9.11であり、ドイツの収容所であり。これを噛み締めて、冬の時代に入るのだ。64になったらもう一度読みたい。その頃は暇にあかせて原書でいこうか。
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遅かれ早かれ終わりがくることを自覚する64歳の作家が書いた自叙伝。
移り住んできたたくさんの家を順番に述べる部分もあるが、子供の頃や青年期の思い出、結婚生活での出来事などが順不同に織り込まれ、まさに細切れに記憶を辿っているという感じが味わえる。
著書のいくつかの作品の主題となっている、アイデンティティを意識させられた。
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やっと図書館で予約してたのが回ってきたら、お盆かよw
その作品世界の稀有な美しさに比べて、多少出自が特殊とは言え、筆者の生の人生は、至って普通なアメリカ人のそれだ。ふーん、リディア・デイヴィスとこんなトコに住んでたんだ〜とか、お母さん三回も結婚したんだ(ボーイスカウトの野球でホームラン打っちゃうヒトだ)〜とか、なんか自分の下世話なトコを見せられて、精神衛生上、宜しくない。
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あまりエッセイとか自叙伝のようなものは読みませんが、今回は好きな作家の自叙伝「的」な散文ということで、一つの小説のように受け止めて読んでみました。
面白すぎます。
二人称で自分を呼び、経験したことや感じたことを客観的に描いていますが、それが作家の主観を少し離して読ませてくれるので、自己主張が押し寄せてくるような自叙伝独特の印象はありません。
共感できるエピソードや、考えさせてくれるエピソードが多分に散りばめられていて、書き散らしているような作品でありながら次々とページをめくらせる本です。
事実は小説より奇なり、ともいいますが、まさしくそんな言葉を具現化している作品だと思います。
ポール・オースターってどんな人?とか、どんな作品?とか、興味のある方は、入門編として是非。
なお、対を為す作品で「内面からの報告書」という作品もありますが、それはこれから読みます。
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過去の自分に向かって「君は・・」と語りかける自分史。
久しぶりのオースターです。小説だと思って借りたのですが、ジャンル的にはエッセイに当たるもののようです。
淡々たる饒舌。
これまで住んだ沢山の家の事、恋に落ちた女性たち、家族、30年連れ添い今も深く愛する奥さんについて、時代で並べるという事もせずに、ただひたすら書きこまれた文章。ほとんどページに余白というものが無く、しばしば見開きの2ページが全て文字で埋められています。
もちろん翻訳なので原文は推測するしか無いのですが、饒舌なのに切れがあって、文章だけで作品の中に引き込まれて行きます(訳者さん、ご苦労様)。
64歳になって老いを感じながら過去を振り返る。ただ、そこにあるのはおセンチなノスタルジーでは無く、淡々とした報告書のようです。来し方を振り返り、確認した上で次のステージに向かう、そんな感じがします。
この「冬の日誌」はフィジカルな振り返りで、対をなすメンタル面が「内面からの報告書」という作品だそうです。少し間をあけて読んでみることにします。
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ポールオースター「冬の日誌」 http://www.shinchosha.co.jp/book/521718/ 読んだ。自伝だったのか。。オースター自身について些細なことまで書き尽くしてある。好きな食べ物が延々3ページも列挙されてるとか。内容よりも、一体どういう自意識でこれを書いたのか、のほうに興味がある(つづく
わたしは他人や人の生活に興味がないんだなあ、とつくづく思った。作品を好きでも作家自身に興味はないの。日記に書くのではなく、これを作品として他人に読ませるのは何のため?別の構成や書き方ならもう少し興味を持って読めたかも。空腹の技法はおもしろかったのになー。住居変遷がよかった(おわり
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ポール・オースターの、事実を基にしたフィクションかなと思ったら、「回想録」ということらしい。
淡々と書かれているのだが、子供時代〜思春期の、つらい思い出についても隠すことなく書かれている。作家というのは本当に大変な仕事だ。
しかしだいたいの作家は子供の頃、犬の過酷な死に立ち会っているものなのか、犬が天寿を全うする以外で死んでしまう記述が必ず出てきて、その部分を読むのはいつもとてもつらい。
母親の死の記述については、死そのものよりも、若き日の美しい姿からどんどん変わっていく様子がいたたまれない。
そのいたたまれなさは、自分の母親、自分の肉親、そして自分自身にも当てはまることに由来する、ということがとても悲しい。
俳優との朗読会で言われた言葉、
「ポール、ひとつ君に言いたいことがある、五十七のとき、私は自分が老いている気がしていた。七十四になったいま、あのころよりずっと若い気がするよ」
は、大いなる救いであった。
その他、美しくて共感できる娼婦との出会い、自動車事故で家族共々死にかかったことなど、波乱に富んだ出来事が次々と描かれている。