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戦国時代に活躍して有名になった人たちが、江戸時代等にどのように暮らしていたのかについて焦点を当てて書かれた本です。
徳川家康に刃向かった人たち、それ以前に日本統一レースから外れてしまった人たちの末裔がどのような運命を辿ったのかを垣間見ることができて興味を持って読めました。特に今川氏の末裔が、東京の一部を与えられていた(p104)のは驚きでした。
以下は面白かったポイントです。
・有馬記念とは、筑後藩21万石有馬家の系譜をつぐ昭和の当主(旧伯爵)により創設されたもの(p15)
・秀吉は1585年に正二位内大臣となったが、これ以上の位を進めるために、近衛家に養子入りして従一位関白に任じられた(p19)
・足利尊氏により光明天皇(寺明院統:北朝)を立てたが、当時の後醍醐天皇(大覚寺統:南朝)は三種の神器を根拠にゆずらず、南北朝時代となる(p51)
・明治時代になって南北朝並立に疑義が呈せられ、明治天皇の勅裁により、「南朝を正統」とすることに決着した(p53)
・武田氏は、1700年に甲斐において、500石を拝領され、表高家(名家の末裔に与えられ、大名に準じる格)となった(p70)
・織田信雄は豊臣政権下において正二位内大臣となったが、秀吉からの命令(家康の旧領に移ること)にそむいた為、所領を没収された、大阪夏の陣にて家康に協力したので、幕末まで生きながらえた(p90)
・今川家は、氏真の孫の代になって、名門の子孫がつく「高家」となり、井草・上鷺宮・中村の千石を与えられた(p104)
・日光東照宮の近くの世良田は徳川家の発祥の地、家光時代に東照宮が建てられた(p119)
・1871年の廃藩置県により、全国の大名家は藩主の地位を手放して、東京へ移住した、その中で地元に残ったのは、1)立花家(福岡県柳川)、2)松平家(越前福井)、3)堀田家(千葉県下総)のみである(p136)
・1867年に京都郊外の鳥羽伏見において幕府軍を破った長州(毛利)は、関が原の敗北以来の268年目の屈辱を晴らした(p162)
・秀吉一族の浅野家(秀吉の妻:ねねの養子先)は、1867年に薩長と提携して、その後、土佐藩とも連携した。1869年に戊辰戦争の東北出兵の功を賞されて、従来の42万石に大して1.5万石加増された(p204)
・新橋横浜間に開設された鉄道は、明治8年に華族21家出資の東京鉄道株式会社に払い下げ、蜂須賀家は最大株主、後に日本鉄道会社に発展し、家族・実業家(463名)の大企業となった、明治39年に国鉄に変身した(p221)