紙の本
歴史ものは
2008/11/22 21:42
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史ものは、好きです。特に戦国時代は男性であれば、好きな人が多いはず。
でもある程度、数を読むと少し飽きてくるのも事実。
そんなとき、本書のような切り口の変わった歴史ものをよむのもいいかもしれません。
本書はタイトルの通り、戦国時代に活躍した武将とその系譜を紹介しています。
たとえば、織田信長。
彼自身は、本能寺の変により死んでしまいますが、彼の一族はなんらかのかたちで家をたもち、子孫は連綿と現代までつながっています。
しかも、結構活躍している。
江戸時代は大名として。明治期は華族として。そして、昭和期では高級官僚として。
やはり血筋なのでしょうか?
それともその家に生まれたこと自体、その人がこの世で何かをなす原動力になるのでしょうか?
歴史の教科書には出ていない歴史を知ることができます。
龍.
http://ameblo.jp/12484/
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[ 内容 ]
戦国に覇をとなえた織田信長や武田信玄、毛利元就、今川義元から、平安王朝に反逆し、古代東国を揺るがした平将門、南北朝の動乱を翔た足利将軍家、新田義貞など、乱世に活躍した英雄の血脈を伝える末裔たちは、江戸時代から幕末・明治までどのような道を経てきたのか。
日本各地に歴史の現場をたずね、彼らが辿った波瀾と流転の軌跡をさぐり出す。
[ 目次 ]
関東独立国の王者平将門の末裔(相馬家(子爵))―東京都千代田区・茨城県坂東市・福島県相馬市
数奇なる流転の足利将軍家(足利家(子爵))―栃木県さくら市(旧喜連川町)・東京都新宿区
五百石の武田信玄家、柳沢十五万石と親戚(武田家)―山梨県甲府市
織田信長の血脈は絶えず(織田家(子爵))―福井県越前町・愛知県名古屋市・山形県天童市・兵庫県丹波市
旗本千石なり、どっこい生きる今川義元家(今川家)―静岡県静岡市・東京都練馬区・杉並区
百二十石でも大名待遇、先祖は新田義貞(新田家(男爵))―群馬県太田市
不死身の戦国一匹狼、立花宗茂家甦る(立花家(伯爵))―福岡県柳川市
戦国ベンチャー毛利元就家の起死回生力(毛利家(公爵))―広島県安芸高田市・山口県萩市・東京都港区
近江の放浪家族黒田家五十二万石(黒田家(侯爵))―滋賀県木之本町・兵庫県姫路市・福岡県福岡市
秀吉一族、浅野・木下健在なり(浅野家(侯爵)・木下家(子爵))―愛知県一宮市・広島県広島市・岡山県岡山市・大分県日出町
太閤記異聞、盗賊伝説の蜂須賀家―(蜂須賀家(侯爵))―愛知県江南市・徳島県徳島市 由井正雪の乱、昭和に生きる末裔
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戦国時代に活躍して有名になった人たちが、江戸時代等にどのように暮らしていたのかについて焦点を当てて書かれた本です。
徳川家康に刃向かった人たち、それ以前に日本統一レースから外れてしまった人たちの末裔がどのような運命を辿ったのかを垣間見ることができて興味を持って読めました。特に今川氏の末裔が、東京の一部を与えられていた(p104)のは驚きでした。
以下は面白かったポイントです。
・有馬記念とは、筑後藩21万石有馬家の系譜をつぐ昭和の当主(旧伯爵)により創設されたもの(p15)
・秀吉は1585年に正二位内大臣となったが、これ以上の位を進めるために、近衛家に養子入りして従一位関白に任じられた(p19)
・足利尊氏により光明天皇(寺明院統:北朝)を立てたが、当時の後醍醐天皇(大覚寺統:南朝)は三種の神器を根拠にゆずらず、南北朝時代となる(p51)
・明治時代になって南北朝並立に疑義が呈せられ、明治天皇の勅裁により、「南朝を正統」とすることに決着した(p53)
・武田氏は、1700年に甲斐において、500石を拝領され、表高家(名家の末裔に与えられ、大名に準じる格)となった(p70)
・織田信雄は豊臣政権下において正二位内大臣となったが、秀吉からの命令(家康の旧領に移ること)にそむいた為、所領を没収された、大阪夏の陣にて家康に協力したので、幕末まで生きながらえた(p90)
・今川家は、氏真の孫の代になって、名門の子孫がつく「高家」となり、井草・上鷺宮・中村の千石を与えられた(p104)
・日光東照宮の近くの世良田は徳川家の発祥の地、家光時代に東照宮が建てられた(p119)
・1871年の廃藩置県により、全国の大名家は藩主の地位を手放して、東京へ移住した、その中で地元に残ったのは、1)立花家(福岡県柳川)、2)松平家(越前福井)、3)堀田家(千葉県下総)のみである(p136)
・1867年に京都郊外の鳥羽伏見において幕府軍を破った長州(毛利)は、関が原の敗北以来の268年目の屈辱を晴らした(p162)
・秀吉一族の浅野家(秀吉の妻:ねねの養子先)は、1867年に薩長と提携して、その後、土佐藩とも連携した。1869年に戊辰戦争の東北出兵の功を賞されて、従来の42万石に大して1.5万石加増された(p204)
・新橋横浜間に開設された鉄道は、明治8年に華族21家出資の東京鉄道株式会社に払い下げ、蜂須賀家は最大株主、後に日本鉄道会社に発展し、家族・実業家(463名)の大企業となった、明治39年に国鉄に変身した(p221)