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私事だが、めったに医者にはかからない。先日、珍しく良性疾患で医者にかかった。そのクリニックの最寄りの薬局には初めて行ったので、簡単な問診票を書いた。あまり深く考えず「ジェネリック薬でもよいか」の問いに「よい」に丸をした。当然、その後、渡されたのはジェネリックだったわけだが、薬の種類ごとに改めて確認されるのかと思っていたのでちょっと面喰った。いや、基本、ジェネリックでいいとは思っているけど、でもそれってほんとに薬ごとに考えなくていいのかな? そもそもジェネリックってどういうものだっけ・・・?
そんなこともあって、少々気になっていたこの本を読んでみた。
ジェネリックとは、先発医薬品の特許が切れた後に販売される、先発医薬品と同じ有効成分を用いた効き目が同等の薬である。有効成分がわかっているため、研究開発費が安く、開発期間も短い。したがって、価格も安い。有効成分を同量用いているが、添加剤は異なる場合がある。基本的には先発医薬品と同じ効果があるとされている。
ジェネリックとは「一般的」を指す言葉である。
本書の著者は、自身、医師でもあり、ジョンズ・ホプキンス大学で医学・医学史を教える教授でもある。訳者あとがきに記載された著者本人の言葉によれば、本書は「20世紀後半から21世紀初頭の米国における、ジェネリックの社会的、政治的、文化的歴史を記録し、二種の薬を同一と称することのリスクを検証しようとするものだ」とのこと。
ジェネリックが生まれた歴史を詳細にドラマチックに描いている。
前述の著者の言葉からすると、ジェネリックに反対しているようにも見えるが、基本的にはジェネリック代替は健康管理サービスを安く提供する点で評価でき、ジェネリックは先行医薬品と品質が同じだが安いという前提を信じているという。だが、「科学的に同質」だと言われるものが本当に同質なのかどうか、安易に結論に飛びつくべきではないとも言っている。構造のわずかな違い、添加剤のわずかな違い、製造工程の管理不行き届きなどが大きな違いを生み出すことはあり「うる」。
米国のジェネリックの歴史を本書で追ってみると、ジェネリックをめぐる攻防には、さまざまな勢力があったことが透けて見えてくる。先発医薬品を開発した大企業、ジェネリックを製造する会社、医療行政に携わる政府関係者、政治家。
初期には不心得なジェネリック製造会社も実際あったようで、小ずるく儲けようとした輩に対する警戒はなるほど必要ではあったろう。だが一方で、既得権益にがめつくしがみつこうとした勢力がなかったかといえばもちろんそんなことはない。
立場がどうであれ、善意の者が大半であったとしても、すべてであったわけではなかった。問題はそこをどうするかだったというところだろう。
ジェネリックの歴史を遡れば、誕生時点からそもそも混乱していた薬もあった。
覚えにくい名前の化合物は、市場に出るにあたって、一般市民にも覚えてもらいやすいように、語呂がよく簡潔な名前を与えられた。アセチルサリチル酸は、バイエル社によってアスピリンの名を与えられ、(R)-4-[1-ヒドロキシ-2-(メチルアミノ)エチル]���ンゼン-1,2-ジオールは、パーク・デービス社にアドレナリンと命名された。しかし、覚えやすすぎる商標は、一般名となり、つまりは普通名詞となってしまった。
ものによっては商標としての意味がなくなり、定義があいまいなものもあった。また、国によって呼び方の違う薬もある。
その後、幾度も名称を整理し、定義を明確にし、国際的な名称も統一しようという動きもあったが、これらはそう簡単な仕事ではなかった。
化合物の薬効は、ときに、構造のちょっとした違いで大きな違いが出る。安定性が増し、有効性が上がり、あるいは副作用が減る。元となる化合物があって、その構造を少しずつ変えていくといったことは薬剤開発でよく行われてきたことだ。
また、添加剤を変えて、薬の溶解しやすさや吸収しやすさ、滞在時間などを操作することで、薬効が大きく変わることもある。
厳密には、個々の薬、個々人で、おそらく「最適」は違う。
ジェネリックは元の薬とおおまかには「同じ」ものだろう。だがそれが「同じ」であることは、それほど自明ではない。
医療費は、個人のカネであると同時に皆のカネである。すべてが個人負担であるならば、個人の好きなように選ぶことも可能だろう。だが保険会社であれ、国であれ、皆のカネからの出資がある限り、そこから湯水のように使うわけにはいかない。ジェネリックが推奨されるのはそのためだ。
ならば皆が一斉にジェネリックにすれば、医療費も安価に抑えられるはずだ。
だがそこに、同じというけれど、本当に同じなのか?と思う消費者がいて、そしてまた先発医薬品の企業の思惑がある。
ジェネリック市場は徐々に大きくはなっていくのだろうが、一方では、一朝一夕では解きほぐせない過去の経緯の呪縛があるようにも見える。
全般にはアメリカの話なので、一律に日本に当てはまるのかよくわからない部分もあるが、現代医学の歴史や薬剤に関して、教わることの多い1冊だった。
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アメリカのジェネリックの歴史について書かれているけれども、アメリカの医療と薬の仕組みについてよくわからないのでなかなか理解しづらい。
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日本でジェネリックが本格的に使われてからまだ日が浅く、「同じ薬なら安い方がいいのでは」という程度の認識しかなかったが、「同一性」といっても色々あるし、製薬会社を始めとした関係者の利害関係も複雑で、欧米ではこれまで紆余曲折があったことなどがよく分かる。(今も同一性については国によって考え方が違い、ジェネリック代替を認めている国もある)
しかし、しょせんは薬事法などの関係諸法、処方箋発行の仕方、保険システムなどが日本と全く異なる国の話なのでピンとこない部分が多い。
・1984のハッチーワックスマン法によってジェネリック業界が誕生した。処方薬に占める割合は1984年の18.6%から2007年には63%になった。
・薬の名前は通常、3つある。IUPAC(国際純正・応用化学連合)の命名規則にのっとった化合物としての名称( (5α,6α)-7,8-didehydro-4,5-epoxy-17-methylmorphinan-3,6-diol diacetate)、一般名(ジアセチルモルヒネ)、商品名(ヘロイン)
一般名も商品名も製薬会社が決めるため、一般名を覚えにくいものにして商標は覚えやすいものにすることも多い。そうすることで自社製品が市場に長く残りやすい
・同一性とはなにか。例えば、スタチンであればAUCも同じ、すなわち生物学的に同一なプラバスタチンでないとだめなのか、単に構造式が同じだけの化学的に同一なプラバスタチンであればよいのか、あるいはジェネリック代替を認めてスタチンであれば何でもよいとするのか
1960年の抗凝固剤などは作用の強さが全く異なっており化学的同等性だけではダメで、生体内での反応を見る必要があると言われた
クロラムフェニコールも消化管のごく一部でしか吸収されないため、製剤の微妙な違いが血中への吸収に大きな違いをもたらす。AUCを測り同等性を示すことで販売が認可された。
このように
生死に関わる薬で
剤形が固形で
比較的溶けにくく
これまでにも吸収に問題があった
とされるもの
では生物学的同等性を示す必要がある
とはいえ、生物学的同等性を示すのは大変である。ジアゼパムの場合、30人の被験者を16日間、2000回の採血をすることが求められており、10万ドル程度のコストが掛かるものであった
・タンパク質のような高分子化合物の場合、2つバージョンが分子レベルで同一だということを証明する方法はない。同一性は担保されず、バイオシミラーとして許容しようという流れになっている。
・ジェネリックが先発品と全く違いがないとすれば、ジェネリックメーカー各社はどう差別化すればよいのか。マーケティングの科学は差異の科学だ。
・人間は基本的に、他の品物やサービスよりも健康に価値を置くので、医療の意思決定には他の経済活動の「合理的な消費者」モデルとは異なるルールが必要になる
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何をもってジェネリックなのか。
新薬と「同じ」なのか。
何が「同じ」なのか。
「同じ」であれば代替できるのか。
ジェネリック医薬品の政治と科学について、様々な角度から、アメリカにおける歴史を記述。
登場人物、機関の複雑さには辟易したけど、語られるドラマには熱中できた。
ジェネリックに限らないが、政治と科学のせめぎ合いでは、科学で絶対を説明できないところに、政治の論争が入り込む余地がある。
論争では、合理的な判断は多くの場合に最重要ではなく、参加者のイデオロギーが争われる。
この点、ジェネリックにおいては、製薬会社の利益と公共の安全性がせめぎ合う。
医薬品の在り方についても考えることができる、良い読書でした。