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この著者の子供に対する視点は限りなく誠実で優しい。
泣くことで無かったこと、終わったことにしてはいけない。
そして人は確かに他人との交わりを必要としている。
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伝えたい部分のわかりやすさは、十代の少年・少女にも十分伝わる丁寧な書き込み。自分の頭で考えて判断・選択することの意味がどれだけ重要なことかを伝えるため、小説というツールを使って教材用に書かれたよう。一方で、日常、無難・追従という枠に収まることで自己肯定しているいっぱしの大人達への警鐘でもある。
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良心的兵役拒否とは、あの戦時下においてどのような思索のもとに実行したのか・・。
世捨ての隠遁生活の中で、「僕はどのように生きるのか、そして僕たちはどう生きるか」について考えていたそうだ。
人間はひとりで生きているのではなく、群れが必要だ。そして、生きていることに迷いや悲しみやどうしようもない分からなさに直面した時、「泣いたらだめだ、考え続けられなくなるから」との言葉をインジャは発したのだ。
14歳のコペル、秘密の花園のようなユージンの邸・・。
本当に自然と共に人間は暮らしてきたのだよね。涙が流れた。
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タイトルからはストーリーがまったく想像つかなかったけど、読んでみて納得。
大人はもちろん、中学生、高校生にも読んでほしいなと思った。
心が錆びつく前に読んでほしい1冊。
にしても、レビュアーの評価がすごく高くて「ほんとに?」と思う人もいるかもしれないが、この本はレビューどおりの“良作”だと思う。
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今、この時期にたくさんの方に読んでいただきたいと思います。
自分の思考をあいまいにせず。出会う出来事に対してどう対応していくか。自分がマイノリティな立場になってしまった時も、信念を持って生きていく強さを持つ事の大切さ等。登場人物のエピソードを通じて10代の頃の自分を思い出しながら読みました。西の魔女~もとても良い本ですが、もう一歩進んで世界を捉えていこうとする10代の方たちに手にとってもらえたらいいなあ。私もその頃に読んでみたかった。全員ではないだろうけど、少し大きく呼吸が出来る様になる人もいるはずです。
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グイグイと惹き付けられ、一気に読破しました。実際には無理なのですが、中高生の頃に出逢いたかった作品ですね。
群れで生きることの危うさ、しかし群れで生きていくことの必要さ。群れから離れて、ひとり考える時間の意味。キズを負いながらも、キズをも自分として生きること。ひとつひとつ余りにも難しい課題です。その答えを押し付ける訳でなく、問題を煽る訳でなく、淡々とそしてゆったりと語られることにより、考える余白を与えられた気がします。そして物語自体も、これからどうするのか余白を残して幕を降ろします。そう、だからこそ中高生の頃に読みたかったんですね。
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梨木作品としては、久々にインパクトのある刺激的な作品。理論社からの出版ということで、主にヤング・アダルト向けに発信されたものだろうけれど、生きることについて深く考えている人に強く訴えかける内容だ。また、現代のやや右傾化した保守的ムードへも一石を投じている。何の予備知識も、先入観も無しに読み始めたので、最初のおだやかな自然描写シーンを読んでいるうちは、著者お得意の自然科学的な博物記かと思いこんでいた。しかしながら、自然科学好きでそれまですくすくと素直に育ってきた14歳の少年・コぺル君(単なる愛称で文中では本名は明かされない)の人生観を変える一日の出来事が記録されている。また決して群れないこと、たとえ群れてもその中で自分を考え続ける存在であることの大切さが強調されていることに感銘を受ける。読後に深い感動と自分自身と人間社会との係わり合い方、生き方を考えさせられる本だ。
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ヤングアダルトに一応カテゴリー入れましたが、すべての人に読んでもらいたい。ストーリー的にも登場人物的にも特筆すべき盛り上がりなどは特に無いのですが、(ネタバレになるので内緒)どう生きるか?と問われてこれからの生き方、人への優しい接し方など改めて考えることが出来る。漠然としたレビューしか、言葉足らずで表現できませんが。
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ネタばれあり。
西の魔女のイメージがすっかりついてしまっている梨木さんの本。今回はラストで魔女ではなくて妖精さんが登場しました。
普通ってなに?ってはじめに感じた時は保育園なり幼稚園に通って他の人間と密に接した時。自分のコミュニティ(家)と違う世界、違う価値観を持った同級生にあったとき。
次に感じるのはいわゆる中2病世代。この本はこの辺りを狙ってますね。
その次は大学あたりのいわゆるモラトリアム。
別に世の中を批判するつもりもないし、民主党とか現内閣がいいとかわるいとか批判するつもりはありませんし、そもそもよくわかっていないのですが、少なくとも私が違和感を感じている事はなんか、いまの総理大臣が悪いとか、いまの政権が悪いってなにかにながされている気がする事です。悪いって批判する理由がよくわかりません。ってかそもそも(昔からそうですが)すげー頭いい人の中のすげー頭いい人の中のすげー頭いい人あたりが総理やってるのに、なんでそう簡単に文句いえるのか、、、ry
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梨木さん新刊、である。
ストレート、ど真ん中なメッセージがどんっときた。
ちょっと重い。
自分が中学生の時ってここまで大人じゃなかったよなーと思う。
とゆーより今の段階でもユージンやコペル君より子どもかも・・・。
インジャの「泣いちゃだめだ。」がかなりきた。
そうだよなー。一度吐き出すのはいいとしても
そこで涙をただ流し続けてるのはダメだ。
考えないと。
家守奇譚系を期待するとちょっとがっかりかな。
でもこれは言っとかないと、とゆー梨木さんの意志、みたいなものが
すごく強い。
どーもいいにしても悪いにしてもこの国の人間は私も含めて、
一度できた流れに乗りやすい。そのことを自覚しとかないと。
震災や原発や、なでしこジャパンも。なんか一面しか報道されてない感じ。
いい流れならいいんだけど、最初いいと思っていたものが
いつの間にかなにやら違うものに変貌していたっていうことあり得るし。
だから1人1人がしっかりと自分の頭で考えるってことが
本当に必要なんだろう。
でもそうは思うものの、その自分の頭で考えるってゆーことが
どーゆーことなのかイマイチ分からないので困る。
とりあえず足踏まれたら、痛いといおう。
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続きが気になって、というよりは腹が立って一晩で読み終えた本。遠まわしに梨木さんが言いたいこととか 具体的な事例とかがグイグイくる。ここまでするのだったらこんな導入みたいなお話わざわざつけなくてもいいのに。ぐるりのことを読んだ後にこれは読むべきじゃなかった。私の専門分野にかぶっているから余計嫌だ。確かに、分かりやすいし、大事なことだし、知らない人は知るべきことだし、これから も 私たちが気を付けていかなければならないことだ。でも、感情論と現在の理性だけで白黒つけていいほど 過去や世界は単純なものじゃないと思う。だからどうってわけじゃないけど、とにかく私の好きなお話ではなかった。今更衝撃もない。私は間違っていない人なんか嫌いだ。かれだから、こうで、素晴らしくて、醜いのに、そう全てが上手くいくことはないよ。かれが弱い人だとしたら、ほかの人も皆弱いから こうなっていることに言及してほしかった
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中学生に随分難しいことを云わせたり考えさせたりしていて無理があるけど,やっぱり中学生じゃなければ駄目なのだ~僕にコペルという名を付けたのは叔父さんのノボちゃんだ。小学校入学後に両親の口調を真似して「世界って,そもそも物に名前を付けようとしたから」と云ったのを「コペルニクス的『反』展開だ」と評価したことから始まった。母は大学教員,父は専業主夫だが取材と称してどこかへ出掛けている。小学校では語録を先生達が作っていたらしいが,大きくなると発言には気をつけるようになった。唯一の友達とも云えるのが古い大きな敷地を持つ家に住むユージンだったが,小学校6年からポツポツ休み始め,中学校には全く来ていない。彼は両親が離婚し,母が妹を連れて出て行き,自然保護の活動をしていたお祖母ちゃんが亡くなって,父親が仕事でドバイに行ってから一人暮らしだ。僕も日帰りできない距離ではない場所に母の勤務地が変わってから,14歳にしてブラキ氏というゴールデンリトレーバーと暮らしている。今日は連休初日,染織家のノボちゃんが山小屋に籠もるお供にブラキ氏を連れて行って,散歩の必要もない。簡単な朝食を終え,自転車に乗って,土中生物の観察に出掛けたが,出掛けた筈のノボちゃんが,イタドリは手に入ったが,良いヨモギの生えている場所はないかと聞きに来た。僕が思い出したのはユージンの家の庭,ノボちゃんも虫取りに一緒に出掛けた事を覚えている。電話を掛けて門を開け,池の方から玄関のチャイムを押すとユージンが出てきた。ヨモギの場所まで案内して,刈り取ると,従姉のショウコが来るという。ヨモギ団子パーティーの事を思い出し,沼地で長靴が填ってしまい,ショウコに負ぶって貰ったことも思い出した。イタドリを置いたら迎えに来るとノボちゃんは車で立ち去り,さて腹が減ったので何か作って食べようと相談がまとまり,何を作るか考えているとショウコが登場し,ユージンの家の屋根裏の古い本に,食べられる草の載っている雑誌があるに違いないと気が付いた。ウコギの葉っぱご飯を作ろう,5合炊くのはショウコのアイデアだ。おかずはスベリヒユだ。味噌和えではなく,油炒めにする。裏の水道で洗おうとするとショウコは慌てて,その役を買って出た。洗い終わって帰ってくると,ユージンにも内緒で,この庭にインジャを住まわせているという。女の子らしいが,壁のある家にはいられないそうだ。ガールスカウトの友人だという彼女にも葉っぱご飯とスベリヒユの炒め物を持っていき,礼を言われたと話す。さて,食べようと云うタイミングで,ノボちゃんが届いたばかりの鰹のタタキを持って現れた。僕がインフルエンザで高熱に魘されていた時に,開発前の谷間のイワナ屋で上手いイワナの塩焼きを食べたこと,ユージンが行方不明になって直ぐにイワナ屋の主人が洞窟だろうと当てたこと。その洞窟には兵役を拒否した人物が隠れ住んでいたことなど思い出が蘇っているようだ。ショウコは駅までオーストラリア人を迎えに行かなくてはならないのを思い出し,運転手はノボちゃん。僕とユージンだけの時間がやってきた。思い切って学校に来なくなったわけを訊くと,両親の離婚が決まって,卵から孵した雄の鶏を学校に預けることになった時に,担任が『命の繋がり』の授業をやると云って,鶏の首を絞め,毛を毟って,様々な鶏料理にしてしまった。ユージンは周りの雰囲気に圧されて断ることができなかったのだ。それを漸く思い出した僕は何と鈍いのだろう。立ち直れない状態の中で,テンションの高いオーストラリア人マークは,ユージンの庭を褒め,焚き火でダンパーを作ると宣言する。立ち直りのきっかけを与えてくれたインジャを森の妖精に見立てて話をすると,マークもノボちゃんも自然に迎え入れていた~ 「やあ。よかったら,ここにおいでよ。気に入ったら,ここが君の席だよ。」最近の梨木さんは説教臭くて,植物に対する思い入れが強すぎて,うんざりさせられるんだけど,自分の本を読んでみたいと思う人に,強烈なメッセージを送る機会は,この先,多くはないのだろうから,仕方ない。もう50を過ぎてチャンスは多くない。インジャの語る「泣いたらだめだ。考え続けられなくなるから」も一面の真理を突いている。藪蔭からも,こうして語りかけてくれる相手がいると良いなあとは思うよね。それも純粋さを多少残してる中学時代に周囲にいたら,生涯に亘って心強いだろう。その中学生だって,否応なく,世間に放り出されるのだから
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14歳の僕(あだ名はコペル君)は、親の仕事の影響で犬のブラキ氏とともに親元を離れて生活することになりました。叔父のノボちゃんと一緒に、ヨモギをもとめて幼なじみのユージンの家を訪れます。ユージンは小学校のときに傷つき学校に行けなくなり、森の中にある家で暮らしています。ユージンの家には、同じく心に傷をもったユージンの従姉のショウコの友人も住んでいることが、物語が進むにつれて分かってきます。物語の最後に登場人物たちが交わす会話がとても印象に残りました。傷ついたとき、傷ついた人を見つけたとき、どうすべきか考えさせられる本。(2011.7.25)
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コペル君、14歳、大学で教鞭をとる母や取材と称して旅に出て行ったり、家で主夫をする父のもとに育ち、古い書物(戦中の少年もの)も好んで読み、大人顔負けの難しい言葉遣いがさらりと日常会話にでてきちゃう普通の少年。
染織家で自由人的な叔父のノボちゃんと、愛犬ブラキ氏とともに、2年ぶりに幼なじみの友人・ユージンの家を訪ねた。
ユージンは広大で奇跡のように自然あふれる敷地に、日本家屋に一人で住んでいる。ある時から学校には行かなくなり、親友だったコペルとも距離をとってきたので、会うのは久しぶりだ。
ユージンの従姉妹、ショウコもやって来て、ヨモギを取った後、山菜などで昼ご飯を作ることとなった。会わなくなって2年、コペルとユージンは自然の中で少しづつ距離を縮めてゆく。ショウコの友人のインジャ(隠者)の存在、ユージンが学校に行かなくなった理由、オーストラリアからの留学生マークの訪問、ユージンのおばあさんが自然を守ろうと土地開発に反対運動をしていたこと、戦争のこと、集団心理で、大多数の意見と自分の気持ちとのギャップをどうするのか、しないのか、
僕は、僕たちはどう生きるか
なんかてんこ盛りにいろんな課題を詰め込まれた感が・・・。
そして、こんな子たち、普通には なかなかいない!
(ショウコはガールスカウトをやっていた設定は、ボーイスカウトらしい。きちんと調べて書く梨木香歩さんにしてはめずらしい)
中学生〜
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いろんなことを考えさせられる作品。
14歳が語っているから、難しくもない。
私は、そして私たちはどう生きるか。
どう生きていけばいいのか。
中学生に読んで欲しいと思った。