紙の本
フェミニズムというよりは。
2022/07/21 13:22
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
不道徳お母さん講座と題名にあるが、子育てやフェミニズムについての話ではない。
日本の明治以降の道徳観の移り変わりを資料を引用しつつ、論じている。
小説は元来暇潰し、不道徳な内容が受けるモノであったのが、何故芸術だの感動だのと国語の教科書に載る載らない、無理矢理登場人物の心情を感じ取って学ばなければならなくなったか。
自己犠牲や母性の幻想こそ不自然な感動の強制と著者は見抜いている。
紙の本
鬱積した自我のはけ口としての母性幻想
2019/07/12 22:20
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投稿者:せきた - この投稿者のレビュー一覧を見る
きっと近代以降の日本人は自我と自我の対立で軋轢を生むのが当然という前提に慣れていなくて、事勿れ主義に陥りがちなのではないか。ぶつかり合いながらもうまく帳尻を合わせていく労力を惜しむべきではないのだ、と考えさせられた。
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明治初期からの教育の歴史を掘り下げながら現在の教育現場を鑑みている本。
小学校生活全体の達成目標ってなんなんだろう。
個々の教科で量的に図れる科目は明確なんだろうけど。
いまの小学校教育全体で言語下で伝えたいのは母性と自己犠牲なのか?
エビデンスに基づいた教育というのが、まだまだなのかな。
ただ、そのエビデンスのアウトカムをどこに置くかが問題か。
本筋とは違いますが、
歴史の中で桃太郎や浦島太郎が書き換わっていたり、
紫式部は平安後期には源氏物語を作った罪で地獄に落ちていたことになっていたりしてたんですね。
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いやなことを言いたいあなたの武器にというコンセプトが好き。あとがきでも触れられてたけど,歴史はもう少し短くして,現状の背景をもっと深く知りたかったかな。
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母性幻想。母親に自己犠牲と道徳観を求める傾向を著者はそう呼び警鐘を鳴らす。日本に何となく蔓延して定期的に炎上に繋がるこの空気の正体は何なのか?明治におけるエンタメ小説の扱いにまで遡る考察に驚嘆と同時に半ば絶望…教育による刷り込みから来る無自覚の闇は深い。お母さんだって人間である。
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常識を常に疑うこと。正しいことは何かを自分で考え、自分で決め、修正していくこと。そういったことが大切だなと思ってはいるけど、道徳さえも疑うということはあまりしたことがなかった。
その点は目からうろこな情報がたくさんな本。いかに道徳が都合よく作り上げられてきているか、そしてその普及が推し進められているか。特に母性幻想については完全に自分の考え方の根底に植えつけられてしまっていることに気づかされた。子供に対しての母の自己犠牲ってどうしても感動してしまいがち、、、
日本の学校教育、つまらんね。
息子よ、染まるなよ。すべて自分で考えろ。
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導入部分とか著者の考え方自体はとても面白いのですが、
過去の文献が私には難しく、読みづらかったです。
読み方のわからない部分も多く、読むスピードが
途中かなり落ちました。
きちんと考察はされているのでしょうが
レベルが高すぎてついていけなかったです。
もっとライトに読みたかったです。
勉強不足な自分が悪いんですけどね…(;´∀`)
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「自我を捨てて子供に尽くす『母』は美しい。だからこそ恐ろしい。戦後、愛国心には警戒が払われるようになったが、母性幻想に取り巻かれる現代の一個人が再びファシズムに巻き込まれないためにできることは、自我や自意識がまったく美しくなく、みっともなくて目も当てられないものだとしても、そういうものだとして面白がって愛し、他人のそれも愛することではないだろうか。私たちは皆それぞれに自我のある個人で黙るのでも黙らせるのでもなくぶつかり合いながら、どうにか調整して生きるしかないのだ。『母親だから』と母性幻想の持ち主に自己犠牲を求められたら、ふてぶてしく突っぱねて、女や母親にも自我があることに慣れていただこう。それが世界平和への道だと考える次第だ。」p179
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強要される運動会の組体操、1/2成人式、PTA、道徳科目化、そして子育てに関わる数々の神話や良妻賢母である専業主婦への称賛、働く母への冷酷なまなざし、、自己犠牲、同調圧力、日本社会の変な美徳感、こちらの著者のご指摘には非常に共感できます。どうしてこのような日本風の異様な文化が出来上がってしまったのか、現代から明治、大正、昭和の戦後と、時代を遡って考察されている点、非常に面白かったです。やはり戦争時の軍国社会主義的な、天皇万歳!国家主義、あれがおかしかったのですね、今こそ過去の過ちを反省して本当の民主主義的な日本を取り戻して欲しい、将来の子どもたちにはもっと自由に生きて欲しい。そういう母親にならねばならないー
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去年の2月頃炎上しただいすけお兄さんの歌「あたしお母さんだから」に現れる、”お母さんとは我慢、忍耐すべき存在”幻想を産んだ日本の土壌を明治以降の歴史を紐解き解説したジェンダー論。その歴史は浅く、大正デモクラシーの「新しい女」達が自己の解放を求めこぞって自由恋愛に走った結果、敗北したことが起因だった。
何よりも「自由恋愛」相手の日本人男性の精神が追いつかず、結果として女達は家事育児を一切合切背負いこみ、自身が苦しむ羽目に陥る。敗北を認めないためにも自己解放の先を「子供を産み育てる母性」なるものへの賛美にすり替えていく、、、
この頃の女達の使えない夫とワンオペ育児への呪詛が、現代のSNSを賑わすネタに相通じていたことに戦慄。
平成も終わろうとしているこの時代においてもまだまだ日本の母なる存在幻想は変わっていないのだ。
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タイトルや装丁の軽さに反して、とってもきちんとした教育学の本でちょっと驚いた。
教育の様々な問題を、参考文献や一次資料を読み解いて、ざっくばらんな語り口で述べている。
道徳の教科化、組体操、読書感想文…黒幕は誰だ。
個人的に卒論で明治・大正期の少女雑誌を調べていたこともあり、面白く読んだ。
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いゃあ 痛快でした!
バッサバッサと斬り倒していく感覚
が満載です
単なる感情論ではなく
その裏付けがちゃんと
丁寧に検証されているのが
また頼もしく、
また興味深い。
「道徳」「不道徳」は
その時代を映し出す鏡であることを
改めて実感しまた。
いま「道徳」を
声高に唱えておられる人たち
ぜひ 目を通してもらいたい一冊です
まぁ その人たちには
焚書にしたい一冊でしょうね
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いわゆる日本社会の「全体主義」的な息苦しさを
学校に通う児童を持つ母の目線で、道徳の授業の
内容や、1/2成人式(つまり10歳を祝う)
なる不思議な学校行事を通して、「なんかオカシ
クね?」とライトに突っ込む本は、もっとたくさん
出ていいと思います。
前半は大まかに「そもそも道徳ってどういう内容
が”正しい”道徳として、人々の間でとらえられて
きたのか」
答えってあるの?
後半は「自己犠牲を強いる母性っていつから定着
したの?」という「同調圧力」を醸成しそうな
テーマを扱っています。
道徳なんて型にはめないでも「もっと自由に感じ
ていいじゃん」と、まっとうな社会のアンチテー
ゼを唱える一冊です。
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表紙を見て、分かりやすく面白く書かれていることを想像していたが、はっきり言って思っていたより難しい本だった。特にライトな読み物に慣れた脳には。
国民の思想を束ねる政府が出来た明治に遡り、大量の文献を引いている…その原文を読むのがマシュマロ化した脳にはこたえた。
が、そこを耐えて二章、三章と進むと、この国の教育の流れ、国民を誘導したい思惑などがジワジワと分かり、そら恐ろしくなる。
小川未明の初期の作品を読んで反戦作家なのかと思っていたが、その後北原白秋と共に戦意高揚を掲げ、愛国主義に傾いていったこと。
教科書の新美南吉の「ごんぎつね」は、実は原文とは違い鈴木三重吉によって書き換えられていたこと、などなど。
知ろうとせずに生きることは、目を瞑ったまま歩かされていることに等しい。
気がつけば断崖絶壁に立っていたということにならぬよう、もっと現状に目を向けなければ。2019.7.28
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なんということ。
母の日にこの作品を読み終えるとは。
テレビ等で、ある女性にインタビューする時は「お子さんはいらっしゃるんですか」、
ある男性にインタビューする時は「お仕事は何をされてるんですか」。
逆もあるけれど、だいたいはこんな感じだ。
そして、メダルをとったオリンピック選手に必ず聴くアレ。「まず最初にどなたに伝えたいですか?」この質問で、「お母さん」と答えなければ日本中から干されるような空気。そう、空気だ。いつまで日本中に漂っているんだ、この空気は。
わたしは、親(母親)に感謝すべきなのに感謝できない、という苦しみの中で、ずうっと罪悪感を感じながら生きてきたけれど、ある日「感謝なんて自然に湧き上がってくる感情なんだから、感謝は『すべき』っていうのは違う」と描いてある本に触れて、親だって人間で、常に完璧だったわけじゃない、というのを徐々に落とし込んでいったクチです。なんならまだその途中です。
だから、「母親だから」で全てを片付けようとする風潮にはうんざりしていて、なんなら、吐きそう。「親だから」、これなら分かる。実際にそういう状況はあるからだ。それなのに、「母親だから」ということが、泣ける要素なんだよな。そして、これがエスカレートしたのが、今流行りの「毒親」だと思う。
なのに、そんな「母親」を推しまくっている空気の中で、結婚式で娘の隣を歩くという劇的な場面において、そのポジションにつくのは「父親」だ。急に!?急過ぎない!?今までずうーっと、子どものことで登場するのは母親だったのに、「娘がその家に最後に縛られている瞬間」に隣にいるのがお父さんて!表彰台で、一番感謝しているのはお母さんです言うたやん!みたいな(笑)そこをぐっと我慢して、父親をたてるのも母親の仕事って、そういうことでいいですか?我慢てそんなに美しいですか?
と、まあ、そのあたりつつき始めたら、結婚したら嫁に行くのはどうして女性なのか、であるとか、ジェンダーの話になりそうなので、このへんにしておきます。
価値観て、自分はBって思っているのにBって言うと、自分が体験してきたAっていう価値観を否定することになるから、Aに固執しちゃってる人もいて、価値観は、個人の生い立ちとも大きく関わってくる。
わたしは伊藤野枝が、こんなにも自己犠牲的な母性愛を述べた人だとは知らなかった。歴史では伊藤野枝はそういう人だとは学んでこなかったからだ。でもここで描かれている伊藤野枝は、「保育園落ちた日本死ね」とか言ってそうなお母さんで、自己犠牲を賛美する北原白秋や小原國芳は、生い立ちの中で、自己犠牲する女性に育てられて、そういう女性がいなかったら生きてこられなかったわけで。
そういう、経験や生い立ちを描いた作品が出版されることで、新たな価値観が世に呈示されるようになっていく。
今は、その役割を果たしているのがSNSとか、ブログとか、ネットの記事とか、そういったものなんだろう。
自分の思っていることや考えていることを、抑圧せずに表現できることって、その時代の背景や価値観を構築しうる。批判に晒��れたり、苦しい思いをするのはしんどいけれど、それでも、新しい価値観を呈示できるって、すごいことだと思うんだ。
こんな風に、価値観の背景には時代があって、今は時の流れの中でたくさんの価値観が溢れていて、だからいろんな価値観を持っている人がいて、それを尊重しましょうって、そういう時代に入っている中、道徳が正式教科化されたわけで。その道徳という科目が、自分自身に向き合ったり、相手の価値観を尊重したりできるものになるよう、学生時代は道徳も国語も苦手だったけれど、今はいろいろな価値観を受け入れようとしながらそれなりに生きているアラサーは、祈るしかない。