紙の本
春樹ファン以外も
2021/07/29 22:05
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投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
村上春樹に関心がある人はもちろん、アメリカの出版事情などに興味がある人も面白く読めるだろう。春樹はたまたま売れたのではなく、英語マーケットで成功するのだという意志と戦略があって売れたのだということもよくわかる。
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村上春樹が世界でどのように紹介されて売れていったかが分かった。これまでは作品が良ければ自然と世界でも読まれていくのだろうと漠然と思っていたが、特に翻訳小説で成功を収めるには実は一人の作家に対して翻訳者や編集者などのたくさんの人たちが様々な思いで関わって、そしていろいろな偶然(必然?)が重なっていることが背景にあるようだ。これから翻訳小説を読むときには、翻訳者などにも注目していきたいと思った。
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バーンバウム、村上春樹を発見する 1984‐1988
村上春樹、アメリカへ―Haruki Murakamiの英語圏進出を支えた名コンビ 1989‐1990
新たな拠点、新たなチャレンジ 1991‐1992
オールアメリカンな体制作りへ 1992‐1994
『ねじまき鳥』、世界へ羽ばたく 1993‐1998
著者紹介
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日本の現代文学において、最も海外で読まれている作家は村上春樹を置いて他にない。本書はなぜ彼の作品がここまで海外で受け入れられたのかという点について、彼の英語圏での出版を手助けした翻訳家・編集者・出版エージェントといった文学の”裏方”の人間たちにスポットを当てることで解を出した労作である。
こうした”裏方”については、村上春樹本人が、アメリカで翻訳された短編作品だけを収める形で半ば逆輸入的に日本で出版された『象の消滅 村上春樹 短編選集1980-1991』の序文で本人の口から細かく語られている。その中では英語圏の出版業界の比類なきプロフェッショナリズムが、大いなる賛辞と共に示されているが、その内実がどのようなものかは正直不明なところも多かった。本書ではそのプロフェッショナリズム、そして何よりも文学に対する愛情に、文学を愛する一人の読者として心を揺さぶられた。
特に、海外での出版にあたり最も重要となる翻訳者については、本書でもかなりのページ数が割かれている。村上春樹の英語翻訳については、彼が贔屓にしている数名の特定の翻訳家がいるが、その一人、アルフレッド・バーンバウムは初期の傑作『羊を巡る冒険』の翻訳にあたり、特徴的な登場人物である羊男のセリフ「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない」を以下のように翻訳したという。
「Yougottadance.Aslongasthemusicplays.Yougottadance.Don`teventhinkwhy」(本書P262より)
バーンバウム曰く、訳文を何度も読み返す中で聞こえてきたのがこのボイスであるとのことだが、『羊を巡る冒険』の読者であれば、羊男の饒舌なボイスとそのリズムを表すのに、この字続きの表現が適切だということを同感されるのではないだろうか。
村上春樹のファンはもちろん、英語圏における文学や出版というものの実態を知りたい人にとって非常にお勧めできる一冊。
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バーンバウムは、なぜ『羊をめぐる冒険』を訳したいと思ったのだろうか。
「『羊』が魅力的かつ挑戦的だったのは、それまでの[日本の]小説が極端なリアリズム(細部に拘泥しすぎて作品の持つ広い視野や深い洞察がぼやけてしまっている)と極端なファンタジー(ほとんどドタバタ漫画や馬鹿げたロボット・怪物ものの類)のどちらかでその中間がすっぽり抜け落ちていたなか、退屈な日常とファンタジーの両方を見事なバランスで切り取っていたところ。超現実的な出来事を、もっともらしくとまではいかなくても、可能性のあるものとして描いていた。その点が(当時は)ユニークだったし、完璧に抑制がきいていながら同じくらい大胆に作為的な作品でもあった」(p.28)
ワシントン・ポスト紙に書評を寄せた(小説家/ジャーナリストの)アラン・ライアンは、「川端や谷崎の洗練された詩情、三島の壮大でありながら鮮明に描かれたヴィジョン、もしくは安部公房の暗いフォーマリティーに魅せられた読者は、村上の作品を読んだら衝撃を受けるだろう」とし、40歳の村上は「自国の歴史や伝統よりも広い世界に目を向けている日本の若者、インテリ、起業家たちの新しい国際的なヴォイスを代表している」と、ミットガング同様に村上をビッグ・スリー(フォー)と差別化し、その国際性を強調するところから評を始めている。そして、村上がフィッツジェラルド、ポール・ソロー、カーヴァー、アーヴィングなどの小説を訳しているという事実には何の驚きも感じないとし、「消え去る古い世界と新たなまだ開発中の世界のはざまに囚われた普通の日本人の心理」を表している村上の魅力をアメリカの読者も発見するに違いないと予想している。(p.108)
例えば、『羊をめぐる冒険』のラストで「羊男」は完璧な耳を持つガールフレンドについて「あなたはあの女にもう二度と会えないよ」と悪い知らせを告げるが、この部分は、「You’llneverseethatwomanagain」と訳されている。『ダンス・ダンス・ダンス』で再び「僕」の前に現れた「羊男」は、「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない」と助言するが、この部分は英訳では次の通りである。
Yougottadance.Aslongasthemusicplays. Yougottadance. Don’teventhinkwhy.
なぜ字続きの綴りを用いたのか。バーンバウムは、次のように説明する。
「『羊(英)』を編集している際に、「羊男」の独特な口調をどう英文化するか悩んでいて、この羊の毛皮を着た男が英語でしゃべったとしたら、どのようなしゃべり方をするだろうか考えながら、ルークと二人でひたすら訳文を何度も読み返していたら聞こえてきたのがその声だったんだ。続編で変えるわけにもいかないし、『ダンス』でも引き続き同じスタイルを使うことになった」(pp.262-263)
「村上作品の熱心な翻訳者であるアルフレッド・バーンバウムは『ダンス・ダンス・ダンス』を躍動感ある作品に仕上げ、原作にあるアメリカ音楽・本・映画への膨大な言及を大胆に解釈している。たとえばフリーのライターである主人公は「昼前に車で青山に��き、fancy-schmancyな紀伊国屋で買物をした」などと語る。さて “fancy-schmancy”(「ひどく下品」を意味するスラング)は日本語で何というのだろう?」と翻訳を称えて評を結んでいる。
ちなみに、ここのfancy-schmancy Kinokuniya supermarketの原文は「紀伊国屋」である。紀伊国屋を知らない読者にその雰囲気を伝えるために訳文で(かなりインパクトのある)形容詞を付け加えているのである。(p.268)
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良書。素晴らしい。筆者の丁寧な仕事ぶりに好感がもてるとともに、この主題でちゃんと読み物になっていて退屈もしないし面白い。
海外でも村上春樹は人気で、ノーベル賞候補になっているとなんとなく思っていただけで、翻訳者を中心に関係者のインタビューやエピソードを通じて知らなかったことを知れた本。
翻訳のみならず、"本づくり"を感じ取れた。
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村上『走ることについて語るときに僕の語ること』(そもそもこれもカーヴァー『愛について語るときに我々の語ること』を模しているわけだけれど)を模すタイトルが差すように、私たちが村上春樹を読むときは、実は村上だけでなく編集者翻訳者エージェントなどなどの関わった人々の解釈と情熱をも読んでいる。
1つの作品が英語圏に出て読まれて評価されて売れるためには、作家の力もさることながら、それ以上に、関わる多くの人の力があることをまざまざと思い知らされる。
インタビューや年代を追う記述も多く、丁寧に取材したんだなあと思う反面、若干盛り込み過ぎの気も。