表紙右下に羅列された名前は、メンゲレが逃亡中に使っていた偽名。
2019/05/26 04:39
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投稿者:かしこん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヨーゼフ・メンゲレといえば、アドルフ・アイヒマンとよく対比されるナチ逃亡犯。
以前、『マイファーザー』という映画も観ましたが、あれは息子から見た父・ヨーゼフの話だった。
彼の逃亡中のことについては謎が多いイメージなので、物語を逆につくりやすいのかなぁ、とぼやっと感じていましたが、かなりドキュメンタリータッチの“ノンフィクション・ノベル”(カポーティの『冷血』のような)でした。
1945年、アウシュヴィッツ解放時のどさくさに紛れて研究資料を持ち出して逃げ出した、優生学を金科玉条にしている医師ヨーゼフ・メンゲレは、名前を変えてアルゼンチンへ渡る。その後、南米を流転しながら潜伏し、追手から逃れたまま79年にブラジルで死亡する。公開裁判にかけられたアイヒマンと違って、何故彼は逃げ通すことができたのか? その間、彼はどんな生活を送っていたのか?
本編が250ページなく、章立ても81と各章が短いにもかかわらず、一文の情報量と書かれていない行間から感じられることに「おおっ!」となること多く、序盤は結構早めに読めたのだが、だんだんじっくり読み込まずにはいられなくなってきて、このページ数にしては時間がかかった。
訳文が読みにくいということはない。むしろわかりやすく短い文章でリズムよく畳みかけてくるような感じなのだが、それ故に読み逃すところがあってはならないとこちらが過剰に神経質になってしまって。
メンゲレが見つからなかったのは、彼が特別な大きな力に守られていたからではなく、ただ追う側の状況が整ってなかっただけ、というのは・・・なんだか肩透かしですね。それもまたアイヒマンとの対比になるわけだけど。
アイヒマンは<凡庸な悪>と言われた。 ではメンゲレは?
「自分は言われた通りのことをしていただけ。 悪いことだと思ってやっていない」というのはこの二人に共通の認識なのだが・・・メンゲレは自分の手でメスを持ったからね。助手(というか部下?)によりひどいことをさせていたけど、双子を自分で選別し、どういう方法をとって調べるのか決めていたわけで・・・それってもう、「悪のマッド・サイエンティスト」そのままだよ。
後半の読みどころは息子のロルフがブラジルの父のもとに会いに行く場面。
映画『マイファーザー』とは逆の視点で描かれるため、よりロルフの苦悩は強くなりつつも、彼の本心は見えづらい。親と子だからって関係ないとは言い切れないからこそつらい・・・まして相手は遺伝がなにより重要という相手だもん。家族であるからには見捨てるわけにはいかない、という常識に縛られてしまってて、ヨーゼフはそんな苦しみにも気づかずにつけこめるところに全部つけこむ。それは相手が息子だけではなく、出会うすべての人たちに。
裁判を受けずに寿命まで逃げ切った、と思われがちだけど、それが恵まれたものだとはいえないと感じられるのはあまりに<宿命>的でしょうか。
勿論、これは事実そのものではない。取材したりのちにわかったことをつなぎ合わせて、いかにも事実のように、できるだけ事実に近づけるようにまとめられたもの。100%か0か、で決められるものではなくて、グレーな部分をどこまでと見るかだけど。
ゴングール賞をとれなかった作品の中から選ばれるルノードー賞を受賞し、さらに賞の中の賞(プリ・デ・プリ)も受賞したというまさにフランス文学最前線。
歴史小説でもあるのだけれど、それが<広義のミステリ>というジャンルにくくれるのがうれしい。
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戦後、南米に逃亡してからの、メンゲレの半生を描いたノンフィクション小説。
淡々と逃亡生活の情景が描かれているのが逆に緊張感があってスリリングだった。
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悔悟も悔悛もない。同情も共感もできないけど、最後の一文に胸を突かれた。いつ、どんな時代でもメンゲレになる人間は存在している。
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「アウシュヴィッツの死の天使」メンゲレの戦後の逃亡の記録。そう言えばアイヒマンも捕まったのは南米か。戦中戦後、建前中立だった南米がナチの巣窟だったってのは聞いたことはあったけど、そこメインで書いてる本は初めて読んだ。なかなかおもしろい。
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あとがきによると、著者は、この本のモデルはカポーティの「冷血」でした、と答えているそうです。
「ローズ・アンダー・ファイア」と続けて読んでしまったので、まさに彼女たちに施された人体実験の首謀者である悪魔の医師が、このような卑小な人物であると知ると、やりきれなさが倍加します。
イスラエルの諜報機関であるモサドに対する見方が変わりました。何故、ターゲットを地の果てまでも追い詰めるはずの執念深さでは地上最強のはずの彼らが、メンゲレを最後まで捉えることができなかったのか…意外な理由でした。
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メンゲレを怪物ではなく人間として描くことには成功している。アウシュビッツで行った残虐な人体実験や殺戮の描写には読んでいて吐き気をもよおすほどなのだから、残虐性を描くことにも成功していると思う。ただ、余りの残酷さはやはり読んで面白いものではない。一片の同情も酌量の余地もないので、逃げ切ったことへのカタルシスも全くない。私には苦い読書だった。
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戦後、戦犯追及を恐れ、多くのナチ党員が南米に逃れた。残虐な人体実験を数多く行った医師ヨーゼフ・メンゲレもその1人である。アドルフ・アイヒマンのように、その後、居場所を突き止められて断罪された者も多いが、メンゲレは死を迎えるまで、ナチハンターの手から「逃げおおせた」。その潜伏生活については不明な点も多い。
本書は膨大な資料を読み込んだうえで、「影」の部分を小説的手法で補うという、T.カポーティに倣った「ノンフィクション小説」の手法を採る。
南米時代のメンゲレの実像に近づこうという試みである。
ナチ時代のメンゲレは、双子に異常な興味を示し、収容者の生死を選別し、乳飲み子も殺した。だが彼は、異様で巨大な怪物だったのか。
ここに描かれるメンゲレは、優等生ともてはやされた昔を懐かしみ、故郷に焦がれ、見えない追っ手の手に怯える、どちらかといえば卑小な人物である。
終わりのない逃亡生活に疲弊し、学位を取り上げられたことに怨嗟し、世間の批判は陰謀だと憤怒し、誰も理解者のいない孤独に悲嘆する。
自身をモデルにしたとされる残虐な歯科医師が登場する映画「マラソンマン」を見て絶望するし、過去の罪を問う息子に問い詰められて逆上する。
「悪魔」的な冷酷非情さからはほど遠い。
メンゲレは誰にも知られずひっそりと死ぬ。
大勢の前で糾弾されたアイヒマンとは対照的に。
だが、それは果たして彼の「勝利」だったのか。
彼の死後も、世間では「メンゲレは生きている」という噂は絶えなかった。死んだことにして、実は追及の手を逃れているのだと囁かれた。
映画化もされた小説「ブラジルから来た少年」さながらに、南米でも悪魔的な実験を続け、ヒトラー再来・ナチス再建を目論んでいるのだという穿った見方まであった。
死後何年も経ち、ついには墓が暴かれ、遺骨が鑑定に掛けられるまで、メンゲレの「逃亡生活」は終わらなかった。
振り上げられた人々の怒りの拳。それは彼の為したことに対して、当然の反応であっただろう。
だが、メンゲレの真実の姿が、本書に描かれたものに近かったのだとすれば、その拳が破壊すべきものはなんだったのか。
なぜこうした「俗人」然とした人物が怖ろしい所業を為しえたのか。誰か止めることができなかったのか。止められるとすれば、いつどこでだったのか。
彼は本当に自分のしたことを悔いたことがあったのだろうか。そしてこれは彼個人の特異な性質のみによるものなのだろうか。
真の「悪」とは何なのか。
その問いの答え難さに、いささか茫然とする。
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アウシュビッツでユダヤ人を医学サンプルとして冷酷に選別し人体標本や実験をしていたナチスの医者・メンゲレ。戦後南米に逃亡し1979年にブラジルで死んだ。そのメンゲレの逃亡を小説にしたのが本作。
メンゲレを支えたのは、メンゲレ家の資産とヒットラーに心酔する人々の存在であった。メンゲレも生涯ユダヤ人の劣性を信じ、自分の行いに非は無かったと考えている。ドイツ人の優性を主張し、ユダヤ人のみならずかくまってくれているアルゼンチンやブラジルの人々をも軽蔑していた。自分の正当性を信じ、あくまでも生き抜くことに執着している。
アウシュビッツでの行為に記述や、傲慢な逃亡生活に読んでいて辟易してしまう。それでも最後まで読んでしまうのは、作者の力量なのか。
そして、これは事実をもとにした小説であることを忘れてはいけない。
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小説として面白かった。
メンゲレはドイツの医学を代表する科学者の一人として考えられていた。そして解剖室で彼がやっていた仕事はドイツ医学の進歩に貢献するものだった。
私の義務はドイツ化学の一兵卒として、生物学かrあみた有機的共同体を護り、血を浄化し、異物を排除することにあった。憐憫はこの際有効ではない。なぜならユダヤ人は人類に属していないからだ。
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メンゲレのような「命令に従っただけで自分は悪くない」という言い分が通ると思っている卑小な悪、陳腐な悪は決して珍しいものではない。
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ナチスの人体実験に関して、最も名の知れた科学者ヨーゼフ・メンゲレ。
ユダヤ人輸送の責任者アドルフ・アイヒマンほどの大物ではありませんが、自身の研究と到着後の“選別”によって夥しい死を実行しました。
自然死するまで逃げ切ったナチスの一人であり、動向に不明な点が多い人物です。
著者のメンゲレ研究の末、事実と想像を交えた小説の形で世に出た一冊。
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ナチズムへの傾倒と功名心から、アウシュビッツで非道な人体実験を行い、多くのユダヤ人などを死に至らしめたヨーゼフ・メンゲレの逃亡記。彼は最後まで「狂信者」だった。
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「死の天使」と称されたヨーゼフ・メンゲレの逃亡記。
史実と文献をもとにした“ノンフィクション小説”
戦時中に行った彼の非人道的な行為と、逃亡生活中の卑小さ傲慢さが際立つ。(さらにアイヒマンが登場することでその卑小さ俗物さが増す)
「命令に従っただけで自分は悪くない」
最期まで狂信者だった。
最期の章に書かれていたことには胸を打たれた。
いつの時代にも、メンゲレ(あるいはアイヒマン)のような人物を生み出してしまう可能性がある恐ろしさ。
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アウシュヴィッツに大量に送られてくるユダヤ人をまるでオーケストラの指揮者のように振り分ける-この本では、収容所に到着してすぐ行われる選別を「オーケストラを奏でる」と多くのシーンで表現されている。異次元の残虐行為、すなわち人体実験が描写されている箇所は少なく、その描写も極めて淡白なもの。むしろ「死の天使」の戦後の逃亡劇を通してを持たない怪物ヨーゼフ・メンゲレの卑劣さ・心の惨めさ非常にリアルに伝えている。そう、彼は私たちと何ら変わりもないちっぽけな人間なんだ。戦争犯罪-非常に難しい。戦時下の東欧では市民の手によりポグロムが多発したが所詮彼らは無責任。愛国心ゆえに国家に忠誠を尽くした人は、負ければ立派な犯罪人として罰せられ、勝てば有耶無耶にされる。この矛盾に苛まされ人として腐敗していく。表象し難い複雑な思いです。
戦争犯罪人にフォーカスを当てた作品は被害者視点の作品に比べ圧倒的に少ない。ひとつの事象を捉えるとき、両者の視点で描かれた作品と客観的に描かれた文献を読むと、多角的な見方ができるだけではなく、自分自身がその事象から学べることが何倍にもなったのではないかとすごく実感しました。これからこのような読書スタイルも沢山取り入れていきたい。
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『スターン』誌じゃなくて『シュテルン』じゃないかと思うんだけど。
それはさておき、戦争責任って難しいんだなあと思う。勝ったか負けたかで立場は全然変わるし、命令を下した側が罰せられるのはともかく、命令を受けて行動した側は、じゃあそれを拒否すれば良かったのかというと、それは勝ったか負けたかという結果が出てから言えることだし・・・もしあの戦争でドイツが勝っていたらメンゲレが行っていた実験等々は責められるどころか褒め称えられてたのかなと思うと、恐ろしい話しだよなあとつくづく思う。