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投稿者:55555 - この投稿者のレビュー一覧を見る
シェイクスピアの四大悲劇のうちのひとつ。
老王リア王は国土を三人の娘達に分けるため「愛情テスト」を行う。強欲な二人の姉ゴネリルとリーガンは偽の愛を示すが、父への深い愛を示すことが出来なかった末娘のコーディリアは父親に勘当され、フランス王と結婚する。
国土を得たとたん、長女と次女はリア王を追放する。追放されたリア王はさまよいながら助けにきたコーディリアの死を目の前にして死んでしまう。
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シェイクスピアの作品の中で『リア王』が一番好きだ、なんて言ったら通の人にばかにされるかもしれないけど、糞ったれな中坊のこころに届いたのは確かにこの作品だった。
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これは劇でもやったことがあるかなり印象的な作品です。
私はシェイクスピアのこの容赦のなさが好きなんだろうな。
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三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェイクスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇(表紙より)。
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グロスターが惨いことに… あずみの『きく、無惨』を少し思い出しました。
個人的にはなんだっけ、〜マンドのお兄さん(エドガーかな?)がスッキリポイントです。
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なんで気付かないんだ、と思わせるような変装のオンパレード。
なんて悪いんだ、という上の姉二人やエドマンドはいっそすがすがしいですね。
シェイクスピアにありがちですが、最後物語が急速に収束するにあたって人が死ぬ死ぬ。
Nahum Tateによる改作・ハッピーエンドリア王読んでみたいかも。
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前読んだリア王より表現がくだけてたので分かりやすいなあと思いました。
細かく解説もついているので置いてけぼりにならない!
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エドマンドにはめられ逃亡中のエドガーと、娘2人に命を狙われコーディーリアへにしたことを後悔して狂いはじめるリア王、それぞれ物語りの裏と表が進行していて、展開がとてもドラマティックな印象を受けた
作中何度も繰り返される'nothing'の言葉の意味。無から生まれる有。つまりコーディーリアの愛、という解釈、この「リア王」のテーマはそこなのだろうか
わたしは、作中でもでてくる「運命の女神の歯車」がきれいに一周したイメージを抱いた。つまり最初に権力も知恵もあった者、有体に言えば勝ち組が、中盤では他人の策略に落ち、落ちぶれるが、最後には本質を取り戻す。
不変なものはなにひとつない(nothing)、運命の本流に流されるまま物語は転がる、そのなかでたったひとつぶれない無言で(nothing)
示すコーディーリアの愛情、それに気づくリア王、しかし最後に舞台に残る者はだれもいない。壮大なトラジェディ。
なんて全然シェイクスピア詳しくない自分ですが、さまざまな学者さんのすばらしい解釈が溢れるなか恐れ多くも感想をここに投下
4大悲劇全部読み終わりました。喜劇読むぞー たのしみ!
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リア王が、自分に対する愛を娘三人に競わせ、言葉で愛を表現しなかった末の娘に怒るという有名なシーンから始まる悲劇の物語。
「原本が残っていない」というこのリア王には、非常に多くの解説や批評があるようで、お世辞にも読みやすいものではない。この本では、巻末ではなく脚注として多くの情報が提供されており、それを手掛かりに読み進めることになる。日本語訳にされてるとはいえ、リズムのいい、詩的な訳文である。
「運命の女神の車」、すなわち上のものが下になり、下のものが上になるという価値観の逆転を多用し、登場人物たちがそれぞれの運命に翻弄される。多くの含蓄を含んだ大いなる文学、という点を放っておいて、一つのストーリーとして読んでも十分、面白い。
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シェイクスピアの名言は、たくさんあるよね。
シェイクスピアの本を、小説で読みたいと思った時期もあったけど、
きっとこういう演劇台本のような形だから、
名言が背景とともに美しく浮かび上がるんだろうね。
人間の想像力の力に、乾杯!
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とりあえず訳注、読みやすい構成だったし文章だとわからない細かい舞台の仕草とか宗教上の比喩とか教えてくれるのはありがたかったんだけど、後々の展開までネタバレするのはやめて! こちとらあらすじもロクに知らずに読んでるんだよ! 訳者の想定より無教養なこっちが悪いのかもしれないけどさぁ。
また読めば理解が深まって印象が変わるのかもしれないけど、初見では虐げる者が虐げられる者に変わっていった印象。リア王にあんまり同情できなかったのは読みが甘いせいなのかな。自分から権力手放しておいて偉ぶってたらそりゃ嫌われると思うんだけど。
リア王は末娘コーデリアを虐げ、残った姉二人に虐げられる。グロスター公は庶子エドマンドの前でエドマンドの母親との情事を語るという無神経な振る舞いをするが、後にリア王への忠義を見せ両目を抉られる。姉二人はエドマンドに弄ばれる。コーデリアは終始父思いだが、しかし父にねだられて唱えた愛の言葉は、いささか言葉足らずだったのは否めない。
善と悪、加害者と被害者、賢者と道化が移り変わる。なるほど、普遍的で面白い。
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●高慢だったリア王が、2娘に虐げられて自身の短慮を知り、卑屈になっていく様は衝撃的だった。立場や環境の変化が、こうも短期間に人の本質を変容させるのか。言い換えれば、幼稚ともいえるような本性が露顕したものが、苦難を経て今あるものを受け入れる心境に成長したのか。
読了日:2011/06/22
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三人の娘の愛情を試そうとした老王リアは、末娘コーディーリアの真心を信じず、不実な長女と次女の甘言を軽信して裏切られる。狂乱の姿で世を呪い、嵐の荒野をさまようリア―そして、疲れはてた父と娘の美しい再会と悲惨な結末。古代ブリテン史のひとこまに材をとった、シェークスピアの作品中もっとも壮大にして残酷な悲劇。
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「リア王」も「ハムレット」も「オセロ」も「ロメオとジュリエット」も……、誰でも知っているシェイクスピアの戯曲は、それなりに読んだつもり、だけど、私は「戯曲」という文学形式を些か苦手としているかもしれません。ともあれ取り急ぎ、代表として、リア王を挙げます。(マクベスとかハムレットとか、幽霊が出て来たり魔術が出て来るほうが好きかも)。これもまた、純然たる「悲劇」だ。ただ、どうして末娘はいい娘なの?どうしてお姉さん(たち)には邪念がつきまとうの?シンデレラしかり(継母という事由を差し引いても)、「美女と野獣」しかり、オオクニヌシノミコトしかり(あそこはお兄さんたちだけど、あれは酷すぎる)、想い出せばいくらでも出て来る。長女の私には納得できぬ。と、些かの個人的トラウマを含めて「リア王」に代表していただきました。
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悲劇の、ラストに向かって雪崩のように突き進んでいくさまって、カタルシスだなあ・・・。リア王は、なんだかギリシャ悲劇っぽい。オイディプスとか。それにしてもなかなか卑猥な表現が豊かで、時代もあるのだろうけれど、シェイクスピアって大衆向けだったような気がしてならない。