電子書籍
御家騒動がいっぱい
2019/09/13 01:49
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
色んな作品の元になるような大きな御家騒動から、小さなものまで色々な御家騒動が紹介されている。しかもただ並べているわけではなく、章ごとにジャンルわけして分析。しかも近世の武士における「御家」という観念についても実例をもとに考察している。江戸時代が平和だというのはひょっとすると一面的なのかも...。
紙の本
もめごと
2019/03/30 06:21
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
江戸時代の大名家のお家騒動の数々を扱った本。様々な問題にどのように対処したかわかる。相続問題は今も参考にすべき事例であると感じる。
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戦国期から徳川初期にかけて起きた、様々な御家騒動を通して、下克上から泰平という社会変革における幕藩関係を問い直す一冊。
戦国時代、君主の条件とは「器量」であったという。
君主の資質として、政治的・軍事的指導能力がそれである。
家臣達は器量の無い君主に対しては、暗殺・追放・強制隠居も辞さなかった。
というのも、戦国期においては、家臣の独立性が強く、君主といっても、多くの諸豪族を束ねる盟主的な存在という側面もあったからである。
戦国期の実力社会の背後には、牙を剥く家臣団との緊張感が常に存在していた。
そのような時代から、関ヶ原を境に泰平へとパラダイムシフトが起こる。
天下泰平という、固定化した時代においての秩序感の変化である。
それは、「器量重視」から、「伝統的家筋重視」というもの。
「伝統的家筋を基に組織立った秩序」が善であり、それを乱すものは悪となった。
社会変革時の過渡期においては、様々な揉め事が起こるが、それが本書における「御家騒動」である。
それはある意味、戦国時代の勇猛な武士たちの二代目・三代目坊ちゃんと、生き残りの老兵との争いだったりする。
「黒田騒動」や「最上騒動」などはその典型といえる。
現代においては、デフレ世代の若社長とバブル世代の重臣との相克ともとれるような争いである。
そういう意味において、本書は現代的な示唆に富んでると思ったし、新鮮な感動すら覚えた。
本旨とは関係がないが、本書に明記してある江戸時代の大名の直轄地の少なさに、驚きを禁じ得なかった。
表石高の8〜10%が直轄地であったという。
大名の中には、直轄地で比較すると家臣と拮抗している又は家臣の中に大名を凌駕する者もいたとか。
また、一人前の武士となる「元服」であるが、決して一律ではなく、職種によって様々であったとの記述も面白かった。
「児小姓」の中には、四十前後の前髪立ての者もいたとか。
若い新入りの児小姓などは「なぜオッサンが?」などと驚くこともあったのではないだろうか?
エピソードが多岐にわたっていて、時代を多面的に解説しているところも非常に面白かった。
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御家騒動には、即 改易という幕府の懲罰的なイメージがあります。学校教育では、幕府が外様大名のお取り潰しに積極的に利用したと習いました。本書は、それが誤った固定観念であることを教えてくれます。目からうろこが落ちました。発見です。
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主君はなぜ主君たり得るのか。それは主君としての器量があるからである、という戦国の論理から、主君は主君であるから主君なのである、という近世の論理への転換過程が、「御家騒動」の豊富な事例を通して描かれている。
主君に「器量」を求める条項が、武家諸法度から抹消されたことが示すように(34頁)、少なくとも近世中期以降は家筋を尊重する伝統化社会へ転換していったとする著者の指摘は非常に明快。
丸山眞男の「「である」ことと「する」こと」(『日本の思想』岩波新書)では、江戸時代は「である社会」、すなわち主君「である」から主君なのである、という社会として描かれているが、それが作り出されたものであることを、本書は教えてくれる。
丸山の言うように「である」→「する」への転換を近代化と定義してしまうと、戦国時代はバリバリ近代ってことになるんだよなぁ・・・