紙の本
スサノウによるオオゲツヒメ殺害事件は糞尿処理の技術革新を象徴していたのだお立ち会い。
2008/09/10 16:07
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
従来「文学の書」として研究されてきた「古事記」を,無文字時代の「生きている神話」をヤマト朝廷という「国家意識」が統合したものとして捕らえなおし,中国各地の少数民族の間に今も残る無文字文化における歌唱性を持つ神話をモデルとして古事記をこれらに照らし合わせ,縄文・弥生期の「生きている神話」の痕跡をそこに辿ろうという野心的な研究書である。いやこれ,まじ面白いよ。
圧巻は……いろいろあるんだけど,オレが最も感じ入ったのはスサノウによるオオゲツヒメ殺害事件に原形生存型文化における糞尿処理の技術革新を読み取るところ。知らない人もいるかと思うので(「古事記」くらい読んでて当然って時代ぢゃないもんな)解説すると,姉アマテラスに対して暴力行為を働いて追放されたスサノウが飢えてオオゲツヒメ(食物の神)に飯を強請るんだよ。オオゲツヒメは鼻と口と尻からいろんな食い物を出してそれを差し出す。これを見たスサノウはなんでそんな汚いものをオレに食わせるんだと怒ってオオゲツヒメをぶっ殺すのね。するとそのオオゲツヒメの死体の,頭から蚕,目から稲,耳から粟,鼻から小豆,陰部から麦,尻から大豆が生じたっていうの。
で,この死体からいろんなものが生まれたという神話は死体化生神話つって中国にもあるんだけど,その前段の排泄物から食い物が生まれるというのは日本だけのオリジナルなんだと。これはなんでかというと,世界中で人糞を農耕用の肥料として穀物を育てるのは日本だけだから。馬糞だの牛糞だのを肥料にするところはあっても人糞を肥料にするってのは中国の少数民族にちらっといるだけで,ほぼ日本の独自技術と言っていいんだそうな。で,それは日本人が人糞をエサにする豚を飼わなかったからだってんですな。これ目ウロコ。なので昔から豚を飼ってたオキナワにはこのオオゲツヒメ型の神話はない。面白いでしょ?
他にもイザナキの黄泉の国からの逃走話から死者(死霊)との闘争や呪いと呪い返しのパタンを読み取ったり,サホヒコ,サホヒメ神話から兄妹婚という近親相姦に対するタブーの変遷を見たり,従来の「古事記」観を塗り替える論考がぎっしり。ラストの「結 古事記と日本」における,天皇神格化の裏面での政治的近代化(古代の「近代化」なんだけど)の話など,現代日本のありようを考える上でも興味深い視座を提供してくれる。こんな中身の濃い論文が1,000円以下で読めるんだもの,新書というのは偉大だよなぁ。「古事記」解題という意味では,学生時代に読んで大感動した北沢方邦先生(オレの学校の先生だったのだ)の「天と海からの使信 理論神話学」以来の面白本でありました。いやぁ満腹満腹。
紙の本
古代が近代化する前の姿を追う本
2019/07/12 14:22
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぱぴぷ - この投稿者のレビュー一覧を見る
『古事記』は古代に編まれたものだが、書くという近代的な作業と思考が入っている。しかし、その奥には古代がまだ近代化される以前のものが残されている。それを探る手立ては、今も残る中国少数民族の歌垣だといった論旨の本である。
似ているからといって、現代の中国少数民族の歌垣を使って、『古事記』の起源をさぐるのが有効な手法なのか、ちょっとわからないが、『古事記』が書かれる以前に、歌う文化があったというのは、そうなのだろう。『万葉集』もそういう流れで生まれたものだろうか?段々ソフィスケートされていったとはいえ、いまだに日本には和歌の文化も残っているし、歌う文化は、日本人の心の奥に連綿と残ってきたものなのかもしれない。
人糞を使う文化は、基本的に日本ぐらいにしかなく、それが神話に反映されているという話は興味深かった。
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神話の本来の形は「歌」であったとし、
文字で伝えられる時点で古事記は「死んだ神話」という考えを元に、
現代に残る「生きた神話」である中国の少数民族に伝わる「歌垣」を参考に、
神話の成立背景、当時の死生観などを考えるもの。
古事記についてそんなに詳しくないので鵜呑みにしていいものなのか分かりませんが、興味をそそられます。
ただ、著者がどこから「歌垣」に行き着いたのか書いてなかったような。見落とし?
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現存する日本最古の歴史書古事記は、どういう目的のもとにどういう人たちの手によって、どういうテキストを元にして編纂されたのか。本書の主題はそういった意味での「起源」です。が、それを推測していく手法は一風変わった、文化人類学のようなフィールドワークを基礎としたもので、面白く読ませてもらいました。
古事記研究のさきがけであった本居宣長が古事記を「仏教や儒教が伝来する前の日本人の精神の本来の姿」として捉えているように、ついつい古事記の世界が日本人の原点、というように考えてしまうのですが、それがそもそもの間違いだと著者は言います。考えてみれば、それまでの口承を元に編纂したと序には描いてあるわけで、古事記成立の時点ですでにオリジナルテキスト(複数あったはずです)のリテリングが行われていたということになります。
著者はそういった視点から、現在残されているテキストと中国少数民族(すでに古代の習俗を伝えるムラ文化は日本国内では消滅しているそうです)の口承神話を照らし合わせて、文字化するまえの日本の神話を再構築しようとしていくわけですが、こんなことを考えた国文学者を私は他に1人しか知りません。沖縄民俗の研究から古代日本の精神性と国文学を探究しようとした折口信夫です。現に著者は、自分の研究手法を折口氏に連なるものと捉えているようです。
中国やインドネシアに現在伝わる口承神話からどうして古事記のもとネタがわかるのか、と首をひねる気持もしますが、意外なことに、全く関連のなさそうな中国南部の少数民族の神話が、古事記の物語と驚くほど符合するのです。著者は、東洋の神話はストーリーではなく「うた」で伝承されていたとし、それが国家的事業による統一神話の構築、そして和歌や物語などの文学作品へと至る過程を8段階に理論化していきます。
無文字文化だった縄文、弥生期の日本ではどのような祭祀、神話が行われていたのか。成立時点ですでに6段階目にあった古事記からその第1段階を推測するのは、まさに骨の折れる作業であり脱帽ものですが、少しずつその断片が明らかになっていくプロセスはとてもスリリングで、心が躍りました。古代解明の鍵となる少数民族の習俗が急速に失われている中で、こういう研究がもっと盛んになればいいなあと願うばかりです。
(2008年5月 読了)
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学生のころ、日本文化の根源を探るのに古代まで遡る必要があるとわかった
起源を探るために読んだ
五音七音は中国の少数民族にも馴染みのあるリズムであることなど、とても興味深い
けれど、いまだに発掘許可が下りない古墳に埋葬されていた王の血の起源など、ナショナリズムの問題もうまれるのではないか
そうすると果てしない堂堂巡りのような感じもしてしまう
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[ 内容 ]
古事記は、八世紀に編纂された日本最古の書物のひとつである。
しかし古事記は突然出現したのではない。
縄文・弥生期から連綿と続く、無文字時代の神話がその源にあった。
著者は、無文字文化の「生きている神話」「生きている歌垣」が今なお残る中国長江流域の少数民族文化を調査し、神話の成立過程のモデルを大胆に構築。
イザナミやヤマトタケルの死、スサノオ伝承、黄泉の国神話、糞尿譚などを古事記の深層から読み直す。
[ 目次 ]
序論 古事記研究の現在(古事記の四つの顔;生きている神話;古事記神話の古層・新層・中間層;昔話と原型的な神話の違い;リアリティーある「古代」像を目指して)
第1部 古事記をどう読むか(古事記はどのように研究されてきたか;原型生存型民族の口誦表現モデルで読む)
第2部 古事記を読み解く(臣安万侶言す(「記序」)―激変の時代が突出させた復古精神 天地初めて発けし時―無文字の古層と文字の新層の交錯 イザナミの死 ―排泄物利用の技術革新 黄泉の国神話―死と折り合いをつける スサノオ神話―分析を拒絶する混沌 ヤマトタケルの死―古層の死生観で読み直す サホヒコ・サホヒメ―民族サバイバルから恋愛へ 志毘臣と袁祁命の歌垣―歌垣と政治の交錯 古事記と日本)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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古代史について。
日本最古の書物のひとつである古事記に、律令国家としての正統性だけでなく、無文字時代の縄文弥生時代から連なる呪術的等の文化の影響力を重点においている本。
古事記について詳しくないので、分からない点も多いが、古事記に書かれている不可解な記述等も、縄文弥生時期(著者は「古代の古代」と呼んでいる)の文化の影響力のせいという点は、非常にロマンを感じた。
中国少数民族や沖縄の歌の文化を古代の古代の源流のひとつと考えている。
結は非常に共感できる内容だった。古代の古代の文化と国家段階に求められるリアリズムは反する方向性のものだが、日本は古来その矛盾した状況が連なってきた。明治の近代化や大戦等で限界に達しつつも、現在までなんとか連なってきた。近代国家としてのリアリズムから考えると、古来の文化である天皇制は非常に矛盾した存在になってしまうが、古来からその矛盾した状況を柔軟に対処してきた文化を残していくべきという点は同感。
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著者は、中国長江流域の少数民族を調査し、無文字社会における神話が口誦表現(韻文)で伝承されていることに注目。「同内容別表現の対」などその表現パターンを明らかにした上で、これを『古事記』にあてはめ無文字時代の日本神話の原型を復元しようと試みる。少数民族の創世神話との関連性を強調する余り多少強引に感じられる部分もあるが、口誦表現の復元という点では説得力ある論理を展開している。今後更なる資料的裏付けを必要とするにせよ、仮説としては極めて刺激的な内容である。
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古事記研究に、アジアの少数民族の神話・歌垣との比較により、さらに原始的な古代とのつながりを探ろうとする意欲的な議論。
古事記は既に国家化・文字文化が芽生えていた成立当時の日本の姿を反映して、口伝であった原始的な神話の姿を失いかけているが、そこにはまだ原始の形跡が残されているとする。そうした原始的な神話、一種のアニミズムを中央集権国家の精神的基盤にそのまま取り込めたのがヤマト民族の特徴であり、しかもそれを現代まで引きずっているのは珍しいと(なるほど皇位継承問題で父系がどうとかの議論になる由来もそのあたり?)。中国と海で隔てられていたためだ。そのため一神教的文化にはない柔軟性を長所として持つわけでもある。
正統な漢文ではない和文表現的な漢字使いを見て、古事記が当時既に、流入する中国文化への対抗意識、独自のヤマト文化の称揚をしようとした懐古主義的な書物であった、そのためにアニミズム的世界観を強く残している、と指摘する。
著者の研究は、実証的な説得力がまだ十分ではないかもしれないが、ヤマトタケルへの挽歌を死者に対する別れの口実の歌をベースと読み直したりするのは、腹に落ちる感があった。
全くの余談)雲南省ペー族の歌垣の歌い手の女の子は、日本人みたいな顔だ。かわいい。
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古事記と言えば日本古来の神話というのが通り相場だが(そしてそのとおりなのだが)、実はポリネシアなど南方の神話との共通点が多いこと、その記述は「編集」されたものであり、本来の姿である「謡」の要素を復元する上で中国少数民族の無文字文化の分析が参考になりうること、等々興味深い論考が続く。
恐らくハイライトはこうした外来文化との共通性の例外として日本だけが人糞を肥料に用いる特徴があることの指摘と、その理由にかかわる推論部分。
専門家の間でどのように評価されているのかは分からないが、大変刺激的な内容だった。