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人間の推論を心理学から立場から眺める。いつでも論理的思考をしているわけではない。知識や感情や他者に影響される。解をやっと出したり、わからなくて正解を聞いたりした後にこそ、その経験から何を引き出すかが、次の機会への転移が促す重要な要因となる。
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推論についての考え方。
ヒトはみな、知識に基づいて推論する。
演繹的な推論、帰納的な推論がある。
ベイズ理論は、直感はあてにならない計算してはじめてわかるもの。
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大学1回生のときに、好きな授業のうちの1つだった、パンキョーの「認知心理学」の参考図書を改めて再読。
やはり面白い。
一番勉強になったのはベイズの定理。高校のときに習ったのかなこれ...よく覚えていないけど今更なるほどねと納得。
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良書。典型的な良い新書。
新しく知ることやこれまで考えたことのなかった視点が、実にわかりやすく解説されている。
(唯一、条件付き確率はもうちょっと詳しく書けたかも、と思う)
問題や具体例をうまく盛り込んで、読者を飽きさせない工夫もたくさんあるし。
わずかな記述に感じさせる著者のユーモアもよい。
けっこう昔に出た本なんだねえ。今まで知らなかったのがもったいない。
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認知心理学や論理学等々、「考えること」について考えさせてくれる本。
一つ一つに深い突っ込みはないが、なんだろう、無自覚に生きてるのが不思議にさせてくれる。
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私たちは「考える」という行為についてどれくらい考えているだろうか?日々さまざまなことを判断し、決定し、理由づけし、予測しているが、毎回毎回プロセスの妥当性を検証している時間がないことは明らかである。
本書は3部構成の1部2部において、論理的推論、確率的推論のような、正解がある推論について間違いやすい有名な例を上げるとともに、なぜ間違いやすいのかについていろいろな学説ともに筆者の自説も紹介する。3部では、私たちの日常における認知、記憶について、どういう仕組みで行っているのかを議論する。
論理パラドックス、経験則バイアス、ベイズ確率など、それぞれの分野の本はいろいろあるが、この本のように推論全体を幅広く扱うものは珍しい。新書のため、一つひとつの考察は浅くならざるを得ないものの、全体を通して「推論スキーマ」という考え方で統一的に説明を試みており、バラバラの事例を整理して把握することができる。
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品質管理の書籍でよく見かける大数の法則、検定と推定、相関、回帰などが出てくる。ただ、品質管理の書籍で語られているアプローチとは異なり、とても身近で、人間的で、かつおもしろい。
認知心理学の立場から語られているためか、著者のキャラクターによるものなのかわからないが、これはいい。
昨今は特に モノづくりは、コトづくりと云われる。
コトづくりは、人間理解ではないか?と思うし、科学的アプローチ一辺倒ではだめだ。心に近づかないといけない。。。いや、まず己の心が制御できないといけないのかもしれない ^_^
■要約 :『考えることの科学』『勉強法の科学』『勉強法が変わる本』市川伸一著 より、KJ的にひも解いてみた。
『世の中にある問題というのは、初期状態、目標状態、操作がはっきりとは決められないものが数多く』、『どのような手が使えるか…を考え出すことがたいへんなのである』。
『何らかの認識にいたるというときには、つねに推論がからんで』おり、『考えてアイデアがいきなり湧いてくる…、けっしてそうではない』。これらとどう向き合うかというのはとても重要なテーマだ。
問題を解くには、推論したり、創造したりする必要があるが、この際、『事実を関連づけていくことが決定的に重要な役割を果たす』ようである。
うまい手は『知っている問題にもちこむ』ことといわれるが、そのためには、『知識を使って「この問題はどんな問題か」を把握』せねばならない。
知識といっても表面的な知識ではない。『関連をもってつながっている』知識、『構造化された知識』や『スキーマ』でなければならない。
『公式だけ覚えていても問題が解けるようにはならない』といわれるのも同じことだ。『方略というのは、それ自身を言葉で覚えていてもだめで、使えるようにならないと意味がない』からだ。
また、問題は『解きながらそれがしだいに決まっていくということが少なくない』。解くうえでは、『定義や具体例を通じて意味を理解しておく』ことに加え、『手を使いながら、頭を使う』ことが大切であるとされている。
『書くということを通じてこそ、人は自分の考えを進めたり、新しい考えを出したりできる』、『何も書かずにうなっているだけの人は、まずいない』、『「考えたことを書く」のではなく「考えるために書く」』ことが大事であると説かれている。『(文章ならば)移動したり、削除したり…、段落の順序を入れかえたり…』、『紙の上に図や式を書きながら考え…』など、『ジタバタしてみなければ解けない』。
このような行為によって、『もやもやとしていたことがらが形をなしてくる/思いもかけなかったような新しいアイデアに思い至る』こともあるし、『表現するという行為を通して心の中にあるものが変化』していったり、『制作過程を通じて自分自身が変化していくことを感じる』ようだ。
『「思考のツール(道具)」として使える推論に関する学問(論理学、確率論、推測統計学)』の活用も重要だ。人には『確率判断を求められたときに、それを代表性に置き換え��判断してしまうというヒューリスティックス』など、ある『考えに流されやすい心理的な傾向』があるからだ。『ランダム、標本抽出、大数の法則、相関などの確率・統計的な概念を用いたデータを扱い、現象を理解するといった方法論をとることにより洗練された解釈をする』ようになる。
『学習は、量と質』、『量よりも、何が身についたかを気にかける』必要があるのだ。
『いい仕事をしている人/熟達者/成績がいい人/良い成績の学生』は、『豊かな知識』『豊富な「問題状況のパターン」』をもっている、『トップダウン的な処理をする』、『統計学の訓練を受けている』などの傾向があり、『問題の考え方のセンスがいい』ようである。
『人はついどのような考えに流されやすいか』ということと、人はどのように認識、解釈(ボトムアップ⇒スキーマ呼び出し⇒トップダウン)し、『考えを進めるかという指針』を知っておいたうえで、『経験から一般的な教訓を引き出し』たり、『自分で学習観や学習方法を作っていく』などしながら、『自分の知識をより完全なものに』していかなければならない・・・これこそが学びだ。
心持ちとしては、『「いつかわかってやるぞ!」という気持ちを秘め』、『何か問題意識を感じて「なんとかしたい」と思うこと』など、『基本的には「理解したい」という方向付けをもつ』必要があるが、『「これをやればいい結果になる」という確信をもてる内容にすると同時に、「これなら自分でもできそうだ」という実行可能性の高いものにしないと、やる気は湧いてこない』。『外発的動機づけの視点からすると、何をめざしてやっているのか、目的・目標が見えにくいときにはやる気が出ない』、『内発的動機づけの視点からすると、知的納得感、達成感、進歩の実感などが満たされなければ、およそやる気になれない』が、『どの動機でもいいので、とにかくやってみることです。やってみたら、できるようになった、おもしろくなった、という経験をつかむこと』も重要であるとある。
一方、『意味が理解できなくても手続きへの慣れを先行させたほうがいい』ことや、『伝統的な枠組みの中にどっぷりとつかる時期があってもいい』、『わからないことにじっと耐えるというのも、重要な学習』ともあり、とても人間的だ。考えるとはいかなることかについてより理解を深め、人の思考のくせを認めつつ、とにかく四苦八苦し、『自分なりに方略をつくっていく力』をつける・・・ということなのであろう。
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臨床推論を勉強するにあたり、認知心理学に興味を持ち手に取った。
人がどのように考えて推論しているのか、どういうクセがあるのか。
人間はさまざまな状況と能力的な制約の中で、
「だいたいにおいて」うまくやっていくための思考のしかたをとる。のだと。なるほど。
この領域を、より掘り下げて学んでみたくなりました。
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人間の判断過程・推論の仕方がどのようなものであるか、を描いた本書。
私たちの推論やものの考え方というのが、統計学や確率論、論理学などに忠実かというと、そうではない(そうではないからこその、この一冊の本なのですね)。
それどころか、人間の推論の仕方は、-この本ではいくつかの実験結果が紹介されていますが-、そういった正当・合理的なやり方と比べると随分プロセスが違ったりするわけです。
「人間は合理的に考える生き物だ」なんというのは、たとえばミクロ経済学などを勉強すると、そんな仮定に出くわすわけですが、上のような事実を踏まえると、「人間は合理的に考える」というのは、どうやら怪しい、ということであります。
(むろん、議論を進める前提として、そのような仮定や擬制を行うのは意味のあることですし、そういった仮定や擬制をすることがミクロ経済学にとってまずいことだ、といっているわけではありませんよ)
かといって別に、断じて私たちの推論の仕方(繰り返しますが、これはしばしば合理的な手法にそぐわないことがあります)というのが、とるにたらぬ、出来損ないの機能かというと、それはそれで極論なんですね。
ヒューリスティックというのは、それはアルゴリズムとは別の意味で、合理的な意味合いがあるのです(脳への負担を軽減するため、とか)。
私たちの思考・判断過程と、合理的な推論・思考の仕方にはギャップがある。
この現状認識は、ぜひ心得ている必要があるとおもいます。
そしてそれこそが、考える葦の面目躍如だと思うのです。
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われわれのおこなっている推論にかんする認知的なエラーやバイアスについて、さまざまな実験などの事例を引きながら解説している本です。
ベイズの定理にかんする認知的な錯誤を解消するために、ルーレットで表わされる同型図式を用いて説明する箇所は非常にわかりやすいと感じました。ほかにも、認知や行動を改善するための具体的な方法について多少語られてはいますが、基本的にはサブタイトルの「推論の認知心理学への招待」ということばが示しているように、この学問分野のおもしろさを一般の読書人に向けて紹介しており、興味を引く話題が多くとりあげられています。
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人間の考える能力がいかに合理的で素晴らしく、いかに曖昧でいい加減なのか、がよく分かる。ちょっと難しいところもあるけど、最後までかなり楽しく読めた。紹介されていた本も読みたい。
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「『人間はもともと日常生活では合理的で賢いものだ』という人間観に対する、私の部分的な反論」と言うとおり、人間の考えると言う行為が当てにならないことも往々にしてあることを説明している。内容としては、『経済は感情で動く―― はじめての行動経済学』や『人間この信じやすきもの』と共通している。ただ 、『経済は感情で動く―― はじめての行動経済学』より説明が体系だっており、読みやすかった。書いてある内容は、最近読んだ書と似ている部分が多かったため、真新しさは当然なかったのだが、ひとつ最近個人的に考えるとと共感できたのは、以下の部分。「子どもたちのふだんの学習の様子を聞いてみると、問題が解けるにせよ、解けないにせよ、やりっぱなしのことが多いのが目につく。一日何時間勉強したか、何ページ分問題を解いたか、ということばかりに注意が向いてしまうようなのだ。私たちの学習指導では、問題解決プロセスの最後における重要な『推論』として、『なぜはじめはうまく解けなかったのかを考えて、一般的な教訓として引き出す』ということを強調している。」
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「結果に賛成だと、推論過程も正しいと思ってしまう」
「その行為が無意味である(つまり新しい情報をもたらさない)とき、仮説の確かさは当然ながら高まらない」
シェマ フレームによる知識表層 スクリプト ボトムアップ
面白さを「ドラえもん」という漫画に帰する為に必要な条件
一貫性 テレビでも、映画でも、雑誌でも「ドラえもん」を面白がっている
合意性 うちの子だけでなく、他の子も「ドラえもん」を面白がっている
弁別性 他の漫画に比べて、とりわけ「ドラえもん」を面白がっている
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1997年が初版で、私が買ったのは2021年8月30日の16版でした。
心理学の面白い実験がいくつか紹介されていて、興味深かったです。
いちばん、不思議なのは三人囚人問題で、ヒントを与えられた後のほうが、助かる確率が下がってしまう、という話でした。