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おそらく積読だった本書をようやく読了。民主主義である以上国民一人一人が教養を育むべき、というのは本質的で明快な話と思う。で、何が教養かというと人文的教養、社会的教養、科学教養そして大衆的教養の4つがあり最後の大衆的教養が最も軽んじられているが実は重要なのだ、というお話。自分は科学教養と大衆的教養はあると思うので人文的および社会的教養を意識して育んでいきたいと思う。
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バブル崩壊後、日本型システムをアメリカのやり方で改革に走る。(金融ビッグバン、医療制度改革、郵政民営化)
冷戦終結とほぼ同時に起きたバブル崩壊に気を取られ、歴史の転換やその影響を考慮することを忘れてしまった
ギリシア人、ユダヤ人、エジプト人からなる世界一の巨大都市アレクサンドリアは、膨大な図書と学問的蓄積を背景に、600年文化の花を咲かせた。ギリシア文化+古代オリエントのヘレニズム文化
その後、ローマ帝国は395年に西ローマ帝国と東ローマ帝国に別れる。アレクサンドリアの学術研究所は内戦による被害やキリスト教徒(ミラノ勅令によりキリスト教が国教とされた)により破壊されたが、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)のコンスタンティノープルに全て持ち出されていた。
その後、610年にムハンマドが開いたイスラム教が中東全域に広がり、8世紀中ごろに強国家アッバース朝が生まれる。
8世紀のビザンティン帝国は、北からゲルマン、東からペルシア、南からアッバース朝に押され、現在のトルコ辺りを領土とする小国になった。
アッバース朝はバグダッドにおいて、ギリシアやシリア、インド、中国の知識を蓄える。
アッバース朝は12世紀まで地中海沿岸を占領していたが、力の弱まった頃、ジェノヴァやベネツィアなどの北イタリア都市国家が、地中海貿易の主導権を握る。1453年、コンスタンティノープル陥落、ビザンティン帝国が滅びると、学者の多くがイタリアに渡来。千年前とは逆のげんしようが起こり、古代ギリシアの古典がヨーロッパに里帰りする→ルネサンスの開始
同時に、グーテンベルクの活版印刷の発明により、各国に知識が伝播する。
宗教ではエラスムスが愚神礼賛で堕落した宗教批判→ルターやカルヴァンによる宗教改革が起こり、プロテスタントの台頭
このように、古典の再考が世界を発展させた
アリストテレスは、アレクサンダー大王のコネでアテネに学園リュケイオンを建て、音楽、算術、幾何学、天文、人物、社会、自然の自由7科を学ばせた。→現代のリベラルアーツ(教養)の原型
現代人が教養を捨てた理由は、アメリカの台頭。
ビジネスの国であり反知性主義のアメリカが、グローバリゼーションと共に影響力を強め、世界経済に効率化と金銭至上主義をもたらした。
第一次世界大戦のとき、ドイツ知識人は文化のドイツvs文明の西欧を掲げ、戦争を肯定した
ドイツはナポレオンの侵略などにより、国内が複数に分割されていたが、国家存亡の危機に立たされ、国家主義へと進んでいく。
隣国フランス(言語による雄弁さや弁証力)に対抗するように、学問を通じての人格の育成に励む。
ヨーロッパでは昔から「学問、文学、芸術の古代ギリシア」と「政治、経済、工学の古代ローマ」という図式があり、前者は後者に優越する、という考え方が定着していた。
ドイツは、人格の育成の最上位を哲学と置き、そのときイギリス、フランスで流行した啓蒙思想さえ斥けた。この結果、ドイツにはごくわずかの教養市民層と大多数の大衆が存在することになり、ドイツ帝国になった後も、大衆は一部���リート層に盲目的について行った
順風満帆だった教養市民層に、産業革命と資本主義の進展が押し寄せる。大衆は知恵をつけ、格差の拡大から社会主義も徐々に台頭する。プロレタリアートの隆盛により、それまで低く見られていた工学や実学の地位が高まる。
その後、教養市民層は自分たちの存在理由を回復するため民族主義を唱え、指導者原理の道に突き進む。→ヒトラーの出現
ヒトラーは教養市民層を、精神だけで挙のない人々だと糾弾し、片っ端から追放する。敗戦で苦しんでいた大衆は迎合をし、民主主義国家のもと、ヒトラーが政権を獲得。教養なき一般大衆が歯止めなき暴走を生み出した。また、教養層が政治や社会、権力闘争、人情、面子といった目に見えない力学を理解しておらず、バランス感覚も欠如していた。
対して、イギリスのブルジョワ階級は、大衆から乖離することなく、大衆のお手本として機能し、国家の統治は充分な教養を持ち合わせた貴族やジェントリーが担うべしとされた。
イギリスは、ドイツと違い論理的で行け行けドンドンというわけでなく、自らを俯瞰しバランス感覚とユーモアを取るきらいがある。
ユーモアというものが、他国のエリートとの一番の違い。
【日本の教養】
新渡戸稲造が旧制一高(東京大学教養学部)の校長として赴任してから加速、一気に古今東西の文化にできるだけ触れるという教養に舵を切る
その後、ww1で経済は発展し多くの人間が中等教育に進むが、同時にコミンテルンが台頭、マルクス主義の台頭を呼ぶ→治安維持法により、マルクス主義、自由主義は取り締まられる
ww1のバブル崩壊+関東大震災により経済が悪化、高等遊民の没落、悲惨な国内を背景に海外進出の機運が高まり、満州事変勃発
大恐慌後にはイギリス、フランス、アメリカがブロック経済を発動、植民地の無い日本、イタリア、ドイツは戦争に打って出た
明治中期以降に生まれ、大正や昭和戦前に活躍した知識人たちは、西洋哲学や西洋古典の知識は身につけていましたが、日本古来の形は明確に持っていなかった。政治的教養も蚊帳の外だった。
舶来の教養を葛藤もなく無邪気に身に着けた世代(大正デモクラシーを支えた世代)は、日本という根がないため、自分達の獲得したものが西洋崇拝に発した借り物の思想であることに気づかず、その危うさにも気づかなかった
これからの教養は、今までを省み、現実対応型の知識、すなわち情緒や意志や道徳と一体となった知識が必要になる
充分な知識や情緒や形を得るためには、実体験が必要であるが、その量には限界がある→間接体験により補完しなければならない。間接体験とは読書、文化、芸術、自然、宗教に触れること
堂々たる価値基準を持ち、教養を蓄積することが国のリーダーには必要、また、近代民主主義では、国民一人ひとりが、教養を持ち、トップを選ぶことが大切
民主主義は、国民が教養を失い、成熟した判断力を持たない場合は地獄の政治形態と化す。
具体的な教養としては、哲学・古典、文学、政治、経済、地政学、科学、統計学、大衆文化。
それに加え、情緒とか形など、生きたものを吹き込むことが大切
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一言でいうと気持ちが悪い。ソース無しの文章は新書では仕方がないことだと思うが、それでもあまりに多くの主観的な、そしてネガティブな言葉が並べられており、嫌悪感を覚えた(ところどころユーモアを狙ったような表現もあったが、ただただ気持ち悪かった)。
主張自体はなるほどなと思える部分もあり、教養が如何に歴史的に廃れていったかに関して、新たな視点を得ることができたと思うが、この遠慮のないネガティブな言葉で過去の人々を批判する姿勢は全く自分に合わなかった。
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自分の内面を高めてくれたり、高められそうな本に出会えた時ほど、幸せを感じられる時はない。
この本には、ありがとうと言いたい。
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教養が一部の層に独占されることで、教養層は選民としての利益を享受する一方、社会的構造は弱体化するということを紐解く。印象的なセンテンスは「現代の病とは民衆の無教養化・未熟化によるによる民主主義のほころび」ということ。
かつて民主主義を特権層からもぎとった際の喜びははるか遠くの化石となり、今をいきる私たちは自由を享受するための学びを怠っているのかもしれない、とも思わされる。
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人は自分にとって価値ある情報を"嗅覚"で選ぶ。この嗅覚は"教養"と、そこから生まれる"見識"によって培われる。
教養は、人類の歴史の中で、次のように扱われてきた。
・古代ギリシアでは、ピタゴラス学派が自由人になるための技術として7科目を基本とした。
└数学系4科:音楽、算術、幾何学、天文
└言語系3科:文法、修辞、論理
・帝政ローマ時代の末期、数学系4科と言語系3科を合わせて、自由7科(リベラル・アーツ)と呼ぶようになった。
中世に入ると、自由7科の上に"哲学"を置くようになった。
・第2次大戦後、教養主義は徐々に衰えた。
理由として、
└現代人が教養を見下すようになったこと
└知性を軽視する"アメリカ化"が世界で進んだこと
などが挙げられる。
今後、新しい情報社会に対応するには「現実対応型」の教養が欠かせない。これは
└情緒:人生経験によって培われる心
└形 :正義感、勇気など人間のあり方
と一体となった知識である。
これからの教養を構成する情緒や形、知識は、実体験によって得られる。
ただし、一生の間に実体験できることは限られるため、間接体験(追体験)、つまり読書や芸術などに親しむことが大切になる。
これからの「教養の4本柱」は次の通り。
・人文教養:長い歴史をもつ文学や哲学など
・社会教養:政治、経済、歴史、地政学など
・科学教養:自然科学や統計など
・大衆文化教養:古典芸能やマンガなど
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今の日本人が教養を重んじないおかげで、全体レベルが低下。公立でも私立でも入学試験に重きをおいて詰め込み勉強させているから、考える力もなく考える力の餌になる教養がなくて芽が出ない。
何を変えたらいいのか、自分は足りているのか。
大学生が新聞を読んだだけでギークと言われるようではどうしよう。
テレビなどに出てくる思い込みで生きている、正しいことを覚えようとしない傾向の20代後半の人たちには呆れを超えて恐怖が湧いてくる
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『国家と教養』/藤原正彦
p178
本を読むときは常に批判的に読むこと、自らの頭で納得しない限り信用しないことが大切です。
まず、この書籍の紹介をする上で、著者の上記の言葉を前提としたいと思います。
私は批判的ではなく、まずは受け入れようとする姿勢で読書をしていますが、どうしても、批判的な捉え方が多くなりました。それは、著者自身の考え方ありきで書かれているのかなと思うところが多かったためです。
ただ、その考え方を持って、否定しているというつもりはありません。むしろ、否定したい気持ちが強くなるほど、「そういう考え方もあるんだ」という気づきは多く得られたためです。
本書がいいたいこととして、
p174
現代社会の病の本質は、世界的規模での民主主義の浸透に、各国国民の教養がついていっていない、という不合理にあったのです。古代ギリシャ以来19世紀まで、あれほど驚異的な力を発揮してきた教養が、20世紀に入って、いくつもの大戦争の抑止力として全く働かなかった。20世紀になって多くの国々で普通選挙による民主主義が導入されたため、「国民の未熟」という、歴史上ほとんど問題とされてこなかったものが、初めて大問題として顕在化してきたのです。
20世紀の途方もなく大きな二つの戦争に対し教養層が無力だったことには二つの理由がありそうです。
産業革命を経て一気に複雑化し進展の激しくなった世界に、古い教養、すなわち従来の哲学、古典を中心とした教養、が十分な効力を発揮できなくなったこと。そして教養のない未熟な国民という大問題を忘却したまま、各国が民主主義に走ったため、どこも衆愚政治に陥ったことです。
別の言い方をすると、古い教養が時代についていけなくなったこと、そしてもう一つは、民主主義とは教養層が力を発揮できない体制であったということです。国民が教養を失い、成熟した判断力を持たない場合、民主主義ほど危険な政治形態はありません。
民主主義は最悪の形態になり果てます。各国の国民が十分な教養をもつようにならない限り、混迷した世界の現状は、今後永遠に続くということです。
上記のように、一人一人が教養を養わなければ、混沌とした今の世界状況は変わらない。
そして、著者がいう教養とは、
p190
教養には四本柱があります。
まずは長い歴史をもつ文学や哲学などの「人文教養」、政治、経済、歴史、地政学などの「社会教養」、それに自然科学や統計を含めた「科学教養」です。この三つの柱は誰もが認めるであろう、常識的なものです。
力説したいのは、これに加えて、そういったのものを書斎の死んだ知識としないため、生を吹き込むこと、すなわち情緒とか形の修得が不可欠ということです。これが四つ目の柱になります。
それには、我が国の誇る「大衆文化教養」が役に立ちます。旅に出ることや友達と語り合うことも大いに役に立ちます。
そのためには、著者は読書が必要不可欠と謳っています。また、読書の重要性を下記のように表しています。
p194
読書は国防となるものです。書店数の激減は我が国の将来にか���る暗雲と言えます。
また、大学生の半数が月に1冊も本を読まないとという調査結果が出ました。読書離れはそこまで進みました。ケータイ、スマホの使用規制を全国の小中高で実施すべき時がきたようです。
民主主義という暴走トラックを制御するものは、国民の教養だけなのです。
至るところで、「?」と思うところもあります。しかし、本書の構成として、古代ギリシャから現代までの教養の流れがまとめらており、教養と戦争などの関係、当時の文化など、知らないことも沢山あり、勉強にもなりました。
何度も読み返して理解を深める必要がある一冊だと感じました。
そして、何よりも、教養云々の前に、しっかりと個々人としての考えをまとめられる、主張ができることが大事で、そのための一助として読書があるということを想いました。
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この先生きていくためにはもっと教養を身につけていかないといけないと言う事を繰り返し言っています。
この本を読みながら、もっと教養が身につくような本読まないな~と思ってくる作品です。。
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言うまでもなく『教養のススメ』的な内容なのですが、知識と教養があるはずのエリートたちがなぜ戦争を防げなかったのか?などの問題提起もあり、教養の両側面について述べた良書だと思います。個人的には中間部分の教養の歴史についての記述がおもしろかったです。人類の歴史をたどっていると言っても言い過ぎではなく、人類がどのように叡智を受け継ごうとしてきたのかについては興味が湧きます。少し前に読んだ『イモータル』という小説を併読されてもおもしろいかもしれません。教養を身に着ける手段として、結局『本を読め』だけなのはちょっと残念ですが、ぜひ読んでみてください。
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グローバルスタンダードの背後にあるアメリカの意図を知ったのは衝撃的だった。
アメリカに言われたから郵政民営化を行った事は知ってはいたが、民営化する事で惰性ではなく金儲けを考えられるように郵便局が変わったと感じていたからだ。
日本から資産が大量に離れていると知れたのも、この本を通してだった。
この本を読んで危機感を感じた。
第一次世界大戦後に日本が第二次世界大戦に走るまでの間にどのような流れがあったのかも知らなかった。
教養層の人々が戦争に向かっていったのは、世界を知らない軍人と日本人特有の同調圧力のせいだと思っていた。
それもあるとは思うが、歴史的な流れを知ると教養層の人間が日本人的な人情を忘れていたという事もあるのかもしれないと感じた。
しかし、自由経済に染まっている私の頭では、理解できない部分も多かった。
弱者を助けなければならないと言うけれど、弱者は時代の転換期に変わろうとしなかった怠け者のように感じる。
機会があったのに変化を望まなかったからこそ、弱者になったので自己責任ではないのかとさえ思う。
私は日本人的な人情が欠如している可能性がある。
本書で紹介されていた書籍をまずは一度読んでみようと思う。
また、歴史についてもシッカリと学ぶべきだ
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本書で言う「教養」とは、いわゆる雑学というものではない。
欧米のグローバリズムに流されないために、日本人が日本人としての価値判断を持つことの大切さが書かれている。
面白かったよ。
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教養の必要性について述べた本。西洋や日本における歴史の中での教養の位置づけに大部分の論述を割きつつ、最終章で現代における教養の必要性について述べている。
教養を厳密に定義することには著者も消極的であるが、著者は教養を「情緒や形と一体になった知識」、最終章での言い換えでは知識・情緒・意志や道徳と主張している。民主主義国家において、衆愚政治に陥らないためには国民一人一人の教養が必要という点には納得がいく。一方、国民一人一人に教養が無いことも前提においた次の政治手法が今後出てきてもいいのではないかなとも思えた。いずれにせよ、教養がこの不確実で情報にあふれる世の中で重要であることに疑いの余地は無いかな。
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民主主義は一人一人がしっかりしないといけないからたくさん教養を身につけたい。
1ページでも多く本を読みたい。
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2021.10.2
正しさを測るための価値観、それを身につけるためには教養が必要。教養はさまざまな体験から得られるけれども実体験には限度がある、故に読書は必須。