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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
神主でもある筆者がさまざまな神道に関わる儀礼や儀式について歴史も含めて解説しており面白い。少子高齢化でこれらの儀式が消えつつあるのが残念である。
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民俗学者であり、故郷の郷社のパートタイマー宮司でもある筆者の、神社神道という形で組織された神道の型枠に当てはめられない形で存続する神々についての考察。
そもそも日本は神の国であった。
山、岩、滝、田、竈門、我が国には様々なところに神が宿っていると考えられてきた。
歴史ある神社が体系だって統一しているのは、その神々のごく一部でしか無い。
その神社の外にも、神々は在る。
そのさまざまなバリエーションを、パートタイマー宮司である筆者が、さらに学者として調べた多くの在郷の神々、古くから伝わる在郷の神社、神事などの情報を合わせて紹介している。
結論があるわけでなく、存在が多様であるということが、日本の神々、八百万の神々という姿を描き出す。
神社に立つ柱には、神が宿っていると考えられる。
神を柱と数える。
これは、英霊を柱と数えるのと同じこと。
おお!柱っていうよな〜
と言った、ちょっとした発見も面白かった。
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この書籍「社をもたない神々」は、神主でもある著者・神奇宣武氏が、社殿という物理的建造物を持たない日本の多様な神々への信仰を、自身の実践経験と各地の民俗事例を通して探求した研究書です。著者は近代化によって見えにくくなった古神道、民間神道、民俗神道といった人々の生活に根ざした信仰の姿を浮き彫りにし、その価値を問い直すことを試みています。特に備中(岡山県)の社家としての経験を基に、確たる教祖や教義を持たない日本の神信仰の特異性と、現代における民間信仰の危機的状況について警鐘を鳴らしています。
日本の神信仰の原初的形態は、自然界の奇異な現象や存在(巨木、巨石、山、海など)に対する畏敬の念から生まれたアニミズム(自然信仰)とシャーマニズム(呪術信仰)でした。社殿は本来必要とされず、奈良時代以降に仏教建築を模倣して建立されるようになったとされます。三輪山のように山そのものを神体とする信仰や、巫女のような霊感を持つ者が神懸かりして神意を伝える形態が原点でした。明治の神仏判然令以降、神社神道が国家神道として統一が進められましたが、庶民の暮らしでは古来の多様なカミとその祭りが伝承され続けてきました。
第一章では、日本人の生活に深く根ざした歳神(正月の来訪神)と田の神の信仰を詳述しています。歳神は各家に迎えられる年内安全の守護神で、門松や注連縄、鏡餅などが依り代となります。「拝み松」や「年棚」といった仮設の神座が設けられ、雑煮を食べることは歳神の「御魂分け」(年玉の起源)とされます。田の神は稲作に不可欠な神で、田植え時に「サンバイサン」として祀られたほか、正月明けの予祝行事としての「田遊び」や「田楽」にも現れます。これらは農民にとって切実な祈願祭であり、稲の生育を子の育成と同様に捉える心情を反映しています。
第二章と第三章では、山岳信仰と樹木信仰という自然崇拝の核心部分を扱っています。日本各地の「御山」は霊山として崇められ、死者の霊魂が山中に他界するという観念と結びついています。山からの水の恵みは水神信仰を生み、海から山を遥拝する習俗も存在します。樹木については、伊勢神宮の心御柱や諏訪大社の御柱祭などの事例を通して、神の依り代としての重要性が示されます。榊は神事において神籬、玉串として用いられ、各地の巨樹・巨木は神木として崇められています。森そのものにも精霊が宿るとされ、「モリサン」「モリドン」などと呼ばれる森の神への信仰も広範に存在します。
第四章と第五章では、境界を守る神々と土地に根ざした神々の信仰を論じています。「塞の神」は村落や道の境界に立ち、外部からの邪気や厄災の侵入を防ぐ神で、虫送りや勧請縄、道祖神の石像や藁人形として表象されます。特にミサキ神は不慮の死を遂げた霊として祟りが強いとされ、封じ込めるように祀られる一方で、祀られることで守護神にも転化する両義性を持ちます。産土神は生まれた土地の守り神として地縁神の性格を持ち、氏神(血縁神・社縁神)とは区別されます。備中地方では産土神が「荒神」として小集落単位で祀られ、式年祭では開墾儀礼の名残を留める神楽が演じられています。
現代においてこれらの民���信仰は、地域社会の過疎化・高齢化、後継者の関心希薄化により急速に衰退の危機にあります。しかし著者は、これらの「社をもたない神々」への信仰が、アニミズム、シャーマニズム、祖霊信仰から成る原初信仰を現代まで伝えてきた貴重な文化遺産であり、このような原初信仰を維持しているのは先進国では日本だけであると主張します。終章では、まじないや流行神という現象を通して民間信仰のダイナミズムを示し、これらの信仰こそが日本人の自然観、死生観、共同体意識を育んできた基層文化として、現代社会でもその精神性を汲み取ることの重要性を「ニッポン教」として誇るべきだと訴えています。