投稿元:
レビューを見る
どんな栄華を誇ろうとも心が貧しくては満足することはない。大事なことに気付いて、平凡と安らぎに満ちた生活を送る鴨長明が、とても身近に思えました。昔の方も同じようなことを考えているとわかると励まされます。
投稿元:
レビューを見る
ミニマリストの思想。最初の1行が名文。住居について強いこだわりを持っているので、何かトラウマがあったのかとも思う。不遇の身にあっても誇り高く生きようとの気位を感じる。
1、ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。→全ては変化する。
2、家屋にいくらお金をかけても、天災(火事、竜巻、飢饉、地震 )、人災(遷都)により状況はいつでも変わる。身一つの方が災いなく、煩わしくない。
3、落ちぶれ、3メートル四方=方丈 の庵に暮らそうとも心は安らかなのでハッピーだ。大事なのは心の持ち方なのだ。
投稿元:
レビューを見る
とても美しい日本の文章。諸行無常の概念をを寂寥感と侘しさを交えながら水のように書いている。
流れる時の中、戻らない全てを引き戻そうとはせず、ただ見つめることは難しい。現代ならば尚更のこと。今に、心と、耳と目を澄ますこと。心がささくれてしまったらまた読もうと思う。
投稿元:
レビューを見る
無常観と人間味のいい感じの混じり具合。さいこ〜。
なんとなくフェルナンド・ペソアにも通じるところがあるなとも思った。
テンション爆上がり秘曲披露事件とか、長明個人のなんかユーモラスなところとかも愛らしいなと思った。
飢餓に見舞われた貴族の人がいまだそれとわかるいでたちで物乞いをしているというのも、そこまで触れられている感じではなかったけど、皮肉味があるというか、なんというか。
付録の『発心集』の一篇が思いのほかめちゃくちゃ面白かった。最後の最後で、予想を裏切る終わり方というか、おおー!そっちいく?!みたいになった。やるじゃん!!!と思った。ぜひ『発心集』の方も全篇読んでみたいな。
投稿元:
レビューを見る
鴨長明「方丈記」読了。飢饉などの厄災を目の当たりにしたり、度重なる不遇を通じて達したと思われる無常感。その境地にいたる執着しないという感性は、変動の激しい現在だからこそ心に染み入るのだと思った。時代を越えて読み継がれる日本の短い古典に重みを感じた。
投稿元:
レビューを見る
三大随筆の一つ『方丈記』。読むまで知らなかったのだが、全体の分量がとても少なく、400字の原稿用紙20枚程度の文章しかないのはあまり知られていないのではないだろうか。
前半は五大災厄について、後半は方丈の庵について記されている。どちらも精緻な描写で読む者の前に現れてくる。
人生の節目に読むと見えてくるものが変わるのが古典なので、また、時間を空けて読み直したい。
投稿元:
レビューを見る
Twitterで気になっていた光文社古典新薬文庫の方丈記。隠居したはずなのに未練たらたらやーんっていうのがツボって買ってしまった(笑)
方丈記、ちゃんと読んだことなかったんだけど、こういう話だったのか。
というか、鴨長明住宅好きだよね(笑)やたらこだわっている気がする。
なんやかんやで好きなことしてるのが一番やでって言われた気がする。気のせいかもしれんけど。自分のペースで人生楽しもうぜ、みたいな。
投稿元:
レビューを見る
『ゆく河の流れは絶えずして、元の水にあらず。』
私が唯一覚えている冒頭。
昔から何となくこの一節が好きで、ふと思い出す。
今まで読んだことなかった方丈記を読んで、私が求めている生活はこれだ!て思える内容だった。
忙しい生活を送っていると、何も感じることなく「やっと今日が終わった。しんどかったな。」て終わることが多いけど、これを読んで毎日変わっていくから、1日を楽しく過ごしていける心の余裕も大事だなって思えた☺︎
投稿元:
レビューを見る
現代小説ばかり読みふけって、ふとこちらを読んでみたら、あれれ、面白い。
学生の頃は何にも感じてなかった冒頭の文にも感じずにはいられないくらい感情移入して読めました。
なんというか、800年前感じる無常感について現代っ子の私でも理解できる話ばかりでなんだか不思議な感じ。竜巻、京都にもあったんだー
投稿元:
レビューを見る
今年開催する、読書会のテーマ本として選出しました。
何に一番驚いたかと言えば、その短さ。
私が関心を寄せている光文社古典新訳文庫で読むと、本文は50ページしかありません。
この読みやすさをもっとアピールすれば、読書家の入り口に立つ若者にもっと刺さりそうなものなのに。
今だったら、SNSを駆使したミニマリストアカウントからの発信に形を変えるに違いありません。
『京都でのごちゃごちゃしたエリートコースをやめて、田舎でミニマリストになったKAMOの生き様!』
といった風です。そのくらいカジュアルに読める作品でした。
あと、知らなかったことがあります。
事前知識では彼のミニマルなライフスタイルの描写に焦点が当てられていましたが、本文の半分ほどは、当時の災害について語られていたこと。
大火事や地震、竜巻といった当時のたくさんの命を奪った出来事に詳しく触れています。
なぜ彼が住まいや仕事を捨て、移動住居に独り住むことになったのか。彼が人生を通じて気付いた価値観、その一因を垣間見る事ができました。
追記
時代も場所も全く変わりますが、次のような本との繋がりを感じます。また読み返してみようかな。
セネカ 人生の短さについて
ソロー 森の生活
佐々木典士 ぼくたちに、もうモノは必要ない
投稿元:
レビューを見る
山小屋で隠遁生活をして、和歌と琵琶が趣味で、近所の子供と散歩して…。すごく魅力的に感じる。
情景が浮かぶような綺麗な和歌もよかった。
投稿元:
レビューを見る
この世の儚さと、そんな状況での幸せな生き方についての思いを親しみを込めて綴られる、800年前に書かれた歌人のエッセイ。短すぎる本編に驚く。
物に拘った生活に対し、最低限の衣食住環境で自然との触れ合いを喜びとして楽しく生きることの満足を語っていて、断捨離やミニマリスト、ノマド生活者の共感を得るのではないだろうか。
どんなに大きな屋敷を作っても自分が起住する場所はせいぜい5畳程度だし、災害で儚く消失することを思えば、簡単に移動できるよう身辺のものを厳選し、月や自然に親しむ、無料で得ることのできる趣味を持つ、といった物との決別。
不必要な労働で得た財産を守るために心身をすり減らすことをやめ、心穏やかで且つ豊かな人生に憧れを覚える。
投稿元:
レビューを見る
【読もうと思った理由】
個人的に好きでよく見ている養老孟司氏が、自身のYouTubeチャンネルで語っていた。「僕が日本の古典で一番好きなのは、方丈記である。なぜなら方丈記の中には、人生で直面する災厄が全て語られている。また現代人が忘れかけている、花鳥風月の大切さにも気づかせてくれる」と仰っていた。
日本三大随筆にの一つにも数えられている「方丈記」を恥ずかしながら最後まで読んだことが無かったため、この機会に読もうと思った。
【鴨長明とは?】
下鴨神社の禰宜(ねぎ)・鴨長継の子として生まれる。歌人として活躍し、後鳥羽院による和歌所設置に伴い、寄人(よりうど)に選ばれる。琵琶の名手でもあった。1204年(50歳)、和歌所から出奔し出家遁世する(法名は蓮胤)。『新古今和歌集』に10首入集。歌論書に『無名抄』、説話集に『発心集』がある。方丈記の成立は58歳ごろと考えられる。
・禰宜とは…神職の職称(職名)の一つである。「祢宜」とも書く。今日では、一般神社では宮司の下位、権禰宜の上位に置かれ、宮司を補佐する者の職称となっている。
・寄人とは…「和歌所(わかどころ)」の職員。和歌の選定に当たる。
【あらすじ、概略】
鎌倉時代前期の1212年に鴨長明によって書かれた随筆。『枕草子』『徒然草』と並んで三台随筆のひとつと言われている。前半は鴨長明が体験したさまざまな天変地異を記している。冒頭で「人の世は水の泡のようにはかなく変化してやまない」としてあるが、当時は安元の大火、治承の辻風(竜巻)、治承の遷都、養和の飢饉、元暦の地震が連続して起こっており、これらを具体例としてあげている。後半は、世の無常を痛感した鴨長明は、出家し、日野山に「方丈の庵(約3メートル四方)」を建て、そこで残された生涯を送ることを決意する。心をわずらわすこともない静かな生活。しかし、それに徹しきれない自己を発見することになる。
【感想及び気づき】
本書の前半部分で語られている五大災厄とは、1177年(安元三年)の大火、
1180年(治承四年)の竜巻、
同年の福原(現在の神戸市)遷都、
1181年(養和元年)から
1182年(寿永元年)へと続いた飢饉と疫病、
1185年(元暦二年)の大地震である。
こうして西暦年で見ると、10年以内の間に5大災厄全てが起こっている。
現代のここ20〜30年ぐらいとよく似ている。
1995年…阪神・淡路大震災。
2001年…アメリカで同時多発テロ。
2011年…東日本大震災。
2020年…コロナショック。
2022年…ロシアのウクライナ侵攻。
現在も、方丈記が書かれた800年前も、自分一人の力などでは、到底敵わない事ばかりが身の回りに起こっているのがよく分かる。
鴨長明が若い時に体験した災厄、つまり大火、竜巻、遷都、飢饉、地震、それぞれについての記述には、人の住居がいかに脆く、儚いものであるかがさまざまな描写を通して語られている。特にひどかったのが養和元年から2年に渡って続いた飢饉→疫病まで流行したときには、2ヶ月の餓死者を調べたところ43,200名程だったという。
いつ無くなってしまうか分からない住居に、長明はお金や時���は掛けなくなっていく。最終的に行き着いた住居(方丈の庵)について、一辺が一丈(約3m)の四角形の空間しかない。現在で言うところの、段ボールハウスということも言えると思う。そう、究極のミニマリストだ。タイトルにもなっている方丈記とは、自身の住居のことを指している。
また養老孟司氏が大切にするべきと言っていた、花鳥風月についての記述はこう書いてある。
「もし夜静かなら、窓の月を眺めてすでに亡くなった昔の友を思い出し、あたりに響く猿の声を聞いて涙する。そして、草むらの蛍を、遠くの槇の島の篝火と見間違えたり、明け方の雨の音が、木の葉に吹く風だと思ったりもする。山鳥がほろほろと鳴くのを聞いて、あれは父が母かと思ったり、峰の鹿が慣れて近寄ってくることなどもあって、いかに世間から離れた暮らしかを知る。梟の声がすればしみじみと聞き入り、山中の風光をそのときどきで味わう。」とある。
養老氏が度々自然や花鳥風月を、普段の生活の中で感じるようにと言われてから、公園で鳥の囀りを聴くと、かなり心が落ち着いていることに気づけたのは、今回の読書から得た、良い気づきだった。
「世間から遠ざかって山林に分け入る暮らしを選んだのは、仏教修行のためだった」と書かれている。なのに「都に出かけることがあって、そんな時は自分が落ちぶれたと恥じたりしてしまうこともある」と。
迷いがあるところや、葛藤しているところを隠さず、人間臭さを出しているところが、この本が800年も読み続けられている一番の理由だと感じた。
投稿元:
レビューを見る
ただ、静かに暮らすことだけを考え、余計な心配のないことそのものを楽しんでいる
自分の身は、自分の心の苦しみを知っているから、苦しいときは休み、元気であれば、使う
世界というものは、心の持ち方一つで変わる
投稿元:
レビューを見る
方丈記が爺さんの散歩日記なんだと、新訳を読み始めて気が付きました。
今の時代では出来ない生活だけど、いつかは同じ様な生活してみたいと感じました。
いつかは鴨さんが歩いた道を辿ってみたいです。
二人目の心の師に出会いました。