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投稿者:健 - この投稿者のレビュー一覧を見る
川北稔先生が名著とおっしゃっていたので、読んでみました。確かに面白い。イギリス人が飲んでいた一杯の紅茶を供給するために、それこそ世界中から原材料が集まっていたことがわかります。今でいうグローバル・ヒストリー的な視点から書かれた書といってよいのではないでしょうか。
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投稿者:文月綾乃 - この投稿者のレビュー一覧を見る
茶の湯など茶道文化の本かと手にしたら、広く茶葉に関する歴史の本だった。その飲用方法の変遷から、世界がグローバル化していくに伴っての商品化。。特に日本の茶葉が世界の市場でどのような位置を占めていったか。幕末から明治開国後の、抹茶や生糸などとの比較は興味深い。2021年、日本茶の輸出量は過去最高を記録したという。この報に著者はどのような見解を持つだろうか。 読後、英国に対する心象がかなり変わった。茶道を嗜む者なら、一読の価値あり。
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角山栄 「 茶の世界史 」緑茶と紅茶の盛衰記。資本主義に負けた日本の緑茶文化と 資本主義に乗ったイギリスの紅茶文化。
日本から 文化としての茶(緑茶)が 16世紀に イギリスに渡り 普及したが、資本主義の中で 茶の文化性を失い 衰退。逆に 紅茶は イギリス資本主義の中で、砂糖を巡る奴隷史、アヘン戦争を勝ち抜き発展
茶道文化・精神文化としてのお茶
茶会、茶器、飲み方やマナー、東洋の神秘性、贅沢品を所有する喜びなど
ワイン文化圏(フランス、イタリア、スペイン)には お茶は普及しなかった
イギリスの紅茶文化
*資本主義を背景→茶と砂糖は輸入→重商主義の拡大
*砂糖生産→植民地、奴隷労働
*中国から茶を輸入→中国へアヘンを輸出→アヘン戦争
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今まで読んだ紅茶に関する本の中で一番難しく、歴史的な内容が多くてちょっと理解しきれなかった。完全に自分の勉強不足。世界史をきちんと学んだ人には容易いと思う。
日本における日本茶と紅茶については勉強になった。何度か読み直す必要があるかなぁ。
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東洋の茶の文化に対する畏敬と憧憬が西洋の近代史を動かした! 喫茶文化の広がりから茶栽培・貿易戦略まで。名著を読みやすく改版。
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東洋で初めて『茶』(と、日本人の茶道)に出会い、惹かれた西欧人が、その後どのように『茶』と付き合い、或いは『茶』を乗り越えていったのか。
あるいは、国際情勢と経済的事情により『茶』が如何にして英国の国民的飲料としての地位を築いたのか。
明治維新後の最初期の外貨獲得に『茶』の果たした役割とはいかなる物か。
等々、興味深く読めた。
また、明治最初期の日本商人/商社の海外での悪戦苦闘というか、無謀さについても、一端を知ることができた。
筆者の『緑茶/茶道』の精神的優位性云々という姿勢がなければ、もっと楽しく読めただろう。そこは残念。
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2018の冬から春に読んだようだけども
茶の歴史を通して、日本の茶の位置付けもみえてくる
食品偽装とかやってたせいで、今や世界は紅茶で揺るぎない
最近、やっと緑茶が評価伸ばしてる?
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本書は、「東洋の『茶の文化』に対するヨーロッパ人の畏敬と憧憬――ここからヨーロッパの近代史は始まる」として、茶と綿布を求めたヨーロッパの近世資本主義を中心に、世界史を動かした茶について論じる。
本書によれば、ヨーロッパに最初に運ばれた茶はオランダによってもたらされた日本茶だったそうだ。ヨーロッパの人々にとり神秘的な魅力をまとっていた茶は、くすりから飲料へ、そして文化から商品へと変遷し、巡り巡って世界市場に放り出された「日本」の眼前へとあらわれる。
その時点で、世界の茶業界では「日本」で馴染みある緑茶よりも紅茶文化が優勢であり、また「日本」が宣伝材料とし得るような茶道などの喫茶における精神文化よりも、商品としての茶の流通がメジャーであった。大規模なプランテーションによる栽培で量産化された茶が、嗜好品として流通する世界である。
一読しただけで理解不足な箇所が多々あるため、再読したい一冊。しかし本書の読後特に思ったことは、私の身近にある茶を始めとした日用品、嗜好品たちが量産化されるまでに辿った近世近代史を紐解くことが、現在と未来を生きる上で必要だということだ。
一消費者からは不透明であることが多々あるが、私の手元にあるモノの背景に、資本主義に不当に搾取された誰かや地球の姿があるだろうことは、想像に難くないからである。
現在の問題をみつめることは勿論、同時に過去の遺産を見つめなおさなければ、現在と未来の課題を解決していくことは不可能であると思う。
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Xの世界史と名付けられた本は名著が多いが、この本も茶という商品に注目することで、世界史の見方を変えてくれる良書。経済学部の教授がおススメしてくれていた理由がよくわかる。
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前半(第1部)では世界史的な視点で茶を語り、後半(第2部)では日本の茶産業の歴史を記述する。
大航海時代以降、特に近世ヨーロッパの重商主義時代の貿易を語る上で使える記述が多々あった。
大西洋三角貿易、産業革命、アヘン戦争につながる重要な「茶」をテーマ見直すのも良いかもしれない。
以下引用
P4
彼ら(ヨーロッパ人)が日本で発見したものはいろいろあるが、その最大のものは、じつは茶であった。いや「茶の湯」文化であったといった方がよい。ヨーロッパの歴史で茶が初めて登場するのはこの時からである。
P5
当時の東洋は、いまと違って豊かな国であった。それにひきかえ、北緯40度以北の寒冷なヨーロッパは貧しい国であった。豊かな東洋からは古代の絹、次いで中世には香料、近世からは中国の茶およびインドの綿布が、ヨーロッパへの代表的な輸出品となる。香料がヨーロッパのアジア航路開拓の契機となったとすれば、茶と綿布はヨーロッパの近世資本主義を促進する契機となったといってよい。
東洋の「茶の文化」に対するヨーロッパ人の畏敬と憧憬ーーーここからヨーロッパの近代史は始まる。
P51
こんにち私たちは、イギリス人は初めから紅茶を飲んでいたと考えがちである。そうでなくても、茶が中国からはるばる運ばれてくる途中で、熱帯の暑さの中で緑茶が発行して紅茶になったと言う話を信じている人が多い。しかしこれは俗説に過ぎない。
P56〜57
一体どうして茶がヨーロッパの中でも、特にイギリス人の間でひどく愛好され、国民的飲料として急速に普及するようになるのであろうか。
茶がポピュラーな飲料になる以前のイギリスでは、人々は一体何を飲んでいたのか。それにしてもイギリスに茶が受け入れられた文化的基盤は一体何であったのか。また本当に茶は何の抵抗もなくスムーズに受け入れられたのかどうか。また何らかの文化摩擦があったとすればそうした摩擦や抵抗を排除して国民的飲料として定着せしめたものは何であるのか。茶には、非アルコール的競合飲料としてコーヒー、チョコレートがあったが、どうして茶がイギリスでは他を抑えて優位を占めるにいたるのであろうか。
P70
コーヒーの生産・供給の面では、オランダが17世紀末にジャヴァ、次いでセイロンにコーヒーを移植し、1713年からジャヴァ・コーヒーがヨーロッパに輸入され始めたことである。そしてジャヴァ・コーヒーは1730年代までにモカ・コーヒーよりコストダウンに成功し、オランダは供給の流れを変えることに成功した。こうしたオランダのコーヒー栽培輸出の成功と言う新しい変化と歩調を合わせるように、イギリス東インド会社のモカ・コーヒーの輸入は、1720年以降急速に衰退し、それに代わって中国金の輸入がいちじるしい増加をみることになる。言い換えるとイギリスでは船来飲料のうちコーヒーが茶よりも先行して普及したが、やがてコーヒーの供給確保での国際競争において、オランダのジャヴァ、セイロンの栽培コーヒーに敗れてゆくのである。
コーヒーの国際競争に遅れをとったイギリスは、やむをえずアジア貿易の���点をコーヒーから中国茶の輸入に移していく。
P75
ココアに致命傷を与えたのが、1727年ジャマイカを始め西インド諸島を襲ったハリケーンで、そのためにイギリス領のココアは全滅した。ほとんど唯一の供給地であったジャマイカが壊滅したとなると、当然のことながらココアはイギリス人の飲み物として脱落していたココアの用途は主としてケーキとして残ることになる。
ともかくオランダ、イギリス、フランスが世界の商業覇権をめぐって激しく争っていた重商主義時代の背景を通して見る限り、イギリスは茶、コーヒー、ココアの3つの飲料のうち、茶に頼るしか方法がなかったと言ってよい。
P81
16世紀に東洋へ渡航したヨーロッパ人が最も驚かせたのは、中国や日本の優れた料理とその食べ方、マナーであった。リンスホーテンは『東方案内記』の中で、中国の料理に目を見張った。中国では、「食卓の中央に、上手にこしらえた料理を順序よく並べる。料理は誠に素晴らしい出来栄えで、美しい時期や銀の皿に盛ってある。魚や肉は大骨、小骨をすっかり抜き取り、どんなものでも、料理はあらかじめ切って出される。料理は決して手でとってはならない。丸く作った日本の黒い木(箸)で挟み取るのである。彼らはそれをフォークの代わりに使うのだが、実に手慣れたもので、ひとかけらも落とさない。だから汚れを脱ぐナプキンとか手拭きなどは全然用いない」と彼は中国料理に接した畏敬の念をこのように記していた。
P113〜114
しかしインド綿布の輸入が、イギリス社会に与えた影響は、中国文化を代表する茶が与えたそれとはかなり違う。両者の決定的な違いは、茶がイギリス人の生活に豊かさをもたらすものとして生活の中に定着していくのに対し、インド綿布の輸入は、伝統的国民産業であった羊毛工業や絹工業の利害と抵触し、イギリス国民経済を危機に陥れるものとして、製造業者に深刻な危機感と脅威の念を抱かせたことである。
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中国雲南省あたりが原産地。清国のお茶が欲しさの余り支払いの銀が勿体ないので麻薬アヘンと交換し、中国の隙をみてインドダージリン地方で大規模農園開発。地元民に低賃金重労働させたお茶を英国庭園アフターヌーンティで高級な陶器と紅茶楽しむ婦人達。紅茶には何故ミルクと砂糖を入れるか以上の濁った英国紅茶歴史。
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世界史というだけあって、本書の大部分は経済の話に費される。
もし文化としての茶並びにそれに付随する精神性に興味があるならば、この本は予備知識以上の役割は果たさないと思う。
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茶という東アジアにしかなかった嗜好品がなぜイギリスなどの西洋に広がったのか、考えれば不思議である。16世紀のヨーロッパ人の発見からイギリスの定着、インドでの栽培までわかりやすく説明されている。
これを読むと保守的と言われる食文化もしばしば大きく変化すること、それも全く地域にないものが定着することにより貿易や国際関係も変わることがわかる。
わざわざ遠方からの産物を好んだのはヨーロッパ人の先取性か地域が貧しかったからなのか。いずれにせよ、他の人々からすれば災厄以外の何物でもない。
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「茶」という見方で地理や歴史を学ぶことができるので、とても面白かった。文章も難しくなく、グラフや絵が途中で入っているので、飽きずに読むことができた。よかったのは、ヨーロッパから見た「茶」と、日本から見た「茶」というのが、史実とともに丁寧に解説されていたことである。特に、イギリスがどうして今のような紅茶大国になったのかというのが、端的なアプローチではなく、水のことやオランダとの貿易のこと、航海のこと、貴族の文化に至るまで多岐にわたる見方で考えることができたので、とても勉強になった。
最後の章で、日本茶が世界に挑戦しようとしていたことを知った。そして、日本茶は、文化的アプローチではなく、世界の産業資本に組み込みこもうと日本が挑戦したことに驚いた。また、コーヒーとチョコレートという飲料についても興味が出てきたので、今度それについての本を読みたいと思う。
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自分が読んだのは改訂版だった!
世界経済を語る上で奴隷貿易とプランテーションの話は必ずセットでついてくるねぇ…。
最近○○の世界史という、1つのものの視点から見た歴史の本にハマっている。
どうせなら好きな紅茶、茶葉に注目した本を読んでみようと思った。
◇感想
一言でいうとめちゃくちゃ興味深い話がいっぱいあった。
砂糖や紅茶の歴史は西欧に偏りがちだったので、近代以前のブランド品としての高い日本茶から、産業革命後の地位の失墜まで、歴史的背景が見えてくる。
16世紀のオランダでティーソーサにあえて茶を注いですする飲み方は茶道を模していたのか!とか、ティーとチャイの語源の違い。
鎖国終了後の日本がいきなり資本主義の世界市場に放り込まれ、家族経営の貧弱な生産体制、ノー情報、ノー人脈、ノーノウハウの状態で奴隷たちによるプランテーションでの大量生産商品に値段も量も敵うはずもないよね…。
そしてやはり対外へのはったりや商売のやり方って日本はへたくそなのね。
サンプルは高品質で、買ったら粗悪品とか…取引継続的な事を何も考えてないじゃないの…。というか海外への蔑視がそうさせたのかな。
ただ、今は緑茶も結構有名になってきたと思う。
グリーンティー、ノーカロリーでダイエットに良し!みたいな感じで認識されているよね。
200年ほど前に紅茶の成分は健康によく、壊血病に効く!(紅茶にはビタミンCはほぼないが…)みたいな名目で売り出しのと同じ手法だけど。
アメリカには健康手法がよく効くなぁ。
1980年出版時点で、茶道に関するアメリカ人の意識が変わってきた、とあとがきにあった。
物質主義に疲れたアメリカ人がヨガや茶道といった、精神的充足や「道」といった精神論に興味を持ち始めたのだろうとのこと。
こんまりメソッドが爆発的にヒットしたことも踏まえ、現代社会は機械による効率化、ITの進化で情報と刺激にさらされ続け、心身を休ませる機会が与えられない。
昔は「自立」を目標に生産を上げ続けることを目標にされてきたが、これからは個々の「自律」を目標に進んでいくべきだと思った。
◇海外で売れてる日本の本
「武士道」:新渡戸稲造(1900出版)
「茶の本」:岡倉天心(1906出版)
「茶の文化史」:村井康彦