その男の人生は20世紀の経済学史そのものだった。資本主義の不安定さを数理経済学で証明する
2019/06/06 13:37
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ぴんさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
宇沢先生が評価されていたジャーナリスト・佐々木さんの新著。宇沢弘文の生涯とその思想を語ったもの。パラパラ眺めているだけで、宇沢先生の苦闘が伝わってくる。大部だが本当に面白くて止まらない。20世紀の経済学を構築した孤高の経済学者に迫った大著。宇沢はアメリカで1950年代から経済学の最先端に立ち世界をリードしていながら、突然日本に帰国して以降は既存の経済学を厳しく批判した。米国での学者生活の黄金期を捨てて、その後日本に帰国し、社会問題に寄り添う姿はまさにマーシャルの実践であり、暖かい心を無機質になってしまった経済学に取り込もうという宇沢先生のイデアの探究の旅だったのではないか。資本主義と闘うというよりも人間の心や営みをいかに経済学に取り込んでいくのか、そのことに人生をささげた偉大な経済学者の姿が描写されている。
日本が誇る世界的経済学者
2019/04/09 21:09
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はるはる - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界的経済学者であった宇沢弘文氏の評伝。世界でもトップクラスの理論経済学者でありながら、主流派経済学に反旗を翻し、社会的共通資本という新たな経済学の枠組みを作ろうとしたことが描かれています。主流派経済学の道具立てを用いながら、、社会的共通資本という新たな枠組みを作り上げようとしたところが素晴らしいことだと思います。あと、この書の中でも触れてありますが、ポランニーの経済人類学にも通じるものがありました。昔、試験のために経済学は学んだだけで、やや難しく思えた部分もありましたが、2日で一気に読み尾えました。面白いです。
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2019年6月2日図書館から借り出し。
600頁を超える大著であるが二日間で読み終えた。心地よい疲労感と、良書を読み終えた満足感がまだ残っている。
単なる宇沢弘文の伝記ではない。経済学説史を解説しながら、その中での宇沢の位置づけをわかりやすく説明するという困難な仕事を、たった一人のフリーのジャーナリストが仕上げたことに驚嘆してしまう。しかも明晰な日本語が読みやすい。学部レベルなら学説史副読本にも使えるかもしれない。
加えて、経済学者として、また一人の人間として真摯に世の中に向き合った姿を、時ととしては書き手が「精神的に依存してしまって」(あとがき)いるところも感じなくはないが、見事に描き切っているように思える。不器用なまでに真面目な人だったのだろう。
それでも、晩年、老いのためか感情をコントロールできなくなっているところまで書かれている。
最後のところで、宇沢夫人に「帰国してから宇沢先生は変わりましたか」という筆者の問いに「独りぼっちでした」という簡潔な答えが返っていたというところでは、なんとも言えない気持ちになった。
文系では経済学部の人気が高まっているとか。若き経済学徒には是非とも読んでいただきたい本。
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岩井克人氏「欲望の貨幣論を語る」と読み合わせると理解が深まる
リーマンから12年、ひたすら金融緩和による景気の拡大を続けてきた世界経済はコロナショックを乗り越えられるかという課題に直面している
根本的には「資本主義経済体制」と「有限の地球」が共存できるのか?というレベルの段階に来ている
経済体制の選択=経済理論の選択である
経済学は科学なのか、政治経済学なのか
現代の経済学を二分して解説 画期的であり判りやすい 革命的過激さ
①不均衡経済動学・・・資本主義経済の本質 ケインズ・宇沢弘文など
②均衡経済学 ・・・主流派経済学シカゴ学派など
資本主義経済の本質は不均衡動学だが、周期的に経済危機を起こし、財政・金融の支援を必要とするので、そのままでは受け入れにくい
体制の経済学としては「平時の均衡」を前面に出して理論体系を組むのが方便だが、これは反正義の在り方。本家の米国以外では衰退しつつある。
宇沢弘文氏、岩井克人氏とも「正当経済学の不正義」に耐えられず趣旨替えを表明し、経済学会を追われてしまった。「破門」である。
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数理経済学という学問分野において、間違いなく日本を代表する存在として、多数の論文により学問の進展に多大なる影響を与えつつ、突然の沈黙により学会から距離を置き、半ば”仙人”のような風貌で晩年を送った経済学者、宇沢弘文。本書は彼の半生と数理経済学という学問の発展とその限界を炙り出す超一級の評伝である。
経済的合理性に基づいて一切の行動を取るという仮定の存在たるホモ・エコノミクスの存在を前提とし、近代の経済学では人間行動を数学を用いたモデルにより表現することで学問としての精緻さを明晰にすることに成功した。一方、そうしたホモ・エコノミクスという存在の仮想性に目を付け、新たな理論を立ち上げたのが20世紀後半から21世紀に勢力を伸ばす行動経済学の学派である。非合理とわかっていながらも、錯覚や一時の快楽に身を任せて行動を取る人間の実質的な愚かしさを、行動経済学では心理実験等のアプローチに基づき理論化しようとしている。
そうした学問の流れにおいて、宇沢弘文が生涯の後半で成し遂げようとしたのは、資本主義という思想の中で零れ落ちてしまう人間存在を、いかに経済学という理論の中に位置づけるかという苦闘であったと言える。
理論と実践という旧来からの二項対立において、21世紀は理論の持つ力が徐々に喪失されつつあるという印象を持つのは私だけだろうか。本書は、その生涯において理論の持つ力を信じた一人の人間の思想が痛いくらいに伝わってくる。それは経済学という理論に興味があるかどうかは別として、我々がどう考え、どう生きるべきかという根源的な問いを突き詰めるきっかけを与えてくれるものである。
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経済学には詳しくないので、分からないところが多かったが、宇沢弘文という人物や宇沢弘文を通した経済学の流れが丁寧に書かれた大作でした。
分厚い本なので躊躇しましたが、興味深いエピソードも多く、波乱万丈の生涯ということもあり、興味深く読めました。
経済学といっても、どの時間軸で見るか?どの立場で見るか?どんな目的で使うか?などでかなり変わってくると感じました。
宇沢弘文氏は、長期的な視点で、俯瞰した位置から、平等や正義、弱者のために使おうとしていた。
しかし、世界は、時代は、そうではなかった。
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ぼくは宇沢弘文という経済学者のことは、名前しかしらなかったが、少し気になる存在だった。本書はその宇沢さんの評伝だが、この筆者の佐々木さんという人がただものではない。宇沢さんの英語、日本語論文を読みこなすだけでなく、世界の経済学者の論文を読み、その特徴、経済学会での位置を丁寧に解説しているのである。もっとも、本書の経済学に関する部分は決して読みやすくはないが、全体は宇沢さんとそのまわりの人たちの物語、エピソードであるから、面白いことは面白い。宇沢さんは若くしてアメリカの経済学界の中に身を投入し、そこでかれ自身の理論をみがいていった。それは世界の経済が高度成長する時代であった。さらにかれはイギリス経済学との橋渡しもする。しかし、やがてかれはそこに見切りをつけ、日本へもどってくるのである。そのかれが日本で出会ったのは、経済の発展の中で生まれていた公害や南北間の格差であった。もともとかれは開発経済にも関心があったから、かれの関心はそうした貧困国や環境を含む環境経済学へと向かっていった。その契機になったのが、自動車の社会費用という問題だった。それにしても、かれと理論を切磋琢磨した経済学者たちの多くがノーベル賞をもらっているのに、どうしてかれはもらえなかったのだろう。そこには、黄色人種に対する偏見のようなものを感じるのだが。
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もっと早く出会いたかった。
凄い本。宇沢弘文という学者の生涯を通じて、経済史の変遷を学ぶ事ができる。一般均衡理論から、ケインズ、リカード。市場原理に任せるか、政策介入すべきか、そして更にはベトナム戦争から外部不経済という考えに基づき、公共経済学の分野へ。延長戦で、公害、自動車、カーボンニュートラルまで行き着く。こうした本を学生時代に読んでいたなら、あるいは、公共経済学に興味を持っただろうか。
圧倒的な取材、文献、考察。宇沢弘文と共に生きた数々の学者たち。師弟、ライバル、仲間、犬猿の仲。その一人ひとりまで掘り下げて説明される事で、経済史の転換点が温度感を持ち、深く、ストーリーとして頭に入ってくる。経済学という学問の功罪。可能性、今の等身大の経済学。
スティグリッツは宇沢弘文の教え子だったらしい。フリードマンは友人とも言えるが、論敵だった。宇沢弘文は、感情的な学者であったが、しかし、経済学の犯した罪と向き合う正義だった。合理的、効率的という概念が、所謂、経済的と同義に語られ、その範囲によっては利己的になりかねない、この資本主義の愚かさに対して。戦争と公害、環境破壊に対して、経済学がこれから為すべき課題とは、何か。
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アダム・スミスの「国富論」に始まる経済学の大きな歴史の中で、資本主義市場経済が、自由主義、ケインズ主義、新自由主義の経済学と変遷し、それにのっとった経済政策が取られてきた歴史を俯瞰する。社会的共通資本をあらためて勉強したい。
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世界的な数理経済学者でありながら、従来の新古典派経済学を徹底して批判し、「社会的共通資本論」を提唱した、宇沢弘文の本格的評伝。
本人をはじめとする数多の関係者への充実した取材や文献の渉猟に基づいて、宇沢弘文という人間を様々な角度から浮彫りにする優れた伝記だと感じた。大部だが、物語として面白く、スイスイと読み進めることができた。
宇沢弘文の生涯を振り返ることは、まさに20世紀の経済学史を振り返ることであり、その意味でもとても勉強になった。
昭和天皇から「君!君は、経済、経済というけど、人間の心が大事だと言いたいのだね」と声をかけられたというエピソードが紹介されているが、まさに昭和天皇の言葉は、宇沢弘文の経済学の本質を言い当てていると思った。
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なにかいいことを言っている髭のおじさんとしか知らなかった人が、こんなにすごい学者しかも勇気ある行動的な学者だったとは!えらく厚いし経済の難しい話になったら挫折するかもと思って読み始めたら、期待の3倍くらいおもしろかった。著者がどれだけ取材してどれだけ文献にあたって、どれだけ構成や流れを考えて書いたかなぁと思うほど、とても読みやすくまとまっていて、人物像がよくわかる。天才的に頭がよくて、だれもが「ノーベル賞を取るべきだった」というほどの優れた経済学者でありながら、情熱的で常に弱い立場の者に寄り添う宇沢さん。私がこれまで少しでも関心を持ったベトナム戦争、水俣、三里塚、沖縄、地球温暖化、TPPの問題など、全部宇沢さんが深く関心を寄せて自ら関わったりもしたことだったんだ。一度直に話を聞きたかった。
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理論経済学者であった宇沢弘文さんの生涯の軌跡。
読んでみて、本当に感動した。
主に戦後だが、まさに20世紀の(理論)経済学を、宇沢弘文という1人物を中心に語ることで、ほぼその流れを理解することができる。それほど、経済学のメインストリームに位置していたということだ。
特にアメリカだが、20世紀を通して経済学の世界は、古典派 ⇒ ケインズ学派 ⇒ 新古典派 ⇒ ネオリベラリズム(ネオリベ)という流れがある。宇沢先生は新古典派の理論経済学者だが、彼の経歴を通して、ケインズ学派からいかにネオリベラリズムに移行して、現在2020年に至るかが理解できる。
特にネオリベの提唱者、ミルトン・フリードマンとの関係性はすごく興味深い。お互い敬意を持つ友人同士でありながら(まぁ、大嫌いだったみたいだから友人ではないか。。)、考え方は正反対。歴史の流れの中で、ミルトン・フリードマンがその後の経済学(世界の政治)を作っていく。80年代にレーガンやサッチャーに影響を与えることで。そして、アメリカの後にヨチヨチ歩きでくっ付いていく形で、日本はネオリベに染まっていく。2000年代の小泉政権にて。
しかし、このスケールで経済学者を眺めたときに、小泉政権の竹中平蔵がいかに小物かがわかる。ミルトン・フリードマンの劣化版。「学者」という肩書きで呼ぶのは、ちゃんと学問を進歩させようとしている真の学者に失礼だ。むろん、経済学者ではありえない。それほど差がある。
そして、彼は現在の菅政権でもゾンビのように復活して、ネオリベ政策をさらに進めようとしている。しかも、多くの日本人はこれを支持しているわけだ。
・・もう、どうしようもないな。
宇沢先生の恩師、同僚や教え子、ライバルなどは多くがノーベル経済学賞に輝いている。日本人でノーベル経済学賞に一番近い男、と巷間言われていたが、宇沢先生は結局受賞することはなかった。宇沢先生が亡くなった今、おそらく、今後日本人で受賞する人は現れないだろう。最後の章でも、残念ながら後継者がいないことが露呈した(本読む前に気になっていた。宇沢先生の後継者のような人はいるだろうか・・と)。今の日本の経済学者で、新しい「ユートピア」を語れるような人がいるとは到底思えない。
私は社会学に興味があり、「社会的共通資本(Social Common Capital)」の概念は前から知っていた。この概念を、この本を読むことでより補完することができた。宇沢先生が主に「農業コモンズ」と「大気コモンズ(地球環境保護)」の2軸で活動されていたことも知ることができた。
経済学や社会学のような「社会科学」では「自然科学」のように方程式で世界を表すには限界がある。これは難しい数学理論を理解してなくても、実生活で「世界」を体験していればわかることだ。しかし、多くの経済学者は、それを理論に押し込ようとする。私は経済学は一番信用できない学問と長い間思っていたが、色々と学ぶ中で、「結構経済学も役に立つな」と思うようになっていた。事実、計量経済学の手法などは仕事でも使える。しかし、この本を読むうちに、また「経済学って意味あるのか?」と���に振れた。経済学は社会科学の中では一番数学の適用に成功して様々な理論を構築した学問ではあるが、宇沢先生の「社会的共通資本」のような地に足が着いたアイデアの実践に寄与できないようであれば、学問として存在価値がないし社会的に悪い影響しか与えないのではないか?ネオリベの思想などは多くの国で格差を広げただけだし。
現在のコロナ禍の世界(特にアメリカ)を眺めているうちに、また、この本を読むことでさらにその想いを強くするようになった。
これからの世界は、宇沢先生の「社会的共通資本」がさらに重要になる。SDGsなどはその一例だ。環境を意識せずに生きていくことはできない。しかし、経済学はそれでも環境を無視し続けるのだろうか?日本の(御用)学者や政治に1ミリも期待はしていないから日本はこのまま没落していけば良いが、せめて他国では、宇沢先生のこのアイデアに再び光を当てて少しでも実現する国が現れてほしい。
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社会科学を学ぶ大学生は必ず読んで欲しい一冊。特に経済学部と社会学部、環境やサステナビリティを学ぶの人は必読。
アメリカ経済学全盛期にその最先端を走った日本人。今現在、後にも先にも日本の経済学者として世界と渡り合えたのはこの人だけ。
宇沢弘文さんの教え子のスティグリッツといえば、日本の大学のミクロ、マクロの教科書にも使われているノーベル経済学者。そのスティグリッツや、同じくノーベル経済学者のアマルティア・センが今挑んでいるGDPに代わる幸福度の研究テーマ。
その先行研究ともいえる環境や社会の価値を経済学で扱えるようにする社会的共通資本を打ち出した人。机上の論理でなく、現実に経済学を適応させようとして、まさに資本主義と戦い続けた人。
1970年以降の新自由主義によって、人は物質的に裕福になったが、それでも幸せになれない人がたくさんいる。貧富の差は開いている。
気候変動、リーマンショック、東日本大震災、コロナショックなど、20世紀のしわ寄せが表面化する中、よーやく経済学も宇沢弘文さんの見ていた世界に足を踏み出しつつあるか?
まさに、近代日本史の教科書にして欲しいくらいな中身。
経済学の教科書、研究論文の全体から腑に落ちず、博士課程の学生を見て、企業にて続きをやろうと思った自分。後悔はないが、もっとこの方の著作には触れておきたかった。
恥ずかしながら、未来世代というステークホルダーを明確に出してきたのも宇沢さんというのを知らなかった。
後を継ぐものが出なかったことが宇沢弘文さんの凄さと悲しさを表しているように思う。
天才とは、生きているうちに世間に凄さがわからない人と私は思っている。そういう意味でこの人は本当に天才であり、努力家であり、誠実な方だったんだと思った。
今からでもこの方の著作をもっと読みたいと思う。そして、こういう本を書いてくれる、出版してくれることが、ジャーナリズムだと思う。素晴らしい一冊。
でも、大きな意味で言うとスティグリッツさんが、宇沢弘文さんの遺志を継いでいるのかもしれない。21世期に経済学が無用のものとなるか、SDGsを果たす有効な学問となるか。
子孫に幅広い選択肢と豊かな地球を残せるかは私たちにかかってる。
日本人が誇るべき人、宇沢弘文。ノーベル経済学賞に最も近かった日本人、宇沢弘文。
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佐々木実(2019)『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』講談社を読了。
佐々木実氏の丹念な取材と、文献渉猟の努力には頭が上がらない思いである。
宇沢弘文は、経済学の世界では言わずとしれた、巨人である。
ノーベル経済学賞受賞者は、口を揃えて、「ヒロは受賞に値する」と評した。
「社会的共通資本」の理論化の道半ばで他界した孤高の経済学者のあまりにも充実し、奮闘した生涯を本書は約600頁を割いて記述している。
とはいえ、本書は単なる評伝ではない。
「宇沢弘文という人物を通して、経済学の歴史を語るもの」だと私は考えている。
数理経済学の大家として、シカゴ大学や、東京大学で教鞭をとった、まさに世界をまたにかけて活躍した、世界的な経済学者Hirohumi Uzawa の、生い立ちや、人物像、思想はもちろん、
これまでの「経済学」の世の中との関わりまでも鮮やかに描き出す。
言うなれば、宇沢弘文は、経済学界のイチローである。
経済学が「人間のための学問」であるために、奮闘した日本人は、後にも先にも宇沢弘文しかいないのではないか。
主流派経済学(例えばミクロ経済学)は、合理的経済人(ホモ・エコノミクス)をその理論の前提に据えて、価格が付けられあらゆる財やサービスが「市場で取引される」世界を目指してきた。
しかし、その主流派経済学に、誰よりも秀でて、その分野で卓越した業績を残してきた男が、「内在的な批判」を展開したのである。
この世の中は、市場が中心となっているかもしれないが、「市場=市場経済」ではない。
つまり、「市場=社会」では決してないということである。
世の中は、「市場の外にある多くの部分に支えられている」。
農山村を含めた、自然環境や、地域コミュニティ、家族のつながり等、あらゆる「金銭的評価ができないもの」を前提として、市場経済が存在する。そういう、倫理的にも、理論的にも極めて正しいことを、本書を通じて学ぶことができる。
経済学をお金絡みの安い学問だと言う者は、本書を読むべし。真の経済学は、机上の空論ではないのである。
本書は、この世の中に生きるすべての「人間のため」に書かれた、宇沢弘文からの最後のメッセージであると思う。
最後に、宇沢弘文がその生涯をかけて世に投げ掛け続けた、「社会的共通資本」の定義を本書556~557頁から紹介する。
「社会的共通資本は、土地を始めとする、大気、土壌、水、深林、河川、海洋などの自然資本だけではなく、道路、上・下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設、司法、教育、医療などの文化的制度、さらに金融・財政制度をも含む。社会的共通資本のネットワークは、広い意味での環境を意味し、このネットワークの中で、各経済主体が自由に行動し、生産を営むことになるわけである。市場経済制度のパフォーマンスも、どのような社会的共通資本のネットワークのなかで機能しているかということによって、規定される。さまざまな社会的資本の組織運営に年々、どれだけの資源が経常的に投下されるかということによって、政府の経常支出の大きさが決まってくる。他方、社会的共通資本の建設に対して、どれだけの希少資源の投下がなされたかということによって、政府の固定資本形成の大きさが決まってくる。このような意味で、社会的共通資本の性格、その建設、運営、維持は、広い意味での政府、公共部門の果たしている機能を経済学的にとらえたものとなる。社会的共通資本の管理について、一つ重要な点にふれておく必要があろう。社会的共通資本は、国ないし政府によって規定された基準ないしはルールにしたがっておこなわれるものではないということである。各種の社会的共通資本について、それぞれ独立の機構によって管理されるものであって、各機構はそれぞれ該当する社会的共通資本の管理を社会から信託されているのであって、その基本的原則は、フィディシュアリー(fiduciary)の概念にもとづくものでなければならない。社会的共通資本は、そこから生み出されるサービスが市民の基本的権利の充足に際して、重要な役割を果たすものであって、社会にとって「大切な」ものである。【以下略】」
ぜひ、関心のある方は手にとって頂きたい。
「物語として経済学を学ぶ」にも、最適な一冊である。
読書の秋もそろそろ本番。大作に挑みたい方は、迷わず本書を読んで頂きたい。
そう強く思う一冊である。
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よりよい社会を実現するために研究を続けた経済学者の骨太人生を見事に描き切る。
戦後の経済学の流れも俯瞰していてとても勉強になる。
コロナ禍の今なら、どんな発言をしただろうかなど
考えながら読んだ。
宮沢喜一や後藤田正晴など、宇沢の見識を理解し
議論できる政治家がかつてはいたのに
今は・・・と軽くショックを受けた