電子書籍
仮想世界と現実世界で自閉症者と対話する
2019/07/14 15:37
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:akihiro - この投稿者のレビュー一覧を見る
自閉症の子をもつ親が「欠陥」と考えていても、当事者たちは「個性」と捉えている場合もあり、「障害」として括るのは難しいと感じました。
また、言語能力が高いタイプの自閉症もあるというのを本書で知りました。
著者と自閉症者が仮想空間でアバターを通じて対話しているのが興味深かったです。仮想空間だけでなく現実世界でも対話しています。自閉症者本人の視点と、社会学者としての著者の視点が書かれており、実例を知るための良書だと思います。
紙の本
明恵もルイスキャロルも
2019/05/24 10:52
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
多文化主義や個人主義よりもラディカルで根源的なニューロ・ダイバーシティ(神経構造の多様化)によれば発達障害も発達個性であると捉え、未知の意識の領域が幾重にも広がっている非定型インテリジェンスの世界を展開する少々興奮を誘う書。
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著者の池上英子さんは、お茶大文学部(国文学を専攻)を卒業後、フルブライト交換留学の制度で、ハーバード大学の社会学博士課程に留学した。日本に戻ることをやめて、米国で研究を続けるのは、池上さんの天邪鬼的なところもあるのだろうが、こんな風に書いている。「私の心の中には不思議な高揚感があった。自分の物の見方の殻が破れている、という感覚があったのだ。(中略)”自分の中で何かが成長している”という初期感覚があったからこそ、日米を往還しながら社会学者としてやってくることが出来たのだと思う」と。
池上さんは本著の中で、4人の自閉症スペクトラムの方との会話を通して、彼らの見る世界感を紹介している。一般に自閉症というと、言葉の発達に問題があって、内側にこもったように見える人のことを指していた、もしくは指すことが多いかもしれない。ただ、最近の研究では、知能や言葉の発達はより複雑で多様であるという意味を込めてスペクトラム(連続体)という言葉を使っている。米国の精神医学会の診断基準によると、自閉症スペクトラム障害の主要な症状は、「社会的コミュニケーションの困難」だそうだ。ただ、本著によるとこの基準は客観的に測ることが難しく、個人によって大きく異なり、かつ、臨床医学における診断基準も変容してきているという。
最近の脳科学の発達により、自閉症スペクトラムの捉え方も大きく変わってきているように思える。認知とは外界を捉える感覚器官が脳に情報を伝え、それを脳内の神経回路で解釈することともいえる。記憶も含めてかもしれない。その神経回路が人によって異なることで、世界の捉え方が異なる。確率論の問題なのかもしれないが、その世界を捉える脳神経系が少しだけ多くの人と異なる人が自閉症スペクトラムや、ADHD、アスペルガーだったりするのだろう。逆に言えば、このような人たちの世界観を読み解いていくことが、脳神経科学を解き明かすカギとなるのかもしれない。
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何が普通か、何が常識的なものの見方か、というのは、マジョリティである側が決めていることであって、物事の認知の広がりはもっと豊かな物なのだ、ということを教えてくれた一冊。
自閉症でなくても、人には考える癖、認識する癖がそれぞれ違って個性になる。そんな広がりを楽しめる余裕と好奇心を持ちたい。
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自閉症当事者は、他者とうまくコミュニケーションができないと思われがちですが、それは、インテリジェンスの形が多数派とは違うからであり、それぞれに個性的で内面に豊かな世界を抱えている人々がいるという事実を認識することは、社会全体にとってプラスになる、という指摘が印象的でした。
数々の自閉症当事者の知性に触れたことを、著者が「知性の多様性への旅」と表現していましたが、彼ら彼女らの世界観の豊かさの触れること自体を著者が愉しんでいたことが伺えますね。
著者が本書を通して、「『見え方・感じ方のマイノリティ』が、この世界を豊かにしてくれる」ということを伝えている気がして、勇気をもらえる人も多いのでは、とトシヤは感じました。
-----引用とコメント
以下は書籍からの引用とコメントになります。
「⇒☆」から始まる箇所が引用に対するコメント文です。
ニューヨークに住むようになってから、ダイバーシティ( 多様性)という言葉が創造性とリンクしていることが、身にしみて感じられるようになった。(中略)ダイバーシティは、 創造性の拡大を目指す社会にとっては積極的価値でもある。
⇒☆日本でも、多様性(ダイバーシティ)という言葉が創造性とリンクすることを実感できる機会が増えればいいなと感じました♪
自閉症はコミュニケーションや社会的相互作用の障害と位置づけられている。つまり、人との交流が苦手な人が多い。したがって、社会学者が得意とするインタビューによる調査方法や、心理学者が行う環境をコントロールしたラボでの実験などは、当事者に余計な緊張を強いることになり、なかなか深い話をしてもらえない。
⇒☆確かに、トシヤ自身も心理検査を受ける際に過度に緊張した記憶があります^^;
当事者へのインタビューやエスノグラフィーで、 私が大事にし て いることがある。 それは、彼らが、なるべく(1) その認知特性に合った自然でいられる環境において、(2) 自分らしい「言語」で、(3) 自分が大事だと思っていることを、(4) 自分のペースで時間をかけて語ってもらう、ということだ
⇒☆上記4点を定型発達・発達凸凹を問わず、すべての人が1日のどこかの時間帯で持てるようになれば素敵ですよね♪
デジタル3Dの世界を表現手段とし、自分の内部世界の地図を作り上げているラレの活動はユニークだった
⇒☆トシヤも、自分自身の内部世界の設計にユーモアをもたせようと思いました~♪
「どういうときに職場で難しいと思うの?」 「人間が一番難しいよ。お客や同僚、両方だね。いろんなことを一度に言われて、いっぱいいっぱいになってしまう」 仮想世界ではあんなに一度にいろいろなことが臨機応変にできたのに、現実世界のマルチタスクは楽ではないと
⇒☆トシヤも共感してしまいました~
ラレさんは、その二つのモードの往還を厭わない。地味な仕事を規則正しく続けながらも、仮想世界に深く没入して創造的に生きることは、勇気がいることなのだ
⇒☆自分もこのように生きていきたいと思いました!
米国では、自閉症スペクトラムの子を持つ親たちの団体は、大���な組織と財政的基盤をもち、自閉症への関心と研究を広く社会に訴える力となってきた。しかし、そのなかで自閉症のわが子をなんとか「治癒」したいと熱望する親たちと、自閉症を「アイデンティティ」と捉える当事者本人たちとの立場の違いが、次第に明らかになってきたのだ。
⇒☆日本でも既に起こっている現象かもしれませんね。
まずは、社会的な交流の最中に感情的な負荷がかかりすぎてしまう場合。もう一つは、インプットされる感覚情報が過剰になり、そのために情報を処理しきれず感覚飽和になってしまい、自分のコントロールが不可能になってしまう場合だ。もちろん多くの場合、この両方が同時に起きる。
⇒☆パニック発作が起こる原因についての自己分析になりますが、トシヤも同じような経緯でパニックになることがあります。
定型者は、言葉そのものだけでなく、話し方や表情で話者の本当の意思を探るという、コミュニケーションの癖がついているから
⇒☆今更ながら(笑)、トシヤは「定型発達の人はそうなんだ!」とこの文章を読んで気づきました…
子どものときは大阪のおばちゃんのように、抑揚が大きく表情やジェスチャーも豊かに話す人が苦手で、こう言っていたという。 「その度に言い方や顔つきが変わるし、笑ったりしたら、目の下の影の濃さや顔のしわの長さが変わる。その情報を一つずつ処理せなあかんから、しんどいねん」
⇒☆トシヤも、大阪のおばちゃん的な人が実は苦手^^;
私の知性の多様性への旅のなかで、紗都さんという透明でまっすぐに伸びつつある知性に出会えたことは、私の心をあたたかくしてくれた。
⇒☆「知性の多様性への旅」というのは、素敵な表現ですよね
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発達の多様性を理解する上で、とても親しみやすい一冊だった。
自分の枠組みだけで考えていることは、何て視野の狭いことかと思い知らされた。
発達の特性を持つ少数派の人達が、現代社会で生きづらさや弾かれやすくなっているのは、あくまで特性を持つ人達が今、少数派だからであって、その人達が多数派になった社会では、それが“普通”とか“当たり前”って言われるようになる。
フラットに広い視野で物事を捉えられるようになりたいと改めて思った。
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自閉症スペクトラム障害の人すなわち
非定型インテリジェンスを有する人たちの
能力や才能にアプローチするために、
著者が仮想空間のセカンドライフの障害者の
アバターが集うコミュニティに参加し
まずアバターを介して非定型の人たちと
コミュニケーションをはかり、その後実際に
会ってインタビューをしたものをまとめた本。
お金を稼ぐために働くことには困難を抱える
人たちはとても知的であり、ユーモラスに
自分の世界、感性を発揮して自分なりの
自由な世界で生きていく様が書かれていた。
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三者三様の自閉症あるいは発達障害が語られ、彼らが持つ「知性」が語られる。彼らの持つ知性を語る言葉はそのままいたずらに発達障害者の天才性を称揚するだけで終わらず、定型発達者の持つマジョリティとしての感性への異論/カウンターとしても指摘されている。だが、発達障害者と定型発達者の間に溝を無闇に作ることなくこの世界のあり方に一石を投じるスタンスは良識的で、この著者の知性としなやかさを感じさせる。良識的であるがゆえに地味な本なのだけれど、それでもこうした本がリリースされることは発達障害を考える上で試金石となるだろう