紙の本
子育ての歴史
2017/01/15 02:28
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投稿者:でぃー - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人のしつけは衰退したかというタイトルの本書。この本は、教育について社会学的に考察したいという者だけではなく、子育てについて一人で悩んでいる人にとっても救いとなる一冊であると思われる。家庭において母親に求められる教育する力や学校に過度に要求する、いわゆるモンスターペアレントなど、現代における教育を語る上で、歴史や社会から考えていく意義は大きい。
紙の本
大正・昭和初期の子どもに対する家庭教育を検証した良書!
2016/06/22 09:03
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投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、大正から昭和初期にかかて顕著になってきた新中間層の子どもに対する家庭教育の状況を再考したものです。筆者によれば、この時代の家庭教育は「童心主義」、「厳格主義」、「学歴主義」といった3つの主義の対立と矛盾という形でとらえるのではなく、こうした主義がお互いに重なり合って、「完璧な子ども」の育成のために各家庭が努力していたと捉えられるべきではないかと説いています。古い時代の家庭教育について知る画期的な書です。
紙の本
常識が破壊されるのを見る快感
2001/10/03 12:45
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る
僕は親馬鹿だ。「娘に甘い父親」のイメージに「体力不足なのでときどき娘よりも先に寝たり、疲れると、遊ぼうっていう娘の催促を無視して寝たりする」を足すと、ちょうど今の僕になる。二歳の娘よりも寝るっていうのも格好悪いけど、それは措いといて、問題はしつけだ。甘い父親は当然しつけも甘いわけで、娘が食事中に歩き回れば、スプーンと箸を持ってあとを追いかける。テレビやビデオが見たいっていったら、もちろんオーケーして、一緒に見る。そして、あとから「これでいいんだろうか」って反省する。しつけたい気がないわけじゃないけど、娘の自発性を尊重したい気もするし、揺れる親心。その一方で、青少年犯罪をめぐって「近頃の若い者の家庭のしつけはなっとらん」って叫ぶ意見をよく耳にするようになって、僕の混迷は深まるばかりだ。
この本の著者の広田さんは、家庭の教育力は低下してるっていう「常識」(九ページ)に対する疑問から、明治維新後のしつけの歴史を振り返った。第二次世界大戦前の農村部では、しつけをしてたのは家庭じゃなくて共同体(むら)だった。家庭にとって子供は労働力だったし、子供は放ってても育つと考えられてた。もちろん共同体のしつけには、放任しすぎるとか、余所者は対象から除外するとか、しつけの基準がローカルで閉鎖的だとかっていう問題点があった。大正期の都市部では、サラリーマンなどの新中間層が出現した。彼らは、家庭は子供のしつけの主体であり、子供は教育の対象だって考えた。戦後しばらくはこの二つのしつけ論が共存してたけど、高度成長期に入ると、農村部では青少年流出や農業兼業化や挙家離村が進んで共同体が弱まり、しつけを担えるのは家庭だけになった。一九七〇年代に入ると、都市部でも農村部でも、父兄の富裕化や高学歴化や情報化や少子化が進み、学校に対する家庭の発言力が大きくなった。こうして、共同体にも学校にもしつけを委ねない「教育する家族」が完成した。家庭の教育力が低下したっていう「常識」は間違えてる。こんな常識が広まってる背景には、しつけの全責任を家庭が担うから関心が高まった、しつけは家庭ごとに違う、モラルの基準が世代毎で違う、自主性を重視するしつけや家庭のあり方が孕むディレンマ等等、色々な理由がある。それじゃ僕らが今しなきゃいけないことは何か。それは、広田さんによれば、家庭やしつけのあり方は多様だってことを認識すること、非行としつけの関係を冷静に分析すること、そしてしつけの限度をわきまえること、この三点だ。
この本のメリットは次の三つだ。第一、世間にはびこる「常識」に疑問を持ったこと。広田さんといえば、「最近は青少年犯罪が凶悪化してる」って主張に疑問を持ち、統計的な手続きを踏んで徹底的に批判したことでも知られてるはずだけど、疑問を持てることってやっぱり一種の才能なんだろう。第二、きちんとした手続きを踏んで、「常識」が正しいかどうかを検証したこと。ここまで丁寧にしつけの歴史を分析されると、「常識」が錯覚や誤解にもとづいてることがよくわかる。第三、「常識」を生み出した原因を考慮したうえで、僕らがしつけに悩まないための処方箋を提示したこと。つまり、しつけには大したことは期待できないって考えること、完璧な親になろうって考えないことが大切なのだ。こう考えると、たしかに気が楽になってくる。肩の力が抜けてくる。
もちろんこの本には問題点もある。学校としつけの関係の歴史を十分に説いてないこと。提示する処方箋がわりと精神論的で、いまいち具体性に欠けること。でも、いいのだ。僕はこの本を読んだおかげで「親馬鹿でいいんだ」って思えるようになったのだから。もちろん「しつけはやーめた」って考えてるわけじゃないけど。
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日本人のしつけは本当に衰退したか??筆者論には衰退してはいないと書かれているが…よく読むと…。ってまぁね、考え方が違えば基準も違うわけですよ。
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この本を読んで思った。「マジでしつけは衰退してんのか!?」でもいろいろ文句のつけどころも…一度は読むべし?
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実際には日本のしつけは衰退したわけではないことがわかる。
もともとの日本のしつけは非常に程度が低く、現状が最も高いようだ。
そもそも家庭内でのしつけはされておらず、ほとんどの場合無しつけで、たまにコミュニティによって出るもの杙打たれる方式でしつけが行われていた。
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とても参考になりました。家族史にも触れられていて、これから教育を考えていくヒントになりました。たくさんの文献が紹介されていたので、興味を持てたものを読んでみようと思います。
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「昔のしつけはしっかりしていた」というのは極めてあやしいということを順を追って冷静に検証していく書。家庭の形は多様であるから現在の社会問題が親の責任が原因なのか冷静に検討し直す必要があると結んでいる。
メディアに簡単に踊らされてしまう私たち。本当の問題をきちんと見抜くことが出来なければ情報に飲み込まれてしまうんだろうなと怖くなった。
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マスコミや世論で語られている「学校の教育の崩壊」「しつけの崩壊」がどのようなメカニズムで起こるのかの一考察が語られていると思います。もちろんこれが全てではないとは思いますが。序盤は少しつまらないのですが終盤非常に面白い論の展開が見られます。読む価値はありですね。
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しつけ本を読むなら、その前にこの本を読んだ方がいいかも。良かれ悪かれ人はしつけを受けて、今があり、先入観や、予備知識を持たない人はいない。だから、これを読んで、世にある「しつけ」というものを、一度ただしく認識するべきだと思う。
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「新しい時代を拓く心を育てるために」(1998)という、有名な中教審答申がある。サカキバラ事件を発端とした、心の教育ブームの火付け役である。
この答申では、日本の現状は「家庭の教育力が低下してきている」「父親の存在が家庭になくなってきている」「家庭のしつけが衰退している」状態であるという。
世論調査でも、こうした現状認識がされているようである。
少年事件が起きると、学者・文化人・コメンテータが常識のようにマスコミで語るイメージである。
しかし、こうしたイメージは正しいのだろうか。
本書は、これらの命題を問い直すことを目的としている。
「当然だ。常識だ」とされている前提を疑ってみる、という習慣をつけたいと思う。
どうして「青少年の凶悪犯罪の増加している」と思われているのか。
テレビがそう言うからでしょう。
テレビというメディアはいつも事実に基づいたのメッセージを発信しているわけではない。
本書のようなメディアを通して社会を見ることも必要なのではないだろうか。
本書が絶対に正しいとは思わない。
思い込みに負けずに、自分で考えることを学びたい。
1.家庭の教育力は低下しているか。
→歴史的考察から、「昔」より現在の方が家庭は教育力を持っている。
2.家庭の教育力低下が、青少年の凶悪犯罪の増加を生みだしている。
→青少年の凶悪犯罪は減少している。
3.家庭の教育力を高めることが、現在求められている方向である。
→現在は、子どもの教育への最終的責任を家族が一身に引き受けざるをえなくなっている。
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[ 内容 ]
礼儀正しく、子どもらしく、勉強好き。
パーフェクト・チャイルド願望は何をもたらしたか。
しつけの変遷から子育てを問い直す。
[ 目次 ]
●「家庭の教育力」は低下した?
●「村のしつけ」は幸福なものだったのか
●「教育する家族」の登場
●童心主義・厳格主義・学歴主義
●高度成長は何を変えたか
●地域共同体の解体と家業継承の終わり
●親の自己実現としての子供の成長
●「教育する家族」の呪縛
●しつけの担当者は家庭か学校か?
●「しつけの衰退」という物語
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[ 参考となる書評 ]
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出版社/著者からの内容紹介
礼儀正しく、子どもらしく、勉強好き。パーフェクト・チャイルド願望は何をもたらしたか。しつけの変遷から子育てを問い直す。
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世間を賑わす少年犯罪が起こるたびに、訳知り顔のコメンテーターたちは「昔は家庭のしつけが厳しく、こういう事件は起きなかった」、「最近の親は子のしつけに無関心」などとメディアで発言するが、そういった言説の虚を突くのが本書。
著者は明治時代など、主に戦前の史料をもとに、以下のような主張をする。
・旧来のしつけ観を残す山村地帯の家庭のほうがしつけを学校に依存する傾向が強いこと
→村でのしつけは目上の者への忍従・隷属。村の掟に従わない者は村八分という、封建的・排他的なもの。今では考えられない、人身売買もあった。
・親がしつけの主体となる傾向は、大正時代に入ってから見られるようになったこと
→学歴主義もこの頃から見られるように。
・「学校は要領だけ良くて自分の殻にこもりがちな子を作っている」という言説は戦前からあったこと
・「昔は良かった」という言葉には、誇張と歪曲が多い
→意図的にしろそうでないにしろ、現在の風潮をけなして抽象的な「昔」を賛美する傾向が昔から顕著です。例えば昔から頻繁に言われる「若者のモラル悪化」の言説も大抵は、具体性や実証性に欠ける年寄りのやっかみだと思う。
今流行りの「体罰をしなくなったから子供が調子に乗っている」論も信用できない。1879年の学校令で禁じられていたのに?昭和の戦争期や戦後間もない頃は頻繁に行われていたそうだけど。
以上のことから、結局、現在のほうが親の子に対する配慮が強くなっていると言える。幼い頃からの教育に熱心な傾向から、昔より子の将来を心配していることが分かるだろう。「しつけ」という言葉が頻繁に取り上げられることも、人々の子供への「しつけ」に対する関心の高さを物語っていると思う。
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タイトル通り、日本人のしつけ観をまとめた一冊です。
大まかな流れとして、子供のしつけの責任所在は
①周囲の環境
②学校
③学校と家庭(主に親)
④家庭(主に親)
と変遷してきたようです。
その背景には高度経済成長による貧困層の縮小及びそれに付随する親たちの余暇時間の増加
としています。今の親たちはしつけがなっていない、等の世間的イメージや、
昔は良かったとする懐古主義を否定し、
寧ろこんなにも教育熱心になった親たち(子供のしつけは親に責任がある)が
『熱心にならざるを得ない』逼塞した状態になっていると反論しています。
少年の凶悪事件についても、マクロ的に見れば激減していて世間が過剰反応を起こしている。
また凶悪事件も昔から多数存在していたと報告しています。
道徳教育や教師の質の問題等、その問題の捉え方を根本から覆す様は痛快そのもので、
橋本元総理や安倍元総理の教育改革に対し、
言明はせずも暗に否定しています。
この点に関しては山岸俊男氏と共通するものがあり先駆的です。
総じて面白い。
歴史の変遷を踏まえて発言しないと、言葉に重みが無いなぁ~(政治家に対して)と思いました。
歴史を学ぶって、こんなにも重要だなと感心させられました。
内容も良く、新書と呼ぶに相応しい一冊です。