紙の本
科学と政治
2022/04/22 14:34
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦時中の一九四四年にあった大地震・津波を題材に、祖父の地震津波研究所を孫世代がたどり、戦時下の言論統制、表現の不自由、科学を無視した政治に疑問を投げ掛けるミステリー。
十津川警部はほぼ登場せず、ミステリーとしての面白さはいまいちだが、著者が言いたかったことはとても伝わる内容。
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〇現代に自殺を遂げたフジタ家の末裔の抗議の死。表現の自由を訴える作家の矜持もうかがえるか
フジタ浜名湖地震津波研究所が焼けた。夫・武の決意の自殺に気づいた美里は、夫が引き継いだ武の祖父・徳之助の告発文を読み始める。
藤田家は、先祖代々浜松に根を下ろしもともとは魚を大名屋敷に届ける仕事だったが、戦争になってから、その運命は変わることとなる。
祖父・徳之助のころは、ときは太平洋戦争。船が徴収されたときと前後して水産加工会社を作るも、それも国に軍需工場として買収される。
ちょうど時を同じ折、静岡県沖にやってくる地震や津波について問題意識を持っていて「フジタ浜名湖地震津波研究所」を建てることとした。
徳之助は研究所での成果をふまえ、住民へ津波・地震に関する啓もう活動を行うが、しかし、徳之助は軍部から活動を停止させられた。それに反発した徳之助や、武の父に当たる健太郎は、必死に街の様子を記録し続ける。
「現代の科学」という雑誌に考えが掲載できることになった徳之助。では、なぜ武が引き継ぐような告発文を書かざるを得なかったのか??
***
表紙には「十津川警部シリーズ」と書いてあったが、一行くらいしか十津川警部の文字は見当たらない。
ほとんどが、美里が読んだ告発文ーー武、健太郎、徳之助が守り続けたーーの内容を語りだす形式で話される。
筆者として、文化人として、あるいは文学に生きた人間として、あるいは戦争を生きた人間として、書かざるを得なかった、おそらく書きたかったではなかったのかもしれないテーマだったと思う。
戦時中における文学・報道表現は、戦意喪失の名のもとに著しき規制が敷かれた。わたしの知っている限りでも、芥川賞作家の石川達三『生きている兵隊』は、まさにその一例だと思っている。(もっと有名な人もいるのだと思うが、個人的な興味があり最もはやう触れた当時の文学がこれだった)
そのようなことを思い返しながら、筆者はフジタの名を借りて表現したのだとも思う。
フジタ一家が実在していたとしたら、あの時代にあって、体制に屈せず、人々を救うことだけを信じ続けて地震・津波の怖さを唱え続けた勇気に敬意を表したいと思う。