紙の本
共感と愛。
2021/01/02 01:12
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投稿者:ゲイリーゲイリー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本作の主人公であるユンジェは怒りや恐怖を感じることが出来ない。
そしてもう一人の重要な登場人物であるゴニは、不遇な幼少時代の影響により周囲とうまく溶け込むことが出来ない。
本作は、そんな彼ら二人の友情と成長を通して、共感することの難しさと愛の大切さを描いている。
物語はユンジェの目線で語られていく。
彼が見えている世界、つまり感情というバイアスを取っ払った無駄のない淡々とした文体で物語は語られる。
そのため、彼以外の登場人物が彼にぶつける感情がより一層際立ち、我々読者の胸を打つ。
感情を抱くことが出来なくとも、他者の感情を理解しようとするユンジェ。
ゴニに先入観を抱くことなく、レッテルを貼り付けずに真っ正面からと向き合った彼の姿勢は見習うべきだと強く感じた。
ユンジェのとった行動こそが、人と人とが本当に互いを理解できる唯一の方法なのだと思う。
誰もが口先だけの共感を示し、自らの感情だけを優先している昨今だからこそ、本作はより多くの人に読まれるべき一冊であろう。
酸っぱさと苦さ、しょっぱさと甘さ、様々な味を含んだすもも味のキャンディの様に、未来や人生も多種多様な要素が含まれている。
そんな複雑なことが待ち受けているからこそ、やれ悲劇だの喜劇だのと白黒はっきりつけようとするのではなく、
全てをあるがままに受け入れる大切さを本作は教えてくれる。
そしてそんな人生だからこそ、いかに愛が素晴らしく貴いものであるかを本作から是非感じてほしい。
紙の本
感動作と名高いが...
2022/12/25 20:06
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投稿者:yy - この投稿者のレビュー一覧を見る
本屋大賞1位の感動作と聞いたので読んでみましたが、私にはハマりませんでした。何というか、漫画ワンピースが好きな人にはハマるのかも。
紙の本
アーモンド
2020/10/31 11:02
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投稿者:なま - この投稿者のレビュー一覧を見る
ソウル出身のシナリオ作家でもある作者が、怒りや恐怖を感じることができないユンジェという少年を主人公に物語を完成させています。他人の感情がわからないというのは、どういったものなのだろうと思いながら読みました。
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生まれつき脳内の扁桃体(アーモンド)が小さく、怒りや恐怖といった感情をもてない少年が主人公。その特殊な症状ゆえ、からかわれ、蔑まれる彼の成長譚だが、本人の一人称で語られるためか妙に客観的だ。このあたり、うまいなと思う。本書のもう一人の主人公は少年院出の暴力的な少年で、主人公とぎこちなく友情を育む姿は応援したくなる。韓国文学は初読みだが、映画や音楽と同じようにもっと紹介されるといいと思う。両国の将来のためにも。
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「道端の石ころを見てみろ。何も感じられない代わりに、傷つくこともないだろ」
生まれつき扁桃体が人より小さく、喜びも悲しみも愛も恐怖も感じることができない16歳のユンジェは、感情が分からないが故にいつも無表情。
道端の石ころのように何事にも共感することもなければ傷つくこともない。
「普通」とは違う。
自分達と違う反応を示す、いつも無表情なユンジェは学校でも孤立する。
どこの国でも異物を排除する気質は同じ。
多数決で「普通」の範疇を決めつける。
相手の感情を読み取れないため却って、裏表のないストレートな言葉を相手に発するユンジェ。
それ故、物心つかない内に両親とはぐれ不良少年となったゴニの頑なな心も解せたのかもしれない。
そしてユンジェにとってもゴニとの出逢いと関わりが精神的な成長を促す。
ユンジェを「世界で一番かわいい怪物」と呼ぶ祖母と、息子が社会で苦労しないように様々な訓練を施す母親。
この二人の無償の愛に包まれたユンジェは、たとえ頭の発達の仕方は「普通」と違っていても、心の発達は愛に溢れた充実したものだった。
ユンジェがそれらの愛を理解したのが「普通」の人より遅かったとしても。
真心は知能に勝るのかもしれない。
「僕はぶつかってみることにした。これまでもそうだったように、人生が僕に向かってくる分だけ。そして僕が感じることのできる、ちょうどその分だけ」
ユンジェの一歩は「普通」の人の一歩とは違う。
けれどその一歩は、ユンジェ自身が創りだした確かなものだ。
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怪物、出来損ない、腐れ女。
文字だけ見ると酷い悪口だけど、この物語の中では、一方的な決めつけや抑圧からその人を解放する呼びかけとして、愛情をこめて使われている。
私たちの日常において、言葉というものが、いかに辞書的な意味と裏腹か。
言葉だけじゃない。意思も、行動も。
それに応じて生じる感情も。
優しさに傷つくこともあれば、暴力や裏切りによって救われることもある。良い悪いではなく。
著者の方は映画の仕事をされてるということで、淡々と描かれてはいるけどダイナミックな展開。
冒頭から引き込まれて、一気に読んだ。
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失感情症を持って生まれた男の子は、シングルマザーの母と口うるさい祖母と3人で、平和に暮らしていた。
通り魔に襲われ、祖母は即死、母は植物状態になる。
感情を持てない少年は、周りの不理解の中で、孤立するが、悲しみも苦しみも感情というそのものを持たない。
そうしてるうちに出会う不良の少年や陸上を愛しながら両親に理解されない女の子、母親が営んでいた古書店のビルの大家の元医者など、出会いと関わりの中でゆっくり人生が動き始める。成長の物語。
設定が面白いが、文章の中で、失感情症という表現が徹底していないようにも感じる。
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20190901 感情が無い人と感情過多の人が必然的に出会う。足して割る話ではなく、あるべき状況について苦しみながら近づく。行き着く先は人間とは?というところなのだろう。読んでいて共感より痛みを感じた。
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「僕は初めて人間になった」
その一文が到底理解できないもので、この作品への違和感がはっきりしました。アレキシサイミアは実在する情緒的障害です。生まれつきや育った環境下によるトラウマ等で感情を感じにくいとのことですが、それはいわば生まれつき手足のない人や目や耳が不自由な人と同じく、その人の個性ではないでしょうか?感情というものを理解できるようになって、初めて人間になった、とは、感情を理解できないのなら人間ではないということですか?ユンジェの皮肉表現ならともかく、到底許せない表現です。感情を理解しにくい、という個性に対して、「感情を理解できるように」努力する、というアプローチが、あなたはあなたのままありのままで良いという前提から出発していない。それが私の最大の違和感あり、私の考えに反する部分です。(私の読み方が足りず、著者の意図しないニュアンスの受け止め方だったのなら、申し訳ないですが、、、)
そして、テーマである「共感」という言葉。誰もが同じ事象に対して同じ感情を持つ訳ではないし、こういう感情を持つべき、という定めもありません。人はありのままに感じ、思想する自由があります。ある事象に対して感じ方へ制限をかけるようなニュアンスが本書の「共感」には感じられるのです。そしてその感情に対する最適解があるように受け取れる。共感の不足ではなく、その不自由さが、訳者があとがきに書いているようないじめや虐待につながる一つの要因なのでは?と、大袈裟なようですが、感じました。
これがベストセラーだなんて、少し悲しくなってしまいました。私の読みが浅いだけなのかしら、、
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扁桃体(アーモンド)が人より小さく、怒りや恐怖を感じることができないユンジェ。
母が願う「普通の子」になれるのか。
しかし、目の前で起きた祖母と母の悲劇に対して、何の感情も抱くことはなかった。
ユンジェを優しく見守る、シム博士。
P161
「君は白紙と同じようなもんだ。悪いものじゃなくて、いいものをいっぱい詰め込む方がいい」
ユンジェにそっと語りかける。
いろいろな出会いが大切。
それは、大人が眉をひそめる出会いだとしても。
ユンジェの視線で淡々と、静かに進むストーリー。
幅広い年代の人に届くことを願う。
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私たちは身体の中にアーモンドを持っている。
偏桃体というのが、それ。そして、それが生まれつき小さいため、「感情」がわからない少年ユンジェが主人公。彼に一生懸命「感情」を「覚えさせよう」とする母親の努力、すごくわかる。
子どもが他人と違う、ということは親にとってものすごい不安であり不満である。それをうめようと必死になる。そんな母親とは反対にあるがままの彼を受け入れ「かわいい怪物」と呼ぶ祖母。そんな二人の肉親が彼が15歳の時に目の前で通り魔に襲われる。その瞬間を目の当たりにしてさえ彼には恐怖も悲しみも、そして痛みを伴う何の感情も生まれない。それが悲しい。
そんな彼を徹底的に攻撃してくる同級生、ゴニ。彼もまた別の意味で感情をコントロールできない少年である。全く正反対に思える二人の放課後のやりとりが不器用ながら微笑ましくて、このまま少しずつ「友情」をはぐくんでいくのか、と思っていたのだが…
2人の怪物の物語を読みながら、私は、私の身体の中にあるアーモンドによって様々な感情を呼び起こされる、そして涙を流す。
自分と違う誰か。誰かと違う自分。あたりまえのことに躓いた時、アンジュの透明な目を思い出すだろう。
できればまだ若い怪物たちにこの本を読んでほしい。
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“怪物”という言葉にも色々な捉え方がある。人の気持ちが表と裏で違う事があるのと同じように。人間には喜怒哀楽があり、それを表現することが考えなくても出来て、それが当たり前だと生活をしていたけれど、当たり前ではない。その当たり前とは違う人が現れた時に排斥するのは間違っていると感じた。目に見える形でなくとも、人は皆心の中に怪物を抱えていてそれが目で見えるかどうかなのかと思う。怪物を見つけた時に、私はどうするのだろう。自分と違うからとか、常識と違うからというだけで否定する事なく黙って受け入れられるようになりたい。
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途中まで実話かな?と何度も何度も思いながら読んだけれど、ラストで物語と納得し、後書きで著者が映画監督であり、シナリオ作家でもあると知り、さらに納得。
つまりとてもリアルさがあり、映像が浮かび上がってくる作品だった。翻訳されていても。
ゴニが自分に対する周囲の目によって暴力や犯罪の世界に追い詰められていく叫びは、胸を打つ。粗暴な人を信じるのは確かに楽ではない、だけど安易にレッテルを貼る大衆が粗暴な世界の形成をしているのではないかという著者の見解を感じ、なるほどと思った。
高校生活初日の担任のとった偽善行為、ユンジェが5月は季節の女王ではなく、1番要領が良いだけの月で、冬から春に変わる芽吹きの時こそがエネルギーを使い変化が大きく大変で、素晴らしいのではないかと述べる下りは、著者は、言葉だけで何もしない人や社会を嫌う人なのだと思うと共に、著者の物事の本質を見るを目にの痛快さを感じた。確かに5月は役得かも(笑)。
「三十の反撃」も読んでみたい。
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感情がわからず、恐れを感じないユンジェの一人称で、この物語は淡々と語られる。
母には普通を装うように感情や対応のパターンを教え込まれるが、彼はそれを是としない。必要とする意味が理解できない。
怪物と呼ばれ、ひどい事件に巻き込まれ祖母を亡くし母と離れ、学校で孤立するユンジェ。彼はそのつらさに悲しむこともなければ、理不尽な出来事に憤ることもなく、理性的に淡々と時を過ごしている。それゆえに読み手は空白となった空間に自己の感情を投影してしまう。
ユンジェが寄る辺のない状況で、ゴニと名乗る少年と出会ったことで、事件が起きる。
何をどう書いても、陳腐な説明にしかならない。物語の説明はたぶん退屈なだけだ。ユンジェの平易な目線、出来事に対する観察眼。そして人に対する行動が、静かで、あまりにも美しくて胸に染みる。
この作品がデビュー作とのことだが、また別の作品も読みたい。
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友人の子供がアレキシサイミアンのような傾向があるときいていたため、何かのヒントになればと思い購入。 あとがきにもあるようにアレキシサイミアであるユンジュの視点のため、簡潔で淡々としていている。話も結末もありきたりに感じられ、それこそ行間を読む必要がない。
大きな不幸やドラマチックな展開があり、かつ深い愛で育てられたため奇跡が起きたという話?展開が早く単純すぎるためか感情移入が難しかった。外国の本を翻訳したものを読むからそうなのか?分からない。