映画を観に行こう
2016/03/04 08:22
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投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第88回米アカデミー賞が発表された。
「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(監督ジョージ・ミラー)が作品賞を逃したものの最多の6冠ということで話題になっていた。
作品賞は「スポットライト 世紀のスクープ」(監督トム・マッカーシー)。この作品は脚本賞との2冠である。
作品賞にノミネートされた作品を見ると、脚本賞にも同時ノミネートされた作品が多い。
やはりいい作品にはいい脚本があるという証でもある。
脚本家を目指す人にとって話題の一冊となった『SAVE THE CATの法則』の著者ブレイク・スナイダーがその続編として書いたのが、この本である。
原題は「SAVE THE CAT! GOES TO THE MOVIES」(映画を観に行く)。
つまり、前作でスナイダーは10のジャンルと作品の構成について書いているのだが、この本では具体的に実際の映画で読み解いていこうというのだ。
10のジャンルを忘れたって。OK! じゃ、もう一度。(こんな文体でこの本は翻訳されてるんだ、わかりやすいだろ。
家のなかのモンスター、金の羊毛、魔法のランプ、難題に直面した凡人、人生の岐路、相棒愛、なぜやったか、おバカさんの勝利、組織のなかで、スーパーヒーロー、どうだい。思い出したかい。
それでそれぞれのジャンルで事例として挙げられている映画は、もちろんこんな映画知らないなんていう作品もあるけど、「タイタニック」や「エイリアン」、「ダイ・ハード」に「ライオンキング」なんていう、きっと多くの人が観た有名な作品もあって、日本の読者にも十分楽しめるようにできているのが、うれしい。
この本の中でスナイダーが何度も書いている言葉ってわかるかい。
それが、これ。「あらゆるストーリーは変化について語るものだ」。
映画によっては大変わかりやすい変化もあるし、中にはどこが変化なのかわからないという作品もないではない。
それは脚本がよくないのか、観客である私たちがその変化に気がつかないか、そしてそんな作品に限って変化に気づいた観客は絶賛するんだろうな、どうかだ。
この続編もめちゃ楽しめるゼ。
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①家の中のモンスター
すべてのモンスター映画を成立させているのは"罪"
罪悪感は恐怖を格段に濃厚にする
要素 モンスター、家、罪
"半人前" 以前にモンスターと遭遇した生き残り、あるいは事前に悪についての知識がある で、その際ダメージを負った。半人前によってモンスターの神話を明かし、モンスターと対決するとどういうことが起こるのか、主人公にヒントを与えることができる。この半人前キャラクターの多くは、"すべてを失って"で死ぬことになり、それぞれのストーリーにおける不完全な指導者として、自らの死によって警告する
1. モンスター超自然的なパワー たとえその力の源泉が狂喜であっても を持ち、その本質は悪
2. "家"閉ざされた空間を意味し、家族という単位でも、町全体でも、あるいは"世界"でもない
3. "罪"誰かが家にモンスターを連れてきた罪を負っている、その罪科には無知も含まれ得る
②金の羊毛
要素 道、チーム、報酬
主人公にははっきりとした目的地があって、彼らの旅の地図が書けるか?
金毛を興味深くしている一面は、主人公たちが自分たちが探していた金などはもうどうでもよく、友情という真の金塊に比べれば色あせていることを学ぶ点だ
1. 道。これは海、時間、あるいは通りを渡るだけ、などでも可。それが成長の境界線となっていればいい。たいていは旅を停止させる"道端のリンゴ"が転がっている
2. 主人公の道案内として必要な"チーム"、あるいは相棒。通常、そのメンバーは主人公に欠けているもの、スキル、経験、姿勢、などを備えている
3. 目的となる"報酬"。これは帰郷、財宝の獲得、生得権の再獲得など、原始的なものであること
③魔法のランプ
願い、魔力、教訓
主人公に魔法を授けられるのにふさわしい存在にするには、どんな"魔法のランプ"ストーリーでも"願い"にどれだけ説得力があるか
この世には、二種類のストーリーしかないという説がある。助けの必要な負け犬が主役に"自信を与える物語"と、お仕置きの必要な成功者に"天罰を下す物語"
"魔力"はユニークで、今までに見たことのないようなショットを生み出し、そして、制限がなくてはならない
魔法を思いついたときには、"諸ルール"と呼ばれる限定のセットを作っておく必要がある
大半の"魔法のランプ"映画が描いているのは、一周回って振り出しに戻ること。しかし、一度ファンタジーの飛翔を経験しなければ、人生を肯定するという変化は決して起こらなかったのだ
教訓を得ることの大きな部分は、それはあらゆる"魔法のランプ"映画に共通するのだが、主人公が魔法なしでやることを学ぶ、第3幕のビートだ
聞き役
すべての"魔法のランプ"物語が説くのは、自分自身を信じることのパワーなのだ
1. 主人公が求める、あるいは誰かから頼まれる"願い"と、普通の状態から脱しなくてはならないことの必要性が明白であること
2. "魔力"という非合理的なものを成立させるために、我々は"諸ルール"を守ることで合理的であらねばならな���。たとえどんなに"盲信二段重ね"を使いたくなっても
3. "教訓"、何を願うかにご用心! それはあらゆる"魔法のランプ"映画を貫くテーマであるから
人生はあるがままでいいもんだ
④ 難題に直面した凡人
1. "無垢な主人公"が望みもしないトラブルに巻き込まれ
2. "突然の出来事"に警告もなく引きずり込まれ
3. "生き残りの試練" それは生か死かで、主人公は全身全霊で挑んでいかなくてはならない
凡人が直面しなくてはならない問題とは、大問題が望ましい。"生か死か"でなくてはならない
⑤ 人生の岐路
1. "人生にかかわる問題" 思春期から中年、死に至るまで、これは我々みんなが理解できる普遍的な岐路で
2. それを解決するのに"間違った方法" たいていは苦しみから目をそらすためで があり
3. 解決策は主人公がずっと抵抗してきた過酷な真実の問題の"受容"にかかっており、変わらなくてはいけないのは周囲の世界ではなく自分だと、主人公が知ることである
⑥ 相棒愛
不完全な主人公、彼/彼女が人生を完全なものにするために必要な"片割れ"、二人を引き離している"複雑な事情"- 実はその力こそ二人を結びつけているのだけど
両手打ち 両方のキャラクターが変わって成長する
三手打ち 間違った相手の下を去って正しい相手の下へ向かう cf.三角関係
1. 肉体的、道徳的、精神的に何かが欠けている"不完全な主人公"の物語である。彼は完全になるために他者を必要としている
2. 完成をもたらす、あるいは、三手打ち(三角関係の物語)、四手打ち(二組のカップルの物語)の場合は主人公(達)が必要とする資質を備えている"片割れ"の存在
3. "複雑な事情"。誤解でも、個人的あるいは道徳的視点でも、歴史的大事件でも、上から目線の社会批判でもいい
⑦ なぜやったのか?
1. 最初はすべてを見たと思っているのだが、その後予期せぬものを発見することになる"探偵"
2. その探求が全状況の存在理由となる"秘密"
3. 秘密を追う中で主人公が自分自身あるいは社会のルールを破り、自ら犯罪の一端を担うことになる瞬間である"暗雲"
事件内事件 最初の犯罪へ戻り、それが探偵にとってどんな意味を持つのかを発見することによって、我々は本当のストーリーが最初から始まっていたことを知る
1. "探偵"は変わらない。我々が変わる。ただし、彼はあらゆる種類のサツであり得る。プロからアマチュア、想像上まで
2. 事件の"秘密"はあまりに強烈なので、金、セックス、権力、名誉などの世俗的な誘惑を凌駕する。我々は知らなくてはならないっ!それは<なぜやったのか主人公>も同じ
3. 最後に、秘密を追う中で"暗雲"が立ち込め、探偵はルールを、自分自身のルール -往々にして、自分の身の安全のために長年守ってきたもの- でさえ破るだろう。秘密の引力はあまりに強力なのだ
⑧ おバカさんの勝利
1. 1人の"バカ"、見過ごされている男、あるいは女は、たいてい自分自身の持つパワーをよくわかっていない
2. バカが挑戦に立つ、あるいはたいていの"水から上がった魚"ストーリーのように、送り込まれて関わること��なる"権威"
3. 天与のように思える事情によってバカにもたらされる"変質"。ここにはしばしば"名前の変化"も含まれる
インサイダー 利口な奴、バカと競っては、因果応報で、その洞察力の底の浅さの報いを受ける
1. "バカ"にとって無垢であることは力であり、穏やかな物腰のせいで、みんなから無視されがちだけど - 嫉妬深い"インダイサー"はすべてお見通しだ
2. "権威"とは、バカが直面する人々、あるいはグループで、バカがその只中にいることもあれば、新しい場所に送り込まれて、そこになじめない場合もある - 最初のうちは。いずれにせよ、ミスマッチが爆発を約束している
3. バカが別人に、あるいは新しい何かになる"変質"。しばしば"名前替え"を含み、偶然起こる場合も、偽装のための場合もある
猫を殺せ 猫を救え!と同等に主人公に感情移入させる
⑨ 組織のなかで
一つの"グループ"、一つの"選択"、一つの"犠牲"
1. このジャンルのすべてのストーリーは"グループ" - 家族、組織、特殊な仕事、について語る
2. ストーリーは"選択"であり、進行する対立が"ブランド(反逆児)"あるいは"ナイーブ"をシステム側の"会社人間"と戦わせる
3. 最後には"犠牲"が払われなくてはならず、3つのうちのどれかの結末に至る。参加、焼き倒し、あるいは"自殺"
⑩ スーパーヒーロー
1. 主人公が備えている"パワー"、あるいは主人公を人間以上の存在にする"スーパー"になるべき使命
2. "宿敵"。主人公に劣らずパワフルな悪漢で、主人公の行く手を阻む
3. "呪い"あるいは"弱点"。どんなパワーにも急所はあるもので、悪漢はそこをついてくる
1. 君の物語の主人公には特別な"パワー"がなくてはならない。偉大になるとか、よいことをするとかいった使命であっても、よしとしよう
2. 主人公には対立する"宿敵"がいなくてはならない。主人公と同等もしくは、それ以上の力を持つ、主人公の"自家製"バージョンが
3. 主人公には"呪い"がなくてはならず、スーパーヒーローであることの代償として、彼はそれを克服するか、屈服してしまうかだ
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脚本術の本としては2冊目になるらしいが、これ単体で読めるようにしてある。最後についてる用語解説は、本書で出てくる用語+αって感じであっさり風味。もしかするとスナイダーさんが自分で作ってるやつも含んでいるのかも。
10のストーリータイプにそれぞれ具体例を出して、ビートシートに分解して解説しているんだけど、ほんとにその文化い方法でいいのか!?とおもってしまうところが多々あるのが私がこういう対応の本を読むのが初めてだからだっただろうか…。
脚本を書いたら、まず似ている映画を探してきてほかの脚本家たちがどんな風に書いてるか確かめる。彼らがうまくやってるところをからもしっぱしているところからも生日、我々が書いている脚本のジャンルを大きく進化させるには、ぢうするべきか探るのだ、率直に言って、それ以外のやりかたはバカだと思う、過去五年間に映画史を調べればいいといっているのでもない。信じられないかもしれないが、我々が生まれる以前に作られた映画の中に、われわれん”オリジナル”なアイデアを先取りしている作品があるのだ。p10
パートナーがいる場いい、話絵割れhあ仕事を分担する。私が2、3本、彼女が2、3本、そしてそれぞれ、どこでストーローのビートが起こるか書き留めるため、タイマーとビートを手に作品を”上映”する。
スイス時計の蓋を開けて、それぞれの映画のぜんまいと歯車がどんなふうに組み合わされているかを蜜のだ。語ろうとする物語が要求するものをしかり押さえ、従来の手法のどれを使うべきか、古い方をステ新しい手法を作りだすべきかを判断する。p10
ストーリ・タイプ
1、家の中のモンスター
2、金の羊毛
3.魔法のランプ
4、難題に直面した人
5、人生の岐路
6、相棒愛
7、なぜやったのか
8、おバカさんの勝利
9、組織の中で
10、スーパーヒーロー
ブレイク・スナイダー・ビート・シート
プロジェクト名…
ジャンル…
日付…
1、オープニングイメージ
2、テーマの提示
3、セットアップ
4、きっかけ
5、悩みのとき
6、第一ターニングポイント
7、サブプロット(Bストーリー)
8、お楽しみ
9、ミッド・ポイント
映画の前後半の分割線。「危険が増し」「タイマー」が現れたのでストーリーに戻る。
あと、具体的に分解してるところでは「AとBnoストーリーが交差」する。との文言多発地帯。
10、迫りくる悪い奴ら
11、すべてを失って
12、心の暗闇
13、第二ターニングポイント
14、フィナーレ
15、ファイナル・イメージ
オープニングイメージとは対極の、へんかが起こったことがわかるおめーじ。そしてあらゆるストーリーはへんかについて語る者だとわかっているのだから。この変化はドラマティックでなければならない。
よくAストーリーとBストーリーの交差について書いてあるんだけど、ここの説明だけではその交差がどんな効果があるのか全然わからないん��よな…
中央図書館901
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ダメ翻訳で悪名たかきフィルムアート社の本。誤植、誤訳は当たり前にある。
……あったので、出版社の時点で星1つ減じた。
DUDE!に『デゥード』なんて読みをあてるとかどこの国の人が翻訳担当したんでしょうか。
注:DUDE!はデュード!と読みます。
「 なんてこった!ケニーが殺されちゃった!」
で有名なアニメ、サウスパーク参照のこと。
タイトル通り、10のストーリー・タイプに映画を分けて、ストーリー解説を行った本である。
巻末の用語集を読んでから、本編を読むと頭に入りやすい。
本編ではストーリー解説を行ってるだけであり、脚本のノウハウとかそういうのは全くない。強いて言えば、巻末の用語集がノウハウというか、Tipsに該当する。
なので、創作に役立てようと思って読むと肩透かしを食らう。
また、ストーリータイプの分別についても疑問な作品名が挙げられていたりするため、どちらかといえば楽屋オチ的ユーモアのある読み物と考えて読むと良い。
ストーリー解説は、役名ではなく役者名で行っている。400字詰め原稿用紙3枚程度に収まるネタバレあり概略。
こういうタイプの本は珍しいが、だからといって目の色変えて探し出して読むほどすごい!というほどでもなかったので、星3つとした。
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【動機】著者の本が読みたくて
SAVE THE CATの法則、と並行して読んだ。自分の案がどの「10のストーリー・タイプ」に近いかを定められれば、複数の映画の例が楽しく読める。物語の筋をはっきりしていくときに、繰り返し見返したくなるのはやはり1冊目の「SAVE THE CATの法則」だろう。
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前作で、映画の脚本は、ストーリーのタイプによって10に分類されると説いた。
実際にそうなっているのか、どのような工夫がなされているのか、タイプごとに5つずつ取り上げて、ブレイク・スナイダー・ビートシートに当てはめて解説をしていくというもの。
前作では理論が多く、「そうは言ってもどうやって使ったらいいの?」みたいな実例が頭に思い浮かばなかった。だから、より具体的に解説されているこの本はとても実践的だった。
フィルムアート社らしく、訳がおかしいのは気になるけれど、それを差し引いても読む価値はある。
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〝相棒愛〟のストーリーにはさまざまなバリエーションがある。〝ボーイ・ミーツ・ガール〟の昔ながらの恋愛結婚話でも、悪党を追う警官二人組でも、ただつるんでいるのが好きなまぬけな二人組でも、同じ力学が適用できる。こうしたローレル&ハーディ(訳注・サイレンからトーキーの時代にかけて活躍したアメリカのお笑いコンビ。数多くの映画を残し、二本でも〝極楽コンビ〟の名で親しまれた)、ブッチ&サンダース(訳注・映画『明日に向かって撃て』の主人公の強盗コンビ。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが演じた)、警官相棒映画のすべての表層の下に、『赤ちゃん教育』(38)、『パットとマイク』(52、劇場未公開)、『トゥー・ウィークス・ノーティス』(02)と同じ要素がある。唯一ちがうのは、後半の例では相棒の一方にはY染色体が欠けているということだけだ。確かにこうした映画の多くの核心にはセックスがあるけれども、それよりもむしろ、相棒とは離れているより一緒にいるのがいいということを徐々に理解していく〝完成〟についての物語なのだ。そして、あまりに多くの映画が〝ラブ・ストーリー〟を含んでいるために我々はしばしば混同してしまうが、真の〝相棒愛〟映画とはメイン・ストーリーにおいて、一方がいないと人生がつまらなくなってしまう、二人の個人を描くものだ。
『名犬ラッシー 家路』(43)や『エア・バディ』(97、劇場未公開)、『ワイルド・ブラック/少年の黒い馬』(79)のような、〝ペット愛〟寓話、『ユー・ガット・メール』(98)、『恋人たちの予感』(89)のような〝ロマコメ愛〟、『リーサル・ウェポン』(87)や『ラッシュ・アワー』(98)のような〝職業愛〟、『タイタニック』や『風と共に去りぬ』(39)のような〝禁断愛〟、さらにはアニメーションのおとぎ話、『美女と野獣』でさえ、こうしたストーリーに共通しているのは誰もが共感できる教訓――私の人生は他者を知ることで変わった、なのだ。
〈相愛〉映画は範囲が広すぎて扱いにくく思えるが、三つのシンプルな構成要素で成り立っている。1〝不完全な主人公〟、2彼/彼女が人生を完全なものにするために必要な〝片割れ〟、3二人を引き離している〝複雑な事情〟――実はその力こそが二人を結び付けているのだけれど。
ダニー・グローヴァ―が『リーサル・ウェポン』の〝不完全な主人公〟であると、私にはわかっている。なぜって? おそらく誰もがメル・ギブソンこそがこの映画のスターだと思うだろうけど、これはダニーについての映画だからだ。私が思い出すのは映画の冒頭のシーンだ。ダニーの誕生日で、彼はバスタブの中に座り、白髪のことや間近に迫った警官からの引退、ありがちな更年期の疲労で憂鬱になっている。愛する妻や家族、あるいは仕事からは得られない助けを必要としている男が、ここにいる。ダニーには彼を生き返らせてくれる、何か別のものが必要だ。
彼にはメル・ギブソンが必要なのだ。
バスタブのダニー(まあ、そんなに長くそこにいたわけではないのだが)を思い浮かべれば、〈相愛〉の主人公の多くのスターディング・ポイントを大まかにつかんだといえる。『レイ��マン』(88)のヒップでクールで如才ないトム・クルーズは、フェラーリのインポーターとしてのゲームでは、トップにいるかもしれないが、彼の魂の明細書には何かが欠けている。同様に『タイタニック』でケイト・ウィンスレットが登場したときも、彼女は希望も解決策もないまま、母とフィアンセに束縛されている。『恋人たちの予感』のビリー・クリスタルも似たようなものだ。ビリーは自分と女性との関係が薄っぺらなことに気づいていないかもしれないが、我々はわかっているし、サリーことメグ・ライアンもそうだ。彼女がビリー扮するハリー(訳注・原題は『When Harry Met Sally……』)を直す、真の彼の姿を取り戻させる。そう、トムやケイトやビリーが体験する冒険はエキサイティングだし、友だちにその映画を薦めるときには、アクションやおもしろいシーンを挙げてみせるだろ。しかし、こうしたストーリーが〝語って〟いるのは、特別な他者によってのみ直すことのできる不完全な主人公であり、主人公はその他者を得られなければ〝死ぬ〟しかないのだ。いろいろクールなシーンはあっても、そここそが我々の〈つかみ(フック)〉だ。
それはすべての〝ラヴ〟ストーリーが我々に教えてくれることなのだ。
それではその他者とは誰だろう? 確率から言うと、〝片割れ〟はユニークで……しばしば奇妙であることが多い。『赤ちゃん教育』のキャサリン・ヘップバーンや『レインマン』おダスティン・ホフマン、『リーサル・ウェポン』のメル・ギブソン、ブラックと呼ばれる馬やラッシーという名の犬を思い浮かべてほしい。彼らはバスタブに座る者を生ぬるい沈滞から揺さぶり起こす、触媒となるキャラクターなのだ。
典型的な触媒キャラクターは、自身はさほど変わらず、他者の変化に影響を及ぼす。その完璧な例が『レインマン』のダスティン・ホフマンで、役柄の設定上、変わることができない。これは〈相愛〉の方程式の片側は助けを必要としていないという意味でも、二人が結末で見出す人生に順応するために、なんの進歩もいらないという意味でもない。ただ、両方のキャラクターが変わって成長するなら、その映画は両手打ちと呼ばれ、相棒のそれぞれにセット・アップがあり、結末があることになる。『トゥー・ウィークス・ノーティス』のように、相棒それぞれの登場のセット・アップ、そしてそれぞれの問題に、枚数を割かなくてはならない。この映画では頭がよくてファニーなサンドラ・ブロックが反資本主義の弁護士に扮し、彼女が救おうとしているまさにそのビルを破壊しようとするきざな男、ヒュー・グラントと出会う。二人が一緒になりたいと思うなら、それぞれが思い切り大きく一歩を踏み出さなくてはならないことが、観客には即座にわかるのだ。
では、二人がそうするのを妨げているのは何なのか? たいていの〈相愛〉もの、ことに〝ロマコメ(ロマンティック・コメデイ)〟の表面をこそげ落として〝複雑な事情〟をあらわにしてみると、ばかげていると言いたくなるようなことが多い。『10日間で男を上手にフル方法』(03)を見ていると、「マシュー、いいかげんにしろよ」とスクリーンに向かって叫びたくなる。「君はケイトを愛しているんだ、さっさと賭けのことを彼女に話せよ!」。しかし、脚本家はどんな手を���ってでも、恋人たちを離ればなれにしておかなくてはならない。『めぐり逢えたら』(93)の地理的な距離、それぞれの道徳観があまりに違うので、恋に落ちるには個々の中核をなす信念が変わらなくてはならないという状況(『トゥー・ウィークス・ノーティス』)、そして、『タイタニック』のゆっくりと沈んで行く船。だが皮肉なことに、こうした事情こそが実は二人を結びつけているのだ。
複雑な事情にもう一人別の人物が関わってくることもある。このような三手打ちには『ヒズ・ガール・フライデー』(40)、『ブリジット・ジョーンズの日記』(01)、『メラニーは行く!』(02)などの〝三角関係〟映画の多くがそうであるように、間違った相手の下を去って正しい相手の下へ向かう物語がある。さらには、『夫以外の選択肢』(04、劇場未公開)や。『クローサー』(04)、この二作と比べると確実にもっと楽しい『恋人たちの予感』などの、二組のカップルを解剖する四手打ちなんてものまであるが、たいていの〈相愛〉ものでは特別な他者が全てだ。
あらゆるストーリーがそうなのだが、〈相愛〉のエッセンスは詰まるところ対立であり、このジャンルの場合は、自分に必要な〝その人〟を見つけたことに気づいていない二人のあいだに起こる。〈相愛〉を書くときには、必ず問題のカップルをスターティング・ラインからずっと遡ったところへ連れていくこと。二人が出会った瞬間から互いに憎み合わないことには、どこへも行きつけない。君だって観客に劣らず二人を応援しているとしても、二人をできる限り引き離したところから始めて、できる限り多くの対立を盛り込むのだ。
そして、もう一つちょっとした秘訣がある。多くのロマンスにおいてほとんどの時間、普通は女性の方が真実の愛を知っていて、男性はまるでわかっていない。大きく成長しなくてはならないのも彼の方だ。事実、スクリューボール・タイプのロマコメの多くがそういう話だ。『赤ちゃん教育』の最初から、キャサリン・ヘップバーンはケイリー・グラントこそその人だと知っていて、すべてのプロット――ベイビーという名の豹、コネティカットへの旅ケーリーの後援者の家に投げられた石――が、彼もそれに気づくまでの彼女の時間稼ぎを描いている。君がどんな状況を思いつこうと、それは必ず以下にあてはまる。相手と一緒になるためには、誰かが変わらなくてはならず、そしてたいていの場合、紳士諸君、それは我々なのですぞ!
シドニー・ポラック監督のこの性転換コメデイ(『トッツィー』)で、ダスティン・ホフマンが彼の女の分身になりきりすぎて、ちょっと気味の悪い瞬間がある。自分の〝女性的な側面を探求する〟域を超えて、彼は別の存在の霊媒となっているのだ。最初のほうのシーンで、失業中の俳優、マイケル・ドロシーに扮したダスティン・ホフマンは、テリー・ガーの衣装をあててみて、鏡の中で〝ドロシー〟になる。たちまちのうちに、彼は変身したのだ。例によって、変装こそ〝覆面バカ〟ストーリーの主題であり、〈バカ勝〉テンプレートでは衣装、偽りの身分、性の仮面が鍵となる。しかし、他の〝男が女装する〟コメディから、この作品は傑出している。なぜか?
ドロシーがリアルだからだ。そして、作品のメッセージも。この映��に関して語り草になっているのは、台本作りの過程で泥沼に陥り、脚本家が何人も変わって、最後にやっとラリー・ゲルバートが実際何に〝ついて〟の映画なのかに思い至ったという経緯だ。そう、設定はおもしろいし、筋も通っているが、『トッツィー』のテーマがはっきりして初めて、ストーリーが生きたのだ。これは〝女性になったことでよりよい人間になった〟男についての物語であり、そこがはっきりしたことで、変化の軌道も、構成要素も、仕掛けもジョークも、ぴたりと定位置にはまった。これはつかみはばっちりでも、何も言うべきことのないストーリーテラーに対する一つの教訓だ。君のストーリーが必ず何かを〈語っている〉ようにすること。実際に誰がホフマンにハイヒールをはかせたのかは、神と全米脚本家協会仲裁委員会のみぞ知るだが……その結果、魔法が生み出された。
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紹介された映画を知らないのであれば読了後は視聴必須だと思う
ただ映画50本ノックのおかげで作者が何を言いたいのかもわかった。この本で構成とジャンルのコツを身につけておけば、自分の脚本に何が足りないのかがわかる
この本単体でも読めるけど、作者の本は読めば読むほど前作・続編を見たくなる