投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
まず筆者の年齢が自分とほぼ同世代(綿野が一つ上)というのに驚いた。同世代が評論家として本を出版するような歳になったということか、、、
それはさておき本書はタイトルの通り、なかなか表立っては言いにくい、それこそポリコレに反するような事柄について、懇切丁寧に説明を加えようとするものである。アイデンティティとシティズンシップの対比、それはすなわち民主主義と自由主義の関係につながっている。本書はそれらの対立やねじれについて、極めてクリアカットに解説してみせる。そしてそれらの言説は非常に説得的である。かといってそれらの一見説得的な言説・分類が、実社会における差別問題に対して、実際に有効に機能しうるかは、また別の問題である。日本における、反ポリコレの嚆矢となるのが「ためらいの倫理学」だとする見方はなかなか興味深い。皮肉なものである。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
問題を訴えることが盛んな時代だ。問題が問題だけど、問題だ、の問題もあるのだろう。僕はしばらく読書は数だったけど、一つの本を何度も読むことも両立していくことにした。数を読むのは自分の拾えるところを拾う傾向になる。知らないことを埋めるのにはいい。ただ、思い込みを壊すのには一つの本を読むといい。ある種、勘違い、汚れの自覚というかそういう修行みたいなことは必要だ。
前書きである店のデモを思い出した。このひと時代で、時代の空気に乗るのが商売のようなった。乗ってはまずい時代の空気もあるのを誰もが忘れてしまっているのではないかと思う。平成期の歴史も知っておかないと考えられないこともたくさんある。社会の問題はよくよく考えたことがないことに気づく。経緯も知らずに、説明を聞かされただけでわかった気になってしまう
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
最初は理解が追いつかないところがあったけれど、自分も意外と凝り固まった考え方をしていることに気がつかされた。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
この時代にスリリングなタイトルだなと思って読んでみた。半分タイトルは釣りのようなもので、著者自身は差別に同調するわけではなく今やすべての前提となっている「ポリティカルコレクトネス」を紐解いてくれていて勉強になった。差別に対して意見を発するときにどのポジションなのかが肝心だと分かった。
初っ端のまえがきの中でも言及されているのだが、全体を通底するのは民主主義と自由主義の違いについて。つまりはアイデンティティ・ポリティクスとシチズンシップの違いなんだけども、この論点が超重要。読む前後で世界が違って見えるようになった。端的にいうと今までは被差別者が差別に対してNOを突きつけていたが「差別はいけない」ことだという社会全体のコンセンサスがかなり取れるようになった結果、当事者以外も含めた市民社会全体で差別へカウンターするようになってきたということ。ただ、そのシチズンシップが見据える平等というのは本当に実現可能なのか?とか差別構造と経済はどうしても切り離せないとか。個人的に嫌だなと思ったのは統治功利主義の広がりに伴って合理化が進むうちに差別が肯定されてしまう話。なんでもCPを突き詰めてもしょうもない社会しか生まれないことを再確認した。あと差別は意図的かどうか問わないという話もあり、こないだ読んだ「We Act! 3」で感じた居心地の悪さは然るべき反応だったのかもしれない。その不快さについて言語化することが必要であり、自分がどういう考えなのか、そこに論理の飛躍や矛盾がないか確認するべきと書かれていて納得した。こんな感じで普段考えもしない論点ばかりで興味深かった。
ただ正直なところ内容の半分か半分ちょいくらいしか意味が取れていない気がする。ポイントポイントでラップアップしてくれて論点を整理してくれているのだけど、固有名詞の馴染みの無さと話の難しさでなんとなく読み流していく場面も多かった。まだまだ頭を鍛えねば…
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
基本的にはロールズの正議論に則り、「正体が無知のヴェールに包まれた状態」におけるものに立脚していたいものの、生得的な違いなどにより、平等ではない事実(女性のほうが感情的だったりすることを裏付けるデータだったり、人種によってIQ平均値の統計的な差異が認められていることなど)により、それが上っ面な正義でしかないことが明らかになってきた。また、女性の平等を求めたとしても、それに見合う効能とコストがあるのかと指摘し、棄却するような功利主義(それぞれの正義や道徳の対立を効能とコストの観点から回避する)も台頭している。また、過剰に平等を求めた先に、自分の内在する暴力性(Aを言うなら、BはどうやとかA’のことはいいのか)を過剰に取り上げることが多くなり、発言するのも気が引けるようなそんな堅苦しい世界になっているようにも感じる。
でもそれでも、中国のようなアーキテクトによって人間をコントロールしようみたいなものや差別に対抗するには、道徳や正義を発揮する必要がある。非常に脆弱で曖昧な主観的なそれに立脚することのみが人間としての矜持とすら今この本を読んだ後に感じる。この本を読む前まではこの昨今の生きづらさや発言のしにくさがめんどくさく、鬱陶しいものだと感じていた。もっと自由に生きたほうがいいに決まっているとすら思っていた。どちらかといえば、功利主義的な人間(だからIT企業で働いている)だし、性質の違いがあるのだから完全な平等は成立しないと思っていたが、そんな事実や主義も勘案したうえで、平等を求めること、そのポーズの意義を最後の天皇の章で感じたように思う。
データ分析やIoT、DXなど数字で語ろうとする機会は非常に多いし、それが有用である側面もわかりつつ、道徳心や正義にこだわることは大事なんじゃないかと思わされた。