「差別はいけない」とみんないうけれど。
2021/05/01 16:13
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
2016年のアメリカ大統領選で一気に有名になったポリティカル・コレクトネスと言う言葉。本書では、冷戦終結後にこの言葉がアメリカで使われるようになった経緯についても触れつつ、キーワードとして活用し、差別への抗議がアイデンティティからシティズンシップへと替わっていった流れや、両者の対立について考察している。
一度読んだだけではまだ理解できていないが、とても平易な文章と、重要な点を何度も繰り返し解説してくれるので、とても読みやすかった。
ついに出たポリコレ概論
2019/10/04 00:41
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投稿者:redon - この投稿者のレビュー一覧を見る
ポリティカル・コレクトネスは非常に今日的なテーマ。そのわりにはどんな本を参照したらよいか分からず、『欲望会議』などでなんとなく理解した気になるしかなかった。しかし本書の登場で、誰でもポリティカル・コレクトネスの来歴や問題点を概観できるようになった。ありがたい。
パソコンではないPC
2019/09/10 15:31
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投稿者:とめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「差別はいけない」ということに反発・反感を覚える一定数のひとびとや道徳的であることの意味が違う部族間の衝突などを例に挙げ、普段は使用しない「政治的に正しいこと(PC)」というフレーズを天皇制にまで踏み込んで論じた書。
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差別がいけないことなのは大前提として、それがなくならない背景に何があるのかを経済・政治・社会・心理などの様々な分野から紐解いていく。
過剰とも言えるほどのポリティカル・コレクトネスが跋扈する現代だからこそ、自分たち(シティズンシップ)の立場を再認識する必要がある。
ただ、いわゆる「ポリコレ棒」を振り回すネット界の正義の味方たちには、この本の主張は届かないんだろう。。
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・やー難しい。本書の半分ぐらいは難しすぎて読み飛ばしてしまった。
・でも、めちゃくちゃ大事なことがまとめられた本だと思う。
・この本は決して差別を肯定する本じゃない。けれど、差別が起きてしまう原理を解き明かし、差別をなくす難しさを教えてくれる。
・すごく興味深い実験の引用があった。ハイトという人が行った実験。次のようなエピソードを聞いた被験者がどう反応するかを調べた。
・「ある家族が飼っていた愛犬が、自宅の前で車にひかれて死んだ。『犬の肉はおいしい』と聞いていたこの家族は、死骸を切り刻んで料理し、こっそり食べてみた。」
・被験者は道徳的に正しいかを判断するが、理由を求められると詰まるのだという。ある被験者は「間違いだとわかっているんだけど、理由が思いつかない」という。
・この実験が示すのは、つまり僕ら人間はまず経験や習慣に基づいて直感的に道徳的判断を下す。そしてその後に論理的思考を働かせ、理由を探し、自分の判断を正当化する、ということだ。本書ではこれを「二重過程理論」と紹介している。
・この直感的に判断する潜在意識がやっかいなのだ。僕らは自分が思ってる以上に経験や習慣による潜在意識に支配されている。差別は良くないと頭では理解しつつ、例えば「黒人=犯罪を起こしそう」とか、自分の潜在意識ではどっかで誰かを差別してるかもしれないのだ。
・本書ではそうした潜在意識を書き換えることは難しいという。
・難しいなりにざっくり読んだ自分なりの結論は、「人間は絶対差別する」ということ。まずはそれを自覚しなくちゃいけない。
・で、不快に思った時にすぐ批判せず、なぜ不快に思ってしまうのかを自分で考えてみる。相手が不快を訴えてきた時には、その不快がどこからやってきたのかを考える。そこに差別を緩和するきっかけがあると思う。
・社会全体で差別をなくすのはしぬほど難しいと思った。というか無理だと思った。でも、目の前の人を思いやることはできる。自分を俯瞰することはできる。
・「思いやり」っていうとなんだかカンタンすぎる答えだけど、でも差別を語る時に社会問題として解決を探すのは自分にはハードルが高すぎる気がした。
・相手と自分、一対一の間にある差別を考えていくことが、とりあえず自分ができる差別をなくす第一歩だと思いました。
・うーんこれは誰かとペア読書で読んだ方が良かったかもなあ。
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日経9月7日書評に掲載の本。
ポリコレをめぐる言説の考察。
「ポリティカル・コレクトネス」とは、人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。しばしば、「うざい」とか「うんざり」とか否定的な意味合いを込められる。
差別はしてはいけないこと。
だけど、無自覚に差別をしてしまう自分は絶対的に存在する。
そんな自分を認めつつも、人の尊厳を傷つけず、人を思いやれる人になりたい、と思う。
だから、ポリコレ的視点で、自分の言動を常に見つめることは必要だな、と思う。
いっぽうで、行動経済学が示しているとおり、人間は常に賢い行動をとるわけではない。また、厄介なのは、差別する側にも一定の合理性があることだ。
本書の立場は、ポリコレへの反発から問題点をあぶり出し、それを乗り越えることを目指す。
民主主義は同質性を求めるので、異質な者を排除しようとすること、多様性を認める自由主義とは経済成長がないと折り合えないこと、など目を見開かせる記述が多い。
ただし、差別問題について、明確な結論まではたどり着けてない、かな。
差別はそれだけ根深い問題、ということ。
文字が大きくて1ページあたりの文字数が少ないので、サラッと読めるかと思ったが、読み進めるほどに難しくなり悪戦苦闘した。でも、さらにしっかり読み込んで、理解を深めたいと思った。
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民主主義(アイデンティティポリティクス)と自由主義(シティズンシップ)という概念がそもそも「対立する」ことすら知らなかった身としては目から鱗だった。差別(ハラスメントなども含む)は、人が多様であるが故にいかに避け難いか、そしてポリコレを大義と出来るか否か、についての論考。現在の「分断」の深淵を垣間見ることが出来る一冊だと思う。と同時にこの本は自らを「左派」と自認する人々にとって踏み絵のようなものでもある。人間も世界も恐ろしく複雑だ。
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差別問題(及びPC問題)をこれほど総合的・多角的に論じた本は今までなかったのではないか。引用された本も片っ端から読みたくなる。
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まえがきに頗る感動した。
民主主義と自由主義の対立関係は目から鱗だけどしっくり来た。
ポリティカルコレクトネスト唱えがちだけど何故かうざいのも結構わかる、こんな自分を不思議に思ってたから、考える材料をたくさん貰えてありがたい。
後ろにいくにつれて議論がややこしくなってる気がした… 色んな学問分野から色んな考えを参照・引用してて、面白いが少し雑多な印象。
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タイトルから興味が湧き、何気なく読んでみたが、非常に骨太な内容で難しくビックリした(笑)人間の多種多様さは大きな強みである。しかし、その多様さが幾つもの異なる集団を生み出し、「ウチ」を贔屓し、「ソト」を蔑ろにすることで、集団間の差別を生み出してしまう。人間は生まれながらに矛盾している生き物であると改めて実感させられた。
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現代では「差別はいけない」ということは社会通念となっています。ではなぜ,それに反する行為がネットやテレビ,実社会で起こり続けるのでしょうか。本書では「ポリティカル・コレクトネス」をキーワードとして,差別が起きる政治的・経済的・社会的背景を考察し,差別はなくせるか否かの根本問題に迫ります。
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ネット上に溢れ返る差別に関する空気感についての視点をもらえそうな一冊。
誰もが差別の「現場」をネット上で目にすることができ、発言できる時代の空気感を知るには良さそう。
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差別を批判するロジックを「アイデンティティ」「シティズンシップ」に整理し、その変遷と現状を説明している。文章は分かりやすく、代表的思想と人物を紹介するにも読者が辿りやすく工夫した説明なので、ここをもっと知りたかったらこれを読めばいいわけね、というのが一目でわかる。差別だポリコレだ、というその時その時の風潮になんとなく流されるんじゃなくて、ちゃんと考えてその行きつく先の話をしていきませんかという意図が伝わる。おもしろい。
思想や立ち位置というものをきっちり整理して示してくれるので、自分の考え方がどのあたりにあるのか、ということも分かって良かった。近年のいろいろなポリコレ騒動にも触れられていて、この話は疑問に思っていたけど、どうも私は土俵の違うことをごっちゃにして分けて認識できていなかったんだな、などと思ったりして。
ただ著者の主張である「ポリコレの汚名をあえて着る」というのが、いまいちくみ取れなくて申し訳ない。他の本も読めばわかるかも?
読んでいて、自分はシティズンシップ的な「市民」の理念っていまいち共感できないのだな、と思った。人間に価値と優先順位を付けるということについて明確に否定し、納得させられるような説明にあったことがないし思いつかないから、私自身は差別がいけないことだと言い切ることに不安がある。
他の本でも読んだけど(その本ではビンカーは批判されていたが、生得的にせよ、後天的学習にせよ、不都合な男女の「違い」が存在することに異論はないはず)、人間の自由意志も自律的な思考・行動も疑問視されつつあり(全く意味がないわけではないだろうが)、どうしたってバイアスが存在するのは当然のことで、そこから功利主義につながるのは至極当然だ。私も、シティズンシップ的な空虚な平等概念よりは合理的でよほど納得できる。以前哲学系のオープンチャットに入った時に高校生ぐらいの子たちが功利主義の管理社会を肯定していてちょっと驚いたのだが、現在の状況においてもうスタンスとして「あり」になってきているのかもしれない。
でも十二国記の天命システムしかり、合理的な制度がうまく機能するかどうかと言うと全くそんなことはないわけで、この本でも中国がまさにその道をガンガン進んでいって早速歪んでいく様が指摘されている。
シティズンシップの論理にのっとった差別の是正はどうしたって不合理でコストが必要で、人間はその論理が求めるスペックに耐えうるほどの強さもない。合理性を上回って平等を推し進めるための社会を貫く哲学も今はない。それを作り出すためには人間を管理し、「教育」しなくてはならない(いったい誰が?)、そうなればシティズンシップは終わる、というすごい話。
「なにかしら相手の行為を『不快』に感じたとしても、相手の『責任』を追及するまえに一度その『不快』さを言語化してみるべきだろう。そして、相手がなにか『不快』をアピールしているならば、その相手が『不快』をどんな論理で正当化しているか、よく吟味すればよい。そこに論理の飛躍や矛盾はないか」というのがその辺りでの著者の主張なんだけど、私は論理的かどうかが共通の判断基準として機能するという希望は現状としてはついえているような気がして、どうなのかなと思う。
結局のところ人間は論理で物事を判断するようにできていないし、左にしろ右にしろ、この本でも指摘されているような言い落とし技法みたいなものを使った言論が多くて、どうにかして都合の悪いところはごまかしていこうという方向性ばっかりで嫌になってしまう。むしろ都合の悪いところをきりきり締め上げるようにして詰めていけば、あたらしい地平が見えそうなのに。もしかしてそれこそ著者の言う「ポリコレの汚名をあえて着る」というところなのか!そうか。そうであれば、これは解決策ではなく解決策を探るための姿勢としての提言か。それは手放しに賛成できる。
「飛躍にはその人の本質がある」といったのは誰だったか、忘れたけど、そうやって批判ではなくお互いを明らかにしていく、境界線上のホライゾンじゃないけど、分かりあうことのないお互いが手を合わせられる境界線を探すという作業。そういうことができればよいのだろうか。
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めちゃ面白かったーーーー。取り扱ってる幅が広い
人種、フェミニズムは成る程という感じ、慰安婦、天皇は知らなかったな〜という感じ
ここから、読みたい本を調べていこうと思う
ポリコレはブルジョワのものかー。
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最近、Twitterをちらほら見初めて、セクハラ・差別などについての意識が高くて感心したが、徐々に違和感を感じ、うっとおしくなってきた。
本書はポリティカル・コレクトネスを巡る、その違和感を言語化するものだった。タイトルの「けれど。」がその感じを出している。
「差別主義者も反差別主義者もみずからを『足の痛み』を抱えた『弱者』だと相手に提示して、『責任』=『負債』を他者に負わせようとしている、といえる。ポリティカル・コレクトネスが社会を覆う状況にだれもが息苦しさを覚えるのは、『とんでもない責任のインフレ』=『無限の負債』を感じるためである。そのうっとおしさから逃れようと、すべての『負債』を肩代わりしてくれる犠牲の羊を探し出し、『魔女狩り』のように『炎上』され、『自らの行為の責任をやすんじて免除する』ことが繰り返される。」(p251)
この指摘すごい!内田樹によるポリコレ批判も参照されていて、好きな本なので、へーっとなる。
それでもポリコレを手放してはいけないのだ。