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「失敗の本質」の端緒はノモンハンにあり
2019/09/18 13:18
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投稿者:燕石 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、2018年8月15日にNHKスペシャルとして放送された番組をもとにしたものであり、その放送内容以上の新事実が明らかにされているわけではない。
ノモンハン事件は、1939年5月~7月に満州とソ連、モンゴルの境界で起こった国境紛争事件である。「事件」とはいうものの、日本軍とソ連軍両軍あわせて13万人以上が衝突し、ソ連軍は多数の戦車・装甲車からなる機械化部隊や航空機を投入し、結果日本軍が約2万人の死傷者を出して敗退した実質的な「戦争」に他ならなかった。
自ら戦車兵として太平洋戦争に従軍した作家・司馬遼太郎が、この「事件」を作品化しようとして50歳代の約10年間を費やしたが、結局「日本人であることが嫌になった」と投げ出したことは有名な話。
このIntelligence(情報)を軽視し、自らが有利との楽観的な独断や、圧倒的な物量を前にしても兵卒の命を文字通り駒の一つとして使うような白兵戦で対応するという過度の精神主義など、太平洋戦争でも繰り返される“失敗の本質”が凝縮されていた。しかしながら、多数の損害を出して敗退した結果に対して、陸軍は、一線の将校に自決を強要する等で責任を押し付ける一方で、作戦を主導した関東軍の(陸軍大学卒の文字通りの)エリート参謀たちに対しては一時避難的な異動発令を行った後、その後軍の中枢に復帰させ、太平洋戦争敗戦に至る決定的な失敗を重ねた。
この戦争を主導したのは、関東軍司令部の参謀であった辻政信少佐である、と言われている。彼は、机上で作戦を練るだけでなく、足繁くソ連・モンゴルと満州国との国境警備の現場をも視察していたようだが、それ故にか、国境線が不明確な地域での現場司令官の対応の難しさを解決する手段として、「満ソ国境紛争処理要綱」を作成し、強引な国境線認定を指示した。国内勤務時の上司・同僚等が辻参謀を指示し、関東軍内の支持を集めて行く。
「責任なき戦い」の根本原因は、関東軍が天皇の軍事的統帥権のもと参謀本部と並立に置かれていたことにある。これが、関東軍の参謀本部軽視につながり、参謀本部は関東軍の暴走を許した。結果、互いに責任をなすりつけるだけで、責任を取ろうとしない。これは、明治憲法下の内閣制度と同様であり、戦前の首相は他の国務大臣と平等に天皇に対して輔弼する存在に過ぎず、特に陸軍・海軍両大臣は、天皇の統帥権を輔弼すると言う特別の位置付けなため、「統帥権に関わる」との一言でアンタッチャブルな位置付けに変わった。すべてが、天皇に集約されることにより、中心が無に帰するという矛盾を秘めている体制だった。
また、「陸大卒エリートを重用する英雄主義」により、陸大卒の参謀は兵卒の人命を顧みることなく、軍部の首脳は、彼らを(そして、自らを)守るために都合の悪いことは「忘れる」、もしくは第一線の指揮官に「詰め腹を切らせ」て一件を落着させることを常套手段としていた。
全て、太平洋戦争という破滅に至るレールが、ノモンハン事件を端緒とすると言っても過言ではない。
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序章 陸の孤島
第1章 関東軍VS.スターリン
第2章 参謀・辻政信
第3章 悲劇の戦場
第4章 責任なき戦い
第5章 失敗の本質
第6章 遺された者たち
著者:田中雄一(1979-、大阪府、テレビディレクター)
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NHKスペシャルで放映したチームの一人田中さんによる新書化である。ノモンハンについてはある程度知っているつもりだったが、この番組ではロシアへ行き、一時資料を発掘しながら真相に迫っている。本書を読むと日本はロシアの動きをちゃんとつかんでいなかったことがわかる。あるいは、ロシア大使館から情報がきていたのにそれを軽視した。また、日本の参謀本部ともちゃんと連携がとれず、こんなことでいちいち日本に許可を得ていては戦争などできないという思い上がった気持ちが,多くの将兵を殺すことになった。しかも、捕虜になった将兵のうち隊長級の人々には自決を命じ、この戦争を指揮した服部卓四郎、辻政信らは左遷されただけだった。その後の日本の責任なき戦いを象徴する戦争であった。また、その反省も一応はなされたが、それがきちんと上の共通の認識にならなかった。この番組では辻の家族にも取材していて、家族思いの姿、責任感のある辻の姿が紹介されているが、田中さんはそれでも、辻の責任をなかったことにはできないという。ぼくもそう思う。
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丁寧な取材に基づいた内容と思う。現場に丸投げし、現場も暴走したのがノモンハン事件。何故当時の軍人は極端に視野が狭いのか。戦術レベルの思考しか出来ず、戦略レベル、政略レベルでものを考えられないのは教育や社会レベルに起因するのか。現代でもそれは当てはまるように感じる。
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「数千の英霊を犠牲にした場所を放棄することはできない」
本来、これまでの犠牲と今後の作戦とは関係無い話である。にも関わらず、撤退とはつまりこれまでの犠牲を無駄にするということか、とまるで「撤退=犠牲は無駄」と言わんばかりに否定し得ないものと関連付けさせて訴える。これに類することは現代でもみられる習性と感じる。
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ノモンハン事件というものをきちんと調べたことがなかったので勉強になった。日本が第二次世界大戦に至るまでの過ちの根源あるいはきっかけがここにあったのではと司馬遼太郎が書こうとして書くのをやめた事件。
自決を強いられた井置隊長の話とか組織として考えられない。そして昭和天皇の命と思って兵たちは戦い死んでいったのに、実は一参謀の功名のためだったのではって柳楽さんの疑義もよく伝わってくる。そしてそれは陸軍だけではなかったのかもなとも思うし、もしかしたら今も?とも思う。それは日本型の巨大組織の病理なのか、それとも人間のつくる巨大組織には一般に当てはまるものなのだろうか。
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太平洋戦争開戦の直前、満州とソ連との国境で発生したのがノモンハン事件です。”事件”という名称になっていますが、わずか4か月で日本側約2万人、ソ連側約2万5千人の戦死者を出すほどの”戦争”だったのです。
太平洋戦争では日本軍が情報軽視、補給軽視、精神主義などの悪弊によって特攻や玉砕などの悲惨な戦いを繰り広げましたが、ノモンハン事件にもそのすべての要素がすでに見受けられています。
ソ連軍の物量に関する情報を軽視して安易に攻勢に出ようとする関東軍、それを明確に止めようとしなかった参謀本部、兵力の逐次投入(兵力を小出しに投入すること)などの行動原理で大きな被害を被る結果となりました。さらにこの”戦闘”を主導した軍幹部は軽い処罰で再び軍の要職に復帰しているにもかかわらず、現場指揮官の多くにその責任が転嫁去れると言う歪んだ人事も横行していました。
しかもノモンハン事件終息後の軍内部の研究会では、兵力の近代化の遅れや情報軽視などの要因を指摘する幹部が存在したにも関わらず、必勝を期する信念の不足が敗因であると結論付けられました。もしもこの時にきちんとした敗因分析が行われていれば、太平洋戦争の展開も違ったものになっていたかもしれません。
本書はノモンハン事件をテーマにしたNHKスペシャルの取材班が番組取材の過程についてまとめたものです。上述したようなノモンハン事件に関する詳細なデータや、関係者へのインタビューなどを交えて非常に読みやすく、昭和の転機となった歴史上の出来事について押さえるべき点を理解することができます。
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父はノモンハンの生き残りだった。一気に読んだ。特に始めの現地取材やロシアのアーカイブの部分は興味深く読んだ。未だに言い訳がましい主張や本が出る。父も含め兵士は一銭五厘で集められた。替えはいくらでもいると頻繁に鉄拳制裁を受けるなど酷い軍隊生活を語っていた。辻政信など家族に取材したのはいいが、敗戦後逃げまわり、国会議員にまでなったのはどうにも納得できない。
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読み進めていくと、呆れちゃうし絶望的な気持ちしか起こらない。誰も責任を取ろうとせず、必死に戦った現場の人間だけが詰め腹を切らされていく。上は我関せずだし、逃げ出す人間までいる。これが巨大組織ってものなんだろうか。現在の政治状況もまるで同じだ。教育改革の頓挫も「誰のせいでもない」ときたもんだ。
軍事的には、近代戦というものが理解できていなかったわけで、これは第一次大戦に参加しなかったのが原因なんだろうね。近代戦は装備の質と物量がモノを言う。信念では大砲は防げないんだ。
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ノモンハン事件の実相をえぐる、とまでは行かないが、日本軍の様々なレベルの人がどう関与して紛争がどう推移していったのかが分かる。元々がNHKの番組のための取材ということで、当事者の音声記録に重きを置いているところが目新しい。こうしてみると、軍幹部には太平洋戦争で戦死することなく戦後も結構生きた人が多いなと思う。
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ノモンハン関連の本は結構読んでるつもりなので、内容はほぼ理解していたが、テレビの力かNHKの力か、新たな一次証言を拾えているのは素晴らしい。
辻正信の言動やまわりの証言を読んでいるといつも思うのは、頭の良いこと・自分を律する力があること・滅私奉公の精神が横溢していること、イコール、リーダーの資質とは全く違う、ということ。人間性は素晴らしい方だったのかもしれないが、絶対にリーダーにすべき人物ではない。
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ノモンハン事件という、まるで1日2日に起きたことのような響きに惑わされていたけれども、これはそんな軽い物じゃない。
司馬遼太郎が坂の上の雲で描いた戦争が、ほとんどそのまま展開されている。日露戦争から30年以上が過ぎているというのに、圧倒的に足りない火力で、昼は塹壕にこもり、日が暮れてから白兵で夜襲をかけるという戦法も、日露戦争そのものである。この戦争のことを調べていたから、あのような描き方になったんだろうか。
辻政信という人物を、どう評価したものか、この一冊では判断がつかない。
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ノモンハン事件に高所と末端の両面から迫ったルポタージュです。
指示に従い善戦したうえでやむを得ず撤退したにも関わらず責任を問われて自決を強要された井置栄一氏のような人物や、生存した兵隊たちが辛い記憶から重い口をなかなか開かないのに対して、多くの犠牲者を出して責任を取るべきだった軍の上層部たちの多くがのうのうと生き延びて、その罪への意識も低く責任転嫁に汲々としていた事実に暗澹としました。
筆者が述べるように、この戦争には後の太平洋戦争での敗因が凝縮されているだけでなく、現在の政府や会社や家庭など、あらゆる組織で起こりうる悲劇が内包されており、戦争の有無にかかわらず社会に生きる誰にとっても、ひとごとで済まされるものではないでしょう。
「ノモンハン事件」という呼称はこの出来事を矮小化しているようにも感じます。
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偏に第一次世界大戦、第二次世界大戦といっても両手で数えきれないほどの戦いがある。その中の一つの戦争、ノモンハン戦争の理由や舞台裏が書かれている本。
恥ずかしながら聞いたことはあるが、詳しい内容まではこの本を読むまでよく知らなかった。なので、今回知る機会を与えてくれた本書には深く感謝したい。
辻政信という人物がカギとなって起こした戦争。もしこの戦争の教訓を得ていたら、ガダルカナル島の戦争も真珠湾攻撃もなかったのではないだろうか?家族や村の人たちが知る辻政信と軍関係者が知る辻政信、どちらを信じていいかは戦争書物が焼かれたり、保身を守るために嘘をつく国や軍関係者のためにどちらもわからない。でも、数人の軍関係者の名誉のため評価のためだけに何万人という日本軍やロシア軍、敵軍が戦死、死亡したのは事実である。今は亡き私の祖父(満州、ビルマの戦い)に、もう少し突っ込んで戦争の話を聞いておけばよかったと後悔するばかりだ。彼は、戦争の話はしたくなさそうだったが、戦争の悲劇を次に繋ぐためにももっと話が聞きたかった。
とにかく、もっともっとノモンハン戦争やガダルカナル島の戦い、戦争に関しての書物をもっと読みたいと思わせてくれた本。
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太平洋戦争とノモンハン事件の結びつきがよく分かった。つまるところ、敵情の過信と戦力の逐次投入が、権力者によって実施されたことが不幸の始まり。絶対悪がたくさんいると思う一方、そうさせた空気は、当該者だけでは作れないだろう。マスコミなどの論調は、果たして正しかったのか、疑問に思う。
命令に従い、命を落とした人々は、本当に気の毒に思う。しかもそれが、天皇でなく一部の参謀の自己保身から出た命令なら尚更。そして、近畿財務局の自殺の件に触れていることで、形は変われど現代でも似たようなことが起きてると実感させられた。