自分たちでつくるまちにある「笑顔」
2012/10/04 10:34
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Fukusuke55 - この投稿者のレビュー一覧を見る
コミュニティづくりの第一人者である山崎 亮さんの最新作。
現在、月10回ペースで講演していらっしゃるそうです。
「なぜいま、コミュニティが注目されるのか」
「つながりのデザインって何?」
「プロジェクトを通じて知り合った人に関するエピソード」
「コミュニティデザインの進め方」
本書は、講演会での質疑応答をイメージしながら、これら4つの視点とともに受講者の質問に答える形で進んで行きます。
著者である山崎さんの魅力は、共感性の高い語り口(=書きぶり)、自身の行動・経験の蓄積から得た知見や考察、そしておそらく人を虜にしてしまうであろう笑顔・・・って会ったことないからわからないけれど(笑)・・・。
このような著者の魅力が行間から滲み出てくるような本です。
取りあげられているコミュニティやそこで取り組む人々。
それぞれに「ストーリー」があって、プロジェクトに関わった人やコミュニティが幸せになっていく姿がはっきりと想像できます。
私にとって新鮮な指摘は、以下二つの点でした。
1. 「人口減少地域に学ぶ」
いまや、東京のような開発型利益モデルは地方都市の参考にならず、すでに20年前から人口減少を経験している、秋田・島根が先進県となって「新しいライフスタイルや政策を立案する」ことが可能であること。
2.「私」と「官」、「共」と「公」
都市部は「私」が閉じており、それ以外が「公」。
「私」が繋がっていない状態では、「共」が生まれず、結果「公共」が生まれない。
「官」が「公共」を担うことになるが、すでに「官」だけでは立ちいかなくなっていること。
ハードの整備をせずとも、コミュニティを活性化することは可能であり(=活動人口の増大)、いつ行っても「誰か」がそこで何かをやっている状態こそが重要。
著者が提言する「復興支援員への投資」については、塩野七生さんが説く「古代ローマ時代の社会インフラ-ソフト編」や中野さん・藤井さんが主張する「公共事業投資」を想起させました。
願わくば、200万円/人・年レベルではなく、一般の大卒新入社員と同等の給与を整えるために、われわれは何をすべきか真剣に考えたいです。
私たちはこれまで介護事業に携わる人々の艱難辛苦をみて、多くのことを学んだはず。どうにかして、知恵を絞り出したい・・・。
第4章「コミュニティデザインの進め方」は、著者の経験の蓄積が、まだ体系化されているとは言い難いけれど、それは著者本人もとうに承知で、むしろ、ひとつひとつの事情は異なり、どれひとつとっても「他と同じ」ではないために、敢えて自ら汎化したり、体系化することを拒んでいるようにも見えます。
その是非を、今の私が判断することはできませんが、すべてが「個別」だと一定水準のサービスレベルが保てなくなりそうな気がするのは、変な常識にとらわれ過ぎているからでしょうか?
とにかく、実践的な本です。
著者の理念や主張、その結果とも言える支援行動、そしてそこから得られる人とのつながり・・・これらが有機的につながって、あの笑顔に至るのだろうな・・・と、読了直後に確信したのでした。
現場で起きているんだよ
2016/09/26 14:23
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アキウ - この投稿者のレビュー一覧を見る
コミュニティデザインの理論書。
ものをつくらないデザインに向かうことと、本当の住民参加などといった、昨今のまちづくりの方向性を再認識できました。
著者自身も言うとおり、地域によって課題も解決策も様々なので、ひとつの正解は示すことができないから、事例を積み重ねていくことで、それぞれの状況に適した正解を出せるようにする、というような主張はとてもよいと思いました。
一方で、具体と抽象を行ったりきたりしないと考えが深まらないため、もう少し理論的というか、概念的なレベルでまとめられた本も押さえておく必要があるように思います。
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偶然聞いた講演で著者の山崎さんのファンになり、手にとった一冊。悲観的に語られることの多い地方の過疎化だが、人が少なくても楽しく活気の町にしようという取り組みは、これから各地でおこるくる人口減少社会においては、最先端の取り組みだという。この発想の転換には目がウロコだが、確かにその通りだと感じる。
印象的だったのは、コミュニティやシェアという言葉は、年代によって受け入れられ方が異なるというところ。年配の人は嫌悪感を示すが、若い人は好意的に捉える。所有することがステータスだった世代には、シェアハウスやカーシェアリングなどは、受け入れにくいのかもしれない。
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地方都市が寂れて行く姿を目の当たりにすることが多いが、地域社会のコミュニティデザインに取り組むこの人の試みは面白い。医療コミュニティ作りにも参考になります。寂れて行く街を復興せねば。
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前著のときは、おどろきながらいろいろな事例を読んだが、今回は、文章で説明しているので、やや違和感も感じながら読んだ。
人と人とのつながりを回復する仕事は大切なことだが、結局どう自立するかだと思う。
山崎さんも、3年に限っているようだが、自立する仕組み、それは、結局善意だけではなく、ビジネスとしてまわっていくことだと思う。
その意味で、p82にもうけ仕事の話がでてくるが、この論点をもっとつっこんでいく必要があると思う。
また、ワークショップの方式もどこでもやるが、本気でお金をかけてでもやる気にある人をつのって先に始めた方がいいと思う。
最後に、兵庫県の有馬富士県営公園の住民参加型が山崎さんのこの手法の先駆けとなったようだが、ぼくは担当部長としてそのような試みを全く知らなかった。神戸にいる人間には知らせたくなかったのか、知らせたらうまくいかないと思ったのか、当時の担当者の気持ちを考えると、複雑な気分になる。
もっと全庁的なプロジェクトとして、発展できる可能性があったのに残念。反省もする。
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正に『コミュニティデザインの時代』ですね。点火火と集落支援員の養成、熱意ある行政マンのリストアップ、そして多様な人材ののマッチング…世界は動き出す…そんな一つの方法論が示された一冊‼
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http://kckec.wordpress.com/2012/11/16/『コミュニティデザインの時代-自分たちで「ま/
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前著は事例が多めだったが、今回はもう少し深くコミュニティデザインの定義や歴史などが解説されていた。併せて読むと面白いように感じる。後半はワークショップの作り方、ファシリテーションのスキルなど、より実践的にどう行っているか、何を意識しているかが書かれておりおもしろかった。他の場面でも共通するものも多いと思う。
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印象に残ったポイントを書き留めておきます。
「公 public」は「私 private」をひらいたものだということ。都市部に先んじて高齢化している中山間離島地域は、日本全国のお手本になりうること。ヨソモノがまちづくりに関わることの重要性。
「失われたつながりを取り戻す」だけではない、今だからこそできるまちづくりの可能性を感じさせてくれる本でした。
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相変わらずのクオリティ。コミュニティの本を同時多発的に読み進める中で、自分の中で仕事とか自分のあり方のイメージが少しずつ固まってきている気がする。
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図書館で借りた。
著者が名乗っている職業のコミュニティデザインとはどのようなことをするのか説明している。
よそものがある地域へ入り、ワークショップを通じて住民のつながりをデザインする仕事だと読めた。
コミュニティという言葉から受ける印象が時代により異なるとあり、自分の持っていた印象が共有されない世代があることを初めて知った。
何でも行政に頼るようになっていく住民について「お客さん化」する社会と表現していたのに共感できる。
著者がどのような点に気をつけてワークショップを進行しているかも書いてあり、参考になる。海外のワークショップに関する本が日本でそのまま役に立たない理由にも触れており、いきなり1冊の参考書を読む前に軽く知識を入れたり、ワークショップの意義をつかむのにはいい本だった。
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都市生活を謳歌していたつもりが、気づいたらつながりがなさすぎて「生きにくい」社会の中にポツリと立っていたというわけだ。さらには、そんな孤独な家族に生まれる子どもがいて、彼らが成長してさらに孤独な社会をつくることになる。これが何世代続いたのだろう。いまでは地方都市でもつながりがないことによる弊害が顕在化するようになってきた。孤立死は東京だけの問題ではなくなっている。
しかし、この流れが変わろうとしている。理由はいくつかある。ひとつは「まちのことは行政にお任せ」とはいってられない状態になってきたということだ。もう「いたれりつくせり」の行政はない。地域に住む人たちが力を合わせてまちのマネジメントに参加しなければならない。
(中略)
とはいえ、「昔に戻ろう」というスローガンが必要なのではない。
(中略)
しがらみの多い社会に戻りたいわけではない。現代を生きる人たちにとって、つながりがなさすぎるのは生きにくいが、つなありがありすぎるのも生きにくいのである。どれくらいの強度であれば快適なつながりなのか。
僕たちはいま、コミュニティーデザインという方法を使って「いいあんばいのつながり」がどれくらいの強度なのかを探っているところだ。自由と安心のバランスを調整しながらコミュニティーデザインに取り組んでいるといえよう。
(「コミュニティーデザインの時代」より)
確かに僕たちは行政に期待しすぎていた。この本の中にも登場する「すぐやる課」は市民をお客さん化させたし、現代の政治に対するポピュリズムもどうだろう?政治家を芸能人のファン投票のようにはやし立て、首相がくるくると変わる。全てを政治家と官僚の責任にして話を帰結する、毎度のことです。何か変わったのだろうか?
もしかしたら、変わらなければいけないのは僕たち国民自身なのかもしれない。それは本当に小さなことからしか始まらない、そして果てしなく長い時間を要するだろう。僕たちの子どもや孫の時代でもまだその変化の兆候が見られないくらい、気の遠くなる作業になるだろう。それでも動かなければ始まらないのだ。
「いいあんばいのつながり」なるほど、そんなものを求めていたのかもしれない。そして、そういうデザインは僕たち自身で創らなければいけない。さあ、やってみようか。のんびりでもいい、気がついた時だけでもいい、まずは始めなければ。
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コミュニティデザインとはなにか、の説明を通じて今の日本に必要な視点を考える。今後少子高齢化が進む以上、高齢化・過疎化が進んだ地域=先進的な地域、との捉え方は新鮮だった。
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コミュニティ・デザインとは、地域内の人間関係的なつながりをどのように構築するかということである。これを受けて、コミュニティが注目される理由、「つながりのデザイン」とは何か、コミュニティ・デザインのプロジェクトでであった人についてのエピソード、最後にコミュニティデザインの進め方について述べられている。
私はいかにして行政職員がこれに関わるかという視点で読んだ。こういったプロジェクトで地域の活性化を進めるのは大事だが、どうしても法や政治制度上の制約を受けてしまう場合があり、それをどうやってクリアするかが行政職員の仕事であると思った。また、硬直的な仕事でこういった動きをつぶしてしまわないようにすべきであるとも感じた。
本書構成上の不満はないが、やはり具体例が少ない点が気になった。これについては山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる』を読んだ方が良いのかも知れない。
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住民主体の地域、街、コミュニティづくりについて筆者の豊富な経験に基づいて書かれている。筆者が関わるコミュニティづくりやワークショップの事例についてはとても興味深いと思うし、人口減少社会を迎える日本の地域活性化についての筆者の考え方にも共感できた。