私のことばに国家がどうかかわっているのかを考えさせられる
2004/12/04 14:45
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本語というひとつの言語で用が足りてしまい、隣の国の言葉と日常的に接する機会もない日本人にとっては、言語というのは空気のように身近で透明な存在です。しかしこうした言語状況は世界的にはまれなことです。ひとつの国家が自国内の多数の言語をある方向に統御していくという、海外では常に目の当たりにさせられる事がこの本では具体的な例とともにわかりやすく提示されています。
この本が出版されるまで日本全国の国語の教科書には「最後の授業」というフランスの小説が掲載されていたものです。ドイツとの戦争に敗れたためにフランスから割譲されるアルザス・ロレーヌ地域でフランス語の授業が明日から禁止される、そんな最後のフランス語の授業を描いた名作短編と言われていました。私も子供のころ、自分の国の言葉を愛することの大切さ、自分の言葉を奪われることの理不尽さを、この小説を通して教えられた憶えがあります。
しかしこの「ことばと国家」が世に出たことで日本の国語の教科書から「最後の授業」が一斉に姿を消しました。「フランス語万歳!」と叫んだ「最後の授業」の舞台となった地域で多くの人々が実は日常的にはフランス語ではなくドイツ語の一方言を話していたということがこの本で明らかにされたためです。<名作>とされた小説の裏に、実は民衆を省みないフランス政府による言語統制があった。その事実に愕然とさせられました。
翻ってみると、この私の使う日本語ひとつとっても、国家の意図とは無縁ではないはずです。自分が話していることばが国家のどういう意図によって成り立っているのか、この本はそのことに目を向けさせてくれます。より主体的に「ことば」にかかわっていくきっかけになる一冊として、多くの人に読んでもらいたいと思います。
偏見を逃れる端緒としての相対的立場
2011/04/23 11:29
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Genpyon - この投稿者のレビュー一覧を見る
相対的な立場から「ことば」について論じた著書で、特に、相対的立場から絶対的立場を批判する迫力が小気味よい。
絶対的立場として取り上げられるのは、題名にも「国家」とあるとおり、国家語・標準語といった国家による制度的構築物で、それらの成立過程が多くの興味深い例を交えながらわかりやすく語られる。
相対的立場としては、標準語に対する方言はもちろん、国家語に対しては、国家を持たない雑種言語としてのピジン語・クレオール語など、日本のような国にいると思いもつかないような言語もとりあげられる。
たとえば標準語話者が方言話者を差別したり、標準語からの文法の逸脱を嘲笑したりするような事実が、本著では、標準語や方言の言語的差異によって引き起こされるものではなく、たとえば標準語に与えられた国家の威信といった、言語外の理由によって引き起こされるものと説明される。
ことばに限らず、ある事実についての差別は、事実そのものが持つ性質ではなく、事実外の理由、特に権威的なものがもたらす偏見が原因となって引き起こされると考えられるが、本著は、相対的な立場こそがそういった偏見から逃れる端緒となることを教えてくれる。
国を持たない言語は母国語とは呼べないってか・・・
2021/11/08 14:39
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:719h - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は言語学に興味を持った頃に手に取り、
そのせいかと言うべきか、
そのお蔭でと言うべきか、
とにかく社会における言語の在り方について
考える上で、現在にまで尾を引くほどの影響を
受けました。
母語と母国語との区別とか。
フランスの言語政策の独善性を
突いているくだりなどは実に痛快です。
世紀を超えた名小論
2008/10/15 14:24
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:S.I. - この投稿者のレビュー一覧を見る
四半世紀以上前に出された小論であるが、21世紀の民族問題がさらに混沌とした現在でもまったく色あせない内容。世紀末ころからこの十数年の間に数多くの新たな新書シリーズが創刊されてきたが乱造・乱発の感は否めない。この小論のような時代を超えた真理を持った新書はやはり老舗と言われる岩波や中公に多いと思うのは私だけだろうか。言語と民族の間の複雑な関係は切っても切れないものであることを再認識させられる。
投稿元:
レビューを見る
今の目で見るとそんなにショッキングには感じない。
・母国語と母語の違い
・アルザス/エルザス地方で使われている言葉
とか基本的なこと。
高校の世界史レベルで分かることよりは少し知識が進むけど。
しかし「言語的支配の独善をさらけ出した、文学などとは関係のない、植民者の政治的扇情の一篇でしかない。」というのはいかがなものか?
「言語的支配の独善をさらけ出した」というのはそのとおりだと思います。
しかし、小説というのは、必ずテーマがないといけないと習ったのだけど、「フランス語の世界征服は素晴らしい」というテーマだといけないのかなあ?
『西部戦線異常なし』は反戦小説だからいい小説。というのはだれでも思うのかしら? 小説として出来がいいのとテーマに賛成とは、切り離しにくいとは思いますが。
『最後の授業』は「プロイセンが憎くて、アルザスを返せ」という動機で書いたものなんでしょうが、主人公の名前はフランツだし、フランス語がかれの母語でないことも隠していないし、感動させる上手いつくりの話ではあると思います。
まあ、ちょっと世界史や言語の知識があると感動しにくいのも確かだけど、それはテーマが気に食わないというだけも問題で、それが「文学」かいなかを決めるものなのでしょうか?
投稿元:
レビューを見る
Antoine de Rivarol(1753年生まれ) フランス語が何ゆえにすぐれているかという点で、リヴァロールはそのシンタクス(語順)がすぐれていることをあげる。
投稿元:
レビューを見る
言葉と言うものは、外国語という名称にもあるように、
国家が成立するとそれにあわせて分類されることが多いが、
実はそうではないという主張から始まり、
早くから国家が成立し、言葉の整備が始まったフランス語の
ラテン語からの脱却などが説明されている。
それとは対照的に、国家の整備が遅れ、
フランス語からの借用語が入るだけ入ってしまっていたドイツ語も説明されている。
言葉は純粋に学問的に見たい場合でも、
政治的要素を多分に含んでいるものだと思った。
投稿元:
レビューを見る
すごくおもしろい!一応英語という言語に携わる職につくつもりなので、いい刺激になったぁ。母語と母国語の違い、とか何気ないことに気づいたよ。ゼミの先生に、イ・ヨンスクさんの師であると教えてもらって読んだ本なので、私の興味にストライクしました。これ読んで田中克彦さんに目覚めたので、違う本も読んでみたいと思います★
投稿元:
レビューを見る
大学生のときに読んで、「国語」とはつくられたものだったということを知ってかなりのショックを受けました。
投稿元:
レビューを見る
「母国語」と「母語」は違うのか。ふむふむ。
気になった表現。
「現実にある言語共同体が用いていることばであって、話されているだけで書かれることのないことばは存在するが、書かれるだけで話されることのないことばは存在しない。つまり、話すことはつねに書くことに先行する。」p.26
「文法の安定と不変を願う気持が、それを正しいときめ、それからの逸脱を誤りとするから、言語の変化はいつでも誤りであって、正しい変化というものは論理的にはあり得なくなるであろう。そのことはつまり、言語に関するかぎり進歩という概念はあり得ないということになる。」pp.72-73
投稿元:
レビューを見る
文章が難解で読みにくいです。
言語における考察を作者がつらつらと書いてる。特に大した感想を抱かなかった。ふーんって感じの本。
母語っていう単語にすごい執念を持っているが、専門領域にしている人でなければ母国語と敢えて区別しないところをつっこみまくっている。
いや、ほんとに可も不可もなくって感じの本です。
投稿元:
レビューを見る
神です。
うちの学類に入学したら読まないとダメだと言われた。
ことばの在り方、国語という概念、今までの常識。
いろんなことを考えさせられた。
あたしの考えの根源にはこの本の影響が間違いなくある。
投稿元:
レビューを見る
2010/2/1図書館で借りる
2010/2
ガストン・パリス:文法が創作を妨げる
J・デュベレー:フランス文学の開花の重要な時期に俗語文学擁護の理論家としての側面を体現した。
アカデミー・フランセーズの設立は1635年。
フランス語洗練のための公的機関として発足した。
フランス語の光栄を世界に永くとどめる、一つの記念碑的な論文を生み出すきっかけをつくったのもまた、プロイセンであった。
フランス人リヴァロールはそのシンタクス(語順)がすぐれていることをあげる。主語―動詞―目的語、この語順のみが理性の秩序を忠実に示すものであるから、「ここにはすべての人間にとっての自然な理論がある」「我らの言語の賞賛すべき明晰さ、その永遠の土台はここに由来する」と述べた。
「明晰でないものはと言えば、英語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語である」
更新的なロシアにおいては、レーニンを含めて、革命インテリたちがいかに外国語好きで、おびただしい外来語を導入したか、革命家たちのいわば言語風俗について興味深い事実が述べられているが、フランス革命は、思想においても文学においても、自らの言語こそが最も先進的であると自覚し、その言語の普遍性が主張されている舞台において生じたところに特徴がある。
すべての国民は、共和国の法の前に平等でなければならない。法を平等に享受するためには万人が一つのことばを持つことによって保障される。
「国語」は決して日常の言葉ではなく明治のはじめ、西洋の事情などにも学び、熟慮の末造り出された、文化政策上の概念だった。
投稿元:
レビューを見る
石原千秋『教養としての大学受験国語』281頁。田中は、国民国家論が流行し出すずっと以前から、言語と国家の問題について発言し続けていた。イ・ヨンスクは田中の弟子。
投稿元:
レビューを見る
09年終
言語学初学にはもってこい・読みやすく分かりやすい
・「母語」≠「母国語」
・国家を支えるために戦略的に作られる
構築主義から捉えること
・アルザス地方