一時代の世界の基本法
2021/03/07 15:06
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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る
無から有を創造することができる人を「天才」と呼ぶ、という というくだりには納得してしまった。
この思想は戦争の悲惨な災禍を少しでも和らげるための基本思想として画期的なものであり、日露戦争でその完成をみた。しかしわずか9年すぎの第一次世界大戦で戦争に対する基本的思想が変わってしまった。ということはウェストファリア体制の命はわずか9年間しかなかったということか?
現在では紛争で宣戦布告なんてすることは全くなくなり、戦火を交える前に勝敗が決まっている超限戦の時代になってしまい、ウェストファリア体制 の思想そのものが時代遅れになってきているのか という感想を抱いた。
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◆「ウェストファリア体制」は日本語
現代世界のルールの源となっているウェストファリア体制について、深く学ぶことができます。
日本では当たり前に通じることが、ヨーロッパでは中々通じないことが良く分かります。
□天才グロティウス
『戦争と平和の法』の内容を通じて、国際法の概念を解説してくれています。
戦争そのものは否定していないところがポイントだと思いました。
本書を通じて、国際社会の根底にある問題を深く学ぶことができました。
何回も読んでみて、日本には何が足りないか、考える機会にします。
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倉山満の思想が詰め込まれている
0点か100点の二択だけ
戦争は王様のルールある決闘
暗黒の中世が無い日本
この数年、目から鱗が大量剥脱中
何より、世界史の数々の事件の意味を
知ることで歴史が楽しくなってきました
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最後の宗教戦争である三十年戦争の時に、ウェストファリア公国の2つの都市、ミュンスターとオスナブリュックで講和会議が開かれた。それぞれの地で結ばれた、ミュンスター講和条約とオスナブリュック講和条約という、1648年に締結された2つの条約を合わせたものがウェストファリア条約である
395年 ローマ帝国は東西に分裂。腐敗した西を捨て、東だけでも立て直そうとした。西ローマ帝国は467年に滅びますが、東ローマ帝国は1453ねんまで約千年の延命に成功。
東ローマ帝国は別名、ギリシャ帝国。首都をコンスタンティノープルに遷し、ローマ教会の影響を排除
ローマ・カトリック教会が贖宥状(しょくゆうじょう)というデタラメをやっていると批判したのが、プラハ大学教授で聖職者のヤン・フス
バチカンから破門されたルターを保護したのが、ザクセン選帝侯(ローマ皇帝を選ぶ権利を有する貴族で、わずか7名しかいない)
ルターを批判したのはツヴングリ、カルバン派
3つのカルバン派の特徴は、金融大国(スイス、オランダ、アメリカ)なこと
カルバン派 禁欲的勤勉に働いて金を儲ければ、終末の日に神様に天国に連れて行ってもらえる
マックス・ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 プロテスタントの国で資本主義が始まった
ヘンリー八世が離婚したいという勝手な理由からリーマカトリックと縁を切り、1534にイングランド国教会が成立 中身はカトリックで有りながら、バチカンに逆らったのでプロテスタント扱い
フランスのカルバン派はユグノーと呼ばれる
ハプスブルクの神聖ローマ皇帝フェルナンド三世はドイツ300諸侯のウェストファリア公国にある2つの都市、オスナブリュックにはプロテスタントを、ミュンスターにはカトリックをそれぞれ分けて呼んだ
天皇、教皇、国王は皆対等。序列は即位順
ウェストファリア会議の時に至って、軍使は殺さないでおこうという約束が成立
ウェストファリア条約の要諦は、宗教的寛容です
教科書的なウェストファリア条約の説明では3つのことが確率
宗教に対する世俗権力の独立(政教分離)
帝国からの領邦主権国家の独立
主権国家の対等
大日本帝国が欧州公法を国際法にした
国際連盟で各国の調停を日本がした
1907から、大英帝国以下列国が日本と大使を交換した
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憲政史家の倉山満の一冊。
ウェストファリア条約が現代の国際史の中で礎となる出来事であるということは彼の書籍で理解してたつもりだが、その体制が確立されてたのは20世紀に入ってからで、かつ日本が大きく貢献したというのは今回の本で初めて知った。
そして、現在はウェストアリア体制が崩壊して民族紛争が絶えないことを考えると悲しく感じた。
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私は世界史の授業を高校二年生で受けましたので今から40年ほど前になります。高校二年になると受験科目を決めていて、理系を志望していた私は世界史は範疇に入っていませんでしたので、別の科目の勉強をしていました。とはいうものの歴史好きの私は、先生の授業の耳だけは機能していたのかもしれません。
中でも印象に残ったのは、ドイツのハイパーインフレの時の倍率を、ゼロをいくつも書いて示したことと、この本のタイトルである「ウェストファリア条約」のことでした。先生は確か、この条約により世界が変わった、もしくは近代になった重要な条約であると説明されていました。
それ以来、頭の隅に残っていた私は、今まで何冊も楽しく読ませていただいている倉山氏のこの本を見つけた時には思わず本屋さんのレジに並んでいました。分厚い新書で情報満載、令和2年の2月初めから、在宅勤務の始まる二月末にかけて、通勤電車で楽しみながら読みました。
以下は気になったポイントです。
・ネーデルランデンはドイツ地方にありながら、スペイン・ハプスブルク家の所領であった、北部が独立をめざし、単数形で「ネーデルラント」を名乗った。1588年に事実上独立し、1648年ウェストファリア条約が締結されたときに正式に独立する、オランダ連邦講和国である。南部は所領としてそのまま残り、1815年にオランダに併合、そしてベルギーとして独立するのは1831年である(p28)
・本家オーストリア・ハプスブルク家が皇帝を世襲していたが、羽振りは分家のスペイン・ハプスブルク家のほうが、新大陸に植民地をもち、ポルトガルも併合して羽振りが良かった(p30)
・欧州で戦争が日常なのは、宗教問題で争っているから、これにカネが絡むので命がけの殺し合いになる。1517年、マルチンルターが宗教改革を始めてローマ教皇に喧嘩をうる、そしてルターと支持者たちは、カトリックに対してプロテスタント(抗議するもの)と名乗るようになる(p31)
・カトリックを信仰したのは、スペイン・ポルトガル・フランス・ベルギー・ルクセンブルク・イタリア・ドイツ南部・オーストリア・ポーランド・エストニア、プロテスタントは、スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・スロバキア・チェコ・ドイツ北部・スイス・オランダ(p32)
・ルターはバチカンに対して預定説を突き付けたが、途中からあまり言わなくなった、それを批判したのが、ジャン・カルヴァンであり、これがプロテスタントにおける、ルター派・カルヴァン派の違い(p40)
・当時の外交官は、現代の野球やサッカー選手と似ている、国籍に関係なくチームに所属する、外交官と軍人は国籍に関係ない職業であった、外交官になれるのは軍人のなかの優秀な人のみ(p51)
・ユダヤ教は民族宗教(ユダヤ教を信じる人だけがユダヤ人であり、そうでない人はユダヤ人でない)であったが、イエスが改革して人類宗教にしてしまった。「すべての人間を愛しなさい」が教えであり、近代以前では、愛せない・仲良くできない人間は人間ではない、ということになる(p61)
・東ローマ帝国は別名「ギリシア帝国」と呼ばれる、首都をコンスタンティノープルに移してローマ教会の影響力を排除した、皇帝自身がキリスト教世界の首長であると宣言し、これがギリシア正教会(東方正教会)の始まりである、ローマのほうでは教皇が皇帝よりも威張っていた、皇帝は後に「神聖ローマ皇帝」と呼ばれるようになる。(p66)
・宗教改革の先駆けは、イングランドのオックスフォード大学神学教授、ジョン・ウィクリフである。彼は1376年頃から、ローマカトリック教会のやり方を批判し、ラテン語で書かれていた聖書の英語訳もやった、彼の死後30年を経て、1414年にバチカンから異端とされる、異端認定してから13年後に彼の墓が暴かれ遺体が火あぶりにされた(p66)
・ウィクリフ、フスに続いてローマカトリックに講義したのが、ドイツのマルチンルターである、これ以降、抵抗する人たちはプロテスタントと呼ばれた(p68)
・カトリックは、金で解決できると考える悪徳宗教だが穏健である、一方のプロテスタントは「人間に自由意志はない」と考える宗教原理主義者である(p70)
・カルヴァン派はスイスに始まり、金持ちのオランダにも広がり、そのままアメリカ大陸に渡り、合衆国をつくってしまった。これらの国々は金融大国という特徴がある。世俗で金儲けして成功したのは、神に救われた証拠と考える(p77)
・カトリックでは労働はアダムが神様からリンゴを盗んだ罰である、なのでラテンのカトリックの国(フランス、イタリア、スペイン等)に勤勉を美徳とする文化はない(p78)
・神聖ローマ皇帝の傭兵隊長ヴァレンシュタインが凄かったのは、掠奪と進撃速度の問題を画期的なやり方(徴税)で解決した、徴税して給料として配るので掠奪はするな、とした(p100)
・ロシアは最初から大国ではない、30年戦争当時は、ポーランドやスウェーデンのほうが大国であった(p102)
・最精鋭部隊を決戦局面まで温存するのが戦いの定跡である、ストッパーを最終回まで温存するようなもの、戦争ではこうした兵力のことを戦略予備という。戦場で勝てるかどうかは、戦略予備の使い方にかかっているといっても過言ではない(p111)
・ラテン語は貴族の言語で帰属間では共通語であるが、普段自分たちが話す言語を使用したい人がいて、スウェーデンをはじめとするプロテスタントはドイツ語、フランス等のカトリックは、ラテン語・フランス語・イタリア語であった、1919年ヴェルサイユ会議で英語にとってかわられるまで、フランス語が主流となっていく(p114)
・ウェストファリア条約の要諦は、宗教的寛容である、要するに負けたカトリックのハプスブルク帝国に「異端認定して殺すのはやめよう」ということ。さらに領民が君主と異なる宗教を選んでよい、という信仰の自由を認めた、これが世俗主義であり政教分離である。以前の考え方は、自分と違うことを考えているかもしれない者は、殺さなければならない、が常識であった(p118,120)
・ウェストファリア体制が主権国家体制であると強調されるのは、国家に教皇や皇帝のような上位の存在がいなくな���、それぞれの国が対等であるとの建前が成立するから(p122)
・政教分離とは、政治と教団の分離である。世俗権力のほうが教会戦力よりも上になっていく過程が近代国家ができる過程である、早い国はイングランドで1689年権利の章典、遅い国はフランスで、第三共和政で1905年に政教分離法が公布された。日本は聖徳太子で解決している、ローマ教皇がおとなしくなるのは、1929年のバチカン市国の建国でもって、公式にウェストファリア体制を受け入れた、つまり自分たちも他の国と同格とした(p125)
・日本の戦国時代には宗教勢力の争いはあった、延暦寺・法華宗・石山本願寺は三つ巴で殺し合いをした、欧州の30年戦争等と比べたら少ない。日本には天皇という調停者がいたので(p162)
・グロティウスはどういう理由で戦争を始めるかを説明し、目的を明確にせよと主張した。目的が明確であれば、その目的が達せられた時点で「戦争」をやめられるが目的のない戦争は「戦争」ではない(p167)
・トルコが攻めてきたら欧州は結束するのが常である、ハンガリーをトルコから奪い返して1699年にカルロヴィッツ条約を結んで戦いが終わる、これ以降有色人種が白人に勝ったのは三百年(日露戦争まで)ない、欧州のルールが世界の法になっていく端緒である、イギリスからロシアまでのキリスト教国の法律であり、欧州以外の異教徒・有色人種には適用されない(p190,197)
・総力戦の萌芽はアメリカの南北戦争である、リンカーンが奴隷解放を公約に大統領に当選したのに、南部諸州がアメリカ連合国を結成して連邦離脱して戦ったのが南北戦争である。アメリカ合衆国(北部)は、アメリカ連合国を抹殺した(p206)
・1905年のポーツマス条約は、キリスト教国以外の国が「ウェストファリア体制」を対等に受け入れた瞬間であった、日本は1911年の不平等条約撤廃で対等となり、1919年のヴェルサイユ会議で正式に大国として認知される、その結果1907年から大英帝国以下列国が日本と大使を交換(大使館を設置)した(p213,214)
・ウェストファリア体制とは、1)心の中では何を考えて良い、2)人を殺してはならない、3)お互いの存在をみとめあおう(p280)
2020年4月12日作成
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今回も面白かったしスゴく勉強になった。
グロティウスやリシュリューのことがよくわかり、どうして国際法が確立していったのかがとても細かくて分かりやすく書かれていた。『敵とは利害が異なった者』で犯罪者とは違うと書かれていたことが、本当にそうだと思った。
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30年戦争と以降の歴史解説が大雑把でわかりやすいし、当時の背景がつかみやすいのでこれ読んでからハプスブルク家ものを読んでもいいかも。
フロイトやデカルトも絡めつつ現代に向うのがおもしろいし、読みたい本ができるのもいい。
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心の中で何を思ってもいい
人は殺してはいけない
お互いの存在を認め合う
そんな当たり前が当たり前でなかった欧州の獣の時代に、文明的な戦争を説いたグロティウス。
犯罪者と敵は違う。つまり、戦争は犯罪ではない。
欧州の法だったウェストファリア体制を本当の国際法体制にした、日本。
日本の罪は、国際連盟を抜け、先の大戦で殲滅されることで、再び獣を世界中に解き放ってしまったこと。
倉山先生の本は、ちょっとあれって思うところもあるが、唸らされる。
どーすんだ、本当。
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ウェストファリア体制の意味が良くわかる。ちょっと乱暴だけど分かりやすい語り口で説明がなされている。
グロティウスがやりたかったことは、殺人が当然だった世界、すなわち、異教徒や異宗派は人でないから殺して良いという世界から、暴力の独占主体を国家(王様)にして、貴族や教会から暴力を取り上げて、その同格の国家間での必要悪としての戦争というものを発明したというのが倉山先生の説明するウェストファリア体制。
その一員たるには、自ら身を守る力が必要であり、力で対抗できない近代の非欧州圏には適用のないものだったが、大日本帝国がそれをグローバルなものにしたのにも関わらず、自らの滅亡によって弱肉強食の世界を生み出してしまった責任があると喝破。
国連憲章によって戦争が違法化されたが、それによって管理された戦いというのが無くなり、紛争やテロという名の前近代に逆行しており日本も必要な備え、すなわち軍備が急務と指摘。
また、民族自決というウッドロー・ウィルソンの考え方は人類に悲劇をもたらした呪いというのもなるほどなと。
ウィルソン狂人論について、筆者は書いているようなので、それも読んでみたい。また、田中明彦先生の新しい中世という20年前に読んだ本も、ウェストファリアから脱して国家以外が力を持ちつつあるという話だったが、趣旨は同じだと思う。これも読み返してみたい。
中々に考えさせられる本だった。
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『#ウェストファリア体制』
ほぼ日書評 Day435
著者の「天皇本」はこれまでにも紹介して来たが、「世界史」系は初めて読んだ。
'ウィルソン=キチガイ' など、例によって極論も多いが、無味乾燥な暗記科目とされる「歴史」という教科をこんなふうに教えたら、何百倍も興味が湧くのにな…と考えさせられる。
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ちょっと乱暴で偏った意見ではあるが、割引いて読んだとしても、自分が知らなかった新しい視点で、欧米の歴史を知る事が出来た。
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<目次>
はじめに 日本人の全人類に対する罪
第1章偉大な天才グロティウス、その悲劇の生涯
第2章なぜ宗教戦争は悲惨な殺し合いになるのか
第3章なぜ戦争と平和の方は必要とされたのか
第4章ウエストファリア体制の現実
第5章日本人の世界史的使命
おわりに
関連年表
フーゴー・グロティウス(1583-1645)
オランダあたり(当時国の概念なし)出身
提唱したウエストファリア体制
①心では何を考えてもいい
②人を殺してはいけない
③お互いの存在を認めあう
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カエサルはクレオパトラに陶酔しても国をエジプトに売り渡すことはなかったが、アントニウスは売り渡した。▼オスマン帝国最大のライバルはサファヴィー朝(イスマーイール1)。▼ユスティニアヌス(ビザンツ)は、ササン朝ペルシアから攻め込まれるたびに貢納金を払って許してもらった。『誰も教えてくれない真実の世界史講義 古代編』
宇多天皇は臣下して民間人のときに生まれた息子が、のちに醍醐天皇として即位した。醍醐天皇は民間人出身の天皇。p.25▼「神聖ローマ帝国は神聖でもローマでも帝国でもない」(ヴォルテール)。p.34▼高麗を建てた王建は満州人。p.139▼ウィリアム・ピットはユーラシア大陸のヨーロッパを支配したナポレオンを倒した。北条時宗はユーラシア大陸のヨーロッパ以外を支配したモンゴル帝国を倒した。p.153▼モンゴルは敵の中に裏切り者をつくって間接侵略をする。二月騒動で時宗が国内の裏切り者を皆殺しにした。p.157▼足利義満。皇室を乗っ取ろうとし、日本を明に売り飛ばした売国奴。p.219▼足利義持。明の使者を追い返し、明の冊封体制に組み入れられていたのを否定。p.268▼足利義教。父は義満。天台宗の座主。治安が乱れていたため、絶対主義を敷く。p.267▼神の声を聞いたというジャンヌ・ダルク。教皇庁を通さず、神の声を聞いたというのは教皇庁にとって都合が悪いため「魔女」として火炙り刑で殺した。p.305『誰も教えてくれない真実の世界史講義 中世編』
北条時宗は文永の役以降は元の使者を切り捨て、自国に返さなかった。p.50▼朝鮮の世宗が対馬に攻めてきた(応永の外寇)が現地の武士だけで撃退。p.53▼悪行の限りを尽くした侵略者コロンブス。エンリケ航海王子はほとんど航海をしなかった。p.68▼鉄砲は弓と比べて熟練せずともた易く使える。p.81▼日本へのキリスト教伝来は763年ネストリウス派。p.82▼日本とインディアンの違いは、カトリックに洗脳されたのは大友宗麟・大村純忠・有馬晴信の三バカくらいしかいなかったこと。p.86▼伊藤マンショ・千々石ミゲル・中浦ジュリアン・原マルティノは、電波少年でアラファトに会った(だけ)の松本明子と同じで日本の運命になんら関係ないどうでもいい人たち。p.88▼フェートン号事件が起きた時、徳川家斉は責任を現場に押しつけ、何もしなかった。p.94▼松平定信。官学の朱子学以外を禁止。浮世絵・好色本を発禁。武士が商人にした借金を棒引きに。飢饉に苦しむ民衆を放置。頼るものがない民衆は天皇陛下にすがる御所千度参り。p.108▼ベートーヴェンはナポ1を尊敬し「英雄」を作曲したが、ナポ1が共和主義をすて皇帝になると激怒した。p.117▼クリミア戦争のとき、英仏の連合軍の軍艦が函館港を基地として出港してロシアと闘った。函館はフランス軍の海兵を療養させた。p.160▼薩英戦争。死傷者は薩摩19名、英63名(艦長含む)。p.168▼戦国時代、城に籠る敵の城下町を荒らして、住民に領主としての統治能力がないことを印象付ける挑発が行われた。p.201▼一番反対しそうな勢力に大事な役をやらせる。p.207『英雄たちの世界史』
歴史教科書に書かれている嘘は論理で見破れるが、書かれていない本当のことは知識がないと見抜けない。▼中立とは戦���ている双方の敵を意味する。中立は強い者だけに許される特権。▼聖徳太子は「当時の呼び名ではない」と言うなら、幕府は御公儀、将軍は上様、鎌倉幕府は関東と呼ばなければいけない。▼735年、朝廷は、新羅が日本の許可なく国号を「王城国」に改称したことを叱責し、撤回させた。▼736年、ネストリウス派キリスト教が日本に伝来した。▼アッバース朝カリフであるハールーン・アッラシードは当時の大国ビザンツに遠征して勝利している。同時代、ヨーロッパ辺境のローカルヒーローであるカールとは格が違う。▼吉田は外国の支配を取り払った。鳩山は抑留されていた日本人を取り戻した。岸は外国の軍隊に一方的に支配される関係を脱した。池田は日本人に豊かな暮らしを与えた。佐藤は本土以外の米軍に占領されていた人々を取り戻した。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』
ウッドロー・ウィルソン。自分を人類の救世主だと勘違いしている狂人。味方である英仏日に植民地解放を要求し、ハプスブルクとオスマンに領土解体を突きつけ、敵であるレーニン政権の領土保全を訴えた。同盟国の利益を損ない、凶悪な敵を育てて、世界中に民族紛争を撒き散らした。『ウッドロー・ウィルソン』