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課税作物としての穀物の優位性に、収穫時期が決まってるってのが大きいのに膝ポン。いつでも収穫できる豆類とかに比べて、たしかに「脱税」もしにくいわな。
初期国家というか文明の台頭期に焦点が当たってて、もちょっと現代寄りを期待してたので、残念。
「ゾミア」から読んだほうが良かった…って問題でもなさそうだなあ。
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人類文明の歴史をこういう角度から見通すとは、面白い。国家や文明に馴化、適応させられたのが現代人というのは正しい指摘かも。文明側から恣意的に「野蛮」に分類されてきた人々の多くが、実は文明側から自由になった人達だったりとか、刺激的で示唆的。
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知的刺激に満ちた本だった。「銃・病原菌・鉄」を読んで以来、農耕・牧畜民族が文明・国家を築き、狩猟・採集民族を駆逐したのが人類の歴史だと思い込んでいたが、全く違っていたことを認識させられた。動植物の家畜化・作物化(農耕・牧畜)→定住・人口増加→文明・国家出現と直線的に発展したと思っていたが、定住が家畜化・作物化に4千年も先んじていたこと、農耕・牧畜から初期国家出現まで6千年かかっていることに驚愕した。また、農耕民族>>>狩猟・採集民族で優越しているのではなく、農耕民族の被支配層(農民)は奴隷等の弱者で農耕民族の支配層と狩猟・採集民族の間で搾取・略奪という形態で結果的に農民の産み出した生産余剰とシェアしていたという事実には目から鱗が落ちる思いであった。
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斜め読み。穀物を貯蔵し定住することによって、支配するものと支配されるものが生まれるという皮肉。動物は元来順位を付ける生き物だ。文化的な生活と格差の助長、ひいては搾取という構造に、搾取される人々は気づかない。気づく暇もないのか。斜め読みになってしまったけれど、これから読もうとしている炭水化物の摂取をコントロールするという内容の本にも通ずる。
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農耕を行って国家ができたわけではない、という所から、国家の要件・定住の意味などを考え直すという意味では非常に面白かった。この本でいう「野蛮人」は中世くらいまで続いているような雰囲気を醸し出していたが、その辺りまで考えを膨らませると色々と面白い。旧約聖書や中世の文学などを読み返すとまた違う視点が見えるような気がした。
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少し読みにくかったけれど、人が定住して集まって住むようになり、家畜や穀物含め、伝染病が発生・増加する話など、コロナ禍の今読むと興味深い。
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図書館本。
キーワードは飼い慣らし、野蛮人、奴隷など、やや陰鬱な言葉が並ぶ。訳に癖があり難解だった。
著者の主張としては、狩猟民や採集民の方が労働コストが低く、何故コストの高い定住を選んだのか、と言うやや偏った様にも思えるもの。その見方はあちこちで感じられる。
他に気になった事は、万里の長城などは外敵から守る為にあっただけでなく、中から逃亡させないためでもあった事。確かに不作にも関わらず法外な税を取り立てられたら逃げるしかない。また戦争もただの殺戮ではなく、奴隷と言う人的報酬の意味合いもあった事か。
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移動性狩猟採集民を野蛮人と定義し、国家を作ることになる定住農耕民との歴史的な対照と兼ね合いを綴った専門書です。
獲得経済と生産経済について、初期段階では前者のほうが確実にお得であることを著者は提唱しています。
国民として生きるよりも野蛮人として生きるほうが楽である“野蛮人の黄金時代”、人間らしさはどちらにあったのでしょうか。
奴隷制という手段によって国家と人口を巨大化することで生産経済が伸びるわけですが、この時には既に人間自身の飼い慣らしが完了して自然な存在を逸脱しています。
家畜と化した農耕民は数と道具(それと伝染病)によって野蛮人を同化・駆逐し増え続け、今に至ります。
農作物や家畜とは人間の手入れがないと死ぬものですが、我々はそれらを食べずに自然へ帰れと言われたら戻れるでしょうか。
副題のディープヒストリーは今後も続きそうですね。
とても難い内容ですが、著者の軽快な筆致で読了できました。
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国家を、文字の所有者、物の集積を後代の我々が自己投影的に、文明の主体として見做し、その周辺をその他、雑多な物と見做す基準点になる。
国家を主体としなければ、暗黒時代、国家の崩壊時には、もっとも豊かなコミュニケーションがあったに違いない。
どれもカッコ付きだが、穀物、臣民、奴隷、伝染病、野蛮人の交流などを描くことで、そのような可能性を構造として示されている。
多くの基準点を打つことが必要であることを教える、歴史を見るためのリテラシーについての本でもある。
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今40歳前後から上の世代は、おそらく歴史の時間に、農耕により社会が豊かになり定住が開始されたというように習ったと思う。しかしこれは机上の空論で、実際には農耕の始まる遥か前から人類は定住をしていた。ここまでは考古学では数十年表も前からコンセンサスがとれており、特に真新しい指摘ではない。
ただ、著者はそこからさらに思考を進める。定住から農耕革命までタイムラグがあるのは何故か。定住・栽培から国家の誕生まで4000年もタイムラグがあるのは何故なのか。そして、なぜ、人類は国家というシステムを維持するのか。キーワードは「飼い馴らし」である。
疫病について多くのページが割かれるのは、このコロナ禍にあっては感慨深い。疫病は都市化がもたらしたものであり、それにより初期国家は何度も崩壊を繰り返した。
わずか400年前まで、世界の1/3は狩猟採集民、遊牧民などが占めていたという。われわれが所属する国家とは何なのか考えさせられる。
驚くべきは、著者は考古学者でもなければ人類学者でもない。政治学の泰斗である。御歳83歳。常に学び続ける姿勢を見習いたい。
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人類がアフリカから発祥したとすれば最も遠くまで移動したホモ・サピエンスはインディアンで、次が日本人となる。インディアンはたぶんアイヌ同様、縄文人の末裔(まつえい)だろう。アメリカへ渡ったインディアンはウイルスに晒(さら)されることが少なかった。そのためヨーロッパ人が持ち込んだ感染症によって千万単位の死亡者を出した。
https://sessendo.blogspot.com/2020/10/c.html
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一部で凄く話題になっていたので手にとってみた。これまで考えられていた人類史の基本的な考え方、つまり狩猟民族、遊牧民族がより安定した生活を求めて農耕と定住に移行した結果、国家が生まれて文明が発展してきた、という流れが本当に正しいのか、という疑問を呈している。つまり人類にとって狩猟や遊牧は野蛮で劣った状態であり時代の推移とともに農耕と定住を目指していくものだ、という考え方に疑問を呈した作品。例えば同じ時代の遺骨を比べると明らかに農耕民族の方が栄養が欠けていて体格も貧相だという。ダイエットの話ではないけれど定住し穀物を育て穀物を中心に食べる社会のほうが実は人間にとっては条件が悪く、環境の変化でやむなくそうしただけではないか、という説が提示されている。それではなぜ農耕民族の方がマジョリティを得ているのかというとそれは出生率の問題であると。同じ動物でも家畜化されたものは野生のそれに比べて発情の回数も多くより繁殖するらしい。なので農耕は人類が自らを家畜化してしまったプロセスであると。現代においては定住した農民達が発展して国家となり後世に残る遺跡をいくつか見ることができたり主に徴税のために文字や数字を持っていたために農耕民族は洗練された優れた人たちで狩猟民族や遊牧民族はそういうものを持たないために野蛮人と見なされているが本当にそうだったのか、中世など都市国家が衰退した時代を「暗黒」と呼んだりするがそれは本当に人類にとって不幸な時代だったのか、など言われてみると尤もと思える内容。万里の長城は遊牧民族を防ぐためではなく農民の逃亡を防ぐためだったという説も興味深い。作者が専門外ということもあって深い掘り下げは為されていないけれども今後こうした観点で従来の歴史観が覆される発見や学説がいろいろ出てくるのでは、と思わせれれた。非常に面白かった。
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人類の歴史というと文明化の歴史と同意のように思えないだろうか。農耕を始め、牧畜を始め都市化し、技術革新を経て現在に至ると。しかし人類学の教えるところでは文明化する以前の歴史の方が圧倒的に長い。長さが問題なのではなく文明化される前は暗黒時代のような印象がないだろうか。
この本の著者ジェームズスコットは人類が国家を成立する過程について研究している研究者である。
メソポタミア文明の歴史をみると農業化から文明化(都市化)まで数千年もかかっている。またマレーシアの19世紀までの歴史をみると王国が勃興と滅亡を繰り返している。
国家とは薔薇色なものではなく、国家に組み入れられない野蛮人と国家の営みと関係のない未開人と国家に組み入れられた国民に分けられるという。国家の成立には野蛮人の存在も必要で、野蛮人は国民のアンチテーゼだという。
農業に喜んでとびついたわけではない。
文明化すると、疾病は増え、死亡率も上がる。ただし出生率もあがる。
文明化により、景観も家畜も、皆変わる。
文字は国家の成立要件。(キープも含む)
全体を通して勉強になることが多い本であったが、国家をディストピアとして描きすぎの感がある。著者は「国家は当然おこるべくしておこったこと」という常識を覆したくてそのような記述になったとおもわれるが、国家の境界にいる人を国家に組み入れるには「国民になると都合がいいよ、ただし税金は払ってね」という仕組みが大切であったと想像する。この本では力で民衆を囲い込んだのが国家という立場でそこま少し納得がいかなかった。
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単一農業、モノカルチャー化が労働集約を強要し、徴税などの管理を可能にした。中央集権化を可能にしたのは飼いならされることを必要とする、少数のカロリー源に依存する単一農耕の起こりに依存する。
世界各地で原始的な農耕はあったが、家畜や穀物などの品種に恵まれた地域で国家が生まれ、人々が定住を余儀なくされた。その辺はサピエンス全史のほうが面白く説明してくれている。
メソポタミアを始めとした豊かな土地でわざわざ農耕をする理由はなんであったか?単一で時間がかかる投資をするリスクを取る理由はなんであったか。豊かな土地ではたとえ単一の品種が不作でもカロリー源には困らない。遅延リターン活動という説明は、遅延したリターンが恵まれていない場合に納得感がない。
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この本は完全に大学の教科書。
読み進めていくのがかなりつらい(笑)。
こうやっていろいろと学術書を読んでみると、読みやすく分かりやすい文章を書く学者さんとそうでない学者さんがいるのが面白い。
この本はかなりの歴史的な知識を有していないと読みこなすのが難しい。
本書で論じられるのは、農耕が始まったのは、狩猟採取生活よりも農耕生活の方が有利だからという理由ではなく、狩猟採取が上手くいかなくなり、仕方なく農耕を始めたという仮説を唱えているのだが、なかなか面白い。
また、古代の戦争は、相手の土地や人々(奴隷として使うため)を獲得するための戦争だったということは、考えてみれば当たり前なのかもしれないが、今の現代人の感覚すると、ある意味新鮮である。