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あぁ、読み終えてしまいました。雅で格調高い源氏の世界を損なわず心の動きまで書いているので、読みやすく理解が深まりました。言い尽くせないほど愛おしい源氏物語です。「宇治十帖」の真価は本書で教えてもらいました。ウェイリー版を精妙かつ感性きわ立つ日本語のチョイスで紡いだ螺旋訳ですね。上梓、おめでとうございます。感性豊かな「ウェイリー版源氏」を慈しむように訳され、新たに日本に誕生させた献身に心から敬意と感謝を表します。
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とうとう読み終わってしまった。4巻 およそ2,600頁ほどでしょうか。
読むごとに色彩の、絹織物の、焚きしめられる香の薫りを明確に感じ取れるようになり、季節の移り変わり、樹々や月を眺めての妙なる音楽に囲まれていった。愛や感謝、嫉妬、苦しみと悦び。なんと美しい物語なんだろうか。
毬矢まりえさん森山恵さんのお二人の訳があって、ようやく源氏物語の世界に浸ることができた。帖末のウェイリーの解説とお二人の翻訳にまつわる解説も面白さを重ねていった。川端康成や与謝野晶子版の訳も読んでいきたい。
最後に紫式部さんへ。「ここで終わりー!???」
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読書会に誘発されてというか、読書会に伴走されて?1年かけて読み通した「源氏物語」3週目(つまり、3年目)はアーサー・ウェイリーが英訳した英国語版源氏物語を日本の二人の女性が日本語に訳し戻した作品。
英語版の趣を残しながらの日本語訳だから、すなわちちょっと洋風だから?なのか、ウェイリーの手腕?翻訳したお二人の手腕によるものなのか、読み易く、面白い作品でした。
宇治十帖は翻弄される女性の不幸が際立ちますが、薫の報われなさに少し同情する。
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角田光代版、谷崎潤一郎版、アーサー・ウェイリー版で読み進めてきた『源氏物語』、ついに最後の1冊!
アーサー・ウェイリー版がとってもステキだったので、翻訳者さんによる評論エッセイ『レディ・ムラサキのティーパーティ』も読もうと思ったらこれだけ図書館で複数者予約待ちです。本編『アーサー・ウェイリー版源氏物語』はすんなり借りられたのに。もしかして評論エッセイを読んで本編を読もうか考えている方が多いのかな?
みなさん!『アーサー・ウェイリー版源氏物語』とてもいいですよ!ぜひこちらも読みましょう!!
アーサー・ウェイリー版最終巻は『早蕨』から『夢浮橋』まで。
巻末には、和歌一覧、ヴァージニア・ウルフの解説、翻訳者さんの訳に際してエッセイのようなものが入っています。
帖ごとの内容は谷崎潤一郎版で。
https://booklog.jp/item/1/412201848X
全体的な感想などは角田光代版で。
https://booklog.jp/users/junsuido/archives/1/4309728766#comment
❐英訳
・「宿木」の英訳には「アイヴィー」と「ミスルトゥ」が使われている。アイヴィーは他の木に絡む蔦、そしてミスルトゥはクリスマスの時期に天井に吊るし、その下に立ったらキスをするという飾り。ロマンスと絡む情が感じられますね、すごいなあ。
・「浮舟」が「レディ・オブ・ボート」。その通りなんだけどさあ、なんか情緒ってもんがさあ。なお、訳注で「ウキフネという名前は”漂うボート”という意味」とちゃんと解説もしています。
❐宮中も受領も
ウキフネちゃんの養い親の常陸介のことを「田舎者でガサツで教養もないのだが、自分がエレガンスであると装うために見栄えの良いレディを集め、着飾らせて歌合わせ(ポエトリー・コンペティション)をさせたり、小説(ノヴェル)を書かせたり、庚申の会(モンキーナイトの会)を催したりする。」と書いている。
宮中でも入内した女御に教養のある女性を集めて絵合わせを行うが、受領も同じようなことを頑張っていたんですね。そして「才女を連れてきて小説を書かせる」って、紫式部のことではないか!
❐男女の感覚
『源氏物語』において、男性の言い分は「妻や恋人が一人というわけにはいかない。妻だって自分が唯一の妻というのは不名誉だ」「自分が他の女のところに行くのを嫉妬する妻の心が狭い」なのでこれが当時の価値観なのでしょう。
ここまでくるとただの恋愛ではなくて別の深刻な理由でもあったのだろうかと思うくらいに女性に声をかけまくり、そして目をつけられた女性は体の関係を拒むことは無粋で許されない。
しかし『源氏物語』においては女性たちの苦しい心の内が繰り返し繰り返し語られる。『東屋』では小芹ちゃん(中の君をアーサー・ウェイリーはこう名付けている)が「この世の何処かに一途でいられる男性はいないのでしょうか」と考える。
切実だ、切実過ぎだ…_| ̄|○
❐清少納言が登場していた!?
アーサー・ウェイリーは『蜻蛉』に出てくる宮中女房の「弁のおもと」のことを「枕草子(ピローブック)の著者の清少納言がモデルだよね!?口調と言葉遣いがまさにそのものなんだけど!」���している。アーサー・ウェイリーは清少納言も翻訳しているということですが、口調で判別できるのか!本当にすごい東洋研究人だなあ。
なお、日本の研究では「弁のおもとのモデルは清少納言」という説は無いので、多分違うんじゃないかなってことみたいですが。
❐翻訳というものを考えてみた
アーサー・ウェイリーは、欧米読者にわかるように、聖書、シェイクスピア、ジェーン・オースティンなどを思い浮かべるような書き方をしています。原著にはない描写補足もしているみたい。
このような記述から、「翻訳」ということを考えてみる。
私は外国文学が大好きです。翻訳に際しては翻訳者の意向が入りすぎるとか、固くなるとか、いろいろなご意見も耳にします。
今回このような「螺旋訳」を読み、翻訳とは外国の文章をそのまんま自国の言語に変えればよいわけではない、自分の国の人にもわかるように、興味を持ってもらうように訳により手を加えることもある、というのを目の当たりにしました。
その翻訳者の意向は、原著と一致はしないが広く興味を持ってもらうきっかけにはなる。
そもそも母国語の読者がそのまんま読んだって、作者のいうことをそのまま受け取ることってできないので、私は訳者の皆様がよりわかりやすくしてくれるのはありがたいと思います。
そして私には、このように『源氏物語』が聖書やジェーン・オースティンとの共通点があると知るのは「世界って案外近いな」と思えるのです。私は歌のやり取りなどは、源氏物語の貴族、中世ヨーロッパ騎士たち、それぞれ国も風習違っても人間のやることの近さを感じたこともあります。
『源氏物語』が欧米の読者の心を捉えたのは、ヒーローのゲンジは戦わないし強くないし恋愛でグジグジ言うばっかりでこれだけの大作ができるのか!ってことのようですね。
私も授業で習ったころは軍略物が大好きだったので源氏物語は「なよなよしているし、勝手なことばっかり言ったりやったりしてるしイライラする奴らだなあヽ(`Д´)ノ」などと思っていたのですが(そしてその感想は今も変わらない箇所もありますが)、改めて読んでみると、ただただ恋愛に現を抜かしているような人たちでこれだけの大作を、そして線年経っても変わらない人の心というものを感じることができました。
…ただし、王朝文学好きの友人に「こんな翻訳になってるよ!」と報告していったら「全然違う。全然ダメ。それ無理に翻訳する必要ある?(ーーメ)」と不評なところもありました(^_^;)
やっぱり好きな人には受け入れられないってところもあるのかな。(^_^;)
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やっと読めた!
達成感あります。
今まで様々な『源氏物語』を読んできたけれど。
全く違う源氏でした。
イギリスの貴族の物語を読んでいるみたい。
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A・ウェイリー版の「らせん訳」を読み終わり達成感と喪失感を抱く。一文一文を慈しみながら読み、日本語と日本文化や人の人生の儚さを堪能した。4巻は宇治十帖の「早蕨」〜「夢浮橋」で最後に登場する女君、浮舟の選択についてこれは誰かと語り合いたい。今年は「源氏物語」を読むぞ!と心に決め角田光代訳とA・ウェイリー版を読んだ。他訳も読み、一千年前に生きた人たちの人生をもっと覗きたくなった。
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4巻読み終えて達成感。ヴァージニア・ウルフによる本書評「この美しい世界レディ・ムラサキの完璧さ」も掲載されている。1925年7月刊の「ヴォーグ」誌に発表されたそうだが、ヴァージニアは、この少し前のデイナー・パーティでアーサー・ウェイリーに会ったそうだ。毬矢まりえさん森山恵さん姉妹の「螺旋訳」に出会えて感謝。