賞は授けるためにあるのであって
2020/03/04 15:30
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
第162回芥川賞受賞作。(2020年)
正直これが令和という新しい時代の新しい(新人という意味ほどの)作品だろうかと感じた。
選評を読んでも、選考委員のこの作品に対する熱を感じない。
小川洋子委員が「最初の投票のあと、議論を重ねてゆく中で」この作品が「不思議な静けさをたたえて浮上」と書いているが、それは選考会の気分ということなのだろうか。
あるいは、島田雅彦委員の「今回は危うく受賞作なしになりそうだったが、賞は授けるためにあるのであって」という意見はそうなのだろうか。
今回の選評の中で松浦寿輝委員の「結局はただわからぬまま書いているように見える」は過酷だが、今は亡き中上健次との比較はそのとおりであろう。
つまり、中上の作品と比べて、この作品は「いかにもフラット」とある。
この作品は長崎平戸の小さな島を舞台に、現在と過去が交互に描かれる手法を取っている。
つまりはその土地が持っている地の縁が描かれているのだが、現在の時制で描かれる草刈りをする家族のありさまが何も浮かんでこないのだ。
むしろ彼らはこの土地の地霊ともいえる過去の人々を呼び戻すための巫女たちだったのだろうか。
読んでいる途中で、中上健次の作品との既視感が出てきて、中上の芥川賞受賞作を再読したくなったりしたのは、ある意味、この作品のありようと皮肉にもリンクしているようであった。
確かに「賞は授けるためにあるのであ」るかもしれないが、それだけでいいのだろうか。
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:玉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
結局、最後まで、作品の世界に入っていけなかった。
現代の場面は思い浮かぶのだが、
間あいだにはさまれている部分は、
あまりシーンが浮かばないままだった。
これで芥川賞が取れるんだ、
そう思わない方もいらっしゃるでしょうが、
小生には物足りないままでした。
投稿元:
レビューを見る
背高泡立草
著作者:古川真人
集英社
2016年「縫わんばならん」で第48回新潮新人賞を受賞しデビュー第156回芥川賞候補に2017年第2作「四時過ぎの船」で157回芥川賞候補第31回三島由紀夫大賞候補2019年第4作「ラッコの家」で第16回芥川賞候補
タイムライン
https://booklog.jp/timeline/users/collabo39698
投稿元:
レビューを見る
第162回芥川龍之介賞は古川真人さん!
第162回芥川龍之介賞は古川真人さんの「背高泡立草」です。おめでとうございます!
投稿元:
レビューを見る
読みやすかった。テンポが独特で、句読点の位置とか。けど、読みやすすぎてあまり内容が頭に入ってこず、何度か戻ったり。
投稿元:
レビューを見る
良い。
芥川賞に相応しい。
純文学。場面場面、描写が良い。それを楽しむ作品だと思う。深く考えなくていい。
地方ならよくある話。空き家の草刈り。
日々仕事に追われて、たまに田舎に行って、親戚、家族に会うと色々考えさせられる。誰にでも歴史はある。祖先が居る。
投稿元:
レビューを見る
当初掲載されていた「すばる」が本屋にあったので他のインタビューと合わせて読了。
記憶は刈り取らなければ雑草に埋れていくし、納屋にまつわるエピソードが放射状にそれぞれ関連することのない方向にバラバラと伸びていく姿は、確かに背高泡立草のようかもしれない。特段綺麗な草ではなくても、確かにそこには名前があったのだった。
正直初見では方言が読みにくい。ただ。実際の市井の人々の生活にまつわる記録はいろんなところに行きつ戻りつし、あちこちに飛躍する姿こそ生活に根差した人間の姿を表しているものなので、あえてこの形にしたんだろう。
個人的には同時に芥川賞候補となったデッドラインの方がハッテン的な感じがして好きだが、乱雑なようで制御されている書き方をされたこの作品もとても愛おしいと思った。
投稿元:
レビューを見る
本読みな苦手な人間の感想です。
納屋周りの草を家族ぐるみで刈る話、と某国に逃げ延びる男の話?、の二本立て
といった印象でした。
きっとなにか深い意味があるのだと思いますが、自分には読み取れませんでした。
理解できると、何か感慨深いものがあるのかもしれません。
投稿元:
レビューを見る
吉川家は長崎の島に、納屋の他に家族の者たちが〈古か家〉と〈新しい方の家〉と呼ぶ二軒の家や、物置代わりに使っている建物を所有している。でも、祖母が亡くなってから誰も住んでいない。
大村奈美は、吉川家の納屋の草刈りをしに、母、伯父、伯母、従姉妹ととも福岡から島に行く。奈美は二つの家に関して、伯父や祖母の姉に話を聞く。
そこから、家や島の歴史が広がっていく…
要は、誰の使うこともない納屋の草刈りに行くだけの話なんだけど、小説の長さ以上のボリューム感がある。そこはかとなく読者の方の世界が広がっていくというか。
人の営みの儚さとか、奥深さとか、感じ入ってしんみりする。
人生ってもしかしたら空き家の草刈りをするようなものなのかもしれない。「そんなこと無駄じゃないのか?」と自問しながら。
なるほど、こういう小説好きだわ。
何度も読み返したい。
タイトルがなぜドクダミやススキやその他様々な種類の雑草ではなくセイタカアワダチソウなのか?
が疑問としては残ったかな。誰か解釈を教えてください。
投稿元:
レビューを見る
親の実家の島で持っている納屋の草刈りに行く1日を描いた内容。
会話の中でふと出てきた昔話が次の章で小エピソードととして記されるが、そのエピソード間には特につながりや伏線もなく、ただただ描かれていて正に芥川賞系の作品といった感想を持った。
作者の文章の組み立て方が自分にはわかりづらく何回か読み直した箇所がある、またちょっと難しい漢字を使いすぎている印象有り。(自分が読めなかったのが多いというだけだが)
こういう作品は派手さは無く、自分で何かしら考えを持って読まないとただただづらづら読み終わってしまうな。
全体に流れる日本的な牧歌感は好き。
投稿元:
レビューを見る
作者が福岡の人。
出身高校の先生がうちの学校に宣伝用に3冊持ってきたので一冊拝借。
草刈りにいく家族と草刈り現場の離島のさまざまな歴史が交互に語られる。
文学作品、という感じ。
生活感に支えられていて、方言もあいまって実感はもって迫ってくるけど、面白いかといわれると…。
芥川賞ぽい作品です。
投稿元:
レビューを見る
草が茂った納屋の草を刈る物語
納屋の元々の持ち主の物語
江戸時代の捕鯨の物語
カヌーで海に出る少年の物語
これらの物語がいろんな面から展開され、小説が進んでいく
納屋の草を刈ることになんの意味があるのか、それについて考える主人公と、納屋にまつわる物語が展開されていく構造
納屋の草刈りにはなんの意味があるのか、それぞれ展開される物語にどういった意味があるのか
納屋にまつわる人間模様が重厚な質感を小説に与えている
感触的には入り乱れた物語の渦に入っていくイメージ
投稿元:
レビューを見る
冒頭部分で奈美が発する「なぜ誰も住んでいない家の草を刈らなければならないのか」という疑問に、確かにそうだよねー、などと少し思った。
しかし、納屋に関係するであろうエピソードの数々を読み進めるうちに納屋にまつわる歴史や記憶の重みみたいなものが積み重なっていった感覚があり、冒頭と物語を読み終えた後とでは私が抱く納屋の印象は少し違ったものになった。
(水中で息を長く止められるようになる方法が陸では極力言葉を発しないことというエピソードが特に好きだった)
また、全編を通して何種類もの文体が駆使されており、飽きさせない構成になっていた。芥川賞作家の文章力を堪能できた。
投稿元:
レビューを見る
母親の実家、長崎の島にある、今はもう誰も使っていない納屋の周りの草刈りを手伝わされる奈美。
草刈りが嫌なわけではないのに、なぜ誰も使っていないのにわざわざ大勢で草刈りをしなきゃならないのか、と何度も問う。
「古か家」と「新しい方の家」と「納屋」。今は誰もいないその建物から出ていった人、住みに来た人、助けられた人。それぞれにそれぞれの時間が流れる。
草を刈る意味。「みっともない」「かわいそうかろうもん」そして「良いやないね」わかってるけど納得はできていない、でもたぶん、これからも続いて行く草刈り。それは、どこにも等しく流れる時間の繰り返しと同じ。
投稿元:
レビューを見る
第162回芥川賞受賞作。2月に帰った時に買ってから積読。次の芥川賞も届いたってこともあって、読みました。
お約束のいかにも芥川賞っていう読後感。島の今と昔のいくつかのエピソードが折り重なり進む。
正直、途中、話のつながりがよく分からなくもなってきた。
とりあえず、将来、実家の周りの草刈りもしないといけないよなとは思った。