紙の本
煌めきはやがてほろ苦さに
2024/03/31 17:24
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投稿者:pinpoko - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者の初めに翻訳された『モスクワの伯爵』が高評価らしいが、デビュー作であるこちらも素晴らしいの一言に尽きる。
二つの大戦のはざまでつかの間の繁栄を味わうニューヨーク、マンハッタン。我々がニューヨークといえば、真っ先に思い浮かべるのが華麗な高層建築群だが、じつはそれらはこの物語に先立つこと10年前の株価大暴落に端を発した大不況下での一大失業対策事業の成果でもあった。
今に残る豪華なペントハウスが、失業と貧困に喘ぐ人々の労働の結晶であったというのが何とも皮肉だ。そしてこの皮肉が本作に登場するケイティとティンカーを取り巻く人間模様にも重要な関わりをもって物語は進行する。
全編、1938年当時のスノッブなニューヨークの生活の細部が散りばめられ、やがてそれらがパズルのピースのようにあるべき場所に収まってゆく。移民2世でマンハッタン周辺の低所得層の住む地域出身のケイティは、努力の甲斐あって今は大手法律事務所の秘書として働いている。そんな彼女のルームメイトは、中西部の実業家の娘だが、そこでの先の見えた生き方に満足できないイヴ。二人で気ままな都会暮らしをおくっているが、1937年の大みそかに二人の運命を変える出会いが起こる。
仕立てのいいカシミアのコートを着て、完璧なマナーを身に着けた上流階級の男性ティンカーだ。鋳掛屋という労働者を思わせるニックネームを自らにつけるのは果たしてどういう心境なのか。世間知らずのお坊ちゃんではないというアピールなのか、堅苦しい礼儀作法の下には、下情に通じたくだけた顔があるという証なのか。
財産や地位目当てだけではない微妙な三人の関係が始まるのだが、ある交通事故をきっかけにティンカーはイヴを自宅に住まわせ、やがてリゾート地を一緒に旅行するうちに男女の仲になってゆく。ここでケイティはあからさまな嫉妬など見せず、あまり会わなくなった二人から、緩やかに別の友人の輪に移ってゆく。このあたりの心理描写と背景となる様々なクラブヤパーティーの様子が、そこにかなりすんなりと溶け込むケイティの適応能力の高さを見事に表現している。
このケイティが、上昇志向むき出しのハングリーさではなく、ゆっくりと漂いながらも自分の目指す方向を正確に見極めている女性として描かれているのが何とも心憎い。秘書としての業務でも上司に一目置かれ昇進を打診されるし、華やかな付き合いをしながらも、かなりの読書家であり機転もきき、何より階級の違う相手にも気のきいた言い回しで見事に自分の考えを伝える様は、21世紀の現在でもお手本にしたいくらいだ。
とくに印象的だったのは、ペントハウスから紙飛行機を飛ばすシーンだ。まるで人生のように風や障害物や奈落を乗り越えて、計算しつくされたフォームと度胸と少しの運が明日の運命を切り開く。そこでは見せかけの上辺は役に立たない。後年ひとかどの地位を築いたケイティがある写真展で見かけたティンカーの2枚のポートレートがそれを物語っている。
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『モスクワの伯爵』で、とんでもない逸材を引き当てたと思ったエイモア・トールズの、これが長編デビュー作。一九二〇年代から一九五〇年代のロシアを舞台にしたのが『モスクワの伯爵』なら、これは一九三七年のアメリカ、ニューヨークが舞台。まるでタイムマシンに乗ってその地を訪れているかのような、ノスタルジックな世界にどっぷり浸れるのがエイモア・トールズの描き出す作品世界。デビュー作とは思えない完成度の高さに驚かされる。
一九六六年十月四日の夜、中年の後半に差しかかっていた「わたし」はニューヨーク近代美術館で開かれた写真展のオープニング・パーティに出席した。黒のタキシードと色とりどりのドレスがシャンパンで酔っぱらう騒がしい会場を脱け出し、写真に見入っていた「わたし」は、その中に懐かしい顔を見つける。ティンカー・グレイ。二十年以上も前に撮られた二枚の写真には歴然とした違いがあった。一枚は金持ち然として疲れ、もう一枚はみすぼらしく薄汚れているものの眼が輝いていた。それには一つの物語があった。
舞台はニューヨーク、マンハッタン。一九三七年の大晦日の夜、二十五歳のケイティは、ルームメイトのイヴと連れだって、グレニッチ・ヴィレッジにあるナイトクラブに出かけた。ホット・スポットという名の店ではクアルテットがジャズのスタンダード・ナンバーを演奏していた。持ち金が切れ、誰かにおごらせようとしていたとき、カシミアのコートを着た男が現れた。兄に待ちぼうけを食わされたセオドア・グレイ。裕福な銀行家は愛称をティンカー(鋳掛屋)だと告げた。
一人の男に二人の女。典型的な三角関係のはじまりかと思ったが、予想は覆される。何日かたったある日、二人を乗せたテディのメルセデスがトラックに追突され、イヴが顔と脚に大けがを負ってしまう。責任を感じたテディは、退院後イヴを自分の高級アパートに同居させた。イヴの表現を借りるなら、「壊したから買ったの」だ。ルーム・メイトを失ったケイティは下宿を出て一人で暮らし始め、二人と会うことは稀になった。
ケイティの本名はカティヤ。ロシア移民のコミュニティのあるブルックリンのブライトンビーチ育ちだが、現在はウォール街の法律事務所で秘書をしている。そういう意味では、サクセス・ストーリーの勝ち組である。イヴはインディアナ州の富裕層の娘で気ままな暮しに憧れてニューヨークにやって来た。ティンカーはケイティの読みではボストン生まれでアイヴィー・リーグ出身という上流階級に属する。
一人の男をめぐる女たちの物語であると同時に、社会階層の上昇と転落の物語でもある。ニューヨークにアール・デコ様式の摩天楼が聳え立ちはじめた三十年代。資産家やその子息たちは何かというと広大な敷地内で豪勢なパーティを催していた。運転手付きのベントレーやロールス・ロイスの後部座席に乗り込んで、高級レストランやバーに出かけては仲間同士の集まりを楽しむ、スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』のような世界が、小説を鮮やかに彩る。
その中には、テディの学校の上級生で、父親の後を継いだウォルトのような衒いのない本物の紳士もいれば、ディッキーのような若くて陽気な資産家の嫡男もいる。テディと暮らすうちに、イヴはその中に苦もなく入り込んでいく。そんなイヴは周囲の目にはテディの妻の座を射止めようとする野心家のように見えていた。ケイティもまた、秘書仲間の誘いで、彼女たちの兄弟が催すその種のパーティに顔を出すようになっていた。
摩天楼の最上階から下界を見下ろす気分や、シャンパンやマティーニを飲んで出来たばかりのフランス料理店で極上の料理を味わう気分が、ケイティの眼を通してふんだんに披露される。多少、スノッブの匂いがする気がしないでもないが、これが「わたし」の回想視点であることを思い出せば、これくらいは許されるだろう。素のケイティはディケンズをこよなく愛する読書好きで、作中にはウルフやヘミングウェイといった当時の人気作家の文章が至る所に鏤められ、文学好きの心をくすぐる。
大方の予想を裏切って、イヴに逃げられた傷心のテディはケイティに救いを求める。焼けぼっくいに火がついて、二人はつきあい始める。ところが、またもや邪魔が入る。今度はテディという人間にまつわる秘話だ。テディは苦労知らずのアイヴィー・リーガーではなかった。父の失敗のせいで学費が払えなくなり、プレップ・スクールを退学した過去を持つ。転落のハンディを背負いながら、必死で頑張ってもとの場所まで這い上がってきたのだ。
親から受け継ぐのは、資産だけではない。食事のマナーや社交上の儀礼、服装や会話の品格といったブルデューのいう「文化資本」がものを言う世界。ワシントンの小さな本を読んだくらいでは身につくものではない。そういうことには厖大な金がかかるのだ。しかし、テディはそれを身につけることができた。そこに彼の秘密があった。あるとき、ケイティは偶然、それを見つけてしまう。それがテディとケイティとの仲を裂くことになる。
冬に始まった関係が春を迎え、秋を知り、再び冬を迎える。季節の移ろいの中で、人々もまた移ろってゆく。ニューヨークという、世界に二つとない魅力にあふれる場所で繰り広げられる、粋で洒落ていて、疾走するジャズのように、目まぐるしい人間模様。ノスタルジックでありながらヴィヴィッドなムード満載の恋愛小説であり、勇気を持ち、真摯に自分の人生を生き抜こうとする人々の人間群像を描いた都市小説でもある。
原題は<RULES of CIVILITY>。巻末に付録としてついている、若き日のジョージ・ワシントンが記した『礼儀作法のルールおよび交際と会話に品位ある振る舞い』の前半部分を踏まえているのだろう。このままでは、書店でハウツー本のコーナーに並べられかねないのを危惧して、邦題を『賢者たちの街』としたのだろうが、この小さな本は、作品の中では重要な役割を果たしている。そのまま『礼儀作法のルール』で、よかったのではないだろうか。
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圧倒された。ニューヨーク、1937年の大晦日からの一年間の出来事をほぼ30年後に回想する形をとっていて、キラキラ宝石を散りばめたような人間関係が描かれている。意識が高くアップタウンに昇り詰めようとする主人公の率直さも(多少の偽善も含めて)好感が持てる。当時の文学や音楽と共に、私が生きてもいない当時のマンハッタンの様子が懐かしくさえ感じられてならない。一気読みしたが、文中に表れるジンやカクテルの色々と美味しそうな料理の数々にも心奪われた。映画を観てるような作品だった。
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ケイティにとって、ニューヨークでの、1937年の大晦日からの1年間は特別でかけがえのないものであった。
読書を愛するケイティが、イヴ、ティンカー、ハンク、ウォレス、アン等(個人的にディッキーとビッツィも挙げておきたい)、印象に残る個性的な友人たちと織り成す想い出は、当時の時代性や文化の壮麗な描写とのバランスも相まって、上品なチャーミングさと冷静なクレバーさが(あと、奔放さも)混在した素晴らしさの中に、シリアスさもきっちり含まれており、なぜ、特別な一年なのかが、読んでいく内に明らかになるストーリー展開も素晴らしいです。
私みたいに、当時のニューヨークの文化をあまり知らなくても、親切な解説に、その説明や、この作品の主旨が書かれているので、読書中に分かりづらいところがあっても気にせず、最後まで読むことをお勧めします。興味深い文化の濃さも良いのですが、それを抜きにしても、友情や愛情、先の読めない人生の意外性は、私達にも共感出来る万国共通のものだと思いますので。
解説にあった、イヴが主役の中篇も読みたい。日本語で読める時が来ますように。
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1966年、NYの近代美術館(MoMA)で開催された古い隠し撮りの写真展(実際にあったものらしい)で懐かしい人物が写っているところからスタートする。始まりからお洒落。
主人公ケイト・コンテントは大恐慌(1929年)のとき16歳となっているから、1913年生まれということになる。
1937年から39年の間に、才能に恵まれて野心に満ちたロシア移民の二十代女性がハイ・ソサエティーに入り込んで、さまざまな人達と交流していくさまを描いたもの。
先に読んだ「モスクワの伯爵」の作家の第一作らしい。
二つの作品ともに、普通の人間は垣間見ることない、優雅な上流階級を描いていて、まるで映画の世界の中に引き込まれる。
とにかく「お洒落」という言葉しか浮かばない描写が多いが、多様な人物が登場して飽きさせない面白さが同居している。
この第一作では、作者のペダンティックな面が強調されていて、多数の小説等が引用または登場していて、巻末(476~8頁)に明示されている。(訳者注は施されていないが、第4章「もっとも残酷な月」は訳文から推察するに、T.S.エリオットの「荒地」(The Waste Land)の冒頭部分を意識したものではなかろうか)
原題は「礼儀作法のルール」(Rules of Civility)、この本で重要な役割を果たしているジョージ・ワシントンの簡素な著作で、巻末に訳文が掲載されているのに、翻訳書では「賢者たちの街」としたのは、編集者の仕業だろうか。
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1930年代後半のニューヨーク。
若いケイトとイヴは、銀行家ティンカーと偶然出会う。仕事と恋と華やかな上流社会との交流。
抑えられない恋心と自尊心の間で、それぞれが自分に正直に生きていこうとしたのかな。
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恋愛小説であり、移民二世で労働者階級出身の聡明なヒロインがマンハッタンでいかにのし上がっていくかを描くサクセスストーリーでもあり、何より、魅力たっぷりな登場人物たちとの出会いや別れを描いたこの本は爽やかな青春小説だと思う。
きらびやかで華やかで底抜けに明るいニューヨークとそこに生きる人々を描きながら、破滅を予感させるようなストーリー進行は「華麗なるギャツビー」を彷彿とさせる。
個人的にはとっても映像化してほしい作品。見たいシーンがたくさんある。
大晦日にティンカーが子供と一緒に雪合戦に興じるところ、ケイトがウォレスに銃の扱いを教えてもらうところ、普段は冷静沈着なケイトが取り乱しカフェでティンカーに吐き捨てるように責めるところ、ディッキーの紙飛行機への情熱と精緻さ、ハンクとの会話、屋根へ腰掛けたケイトとティンカーのやり取り…等等。
知るはずもない1930年代のアメリカの、目に浮かぶような情景がこれでもかと散りばめられ、起承転結がはっきりとした、切なく爽やかで最後まで美しい作品です。
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前に読んだ『モスクワの伯爵』と同じ作者。『賢者たちの街』の方がデビュー作だけど、自分はデビュー作の方が好きかも。
装丁といい、主人公が上流社会にお邪魔するところが『グレート・ギャツビー』ぽいと思ったけど、それみたく作中モヤモヤすることはほぼなかった気がする。
ヒロインは周りの玉の輿を狙うDreamy Girlsとは一線を画した自立系女子。『モスクワの伯爵』の伯爵同様、どんな相手の言葉も知的にかわし、スマッシュもばっちり決める。上流社会を垣間見る時も(驚いただろうけどそれを顔にも文章にも出さず)読書家の彼女らしい豊かな表現で、冷然と観察している。
友達に一人は欲しいタイプ。自立系女子は今でも男性に人気っぽいから作中の男性陣(ボンボンたち)が追いかけたくなるのも納得できる。
手をそこまで伸ばさなくともイヴみたくチャンスを簡単に勝ち取れたであろうに、傍から見ると回くどくも見えるやり方で彼女なりの幸せを見出そうとする。
実際に開催された写真展にフィクションの人物を置いて始まりの舞台にしたのにも面白みを感じたけど、何か伏線があるのかな?と余計なことを考えていた。
度重なる出会いと別れで人生の機微を味わった自立系女子が冒頭の‘66年ではどのような成熟を見せているのか。結末に直結する類の伏線は(恐らく)なかったけど、彼女の生き方と写真展での反応が全てを物語っていたのかなと今になって思う。
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世界恐慌や第二次世界大戦といった歴史的出来事の影響を受けた1930年代のニューヨークが舞台。
現代とはかけ離れた世界の中で(煌びやかであり貧しくもある)、人々がどんな考えをもち、暮らしを営んでいたのか垣間見ることができて、面白かった。
育った環境や性格の違う登場人物たちが下す、人生の選択。イヴの性格に憧れ、ティンカーの人生に共感した。
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「モスクワの伯爵」同様、最初は少し読みづらかったが途中からめちゃくちゃ面白くなった!!恋愛、友情、野心、郷愁…。
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先に読んだモスクワの伯爵も良かったが、こちらは兎に角オシャレで、洗練された主人公の女性の生き方が、何ともカッコ良かった。久しぶりに良い本を読んで凄く満足した。
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2022.5 いかにもアメリカ ニューヨークの小説といった感じ。アメリカ人はこういう小説が好きなんだろうけれど日本人の私にはその良さがよくわかんない…
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図書館で気になって手に取った。街の生活を舞台にした小説が好きなのかも。
上品でスマートなジェントルマン、ティンカー。その彼女の粋な感じが好きだった。
そんなところを吸収したくて読んでたのかも。