ストレンジでフェミニンでクイア
2023/04/07 11:15
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投稿者:天使のくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
ストレンジでフェミニンでクイアでユーモラスで残酷な短編集。アンジェラ・カーターやケリー・リンクや小川洋子から影響を受け、カレン・ラッセルに支持される、というのはなんかもう、それだけでいいなあ、と。
ざっくりと言ってしまうと、テーマは身体とジェンダーということでいいのかな。「本物の女には体がある」という短編が、そのことをよく示している。この作品の中では、女性の間である種の病気が拡大している。身体が消えていくという症状だ。ほんとうに消えていく。だんだん透明になってなくなっていく。主人公たちレズビアンのカップルもこのことに直面する。そこには、元々この社会において、女性の体なんて最初からいなかったようにしか扱われない、という感覚があるのだろう。そうした悲しみがある。というか、体は当人の物になっていないというか。
「八口食べる」というのは、そもそもスタイルを維持するためにダイエットする、ということをデフォルメした話だ。自分の体であるにもかかわらず、社会が与える価値観にコントロールされている。
セックスは体と不可分だ。さまざまなセックスと性欲の処理がリスト化された「リスト」には、ただあきれてしまう。でもその多様性もまた、世界の1つの断面である。
「とりわけ凶悪」は、心地よいほどの社会に対する皮肉だ。アメリカのテレビドラマ「性犯罪捜査官」の12シーズン272話のタイトルにあらすじをつけただけの作品なのだが、もちろんそれらしく書いているものの、実際の話とはまるでちがう、らしい。主人公のステイブラーとベンソンという二人の捜査官は、クイアな事件に直面するだけじゃなく、BL的に接してみたり、いつのまにか性別が変わっていたり、マチャドのやりたいほうだいにいじられる。性犯罪そのものも問題なのだけれど、それをとりまく社会そのものが多様な性欲を抱えていて、それはそれでいいんだけど、認めろよな、という、そうした意味での凶悪さを指摘している。
マチャド自身もレズビアンで、妻がいる。社会の女性に対するミソジニーってあるけど、とりわけレズビアンにとっては居心地悪いだろうな、と思う。ということでは、最近読んだ、モニック・ウィティッグの「Across the acheron」も同様で、ここではガイドのマナとウィティッグによる地獄めぐりが描かれていたりする。ウィティッグもレズビアンで、フランスからアメリカに移住したのだけれど、ぼくが読んだ英訳はそのパートナーによるものだ。
気付くと女性の生きにくさが描かれた小説ばかり読んでいたな。偶然ではあるのだけど。
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投稿者:名取の姫小松 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一人称で語られる。語り手はほぼ女性、付き合う相手は男性だったり、女性だったり。異性であれ、同性であれ、恋に落ち、素敵な性行為をするのに差がない。読んでいる方は、あれ、と語り手を何度か確認する。そして別に好きになるのに性別を確かめなくてもいいじゃないという気になってくる。
規範の中でもがき、逸脱を試みる。そんな彼女たちの物語。
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豪華翻訳者で送る短編集。
こういう『変』な短編集が好きな読者は必ずいて、自分もその一人だ。奇想、という単語がピッタリだった。
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私には難しすぎた。ポルノ小説を読みたいわけじゃないのになと思いながら読み進めることに。終盤にちょっとだけ分かる気がする話があった。
「妻が」と語るとしても,その語り手は男性とは限らない,という勉強ができた。
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『少女だった頃、母は野菜コーナーに足の指が置かれていると言って叫ぶわたしを抱えて、食料品店から連れ出した』―『夫の縫い目』
グロテスクなイメージがするりと日常生活に入り込み、喚起されるべき違和感が引き起こされることもなく異質な存在がごく当たり前のこととして描かれる。そうしてみて漸く世の中の常識が根本的に問われていることを意識する。現実の世の中にこそ膨大な違和感が無視されるように押し込められていることに。この感じはどこかで出会ったことがあると思い返してみて、それがジュディ・バドニッツであったかとつらつらと考えてみる。特に「夫の縫い目」や「リスト」ではどこかバドニッツに似た印象が強く残る。もっとも「母たち」以降の作品ではバドニッツには無い湿度の高い文章が目立ち始め、「怒り」がカルメン・マリア・マチャドの文章に通奏低音のように響いているのが明確となり、「ジェンダー」を抜きにはこの作家のことは語り得ないということが見えて来る。
『考えてみると、物語は池に落ちる雨粒のように、混ざっていく。それぞれの話は別々の雲から生まれるが、一旦他の話と混じってしまうと、別々に語ることはもうできない』―『夫の縫い目』
岸本佐知子が翻訳する「本物の女には体がある」で示されるように、この作家が優れたストーリーテラーであることは間違いがない。しかし、作家自らが語るように、その物語はどこかしら複数の物語が錯綜することが基本にあるようだ。あるいは、輻輳した(congested)、と言ってもよいかも知れない。雨粒と池の水のように混じり合うのではなく、異なる金属が融合した(amalgamated)印象が残るのだ。それも十分に熱を加えて溶解した上で混ぜ合わされたのではなく、所々に高濃度の元の金属が残っているような混ざり方で。怒りの強度が高過ぎて、容易に溶解しないということなのかも知れないと想像するが、その「異物感」が気になる人が多くいるであろうこともまた容易に想像がつく。読み込むのが難しい作家であるように感じるのは、やはりジェンダーギャップということなのか。
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読み手のセンスだけでなく,セクシャリティのいろんなかたちやクイアな人とソーシャライズした経験が問われるので読者を選ぶよなと思いつつ読んだ.
こういう本が若者だけでなくおじさんたちにも受け入れられるというか読まれるようになったら,ニホンも変わったと言える.
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これがデビュー作ながら、全米図書賞など10の賞の最終候補に残り、9つの賞を受賞したとのこと。
8篇の中短編を4人の翻訳者が訳している。「夫の縫い目」と「リスト」あたりは性描写がハッキリしてるなぁ、と引いたが、「とりわけ凶悪」などは、構成が見事で、得体の知れない恐怖が大きくなり、性描写とかどうでも良くなってしまった。他の作品もそうで、よく理解できないうちに先へ先へ読まされてしまう。同性愛者がたくさん出てくるので、読んでいて、混乱する。主人公に感情移入しずらいものばかりなのだが、この社会における女性たちの生きづらさ、について考えさせる。
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『彼女の体とその他の断片』カルメン・マリア・マチャド
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首にリボンを巻いている妻の秘密、セックスをリスト化しながら迎える終末、食べられない手術を受けた体、消えゆく女たちが憑く先は…。
身体に新しいことばを与える作家が、クィアでストレンジな女たちを描いた短篇集。
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これは…
クィアでストレンジな女たちの物語、だった。
時間をかけてゆっくり読んだ。消化に時間がかかる。
シャーリィ・ジャクスン賞なるほど…という感じのゴシック感。
「母たち」
「本物の女には体がある」がすき。
「リスト」もよかったな。ウイルスに侵された世界の話。今読むにはちょっとシビアすぎるラスト1文。
お話によって翻訳者が違う短編集なのだけど、根底に漂う芯の強さのようなものがどの作品からも感じられてよかった。暖かくはないけど、ただたださみしいだけでもない。諦観と希望が両立するような。
マジョリティではないかもしれないが、彼女たちは、私たちは、生きている。それでよいと思わせてくれる。なんとも言えない、ストレンジな読書体験だった。
「政治的であることと芸術的であることは両立する」
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アメリカの人らしいが、名前のどこを見てもスペイン語圏の血筋。やはりねー。まろやかだよね。まろやかと言っても、優しいだの、柔らかい、そういうんでなくて。
性描写が結構必要以上にしつこく描かれていて、それが刹那的というのかな?日常的とは違って、死後、魔性を連想させる。雰囲気はばっちし、所謂作家の個性としては十分に確率されているが、物語として弱い。こういう作家なー、一作目はまあまあで、次から失速しそうな感じするんだよなー。頑張って欲しい。
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幻想が差し込まれながらも、大元は問題提起や怒りという、クィア作品。想像がしにくい話においてでも、意外と芯は同じところにあるんだなと。
ただ同じタイミングで読んでたのが、ガチのゴシックホラーだったので表現の差に食らって読みづらく感じてしまった。