南極での日常生活がどのようなものか、リアルに詳細に描いた1冊
2021/12/02 18:26
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日本は昭和基地という拠点を南極に持っており、毎年越冬しつつ観測作業を継続しています。その越冬隊の日常とはどういうものか、越冬隊の一員となった著者の滞在記と呼べる一冊です。
南極大陸と言っても面積は日本の37倍(オーストラリア大陸より広い!)もあり、平均標高は2000mを越えます。日本でさえ、平地と標高2000mの山岳地では気温その他が大きく異なるように、南極も海沿いと内陸では気候が大きく違って来ます。実は昭和基地は南極大陸本土にはなく、すぐ傍の東オングル島という島に設けられています。越冬隊の気象観測員である著者は、昭和基地だけでなく、標高の高い内陸への観測チームにも参加し、その気候の大きな違いも紹介されています。
本書の特徴として、著者の文体が妙に斜に構えているというか、常にユーモアを交えている点があります。
”(観測隊に参加した)おかげで貨幣制度が怪しくなったり、服はガムテープで補修するものではないということを忘れたり、33人以上人間がいるとコアリクイのように威嚇するようになったり、公衆浴場の先客にたいして「おつかれさまです」と声をかけそうになった”、”濡れた目出し帽は呼吸を遮り、溺れそうになる。雪上で溺れるのは新鮮だ。懸命に雪をかくために吐息は熱くなり、眼鏡を曇らせたり、睫毛や髪を凍らせたりする。いかにも南極だ。楽しんでいる。そんなわけがない。”、
”南極観測について書くにあたっては公序良俗に反した内容や観測隊の品位を貶めるような内容は書いてはいけないことになっている。しかし実物の観測隊は低給・低俗・低品位とバブル期の男に求められた三高とは正反対の道をまい進している。高いのは平均年齢と尿酸値だけだ”等々。
著者が足を踏み入れた最も過酷な場所は南極大陸内陸部、標高3800mのドームふじ基地です。昭和基地の年平均気温がマイナス10度前後なのに、ドームふじ基地では年平均気温がマイナス30度以下、最も寒い5月ではマイナス60度を下回り、昭和基地に戻った著者が「暑い!(あくまでも防寒具を着た状態で)」と感じるほどの過酷さです。しかし、著者特有のユーモアのある文体からは悲壮感は感じられず、だからこそ面白く読み進められるとも言えますし、そういう環境でもユーモアを持てるぐらいの神経の持ち主でないと南極では耐えられないのかもしれません。
宇宙飛行士の体験談とかは結構本になっていますが、南極滞在記というのは意外と少なく、その中でも面白く、気軽に読める1冊です。
南極での日常生活がどのようなものか、リアルに詳細に描いた1冊
2024/12/04 18:13
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日本は昭和基地という拠点を南極に持っており、毎年越冬しつつ観測作業を継続しています。その越冬隊の日常とはどういうものか、越冬隊の一員となった著者の滞在記と呼べる一冊です。
南極大陸と言っても面積は日本の37倍(オーストラリア大陸より広い!)もあり、平均標高は2000mを越えます。日本でさえ、平地と標高2000mの山岳地では気温その他が大きく異なるように、南極も海沿いと内陸では気候が大きく違って来ます。実は昭和基地は南極大陸本土にはなく、すぐ傍の東オングル島という島に設けられています。越冬隊の気象観測員である著者は、昭和基地だけでなく、標高の高い内陸への観測チームにも参加し、その気候の大きな違いも紹介されています。
本書の特徴として、著者の文体が妙に斜に構えているというか、常にユーモアを交えている点があります。
”(観測隊に参加した)おかげで貨幣制度が怪しくなったり、服はガムテープで補修するものではないということを忘れたり、33人以上人間がいるとコアリクイのように威嚇するようになったり、公衆浴場の先客にたいして「おつかれさまです」と声をかけそうになった”、”濡れた目出し帽は呼吸を遮り、溺れそうになる。雪上で溺れるのは新鮮だ。懸命に雪をかくために吐息は熱くなり、眼鏡を曇らせたり、睫毛や髪を凍らせたりする。いかにも南極だ。楽しんでいる。そんなわけがない。”、
”南極観測について書くにあたっては公序良俗に反した内容や観測隊の品位を貶めるような内容は書いてはいけないことになっている。しかし実物の観測隊は低給・低俗・低品位とバブル期の男に求められた三高とは正反対の道をまい進している。高いのは平均年齢と尿酸値だけだ”等々。
著者が足を踏み入れた最も過酷な場所は南極大陸内陸部、標高3800mのドームふじ基地です。昭和基地の年平均気温がマイナス10度前後なのに、ドームふじ基地では年平均気温がマイナス30度以下、最も寒い5月ではマイナス60度を下回り、昭和基地に戻った著者が「暑い!(あくまでも防寒具を着た状態で)」と感じるほどの過酷さです。しかし、著者特有のユーモアのある文体からは悲壮感は感じられず、だからこそ面白く読み進められるとも言えますし、そういう環境でもユーモアを持てるぐらいの神経の持ち主でないと南極では耐えられないのかもしれません。
宇宙飛行士の体験談とかは結構本になっていますが、南極滞在記というのは意外と少なく、その中でも面白く、気軽に読める1冊です。
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宇宙飛行士と同じく、南極越冬隊経験者の経験譚はよくあるのだけれども、どれも、それぞれの面白さがある。南極については西堀栄三郎の越冬記から、半世紀以上も経ち、料理人や不肖宮嶋を経て、現代に至る・・だが、装備は様変わりしていても、現場の汗臭い感覚はあまり変わっていないのだなと感じる。本著者も軽妙に語ってはいるが、実際には命の危機を感じるようなことも多々あったのであろう。
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南極で越冬してみたいと思っていた。著者も高校時代に南極に行きたいと思い、研究者になってそれを実現させた。素晴らしいと思う。そして、こんな本を書いて南極観測隊の研究や日常の一端を教えてくれている。
昭和基地だけでなく、S17と呼ばれる大陸内の拠点や、ドームふじ基地までの内陸旅行まで体験し、たぶん南極暮らしを堪能したことだろう。面白おかしく書かれている部分が多いが、厳しい自然環境や限られた人数での閉鎖空間での苦労も多かったと思う。それでも南極に行けたことの喜びが行間から滲み出てきているように感じる。
今でも南極に行きたいが、ペール缶トイレだけはちょっと辛いかもしれない。でも、ウォシュレット付きトイレがある雪上車という時代も永遠に来ない気がするが。
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日本は昭和基地という拠点を南極に持っており、毎年越冬しつつ観測作業を継続しています。その越冬隊の日常とはどういうものか、越冬隊の一員となった著者の滞在記と呼べる一冊です。
南極大陸と言っても面積は日本の37倍(オーストラリア大陸より広い!)もあり、平均標高は2000mを越えます。日本でさえ、平地と標高2000mの山岳地では気温その他が大きく異なるように、南極も海沿いと内陸では気候が大きく違って来ます。実は昭和基地は南極大陸本土にはなく、すぐ傍の東オングル島という島に設けられています。越冬隊の気象観測員である著者は、昭和基地だけでなく、標高の高い内陸への観測チームにも参加し、その気候の大きな違いも紹介されています。
本書の特徴として、著者の文体が妙に斜に構えているというか、常にユーモアを交えている点があります。
”(観測隊に参加した)おかげで貨幣制度が怪しくなったり、服はガムテープで補修するものではないということを忘れたり、33人以上人間がいるとコアリクイのように威嚇するようになったり、公衆浴場の先客にたいして「おつかれさまです」と声をかけそうになった”、”濡れた目出し帽は呼吸を遮り、溺れそうになる。雪上で溺れるのは新鮮だ。懸命に雪をかくために吐息は熱くなり、眼鏡を曇らせたり、睫毛や髪を凍らせたりする。いかにも南極だ。楽しんでいる。そんなわけがない。”、
”南極観測について書くにあたっては公序良俗に反した内容や観測隊の品位を貶めるような内容は書いてはいけないことになっている。しかし実物の観測隊は低給・低俗・低品位とバブル期の男に求められた三高とは正反対の道をまい進している。高いのは平均年齢と尿酸値だけだ”等々。
著者が足を踏み入れた最も過酷な場所は南極大陸内陸部、標高3800mのドームふじ基地です。昭和基地の年平均気温がマイナス10度前後なのに、ドームふじ基地では年平均気温がマイナス30度以下、最も寒い5月ではマイナス60度を下回り、昭和基地に戻った著者が「暑い!(あくまでも防寒具を着た状態で)」と感じるほどの過酷さです。しかし、著者特有のユーモアのある文体からは悲壮感は感じられず、だからこそ面白く読み進められるとも言えますし、そういう環境でもユーモアを持てるぐらいの神経の持ち主でないと南極では耐えられないのかもしれません。
宇宙飛行士の体験談とかは結構本になっていますが、南極滞在記というのは意外と少なく、その中でも面白く、気軽に読める1冊です。
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1人の越冬隊員として南極への出発から帰国までの生活が詳細に描かれていて、新たな世界を初めて知ることができた。
特に印象的だったのは、私のようなOLからすると南極に行くだけでも相当特別なのに、1人の人間として南極での生活で感じたことを格好もつけず脚色もせず、まるで居酒屋で飲みながら話してくれるような感覚でユーモアたっぷりに書かれていたこと。他のレビューでもあった通り、通勤中思わず笑ってしまうこと数知れず、、、。
中々、遠出がしづらい日常の中で、行った気分とまではいかなくても読んでる間は非日常が味わえる良き本でした。
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第59次南極地域観測隊に研究者として参加した筆者の、1年4ヶ月に及ぶ南極での体験記。
よく言えば諧謔味ある、あるいはユーモラスな文体で書かれたもの。一見ふざけているようにも思えるが、さすがに科学者、南極での生活のディーテイルを、こちらの目に浮かぶように記録している。
研究者として参加しているということは、いくら南極という極端な場所であったとしても、普段の生活は研究のためにある。多くの時間を観測、あるいは、観測をするための予備的な作業に費やす。しかし、そこは南極。冬の内陸部の山地では、マイナス60度にも達する。観測・研究も命がけだ。
そういった、研究者としてのどちらかと言えば日常的な側面と、南極という、そこでしか体験できない極端な側面が描かれていて、興味深く読んだ。
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子供の頃からの夢を一途に追いかけ、それを実現出来たとは、凄い。自分を振り返るとやりたい事が紆余曲折。表題の心臓の音は、低気圧下での重労働後の文がそれに当たるのか?
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1年4ヶ月に及ぶ南極観測隊のルポ。ユーモア中心のエッセー風だが、生涯をかけてそこを目標にしてきた割に、淡々と述べており、南極観測なんて本当は暗くて寒いところに閉じ込められるだけの面白くないものかもしれないが面白がれる。
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南極は自分の心臓の脈打つ音が聞こえるくらい静かな場所なんだ、という話を高校生のときに聞いた日からずっと南極を目指して、ついにはそれを実現。専門的な部分は難しかったが、その他の南極生活部分はわかりやすくておもしろい。南極料理人を観てから読んだからか生活をイメージしやすかった。
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あれ?南極ってユートピアなんだっけ???
読んでいる途中から自分の感覚がおかしくなってくる。
越冬隊においてはメンバーが一人何役をもこなし、それぞれが瑣末な仕事にも責任を持つ。しかも、意見や価値観の相違をどうにかこうにかすり合わせしながら。さらに言うなら、物資(主にビールやコーヒー、ソフトクリームなど、謂わば不要不急の嗜好品)窮乏の折には規制が設けられ、メンバーはそれに不満を言うでもなく受け入れている(これは一種の計画経済?)。施設の除雪は基本的には使うメンバーで行うが、みんなが使う場所は協力して行う(ここには「共有地」がある!)。それもこれも、すべては生存のため。
うーん。
ここは『ナウシカ』の風の谷なのか??
どう考えても「健全なコミュニティ」なんだが。
でも、このユートピアの成立条件は極めて厳しい。
ひとつは期間限定であること。最長でも1年4ヶ月程度でこのコミュニティは解体される。筆者も書いているが、昭和基地は閉鎖社会だ。それが陰惨な空気に陥らずに済むためには(いや、実際には陰惨なのかもしれないけれど、そういう空気は読み取れなかったので)必ず終わる、という条件が欠かせないように思う。リアルの村は実に息苦しい。
もうひとつは成員が全員健康かつ優れた知性の持ち主であり、コミュニティにとってなんらかの有益なスキルなり知識なりを備えているということ。
さらにいうなら、潤沢なエネルギーと食料が外部から供給されるので、生産活動は行わなくていい、といういうことだ。これが一番大きいのかな。
だから、越冬隊にはかつての全寮制の男子校みたいな空気感が漂っているんだろう。生産から切り離されたエリート集団であるという点で、両者はとても似ている。メンバー(全員とは言わないまでも)が男性ばっかりなとこも含めて。
だから、南極の昭和基地ってユートピア的。
というのは、ユートピアの原義としては正しいかもしれない。
南極はどこの国でもない。
ユートピアはどこの国にもない。
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高校生の時、OBの「南極は静かで自分の心音が聞こえる」との言葉から憧れた南極。研究者となって実現した体験とは。
20世紀初頭のイギリス。南極探検のメンバーを募集するための新聞広告。
「男子求む
至難を極めし航海
薄給、極寒、続く暗黒、常なる危険
生還の保証無し
成功時には名誉有り」
当時より交通機関、装備は発展したが危険であることは変わらないだろう南極。第59次南極地域観測隊の一員として約1年4か月の南極滞在記。
閉鎖された空間で過ごす男たち、ほかの作品でも描かれる奇天烈な人々が本書でも描かれる。その分新鮮味は薄い。ただ筆者は研究者のはしくれ、真面目でかつ詳細時に詩的な記述は良かった。中途半端にウケ狙いの部分が自分には雑音に感じられた。せっかくの素晴らしい内容、どうにかな、なかったのだろうか。
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自分も含め多くの人にとって未知の世界の南極を観測隊として生活体験したルポタージュ。過酷な世界を想像していたがそう感じさせず、思ったよりハードルが低く行ってみたいと感じさせるのは筆者の文章力の高さ故か。未知の世界を生活感を感じさせながら読み切ることができ楽しい一冊だった。