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貴族院議員としての谷干城
2024/02/13 20:37
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
谷干城といえば西南戦争の熊本籠城戦で私もそのイメージしかなかったが貴族院議員として政府批判も行うなど政治家としての谷干城を初めて知った。言論の自由に尽力したり足尾銅山被害者救済に尽力したりと全く知らなかった谷干城像を知ることができた。貴族院はどちらかといえば政府に追従するイメージだったが谷のような議員の存在で貴族院への印象も変わった。
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
谷干城については、なんとなく維新の志士から西南戦争で活躍した将軍、政治に口を出して軍をやめてからは国粋主義者になった、というイメージしかもっていなかったが、それを資料を基にひっくり返しつつ、読みやすく書かれている。
民主主義や政府の監督を重んじつつ、政党政治による猟官には批判的で、貴族院を舞台に選んだというのは驚いたが、確かに筋が通っていると思った。日清・日露戦争の拡大主義に反対していた晩年というのも意外だった。
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・谷干城は、(幕末から明治の政治舞台で活躍する人物を追う中)なかなか歴史小説では知る機会が少ない人物だ。
・土佐藩の重鎮ではあるが、板垣退助へ後藤象二郎に比べると馴染みが薄い。唯一、西南戦争での熊本鎮台での活躍を「翔ぶが如く」で知るのみだった。
・本書を読み終え、彼を武人以上に、筋が通った政治家として評価したい。藩閥政治の中にあって、批判を怖れず、まさに国を憂う気持ちを表現し続けていた政治家であり、これが明治の政治情勢に如何なる影響を与えてきたのか押さえることは、重要なことだと思う。
・谷は、国を憂い、時の勢力に流されることなく自らの理想を建白を続け、器の大きい、当時では決して珍しくない「私心」なき政治家であったといえる。(これが「代表的明治人」の所以)
・谷は1886年に洋行に出るが、当時のエジプトの惨状、フランスの混乱をみて、国力、国情に相応しくない欧化を危険と認識した。その中でもスイスとギリシャに理想を求めていた、という事実は興味深い。
・トレビアな情報として、ランドセルは、谷が学習院長時に姿勢の矯正の為に導入したものをはじまりとするらしい。
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谷干城と言えば、土佐藩出身、坂本龍馬暗殺現場に駆けつけ、中岡慎太郎の証言、遺留品、状況などから犯人を新選組と決めつけ、近藤勇が江戸で捕縛された際に近藤を厳罰に処すよう強く求めた人物という認識でした。
この本を読んで、谷の生い立ち、山内容堂に見込まれての政治活動、戊辰戦争までを丹念に追うことが出来ました。
また、明治に入ってからも自分の思う正義と新政府が思う正義が異なっても自分を曲げずにいた、信念の人だということがわかりました。
幕末は様々な思想が入り交じり、同じ藩の出身でも、同じ政府に入閣しても、争いが絶えなかった印象があります。
国内の制定、外国との折衝に同時に苦しんだ明治政府の一端が見えたような気がしました。
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『明治立憲政治と貴族院』を読んでから、いつか出るなと期待してました(笑)。谷の立場・思想に著者が寄り添って彼の行動を説明。『明治立憲~』に引き続き、著者の谷像には信念の政治家という印象がありますが、逆に、理想と現実の折り合いがどのくらいついてる人だったのか、その柔軟性が気になっています。
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「封建」「国権」「国粋」「守旧」のイメージ濃厚な谷干城の実像を追求。時に民権派を理解、連携を模索し、足尾鉱毒被害救済に奔走し、日清・日露戦争では消極論・非戦論を唱え、党派的政治への批判を貫いたという。評伝というのはどうしても礼賛調になってしまいがちだが、本書もその弊を免れていない。他の専門家による別の角度からの研究が欲しいところ。
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坂本竜馬らと同世代で土佐藩出身、戊辰戦争、西南戦争を経て
華族となり貴族院の長として生涯持論を貫きとおした谷干城を描く。
作者が強く意識しているのだと思われるが、
谷の根っこにある信念には維新期より全くブレが無く、
たえず私の政治を憎み、公の政治を日本にもたらそうとしていた。
もちろん知識不足や偏りから行動には変遷が生まれるが、
その根底には信念があり、好感が持てた。
常にターニングポイントとなるのが上海渡航、欧米巡視など
海外に出て広く見聞を得るところにあり、
いつの時代でも広い視野と実のある知識を持つことが大事なのだと
感じさせられる。
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メモ
保守強硬派の国粋主義者とも言われた「明治人」。名前は、「もののふは盾となり城となる」という意味で戸籍上「たてき」と読んだが、本人や家族は「かんじょう」と読んでいた。土佐藩の学者の家出身。坂本竜馬、板垣退助らと同世代。幕末は藩の中の主義主張の違いが並び立つ中、公武合体の藩主を立てつつも尊王攘夷、倒幕活動、戊辰戦争に関わる。竜馬暗殺犯を新撰組だと思い、近藤勇を憎んだ。
明治維新後は政府に出仕。軍人として、征韓論に賛成、江華島事件、台湾出兵、そして西南戦争で熊本城に籠城する。
自由民権運動の板垣とは幕末は盟友であったが、次第に対立。天皇を推戴し、過激な民権運動を批判。軍人から政治へ。
民権運動を偽物と本物に分け、国民のためであればと認める。憲法制定を主張、藩閥政治を批判。「私」より「公」、「義務あっての権利」を主張。
学習院長
ランドセルの導入
伊藤博文内閣 ヨーロッパに渡航、オーストリアでシュタインと討論
農商務大臣
明治天皇の信任
貴族院議員
政党政治と民権を認めるが、未熟と批判、時に政府と対立
日清戦争
国内の強硬論と一線を画す考え
足尾銅山鉱毒事件
国際協調、清・朝鮮独立論者、日英同盟批判、対露開戦・満州植民地化反対
西洋を知り、最適だと思われる主義に変節していくが、付和雷同ではなく意見を言い、反対するなど、信念をきっちり主張することのできる人だと思った。しかし、帝国主義には合わなくなっていく。
歴史を勉強しなければ、生きていけない。「日本人の一般が馬鹿で狂気じみているのか、私が馬鹿で狂気じみているのか、将来どう見られるかみておけ」という論説に彼の危機感と自信を感じる。国粋主義者(彼の人物評価はさまざま)、軍人として、第二次世界大戦下を重ね合わせてしまうが、全く違うものであると知った。
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「谷干城」については、名前は知ってはいたが西郷隆盛の西南戦争時に「熊本籠城戦」の指揮官を務めたぐらいの知識しかなかった。
本書で「谷干城」が、幕末から明治にかけて「陸軍軍人・政治家」としてそれなりに活躍していたことを初めて知ったが、読めば読むほど、明治をもっと知りたくなった。
「板垣退助」との関係や当時の「大同団結運動」などのかかわりも本書では出てくるが、本書で当時の政治状況がすべてわかるほど単純ではない。
当時の「政治状況」を知ろうとすると、西洋から政治システムを導入せざるを得なかった日本が、日本的味付けのシステム構築に腐心していたことがよくわかるし、日本特有の文化との軋轢が現在の日本の政治システムにも影響を及ぼしているらしいことが伺えて興味深かった。
「谷干城」は、頑固な保守主義者とされてはいるが、実に「明治人」らしい。本人も強烈な自負があったのだろう、「日露戦争」にも反対していたとは知らなかった。
日本の大陸政策は、当時の指導層のほとんどが一致しての「進攻」の一本調子だけではなかったのか。
しかし、本書のみで明治がわかるほど歴史は浅くはないのだろう。本書は「谷干城」の生き方はわかるが、その時代状況すべてを手に取るようにわかるとは思えなかった。
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坂本龍馬の二歳下に土佐で生まれた谷は、幕末 期、藩主山内容堂に見込まれるが、尊皇攘夷、討 幕の志を持ち各地を奔走。明治維新後は、軍人と して台湾出兵、西南戦争を勝利に導き名望を集め る。日本初の内閣で入閣するも、西欧見聞後、議 会の重要性、言論の自由を主張し藩閥政府を批判 して下野。以後、貴族院を舞台に日清・日露戦争 で非戦論を貫くなど、国家存立のため国民重視を 訴え続けた。天皇と国民を深く愛した一明治人の 生涯。