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BGM ひとつだけ/矢野顕子
母性の尊さ、家族愛を知らしめさせられた。
しかしこの男にも同情すべき点はある。だってほとんどの男がそうだから。悲しいけど
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心のすれ違い。聖司には、結婚する事でもう大丈夫だとあう甘えがあり、桃嘉にはすれ違いに気づきながらも、それを言えない辛さがある。
「女が好きなことを言える家庭が良い家庭」
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『夫婦としてやっていくのに最も重要なのは、妻が言いたいことをなんでも言えること』というフレーズが出てくるが、夫婦に限らず、つくづく人間関係に必要なのは言葉を尽くすこと、理解しようとすることなのだと思った。
ちょうど暮しの手帖の『家事シェア』を読んでいて、いいなと思う夫婦に共通しているのが会話を大切にしていること、だったのでなおさらそう感じた。
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『魯肉飯のさえずり』温又柔
主人公の桃嘉は台湾人の母と日本人の父を持つ。彼女を通して、ときにふつうという冷えた枠に触れ、ときにそこに差し伸べられる温もりを感じながら読んだ。
アイデンティティは属性の集積だけど、その集積は数え切れないほどの積み重ねによるものだ。この小説には国籍、母国、母語、男女などでは語りきれないものが滲み出てくる。
属性による分類、結婚、就職といった制度や社会的儀式を通じて感じる違和感。『82年生まれ、キム・ジヨン』のように女性の生きづらさに触れた部分もある。夫の聖司はそんな社会を体現しているような人物だった。
塞ぎ込むことが多い桃嘉だけど、母雪穂は温かく見守ってくれている。現在と過去を行き来する構成が、そんな母娘の小さなミステリーを明かしていくのも、前のめりに読ませてくれた。
さまざまな問題を扱いながらも、誰にとっても普遍的なこととして描かれているのは、歩むことだと思う。ぼくはポジティブとか前向きを装ったり、人に強いることが好きではない。
逃げるように何かをして、傷ついた経験のある人こそが足を踏み出して前に進めるのだと思う。でもそれは、それを見守ってくれる人がいればこそというのも忘れずに。
#魯肉飯のさえずり
#温又柔
#中央公論新社
#台湾 #Taiwan
#台湾語 #中国語 #日本語
#読書
#読書記録
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日本って意外と外国人に対して厳しいんですよね。
ハーフのモデルさんや芸能人が羨ましがられる中でも、いざ自分の知り合いやクラスメイトとかにハーフもしくは外国人がいるとそれはまた別の問題。
島国だから独特の考え方はあると思いますが、日本人としてこういう風潮はあまり良いものではないと思っています。
台湾はとても親日の国ですが、台湾と日本のハーフで悩む姿に心を打たれました。
ぜひ読んで欲しい一冊です。
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日本と台湾の二つの文化を持つ主人公。
「魯肉飯」という家庭料理が「わたし」を見つめ直すきっかけとなる。主人公の桃嘉ちゃんにとって「魯肉飯」は、他人が思う以上に大切にしている文化の一つであり、自分のルーツを語るものなのだ。人生を共にする人との食に対する感じ方の違いは、人生観の違いとなる。
最後、桃嘉ちゃんが女性として成長した姿にうれしくなった。
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2021.2.20市立図書館
読み始めたらぐっとひきこまれて、あっというまに読了。日本人の父と台湾出身の母のもとで大切に育った一人娘の桃嘉が結婚をきっかけに自分と夫、父と母とその親たち、母娘といったさまざまな関係の中で自分をみつめなおす章と、異国での子育てや生活に孤軍奮闘してきた母雪穂の心をえがく章がミルフィーユになっている。私自身は外国ルーツになんの縁もないのに、桃嘉の気持ち、桃嘉を育てる母親(雪穂)の気持ちにまるでわがことのように共感できる描写が多すぎて、つらさや寄る辺なさが痛いぐらい伝わってきて、国籍云々をこえてとても普遍的なテーマを描いている作品なのだと思った。
家庭内のコミュニケーションにも思いやりや想像力の試行錯誤が不可欠だった桃嘉の家族のほうが特殊で、自分の「普通」に自信があってそれを疑うことをしらない桃嘉の夫やその家族・友人はある意味平凡で無邪気で、実際に悪気も悪意もないのだろうと思うけれど、いくら桃嘉が努力してもキャッチボールは成立せず平行線はどこまでも交わりようがなさそうだという絶望を感じたし、同じ日本人同士でもそういうことは多々あると思う。
茂吉と雪穂、聖司と桃嘉、そして雪穂と桃嘉の関係をくらべると、母語が違うから言葉が拙くて言いたいことがじゅうぶん伝えきれないというのと、力関係や遠慮、環境や性格的な理由で伝えられないのとの境界はあるようでない。
人と人って、わかりあえているつもりで実はわかってないことがずいぶんあるけれど、それでもうまくかみあってやっていけるときもあれば、破綻していくときもある。いくら言葉を尽くしても伝わらない関係と、言葉は少ないながらもたしかに通じあえたと思える関係がある。その分かれ目はなんだろうな、ということをずっと考えている。
表面的な記号で相手を雑にくくってきめつけていないか、自分の「ふつう」に安住して、相手の声をちゃんと受け止めていないことはないか、だれもが自分を点検しつづける必要があるのだろう。
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“「ことばがつうじるからって、なにもかもわかりあえるわけじゃないのよ。」”(p.124)
“とてもつらい。逃げたい、あたりまえ。逃げるは、どうしていけないの?”(p.221)
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ハーフの人特有の悩み、国際結婚、夫婦関係、嫁姑問題、親娘問題、コミュニケーションの大切さ等々、いろいろな要素が詰まっている。主人公はたまたま日本と台湾のハーフだけれど、誰にでも当てはまるテーマなのかもと考えさせられた。
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日本人の父と台湾人の母から生まれた桃嘉。
そして、台湾で生まれ育ち日本に住む母・雪穂。
日本語が上手く話せないため自分の思いを伝えられない。
桃嘉はその母が恥ずかしく
「ふつうのお母さん」でいてほしいと願う。
桃嘉のことを思う優しい両親、祖父母、伯母たち。
「ふつう」ってなんだろう。と改めて考えてしまう。
心がポッと温かくなる。
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旅に出たいけど、行けないから…と手に取った一冊。料理の名前とさえずりとが、どう結びつくのかと思いながら、スッキリ読んでしまった。言葉がある故にすれ違ってしまう私たち。もっと言葉を大切に生きたい。
私の操る日本語とあなたの操る日本語のちがい。まして、母語でないならなおさら、親子ならなおさら。
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大好きな一冊。是非読んでほしい。
台湾人の母・雪穂と日本人の父の間に産まれた主人公、桃嘉を中心に描かれる、日本と台湾をまたいだ家族の物語。
・ことばがつうじるからってわかりあえるわけじゃない
・どんなに立派そうにしていても、あなたのことを大きな声で脅したり、叩いたり殴ったりすることで従わせようとする男のひとを好きになったらだめよ。
・だれといても、どこにいても、自分のいちばん近くにいるのは自分自身なのよ。だれよりもあなたがあなた自身のことをいちばん思いやってあげなくては。自分自身をないがしろにしながらひとさまのことを大事にしようだなんて、そんなのできっこないのよ。
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雪穂、自分の娘甘やかしすぎ。過保護すぎ。旦那も旦那だが、母親も母親。別れたのはいいけど、そんなんじゃいつまでたっても自立できないのでは?と思う。
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母雪穂の想いと娘桃嘉の想いが交互に綴られていく。同じ親としては、母雪穂の娘を想う気持ちにひたすら打ちのめされる。台湾と日本という文化の違いもあると思う。「やせっぽっち」はダメ、「ごはんもっと食べて」をいつも口煩くいう雪穂の姿に台湾のお母さんってこうなんだろうなと想像させられる。同じ妻としては、桃嘉が夫に対して抱いていた違和感に見て見ぬふりをせず、自分が自分でいられる場所を決断したことが清々しい。
母雪穂の「ママ、がんばる!」という言葉に何度もうるっときました。
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誰かといっしょに好きなご飯を囲みたくなる小説。
自分の周囲にいる人は、みんな異なる文化や背景を持って過ごしているということ。互いの文化の違いは決して同化して埋まってしまうようなものではなく、それぞれの文化は固有であり、それまでとは違う環境に身をおくことでまた新しい文化を作り続けること。
自分の文化を見直して、自分と周囲の文化を大事にできるようになりたいと思うそんなお話でした。