紙の本
食べ物と言葉と
2020/10/23 04:39
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投稿者:はるべ - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルにある「魯肉飯」と「さえずり」が示すように、食べ物と言葉に物語の重要なメッセージが含意されているようです。台湾人の母と日本人の父の間に生まれ、日本人の夫と結婚している主人公の感じている息苦しさ。母の作る料理や台湾語と中国語と日本語の混じり合った母の言葉。そうしたものをめぐる葛藤が印象深いです。殊に、魯肉飯に対して「日本人はこういうのは好きじゃない」と言ってしまう「夫」と三杯もおかわりした「父」という対照性や、娘が肉燥のおにぎりが食べられず梅のおにぎり欲していることに悲しみ動揺する「母」、といった食べ物をめぐるエピソードによって語られるゆらぐ自身の根源と、やがてそのゆらぎ受け止めていく様子が胸に迫ります。
紙の本
じわりと心に響くさえずり
2022/05/01 15:48
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投稿者:ろろろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
普通って何だ、日本人が他の国の人より優位に思ってるのは何だ、結婚したら女の方が下に属してるような感覚って何だ、など、ジェンダー感、多様性などに気付かされる。食文化を否定されることってジワジワ傷を深くしてしまうんだと感じた。知らなかったこと、気づかずに生きてきたこと、恥ずかしく思った。
娘に時につらくあたられる時も、気持ちが通じ優しく穏やかな心の時も母の深い愛がこんこんと流れる川のようで、どこを切り取っても美しい。
父の優しさも最高!
紙の本
台湾のさえずりが心地よい
2021/01/07 16:57
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投稿者:GORI - この投稿者のレビュー一覧を見る
皆が羨むハンサムな理想的な旦那様と結婚した桃嘉。
幸せになれると信じていた結婚生活は頭痛に悩ませられ我慢する日々。
1章は桃嘉の結婚生活で始まり、なんとも読んでいて辛い。
2章は日本人のご主人と結婚した母雪穂が日本で桃嘉を育てる。日本語を話せない母に苛立つ娘。
ここまでは辛い話が続くが、後半は読んでいて楽しく、幸せな気持ちになれる。
台湾で過ごす母娘の幸せでのびのびしている姿が気持ち良い。そして母の味を美味しい 美味しいといっぱい食べる兄妹たち、みんな家族を大切に思い、幸せだと感じている。
比べて日本の忙しなく、心から楽しめない表面的に結びついているような家族達。
「ことばがつうじるからって、なにもかもわかりあえるわけじゃない」
そんな心で通じ合える関係が築けたらいい。
紙の本
音が聞こえる文章から、多文化・多言語を考える
2020/11/27 10:39
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投稿者:amisha - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生時代から四半世紀、殆ど小説を読まずにいた。かなりのブランクを経て、私小説を立て続けに読むと、時代が変わっていることに気づく。それでも、変わらないもの。ライフイベントと横文字で書くと軽薄になるが、生まれたり、死んだり、番ったり、離れたりということは、人それぞれでありながら、生きていればそれなりに訪れる。
彼女の書き振りが面白いのは、自身のルーツと親の話す言語を文字でありながら、音声化しているところ。微妙な響きが文字なのに伝わってくるところ。リズムとか韻とか言葉の上げ下げとか、語気とか。言葉の息遣いが聞こえる文学という点では、日本語は抑揚に乏しいずんべらぼんな言葉なんだと、改めて感じさせられた。
紙の本
ふつう、って何だろう?
2020/10/26 17:05
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投稿者:遊糸 - この投稿者のレビュー一覧を見る
桃嘉は
日本人の父、深山茂吉と
台湾出身の母、雪穂(秀雪)の娘である。
母は日本語をあまり上手に扱えない。
タイトルにある魯肉飯(ロバプン)を
桃嘉の夫は、二口食べたところで箸を置く。
「こういうの日本人の口には合わないよ」
自分が当たり前だと思うことは
誰でもが当たり前だと思うことと
まったく疑う様子もない。
こうした偏狭さと傲慢さに、
本人はもちろん気づくことはない。
恋人の実家への初訪問にもかかわらず
魯肉飯を三杯もお代わりするような
茂吉のような日本人もいるとは
夢にも思わないのだろう。
物語は
第一章は、桃嘉の視点で始まり
次の章で、母の雪穂の視点に移り、母の結婚が描かれる。
こうして娘と母の物語は交互に綾なしていく。
桃嘉の夫はハンサムボーイで浮気している。
姑、舅、小姑の人物造形は月並みで
よくあるドラマのようなエピソードが描かれていく。
しかし、それだけに終始するような陳腐な小説ではない。
日本で生まれ育った娘も、
小学四年生のときの授業参観の帰り道、
母に向かって言ってしまうのだった。
「ーーなんでママはふつうじゃないの? せめて外にいるときは
ふつうのお母さんのふりをしてよ!」
台湾人の母を持つ娘。
娘はネイティヴの日本語話者だが
母の日本語は上達していない。
母娘のコミュニケイションは途切れがちになり
何かとギクシャクする。
ある日、思いあまった雪穂は台湾の実家に電話するが
雪穂の母はいう
「ことばがつうじるからって、なにもわかりあえるわけじゃないのよ。
あなたとあたしだって、そうじゃないの?」
そして母は秀雪(雪穂)に、さらに言い聞かせるのだ。
「……(あえて伏せる)……」
実のところ、そこで起こっている事象は
その状況の特殊さには、さほど依存していないのではないか。
それぞれのエピソードを際立たせてはいるが
これはどこでも、誰にでも起こりうる
普遍的な問題ではないか、と気づかされる。
老若男女にかかわらず、人種も国籍も関係ない。
とはいえ、
台湾と日本の歴史的関係を知らない方には
是非とも読んでほしい一冊でもある。
さて、人はどうしたら幸せになれるのか。
桃嘉は、自分の幸せを見いだせるのだろうか。
電子書籍
そうなのね
2022/12/06 20:12
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
台湾人の母と日本人の父の間に生まれた主人公。実は、友人の一人がこの立場です。だから、彼女のこと思いながら読み進めました。そして、この主人公と同様、私の友達も日本人の夫と結婚しているので……。なんとも……深いです。
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ママがずっとわたしの恥部だった――台湾と日本のはざまで母娘の痛みがこだまする。夫婦、親子の〈過ち〉を見つめる物語。
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期待度のわりには。
ストーリー構成がいまひとつな気がした、
けどこの物語の場合、状況だけで充分問題提起になる。
国籍差別についての話だと一見思ったしそういう場面も多々みられた。
が最後まで読んで、
結婚して名前をかえることはどういう状況でも異国の地へ行くように心細い
それを理解せず一方だけが自分の普通や当たり前を押し付けること以上に傲慢で浅ましいことはない、という感想にたどり着いた。
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温又柔さんのお顔の写真はビッグイシューで拝見したことがある(No.379(2020/3/15号))。本の表紙のイラストをよく見れば、目や鼻のあたりが著者そっくりに見えるのは偶然だろうか?
著者は“台湾生まれ・日本語育ち”と書くように両親が台湾人で、台湾生まれだけど3歳のころ一家で東京に移住している。でもこの本の主人公「桃嘉(ももか)」の場合、父は日本人で母が台湾人。そして日本で生まれ育っているから著者とは少し違う。
しかし日本の日常に囲まれて生活を送る者として、母が話す母国語や手作りの台湾料理に何らかの距離感がついて回っていたのは共通しているのかな、と私は想像している。
一方で、親が台湾人であっても日本人であっても、自分にとって家族とともに過ごすうちにいろいろな思い出が溶け込んだ「心に残る家庭料理」っていうのは誰でも思い当たるのでは?この作品では台湾料理の「魯肉飯(ロバプン)」=ルーローハンがそれに当たる。
でも思春期のときの桃嘉は、母が作る魯肉飯を素直に受け入れられなかった。母が作る魯肉飯を日本料理らしくないといって敬遠するくらいに。
最近では“友達家族”も多いと聞くが、この物語はその点ではオーソドックスな母娘関係の微妙な距離感が描かれている。さらに母と娘との世代間の考え方のずれに加え、日本語を話せない母と日本語しか話せない娘とのずれという、この母娘の固有事情がブレンドされている。
母と娘の世代間ギャップと書いてしまうと「ありきたりの作品」だと思われる懸念が生じるが、20代で既婚者になった桃嘉と夫との関係の描写だけは、同世代からの共感も得ると思われるような現代的な男女関係として描かれる。でもこの2人の関係は魯肉飯の好き嫌いを発端に大きく変化していくのだけど…
ほかにも桃嘉を軸に、父や友人や、台湾に住む母方の祖母や伯母たちとの出会いや会話が、これまた魯肉飯を間にはさんでそれぞれの物語として展開していく。魯肉飯に対する思いは各人によって違うけど、台湾料理独特の八角などを使って作られる魯肉飯への思いが、そのまま台湾にルーツがつながる桃嘉に対する感情と巧妙に重ね合わせられているのが読むにつれてわかってきた。(だから魯肉飯を好みでないような言い方をした夫と桃嘉との関係は変化していく。)
最後に、いろいろあったけど、これも魯肉飯を間にはさんで桃嘉ともう1人の登場人物との関係が描かれるが、ハッピーエンドへの余韻を含んだ終わり方が好印象だった。
そして、読後、あえて台湾を直接的にイメージさせないかのような表紙の装丁を改めて見ると、私が冒頭で著者似?と書いたイラストの女性が、台湾女性であり日本女性でもある両方の美しさを表しているかのように見えてきたから不思議だ。
それにしても、私にも誰か魯肉飯をおいしく作ってくれないかな…自分で作ろっか…
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「わたしの羽、そんなにちぢこまってみえるの?」
桃嘉が聖司に対して心の中で疑問を投げかける一文。
言葉とは思いを他者に伝えるために使うものであるにも関わらず、同じ言葉を使う者同士でも使うことを躊躇い、結局''思い''だけで終わってしまう、そんなもどかしさが詰まった一冊。
答えが見つかるわけでないが、そんな時に違う角度から指す光に目を向けることの大切さを教えてくれました。
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著者らしい一冊。
以前『「国語」から旅立って』を読んだが、個人的エッセイの体で、台湾人の両親を持ちながら日本に育った自身の出自から、年齢を経るごとに、自分の立脚点の不安定さに気付いていく様子が丁寧に綴られていた。要は、アイデンティティの問題だ。
「国語」と題されただけに、母語と母国語の間で揺れながら、言葉とは切り離した、本当の自分自身に気付いていく(https://booklog.jp/users/yaj1102/archives/1/478851611X)。
本書の主人公である桃嘉は、日本人の父、台湾人の母を持ち、3歳から日本で暮らす、著者の境遇に近い立場である。著者と同じように、「半分台湾人」という己の立場の危うさに加え、日本に暮らす台湾人である母親との関係に悩む、若い女性として描かれる。
そして、大学を卒業してすぐに結婚し、妻としての立場、夫の実家での嫁としての立ち居振る舞い、相手に求めれられる理想と自分としての現実のギャップという、新たな悩みの中で、揺れ動く。
言葉の問題を導入に物語は進んでいき、一見、アイデンティティの確立のためのお話かと思うが、キーワードは、「ふつう」。
「ふつうの料理。その一言がなければ、桃嘉は魯肉飯をもう一度つくったかもしれない。」
夫聖司に「ふつうの料理」を作ってくれと言われ、悩む桃嘉。
「― なんでママはふつうじゃないの?せめて外にいるときはふつうのお母さんのふりをしてよ!」
参観日に来た母親に、「ふうつのお母さん」を強要した子ども時代。
「― お金のことは気にするなよ。奥さんと子どものために稼ぐのは、男にとってあたりまえのことなんだからさ。」
聖司の「あたりまえ」=ふつうのことに、違和感を覚える桃嘉。
「ふうつ」とは何か、誰かにとっての「ふつう」は、別の誰かにとっても「ふつう」なのか否か。否、としたら、どうしていくか。
そんな、価値観のギャップを埋めていく物語だった。
たぶん、誰にとっても「ふつう」の正解はない。
最後は、違いがあっても、相手を思いやる気持ち、大きな愛情が、カバーしてくれるにちがいない。
「― 何を言ってるのよ。それであなたが幸せになれるならあたしがうれしくないはずないでしょう。あなたが無理してあのひとと一緒にいてそうやって苦しんでいるほうがママはずっとずっと悲しいの・・・。」
母親との確執を経て、その母の愛に気付いていく結末は、悪くはなかった。その愛の発露の表現に、言葉の違いは意味を成さない。表面を取り繕うアウトプットではない、本物の愛情は、何語で語ろうと、相手には伝わるに違いない。
「日本語かと思いきや、中国語になる。かと思えば台湾語もまじっている。母の声が桃嘉の背中を押した。」
悪くない。
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私も娘であり、妻・母である。親と子、夫と妻、同じ日本人同士でもお互いを理解し合うことが難しいと感じる時は、長い年月の中で誰しも一度は経験したことがあるだろう。母雪穂の異国での子育ての中での孤独、妻桃嘉の夫との価値観の相違、自分のことのように切なく胸に迫り、移動中の地下鉄で思わず涙が出てしまった。
そんな彼女たちをいつでも無条件の愛情で迎えてくれる台湾の祖父母、伯母たちの優しさ、ともに囲む食事の情景、そして雪穂が桃嘉のために作る食事、とても温かく、心にほんのりと灯りがともる。様々な面でとても感慨深い小説。
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台湾人の母親でも、台湾人と日本人の間に生まれた娘でもないけれど、とても二人の気持ちに共感できた。台湾にルーツを持つという点は、理解できたというのはおこがましいが、それ以外の母であり妻であり娘である部分に関しては、わかりすぎて辛いほどだった。
コロナ禍ギリギリで台北、淡水を旅したので、もうまた行きたくてたまらない。おいしい台湾料理をいろいろ食べたい。
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2020冬の文芸書フェア
所蔵状況の確認はこちらから↓
https://libopac.akibi.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=2001011726
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表紙借り。台湾人の母雪穂と日本人の父の元に生まれ、日本で育った女の子桃嘉。母と娘の物語の章が交互に織りなす。他の国にルーツがある人の日本での生き辛さが伝わってきたのと同じくらい通じ合える夫婦と通じ合えない夫婦の違いを見せつけられた。ラスト、父母の愛情に助けを得て自分の足で歩き出した桃嘉の未来を感じられてこちらまで幸せになった。