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「学校では教えない」といのはよく売り文句になるが、この本はそれとは違って、「学校が教えたくない」、あるいは「社会が教えたくない」本の読み方です
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学校の教科書で学ぶ読書の仕方は、登場人物の人柄をとらえる、表現の工夫を見つける、情景描写から人物の心情を考える、最も強く語りかけてきたことを考える、文章に対する自分の考えを持つなど。
著者は、そんな前置をしながら、学校では教えてくれない文章も紹介し、あたりまえと思われることを覆すような非常に奥深い読書論を論じる。
著者によると、問題山積みの文章こそ、読者を変えるいい文章だそうで、「社会」のことばを植え付ける学校の授業とは一線を画している。
オーソドックスとはいえない切り口の読書論であり、残念ながら、なかなか理解しづらいまま、読み終えた。
だが、坂口安吾の「天皇陛下にささぐる言葉」における天皇に直接語りかける貴重な文章は共感でき、武田泰淳の「審判」に出てくる日中戦争での中国人殺害場面に「社会」が送り込んだ「声」の恐ろしさが表されているという点はなんとなく理解できた。
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低年齢向けでした。
読んで解釈までを教える現代の教育現場では本当に読むことにはなっていない。読んで自分で考えよう。
といったような本でした。
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2024.01.14
アンコン中
読了ではあるけれど未整理
社会の縮図・最大効力化した学校で解釈すること
言葉や思考、自己の考えを扱うことの暴力性
無自覚…無自覚だなぁ
でも、これら全てまだなんとなく。未整理!笑
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新聞の書評欄での「危険な文章が持つ人を変える力」という見出しに誘われてたどり着いた本、っていうかブックレットです。超薄いし、ひらがなをベースにしたジュニア向け、という体裁になっているのでウエハース食べているみたいに抵抗なく一気に最後までたどり着きますが、読後感はとてもヘビー。かなり動揺してしまいました。いっぱい本を読むことはいいことだ、と無意識にこのブクログとかとも付き合っているのですが、自分の読書って、情報や知識やエンターテインを、ただ消費しているだけなのではないか、という気がしてしましました。冒頭で触れられる学校教育で指導されるような読書、安全地帯での安全な読書をしているのではないか、と怖くなりました。著者、高橋源一郎にとっての「危険な文書」はブローディガンの詩集『ロンメル進軍』の中の「1891-1944」、オノ・ヨーコの『グレープフルーツ・ジュース』、鶴見俊輔の『「もうろく帖」後編』、永沢光雄の『AV女優』、坂口安吾の『天皇陛下にささぐる言葉』、武田泰淳の『審判』、藤井貞和の詩『雪、nobody』、詩人 荒川洋治が紹介するサローヤン『ヒューマン・コメディ』についての文章、加藤典洋の最後の原稿(『大きな字で書くこと』収録)…。自分にとっての「危険な文書」とは、なんだろう?「みんな」や「わたしたち」に逃げ込まず「私」を変える、「私」をつくる文章との出会いを作る「読む」って行為について、心揺れている状態のままに、メモしました。落ち着いてもう一回、読もう。
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1時間目「簡単な文章を読む」の中で、オノ・ヨーコさんが書かれた文章を初めて読みました。
ジョン・レノンのパートナーであることしか知りませんでした。やっぱり何かの才能がある方だったのだろうと思いました。
こんな文章が載っていました。
「想像しなさい。
千の太陽が
いっぺんに空にあるところを。
一時間かがやかせなさい。
それから少しずつ太陽たちを
空へ溶け込ませなさい。
ツナ・サンドウィッチをひとつ作り
食べなさい。」 他
オノ・ヨーコさんが「やる」ようにいっていることは、この社会では、「無意味」で「無価値」なものばかりですが、なんだかやってみたくなります。そのつづきを書いてみたくもなると作者はおっしゃっています。
2時間目の『もうひとつ簡単な文章を読む」
日本を代表する哲学者で批評家であられた鶴見俊輔さんの文章。
(亡くなられる直前の文章が載っています)
著者の高橋さんは鶴見さんの文章の静けさ、究極の「読む」世界ということをおっしゃっています。
6時間目「個人の文章を読む」では藤井貞和さんの詩「雪、nobody」を取り上げています。
(全文を載せたかったのですが、長いのでご興味のある方は本書をお読みください)
詩人が「nobodyがいたよ」ということばから触発されて、考えたことは、この詩には書かれていません。なぜなら、それを考えるのは、この詩を「読む」読者の仕事であることをこの詩人は知っていたのです。-と解説されています。
詩や文章を読むのはじっくりこのように考えていると興味の深いことだと思いました。
おわりには「最後に書かれた文章を最後に読む」
加藤典洋さんが最後に発表されたキャッチボールについての文章が取り上げられています。
キャッチボールは投げるときには、相手をしっかり見て受け取るときには真剣にそのボールを見つめていなければならない。それは真剣に、自分に向かって投げられたボールなんだから。-という著者のことばは、この本で一番印象に残りました。
※間違えて非公開で登録してしまったので、自分でいいね!おします。
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子どもの頃に出会いたかった本。
本は大好きだったのに、国語の大問題(作者の心情を書きなさい的な・・・)で間違い苦手意識が強くなるし、読書感想文もお手本を見てしまうと書けなくなるタイプ。
今も本のレビューでの感性が人と違うことがよくある(笑)
ただ、自分の感じていることを上手に文章や言葉に出来る人は羨ましい。これは教育では難しいのかな、人それぞれ得手不得手はあるから、出来る人に代弁してもらおう。
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読み始めたのはかなり前ですが、「5時間」で涙が止まらなくなり苦しくなったのでこの本をしばらく封印しました。
そして1年以上経った今、またこの本を広げることが出来ました。また一からざっと読みましたが、なんとも言葉にできない心の底にずっしりとした何かが残ります。それは1年前に読んだ時と同じ感覚です。再度この本を封印していつか開きたくなった時に、自分の心がどう感じるか確認したいと思います。
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必ず新しい考えに出会える、高橋源一郎さんの文章。このシリーズ、良い!
私はふだんから、
良書を読んで、内容を理解し、自分なりに考え、想像し、他者の異なる意見も受け入れることでさらに自らの考えを深め広げ、表現できるようになろう、というようなことを全国の子どもたちに伝えていきたい、実際に伝えながら仕事をしているのだが、そう考えるたびになんか小さな違和感みたいなものがついてまわっていた。正しいんだけど、なんか、私が言う言葉ではないような、そんな気がしていた。そしたら、この2時間で読み終わる本を読んですっきりした。そうだよな、「読む」ってこれだよな!と。「読む」ってなんだろう、ということを考えるには、やはり「読む」のが一番だ。
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教育現場でよく使われている、「わたしたち」、「みんな」が意図していること、仕向けていること。
国語の教科書に書かれているという、「読み方」から読める、その考え、背景に恐怖が湧き上がった。
色んな文章があり、そこから何を考えたかとか自分の読み方に気付くとともに、新しい文章に出会える幸せもある。
日本語と英語の違い、集団と個人、言葉から仕向けられている個人、集団の意向を考える。
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私たちが知っている「教わってきた」読み方に一石を投じる一冊。
冒頭にあった小学生の「読み方の手引き」は大人になってから読むとなかなか面白い。
一方で、小学生の読み方は「みんなで」読むときの方法なのかもしれないと思わされもした。私たち大人は、「個人として」どう読むのか、何を受け止め、何を考えるのか。そこが大切なのかもしれない。
紹介されている作品は、どれも自力では出会えなさそうな作品ばかりで興味深い。
あとで自分の目で読んで確かめてみたいと思う。
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これはすごい本ですね、このシリーズ、全般に優れた内容ですが、この一冊は強烈なインパクト。
教科書的な「読む」から、ほんとうに「読む」営みに読者を誘う問題提起の一冊でした。おすすめです。
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この本を読んで、心が揺さぶられるような、自分の中のモヤモヤしていた思いが晴れたような、不思議な感覚になりました。
nobodyがいたよ。
社会に揉まれてこういうピュアな感情が分からなくなっていました。自由な感情。
問題山積みの本(数ある本の中でかなり端にあるであろう本)を紹介して下さり、読み方ではなく、読むということを教わりました。
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さっそく坂口安吾の「天皇陛下にささぐる言葉」を青空文庫で読みました。
「読む」ことの大事さは分かりますが何を読むかに苦労します。
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読むことの意味、どの類の本を読むのかについて思わぬ視点を提供する内容。
大変に短い文の一冊なので読んでおくといいかな。