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物語としての南北朝時代
2023/04/29 20:37
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投稿者:福原京だるま - この投稿者のレビュー一覧を見る
太平記が平家物語に倣いながら武臣の平氏(北条氏)から源氏(足利氏)の交代、足利幕府成立史を企図しているとしながら楠氏や名和氏といったその構想を相対化する武士たちの扱いについて触れている。この相対化が後の世に影響を与えていく様が面白かった。
紙の本
読者に知的興奮を感じさせてくれる戦記物語研究の秀作です!
2020/04/05 13:19
2人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、物語として共有される歴史が、新たな現実を紡ぎ出すダイナムズムを究明し、戦記物語研究の中でも価値ある一冊と言える書です。著者によれば、太平記よみの語りは、中世及び近世を通じて人々の意識に浸透しながら、実は、天皇をめぐる二つの物語を形成してきたと言います。そして、その語りの中で、楠正成は「忠臣」というイメージと「異形の者」という全く異なったイメージを見せます。これは一体どういうことなのでしょうか?同書は、こうしたことを徹底的に追及していきます。同書の構成は、「第1章 太平記の生成」、「第2章 もう1つの太平記」、「第3章 天皇をめぐる2つの物語」、「第4章 楠合戦の論理」、「第5章 近世の天皇制」、「第6章 楠正成という隠喩」、「第7章 『大日本史』の方法」、「第8章 正統論から国体論へ」、「第9章 歴史という物語」となっており、読者に非常な知的興奮を感じさせてくれる秀作です!
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いや、この方の本はホントにおもしろいです。「南北朝」という物語的言説が先にあり、それにあわせて「南北」の対立構図ができあがっていったという話は、読んでいてひざを打つ思いでした。「言説(物語)としての歴史といったばあい、歴史は書物のような『もの』としてあるのではない。それは、ある制度化された言表行為として読まれ、また語られることで歴史になるのである。」(「原本あとがき」より、太字箇所は出典では傍点)という一節、ジョーシキっちゃあジョーシキですが、非常に重要ですよね。(20071003)
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太平記よみの語りは、中世.近世を通じて人びとの意識に浸透し、天皇をめぐる二つの物語を形成する。その語りのなかで、楠正成は忠臣と異形の者という異なる相貌を見せ、いつしか既存のモラル、イデオロギーを掘り崩してゆく。天皇をいただく源平武臣の交代史、宋学に影響された名文論が、幕末に国体思想に読み替えられ、正成流バサラ再現としての薩長閥の尊皇攘夷へと続いてゆく。
「平家物語」と慈円の「愚管抄」
源平両氏が交替で覇権を握るという認識は、平安末期の保元・平治の乱にはじまり、治承・寿永の乱にかけて形成された歴史認識である。しかし内乱の複雑な過程を単純化し、それを源平交替として図式化してとらえたのは平家物語であった。
平家物語の編纂が、比叡山-延暦寺-周辺で行われたこと、とくに天台座主慈円が、その成立になんらかのかたちで関与したことは、「徒然草」226段の伝承―後鳥羽院の御時、慈鎮和尚-慈円-の扶持した信濃前司行長が、平家の物語を作りて、云々とする伝承-からもうかがえ、また、平家物語が延暦寺の動向に詳しいこと、慈円の「愚管抄」との密接な本文関係が指摘されること、からも傍証される。
「愚管抄」が書かれたのは、承久の乱-1221年-の前年、後鳥羽院と鎌倉幕府の関係が、修復不可能なまでに悪化していた時期である。そのような時期に、幕府を敵対的な存在としてではなく、むしろ「君の御まもり」として位置づける慈円の史論とは、現実の危機を歴史叙述のレベルで克服する企てだったろう。
慈円の「愚管抄」によって意味づけられ、平家物語の語りものとしての広汎な享受によって流布・浸透してゆく源平交替の物語とは、要するに、源平両氏を「朝家のかため」「まもり」として位置づける論理であった。いいかえればそれは、武家政権を天皇制に組み入れる論理である。
王朝国家が、武家政権に対して最終的に発明した神話だが、しかしそのような源平交替の物語が、源氏三代のあと、北条氏が桓武平氏を称したことで、以後の歴史の推移さえ規定してゆくことになる。
たとえば、鎌倉末期に起こった反北条-反平氏-の全国的な内乱が、あれほど急速に足利・新田-ともに源氏嫡流家-の傘下に糾合されたこともまた北条氏滅亡ののち、内乱が公家一統政治として落着することなくただちに足利・新田の覇権抗争へ展開した事実をみても、源平交替の物語が、いかに当時の武士たちの動向を左右していたかがうかがえる。
内乱が社会的・経済的要因から引きおこされたとしても、それは政治レベルでは、ある一定のフィクションの枠組みのなかで推移したのである。そしてそのような物語的な現実に媒介されるかたちで、太平記はさらに強固な源平交替の物語をつくりだしてゆく。
2010/06/03
桃中軒雲右衛門と宮崎滔天 -2010.06.01記
幕末の浪人生活のあげくに、上州高崎で門付けのデロレン祭文の芸人となった吉川繁吉という人物がいた。
繁吉の次男幸蔵は、父の家業を継いで二代目吉川繁吉を襲名するが、まもなく新興の浪花節に転向して、桃中軒雲右衛門を名告るようになる。
師匠三河屋梅車の妻と駆落ちして関西へ逃避行をするなど、とかく不行跡の噂の絶えない��右衛門だったが、明治35年-1902-に支那革命家の宮崎滔天と出会い、滔天のたっての頼みで、彼を一座の弟子に迎え入れる。
「窮民革命」を唱えて日本各地や大陸の満州を放浪していた滔天は、その思想宣伝の手段として浪花節を選んだらしい。
あえて無頼の悪評高い雲右衛門を選んだ理由は、赤穂義士伝を十八番としたその芸風にあったのだろう。仇討ちの大義に艱難辛苦する雲右衛門の語る赤穂浪人は、まさに明治20年代以後の民権運動に挫折した鬱勃たる壮士の姿であり、滔天にとって容易に彼自身が重ね合わされるものだったのではないか。
雲右衛門は、明治36年-1903-、滔天の勧めで九州に下り、以後4年近く、博多を中心に活動する。雲右衛門はおもに赤穂義士伝、弟子の滔天こと桃中軒牛右衛門は、支那革命軍談というか、革命に揺れ動く支那の現状を実録風に語るなどして、二人は九州で大成功をおさめた。
その余勢を駆って雲右衛門は、明治40年-1907 -6月に上京、東京本郷座を1ヶ月間にわたって大入満員にすることになる。赤穂義士伝-忠臣蔵-は雲右衛門の名声とともにまたたくまに日本近代の国民的叙事詩となり、いっぽうの宮崎滔天は、明治38年-1905-に中国革命同盟会の結成に参加しつつ、孫文や黄興あるいは滔天自身などの支那版義士伝を浪花節にのせて語り歩き、革命資金の調達に奔走していた。まさに語り芸の伝統を地で生きたような人物である。
門付け芸人となった浪人の子.雲右衛門が、大陸浪人の宮崎滔天と結びついたことには、やはり語り芸の系譜の因縁めいたものを思わせる。
それにしても、雲右衛門と滔天が同じ総髪姿で高座に上ったというのは、たんに奇を衒ったという以上の意味があると思われる。総髪に紋付袴という雲右衛門のトレードマークともなった出で立ちは、芝居や講談でお馴染みの彼の浪人軍学者由井正雪のそれである。また雲右衛門が好んで用いたその過剰な舞台装飾、演壇中央に極彩色の前幕と後ろ幕がかけられ、舞台両袖には色とりどりの旗や幟などが立て並べられたという。これら過剰な仕掛けは、日本社会の底辺に伏流したある精神の系譜を確実に指し示している。社会の良俗から故意に逸脱していく芸人雲右衛門と革命家滔天は、まさにその過剰.バサラな演出によって<革命>や<解放>のアジテーターとしての位相を獲得するのである。
雲右衛門の浪花節は、その出し物や語り口-節調-も含め、すべての意味において日本の語り芸の行き着いたカタチであった。たとえば雲右衛門の総髪姿に、語り芸におけるある種の先祖返りが覗えるとしたら、雲右衛門や滔天に受け継がれた語りのエネルギーとは、じつは楠木正成や由井正雪をカタルあぶれ者、<ごろつき>たちのエネルギーである。
宮崎滔天の<アジア主義>の理想が、その後継者たちによって、<大東亜共栄><五族協和>の幻想にすり替えられていったことが周知のように、日本社会のネガティブな部分が、歴史的にみてもっともラディカルな<日本>的モラルの担い手であったという構造がある。彼らのアジテートするもうひとつの天皇の物語が、ある種の<解放>のメタファーとして機能したこと、その延長上には、日本近代の<国民>国家のイメージさえ先取りされていたのである。 -2010.06.01記
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楠木正成の実像を知るために、三冊を同時に読み始めました。しかし本作は史実を詮索することがテーマではなく、芝居や講談で繰り返し再生され、現在も日本の社会や国家を呪縛している楠木氏的な物語がテーマです。それは太平記に起源を持ち、近世、近代に流通するフィクションとしての南北朝の歴史であり、その影響力は、同時代の思想家の言説とは比べようもなく、言い換えれば「南北朝時代史」という物語が思想家や学者の言説を構成しているとしています。本書では具体的にそのことを述べていきますが、非常に面白い内容です。私は太平記の歴史が幕末には共有されていたため、尊皇攘夷というスローガンで簡単に倒幕が出来たのではないかと理解しました。また正成の実像に迫るヒントも与えてくれました。何度でも読むであろう学術書です。
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北畠親房と足利尊氏の理想が同じという点に驚いた。楠木正成はじめ、武臣ではない者たちが好意的に語られる点において、太平記の作者を考察するところが面白い。鎌倉〜室町時代の前例主義がうかがえるところも読んでいて気持ちがよかったが、100ページで断念する。