紙の本
線の歴史
2021/03/23 17:13
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投稿者:かわも - この投稿者のレビュー一覧を見る
代社会では、点と点=場所と場所の移動というようにすべては目的地化されます。点と点を結んだ線ではなく、一筆書きの線のようにどこまでも続いていくライン。本当はその線上に知識、物語があるのではないだろうか。
『植民地主義とは、非線状的な世界に線状性を押し付ける行為ではなく、ひとつのラインに別のラインを押し付ける行為である。植民地主義はまず、生が営まれる道を、生がそのなかに収容される境界線へと変換し、次にそうやってひとつの場所に固定された閉じられた共同体をいくつも束ねることによって、垂直的に統合された集合体に組み上げる。何かに沿って生きることと、上に向かって結びあわされることは、まったく別のものなのである。』
僕たちの生活は、点と点を結んだ線によって区画化されてはいないでしょうか。生産性、成果主義、学力テスト、保活は一種の線引きです。線は足跡のようなもので、それに沿って旅人は道を進み、景色を感じることができます。不公正を正当化する勢力にからめとられないためには旅人のようになればいいのかもしれません。
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【読前メモ】まずタイトルにぐっと心引かれる。「線」だなんて、そんな森羅万象あらゆるものを構成していてまた人類も太古の昔から当たり前のように扱ってきたモノで果たして文化を切り取ることができるのか。そしてそれはどんな切り口を見せてくれるのか。興味をそそられる。
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訳者自身があとあきで「要約できないし、要約すべきでない」と書いているが、線形(Liner)に喩えられるものをいろんな角度、視点の高さから捉えて語っているので、まとめようとしても「ラインズ(Lines)」としか言いようのない本だった。
刺繍の糸、時間、散歩、旅、書道、絵画、建築等々……議論を積み上げて大きな命題を証明するというシロモノではなく、個別のディテールを言語化して編むということそのものに力点がある。
文化人類学って、ざっくりそういうものなのか。
売れ線の「一点突破の結論キャッチコピー」をタイトルに据えた啓発本とは対極に位置する本。一本筋は通っているが、対象はあっちこっちに飛ぶので読みにくいのは読みにくいけれど、読書体験としては豊かな感じがしないでもない。
個人的には「樹形図またキタ!」って思った。あとは王羲之が雁の首をしなやかさに霊感を得て、筆の運びに取り入れたとか……あとはブルース・チャトウィンのソングラインとか。
マスな社会的インパクトという視点を除けば、語るに足る対象や切り口は、いまだ溢れているなと再確認。
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「メイキング」がそこそこ面白かったのでこの本も手に取ってみた。
実は3年ほど前に購入して途中で断念。3年ぶりに再開してみたが、やはり挫折してしまった一冊である。
「ライン」をお題にしたうえで、発話と歌の違いとは?記述物と楽譜の違いとは?といった著者の問いかけは非常に興味深いものの、その答えに至る著者の考察、論理がとてつもなく難解且つ遠回りであり、途中で読むのをやめてしまった。(約半分を読了)
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授業で読みました。最初は単なる現代科学思想に対する批判かと思っていたが、本書に散りばめられている線(ラインズ)に関する事象は非常に興味深く、納得できるところが多かった。徒歩旅行と輸送の二項対立やソシュール批判をしたオングへの考えなどが私には印象深かった。本書を読み終えたとき、翻訳者のひとが巻末に書いていた「何かとても良いものを読み終えたときの清々しさ」をまさに体感した。ただ著者の手書きに対する熱い考えをワープロ文書で読まされる違和感があった。
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線をテーマに人類を語るという面白い本。興味深かったのはイヌイットの移動と英国海軍の移動の比較からストーリーテリングに話が及ぶところ。それぞれを散歩と特定の地点から地点への輸送とし、前者の中に人は住むことができるが後者にその余地はなく、プロット(予め決められたストーリーライン)の存在するストーリーの中に鑑賞者が住む余地はないと結論づける。著者がカバーする範囲は非常に広く、楽しめるところもあればそうでないところもあった。しかし、これだけ幅広い分野の物語を一冊にまとめた点に著者の偉大さを感じた。
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論理の積み重ねよりもその場その場の思いを大切にして書いている感じがして、最後まで話に乗り切れなかった。
時折いい文章やいい考えがあった気もする。
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今回は1章でやめた。
ただとても文化的で、人類学的で、人というものがどのように成り立ってきたのかわかるような気がする。
歌うというのが印象的だった。まず、歌うは一人で歌うものだったようだ。そして、奏でるというような歌うではなく、説得するとか、政治家が語るような、聴衆に聴かせるというようなイメージがあったようだ。
そして楽器だけの時期もあり、メロディーに乗せて歌うような時期にもなっていく。
私は今、前述の歌うに意識を寄せたい。どのように語ることが歌うになるのか。そういった出会いをするとは思わなかった。読書の出会いに嬉しさを覚える。