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人種差別について詳しく知らなかったが、色だけじゃない人間の根底の概念だったり生まれた環境だったりに影響される差別に深く考えさせられた
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日本人にはあまり縁の無い話と思いながら、読み進めたが、人間の本質に潜む優越感や劣等感からくる差別はまさに身近にある事に気づいた。
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戦後間もない日本、アメリカの占領下、占領軍の彼らと結婚し、渡米した戦争花嫁がいた。黒人と結婚した主人公。日本にいたときは逞しく溌剌としていた夫は、アメリカでは差別され貧しい暮らしをし、無気力になっていた。移民社会で複雑な差別構造があるアメリカ社会。アングロサクソン系白人を頂点とし、イタリア系はその下、黒人がいて、プエルトリコ人は更にその下、、と、差別が差別を呼ぶ構造。果たして肌の色とは?人種とは? 淡々と物語は進むが作者の熱い想いが行間から伝わる。現在なら一発アウトの表現のまま、書かれた時代背景そのままに、復刻してくれた出版社にも感謝。
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この本の主人公である、林笑子の物語は、敗戦直後の日本から始まる。
笑子は、アメリカ進駐軍のトムと結婚することになり、戦後日本の貧しい雰囲気と異なる、裕福な暮らしをしていた。
アメリカに単身で戻ったトムに招かれ、嫁ぎに行くと、そこは厳しい階級社会が広がる世界だった。
黒人のトムは「ニグロ」と呼ばれ差別されており、さらにその下には「プエルトリコ人」差別が蔓延っていた。
日本での暮らしとまるで異なる、貧しい暮らしをせざるを得なくなった笑子。少しずつ貯金をしてやがて日本に帰ろうと決意するも、次々と子供が産まれ、その決意は次第に薄れていく。
夫の収入では生活できないので、レストラン「ナイトォ」で働きだすと、生活が安定し貯金できるほどの収入が得られるようになる。
さまざまな人と交流する中で、なぜ黒人が差別されているのか、自分はどうあるべきかを考え続ける笑子。
戦争花嫁(ワーブライド)と呼ばれ自らも差別される彼女の最後の決断には、女性ではなく、人間としての力強さを感じた。
「非色」というタイトルは一体なんだろう、という疑問から手に取ったこの本は、人類が抱える終わることのない「差別」の問題について、深く深く考えさせられました。
読んでいて目を背けたくなるほど、悲惨な現実を見せつけてくるにも関わらず、気がつけばページをめくっていました。
「差別」とは終わることがないのでしょうか。肌の色や学歴や、何か自分と違ったもの、特殊であることを卑下したり、逆に特別扱いする。
確かに人間は、一人では生きて行くことはできませんが、「わたし」という個人を表現するためには、他人と比べることが必要なのだろうか、とすら考えてしまいます。
「多様性」が声高に叫ばれる現在ですらも、国によっては残り続ける差別。
この本で書かれているような差別は、現代ではすっかりなくなっているのでしょうか。
この本を読んで、「そうした歴史があった」と感じられないのは、形を変えていまだに残っているからであると考えます。
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シンプルに話がめちゃくちゃ面白かった。格差の原因は生活のせいか、人種の序列のせいか、文化のせいか、と状況が変わるごとに順応しないといけなくて、それは差別する/差別される立場の自分としての立ち位置も含む。
それなりのluckにも恵まれつつサバイブしていく力強さがあるからこそ、自分の努力でどうにかならないことが浮き彫りになっていくという話であり、悲観的すぎもせず淡々としていて読みやすい
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「人種のるつぼ」とも言われるニューヨークの人種差別構造が、これでもかと言うほど詳らかに、胸に迫る迫力をもって描かれる。1964年に発表された作品であるにも関わらず、現在においても決して無視できない問題を提起する作者の慧眼に脱帽
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戦後の「戦争花嫁」を通して差別の構造を描く。差別を起こしているのは肌の色ではなく、人間が優越感を感じたいがためなのかもしれないと感じた。だからこそ差別の解決は一筋縄には行かないのだろう。半世紀以上前の小説なのに、現代にも重大な問題提起をしている。
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1964年に刊行され、再文庫化された本書。
舞台は終戦後。女学校を卒業したものの、働くところがなく、キャバレーのクロークになった。そこで黒人の軍人と恋に落ちて…
人種差別は当時より少なくなったものの、誰もにある差別意識を再認識させ、黄色人種としての日本人の立ち場など考えさせてくれる。
女のプライドや、生き方、子どもに対する考え方など、「私もこう言ってしまう、こう思ってしまう」と物語に引き込まれながら5時間33分で読了。
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半世紀以上前の作品だけど、現代も状況はそう大きく変わっていないのでは?と思わされた。主人公の逞しさが救い。
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戦後、日本に駐留していた米黒人と結婚した女性、笑子の半生が描かれている。
アメリカの黒人をニグロと呼んでいた時代、日本でも差別があったのだ。家族から結婚を反対され、結婚後は子供を産むことを反対される。生まれた子供が縮れ毛で肌の色が濃いと、周囲の人からも非難のまなざし。当時は本当にそうだったんだろうか?
アメリカニューヨークに渡っても、黒人は貧民街ハーレムに住み、暮らしは貧しい。職に就けても給料は安い。
そんな中で笑子は黒人である夫と子供たちや、仕事で出会った人たちを通して差別の意味を考える。そして、問題なのは肌の色ではない、中身だ、という考えに行き着く。
人種だけでなく、男女、職業、偏差値による差別など、世の中には多くの差別がある。差別をなくすことはできないだろう。でも差別があるということに気づかないふりをしないようにしなければいけないな、と強く思う。
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60年近くも以前に書かれた小説の新しさに瞠目した。
これは「人種の小説」と呼ぶべき作品である。
終戦直後に多く発生した「war bride/戦争花嫁」とは、日本に駐在していた米兵と結婚した、日本人の花嫁達の総称だ。
搾取される一方の女性達が圧倒的に多かった当時、米兵と関係のあった者は皆、結婚さえ出来れば御の字と捉えられていた。
(アメリカへ帰国する際に捨てられる者が大半だったと言う事。)
それは、どんな未来が待っていようとも。
豊かな暮らしを夢見て渡米した彼女達が直面した現実は、余りに残酷である。
言うまでもなく、全ては人種差別に起因していた。
夫が有色人種やアメリカ人以外の白人であった場合、彼女達が夫の庇護下で暮らす事は途端に困難になってしまうのだ。
日本で勇敢な軍服を着ていた彼等の記憶を胸に抱いて単身、夫を追う彼女達は、現地に着いた途端に絶望的な光景と対峙しなければならない。
夫は社会から虐げられ、あの頃の利発さをも忘れてしまいそうな程、卑屈になっている。
仕事に就く事も困難を極め、高収入は望むべくもない。
只、いつまでも立ち止まっては居られない。
彼女達の隣には大抵、混ざり合った肌の色を持つ小さな子供が居るのだ。
主人公は比較的物事を客観的に捉える事の出来るドライで活発な女性だが、目も当てられない境遇の者達が多数登場する。
彼等は当時の人種感覚を容赦無く浮き彫りにしてくれるので、終始、私は無知を曝される思いがした。
白人の中でもイタリア人は後ろ指を指され、黒人はプエルトリコ人を見下す。
差別に疲弊した人々は、更なる差別を生んでいく。
自身より「下」の人種を嗤う事が原始の、欲求の一種であるかの様に。
プエルトリコ人が差別をされる歴史的背景は、調べてみたとてなかなか、これと言った情報は出てこない。
きっと同著者による『ぷえるとりこ日記』に詳しいのだろう。
絶版に近い作品の様だが、いつか必ず。
アメリカ留学経験を持つ著者ならでは、現地の空気を伝える小説だった。
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家族から勧められ読み始めたが、面白くて一気に読んだ。差別というのは麻薬のように人を気持ちよくさせるのだろうか。あの人よりはマシ、私はまだ恵まれている、そう思うことが心の安定につながるのはいつの時代も変わらないのだなと思った。
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有吉佐和子さんの作品は初めて。戦後、働き口を求め、米兵が通うキャバレーでクロークを手伝う笑子。黒人兵と結婚し、妊娠、出産。夫は除隊してNYに帰るのだが笑子は子供とともに日本に残る。その後、渡米、夫と共に暮らしながら、NYでの人種差別のなかで暮らしていく。恵美子が見た差別は、同じ白人でも米英系は優性でイタリア人は劣性、さらにアフリカン・アメリカンは奴隷の子孫なので劣性。ただし、アフリカから留学してきた黒人は奴隷出身ではないので劣性ではない。黒人のさらに下に見られているのが南米・エスニックの人々。ネズミ以下という表現も。この小説は作者のNY留学中の体験をもとに書かれたもので、作者は、差別は肌の色ではなく、優越感を感じたいグループの意識が作り出すものだと喝破している。そして、この本が描かれてから60年以上が経過しているが、まだまだ差別は無くならないということに気付かされる。
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人間というのは、自分と他者を比べて優位に立つことが本能に組み込まれているのだろうか。
他者と比べて自分はあの人よりマシだと思うことで、もう差別は始まっているのかもしれない。
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日本とニューヨークへと舞台を移し、色んな人種がいる中で起こる差別構造について赤裸々に、ユーモラスにも描かれていて、読む手が止まらなかった。
「肌の色ではない、階級闘争なのだ」
人間は自分より下の存在を作らなければ、自分の尊厳を保てない生き物なのだと、改めてゾッとしました。
もちろん自分の事も例外ではなく…。
これが50年以上も前に書かれた作品だなんてと驚くと同時に、未だギャップを感じられない現代の状況。
人間ってなんて残酷で逞しい生き物なんだろうと考えさせられました。