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ご主人の岸政彦さんのツイートをみて読み始めた。齋藤直子さんの専門分野も知らなかったので、タイトルだけでは、部落差別に伴う結婚差別が主題だとは分からなかった。
筆者は私とほぼ同年代であるため、(出身地が同じく大阪ならば)同和教育も同じように受けてきたのではないかと推察する。しかし現在は部落問題が人権問題の一部として実質的に縮小していると知ったのは驚きだった。
さて。部落問題に伴う結婚差別とは、部落外出身側および縁者(両親)が当事者の結婚を阻害しようとする差別である。解決法として有力なのは、当事者の人柄や熱意のようだが、それが常に有効であるとは限らない。忌避心理は根深いので、結局は破局に至ることもある。
更に言えば部落外出身側に潜在する差別意識のせいで、結婚後に破局することもある。特に「部落出身だ」とうちあけた際に相手が「関係ない」と答えることが、「部落出身であることも含めて私を受け入れてほしい」という気持ちとの齟齬を生じさせること、そして「関係ない」=部落への無関心や忌避から出た言葉、だという場合には、当事者間に亀裂を生じさせてしまう、との指摘があった。
もしも私が当事者だったときにうちあけられたならば、やはりまず「(部落出身であっても)関係ない」と答えてしまうと思った。そしてそれは更に言えば「(これからは部落とは関係ない生活になるのだから)関係ない」という気持ちが奥に潜んでいたことに気付いた。
同和教育を受けていた時期から遠く離れ、また人権問題を考えることがあっても部落差別問題を考えることがほとんど無くなっていた私にとって、未だ消えていない部落差別を再度考え直す良い機会を与えてくれた本になった。
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結婚差別、なんとなくそんなことがあるだろうという程度の認識でしかなかったけれど、読んだ後では、我が事として考える機会になった。自分の子が部落出身者と結婚するとなったら、等。
「祝福」したいという強制、「祝福」されなくてはならないという意識の内在化、が根強いというところに、目からウロコ。
自分は良いけど親戚がね、自分は良いけど周りがね、という言説。本人は差別発言してないと思っているけど、それは差別発言だということ。
部落差別だけに限らず、身近にあるかないか、接するか接しないか、で差別意識は違ってくるだろうなと思う。色々な人と関わることの重要性を改めて思う。
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主な話題は被差別部落における結婚差別研究
その中身は「非好意的な親の介入」であり、親との関係性の分析がなされている。
差別意識の問題だけでなく、家族関係の問題も考えることができ、整理される。
親との関係性だけに注目すると、
親の反対の中でもタチが悪いのが、「親戚・世間の忌避の予期」だという。
非常に巧妙な反対方法であり、自らの反対の解釈は隠蔽される。
また、予測不可能な事象に責任を求めてくるため、回答不能である。
この回答不能な問いかけには、直接答えることは出来ず、結局、人柄などの個人の評価に頼るのみとなる。
しかし、個人のみを認めることは、自らの差別意識は持ち続けたまま(例外化の戦略)となり、これは「結婚後差別」の萌芽ともなる。
以上の話だけでも、親との関係性の問題が、言葉により整理されることで救われることもあるかと思う。
最後の章では、支援の具体的な話が述べられる。
解決策があるわけではない。しかし、考える助け・支えにはなるであろう。
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4.0 人の幸せを願って生まれる差別についての研究。結婚するが目的になってはいけないと言うのは納得できる。相手を尊重、尊敬しながら年を重ねたいと思う。
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専門的といえば専門的…だけれど、結婚差別で悩んだ人はどうすれば? というところにも配慮があるので、ゴリゴリの研究書感がないです。悩んでいる人も読んでほしい
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パラパラと読んだ。
関西出身者は、この部落問題が今なお現在進行形であることを感じているだろう。けれど、関東ではほとんどこの問題は表出していないように感じる。事例で出てくる地名も圧倒的に大阪が多い。